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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第1章 魚嫌いに魚を食わせる
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6/15

5 餌探し


「あっちぃですわ……」


 季節は夏。わたしは軽装に着替えてから後宮を飛び出した。


 天璟《てんけい》様直々に外出の許可を得ているので、堂々と門番に行き先を告げて、外出のしかるべき手続きを経た。門番たちは妃嬪の外出に驚いていたが、天璟様の名前を出すと渋々と外出許可を出してくれた。


 後宮のすぐ近くの林、その奥深くに川が流れている。


 この川は海と繋がっていて、わたしがいるのは河口の近く。淡水と海水がぶつかる汽水域《きすいいき》だ。


 女官を置いて一人でここまでやって来た、というより、ついてきたがる女官なんていなかった。


 幸い、釣り竿にはリールも糸もセッティングされており、なんと糸の先には仕掛け(釣り針)もついている、初心者レンタルセットのような釣り竿であった。怖いのは糸が切れることだけだ。


 とはいえ、釣り竿一本では何もできない。ただ糸の先に針がついているだけで、魚が釣れるわけがないのだ。


「まずは、餌探し! ちゃんと桶を二個持ってきてよかった」


 釣った魚を入れる用の底が深い桶と、釣り餌を保管する用の一回り小さな桶を洗い場から拝借してきたのだ。


 本当は、お皿でも良かったのだけれど……釣り餌を入れた後に使いたくなくなってしまうからやめておいた。


 大きいほうの桶には川の水をたっぷりと汲む。釣れた魚を入れる用の桶だ。前世だったら、メッシュの蓋がついた透明なバケツがあったものだが、もしかしたらそれすら海月宮にあるかもしれない。


 桶の準備が終わったわたしは陰っているエリアの落ち葉をばさっとめくる。


「当たりですわ〜!」


 ミミズが三匹!


 嬉しくて天に掲げていると、

「お姫様がなんでミミズ持ってんの!?」

 信じられないものを見たような声が聞こえてきた。


 天璟様の執務室で一緒になった金髪の宮女《きゅうじょ》が、小さな崖の上から目を見開いて立っている。


「あら? 先ほどの……ええと、お名前は」

「月瑤《げつよう》です。賢妃《けんひ》様の護衛に参りました……って、それより、それ!」


 月瑤がわたしの手にいるミミズを指差す。


「月瑤もやります? ミミズは平気ですか?」

「ミミズは平気かってこっちの言葉なんだけど……」

 呆れた様子で崖を滑り降りてくる月瑤。フレンドリーな感じで助かる。


「何を釣る気なんですか?」

「そうですね……あわよくば、鰻を釣りたいところですが、流石にこの明るい時間では無理でしょうね」

「鰻!? こんな林の川で!?」

「ほら、川を見てください」


 月瑤と川に目を凝らす。光の反射で水面が光って、魚影が見えにくい。


「……何もいませんが」

「よく見てください、あそこの木陰になっているところの、大きな石です」


 わたしが指差した方向へ、月瑤が目を細める。


「……あ! 小さい魚が石にくっついてる!」

「そう、あれが今回の狙いです」


 狙いの魚と手の中にいるミミズの大きさを見比べる。


「ちょっとミミズが大きいかしら……?」


 ミミズは、五センチはありそうで、とても小魚の口に入るサイズではない。

 そこでわたしは自分の失態に気づいた。


「ハサミを忘れてしまいましたわ……!」


 釣りで必須のハサミを忘れてしまうなんて。


「月瑤、ハサミを持っていませんか?」

「裁縫用なら持ち歩いているけど……ミミズ切るの!? 嫌だよ!? そのあと裁縫に使えない!」

「ですよねぇ……」


 困った。手や爪で切れるとは思えない。先の尖った小枝でも探すしかない。


「でも、小型剣なら……」


 おずおずと月瑤から差し出されたのは、護身用の小型剣。

 おおよそ、後宮にいる宮女が持っているとは思えないものだった。


「助かります!」


 わたしは月瑤の小型剣を両手で受け取り、ミミズを地面に押し付ける。三ミリくらいの幅に、小型剣を突きつけ、切る。切れ味が良くて、すぐにミミズは二つになった。大きいほうは小さな桶に入れておく。


「何してんの、ほんとに……」


 眉間に皺を寄せた月瑤が見守る中、三ミリになったミミズを針に通して、釣り竿を彼女に手渡す。小型剣はミミズの入っている桶の隣に置いておいた。


「あの魚の顔の前を狙って、投げてみてください」

「……いいけどさぁ」


 お姫様がミミズそんなに簡単に触れるか? などとブツクサ言いながら月瑤は釣り竿を受け取り、指示した通りに振るった。


 ぽちゃん。


 ミミズがゆっくりと水中を落下していく。


「見てますね……」


 魚がミミズをじーっと見つめているのが、地上からでもわかる。水面が透き通っているのに魚がいるのはラッキーだ。


 ここからは耐えの時間が始まる。


「竿を上下に小さく振ってみてください」

「こ、こう?」


 月瑤が軽く竿を上下に振ると、ミミズもそれに合わせて水中で踊る。魚が注意を惹きつけられている。


「そう、そして、たまに動きを止めてください、気持ち長めに」

「……こうか?」


 ぴた、とミミズの動きが止まると、魚が少し近づいてきた。しかし、そこで警戒してまた止まってしまう。


「なるほど、こうやって誘うのか」


 月瑤は慣れてきたのか、自分のタイミングで竿を振ったり止めたりできるようになってきた。


 小さくアクションを加え、ピタッと止める。それの繰り返し。


「見てます、見てます。いいですよ……!」


 そして、ミミズの動きを止めたとき。


 ──ブルブルッ!!


「わっ!?」


 魚がミミズに食いつき、月瑤の釣り竿が振動する!


「食いましたわ!! 月瑤、竿を縦にしてください!」

「竿を縦に!?」


 月瑤は困惑しながら竿を持ち上げた。地面と垂直になった竿を確認して、わたしはリールに手を添える。


「月瑤、この持ち手を回します、いきますよ」


 月瑤がリールに手をやり、一緒にリールを巻いていく。


 バシャン!


 水面から糸に吊された魚が現れた。

 川からの距離が近いので、魚はすぐわたしたちの手元までやってくる。


 ミミズを食べて針を飲み込んだまま、上を向いてビチビチと揺れている。サイズは十センチぐらいだろうか。


「つ、釣れた……!」

「これが今回の狙い、ハゼです。夏からが旬の小魚。揚げると美味しいんですよ〜」


 後宮で天ぷらが出されたことはないけれど、揚げ物は出てきたことがある。ハゼの素揚げを、天璟様に実食して頂こうという作戦だ。


 わたしはハゼの口から釣り針を取る。口の端にかかっていたため、簡単に取れた。ミミズはまだ形が残っていて、再利用できそうだ。


 月瑤は釣り竿を見つめて、ぼうっとしている。


「ふふ、釣りは初めてですか? どうでしたか、あたりの感覚は」

「あたり?」

「魚が餌を食ったということです」


 わたしはハゼを、水を汲んでおいた大きな桶に入れる。ぽちゃん、と小気味のいい水音がして、ハゼはすぐおとなしくなった。


 ハゼが飛び跳ねて逃げ出さないように、桶を川から離れたところに移動させる。


「あぁ……、ブルブルって竿が震えて、アタシも震えてるみたいだった。魚が戦ってるのがわかって、アタシも負けないぞって気持ちになって、なんていうか……」


 月瑤は両手をぎゅうっと握りしめる。


「楽しいな、釣りって」

「そうでしょう!」


 わたしは渾身の笑顔で月瑤に応えた。


 前世では、ずっと一人で釣りをしていた。釣りに付き合ってくれる女友達もいなかったし、男友達ができたと思ったらすぐに告白されてしまうので、結局一人になったのだ。


 月瑤と釣りの楽しさを分かち合えたことは、わたしにとって初めての経験だった。

 なんだかくすぐったくて、ちょっと嬉しい。


 わたしは桶の中のハゼを見つめる。ハゼはじっとしていた。


「残りのミミズも小さくしましょう!」


 地面に放置してあった月瑤の小型剣を握り、小さな桶から三ミリ切られた残りのミミズを取り出す。


 わたしは膝をつき、地面にミミズを押し付けながら、ふと違和感を思い出した。


「聞いてもいいですか?」

「なんでしょう?」

「なぜ護身用の剣を所持しているのですか?」


 ずっと明るく喋っていた月瑤がためらうように口を結んだ。


 やはり触れてはいけなかったかしら?


 言いたくないのなら言わなくても、とわたしが気遣いを見せる前に、月瑤はポツリと話し始めた。


「……アタシ、武官になりに来たから」

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