4 水面下
「階下、戦争を仕掛けるご判断を」
「…………」
天璟の執務室には、ひっきりなしに家臣が出入りしていた。
今、天璟の前に並び立つ二人の家臣は、戦争推進派。
「……戦争など、そう簡単に言ってくれるな」
海に面しているここ、碧海国は大きな国であったが、周辺諸国との友好関係についてはこと無関心なままであった。
……父上の尻拭いの役目がこんなに早く回ってくるとはな。
天璟は心の中で、空の上にいる前皇帝に文句を言う。父の生前にそんなことを口にしたら、どんな目に遭わされるかわかったものではないが。
「南の隣国はすでに遊牧民族によって、瓦解されたとの情報が入っております」
「我が国に攻撃を仕掛けてくるのも、時間の問題でしょう」
「すぐにでも、隣接国を武力制圧すべきです」
口々に家臣たちは判断を急かしてくる。
……参ったな。
顔には出さないが、天璟は冷や汗をかいていた。
戦争をするには、国自体に体力がいる。
長期戦になってしまった場合、碧海国の民たちは耐えられるのだろうか。
そもそも、相手とされる遊牧民の情報が少な過ぎる。何の武器を使う? 戦法は? 戦力は何人規模だ?
……こんな状況で判断など。
「しばし待て」
天璟の言葉に、二人の家臣は眉をしかめた。
「なぜですか! 先に戦争を仕掛けられ、後手に回ってしまっては不利になります」
情報云々の前に、とにかく早さを求めているのが戦争推進派である。
「……まさか、戦争をする勇気がないのでは?」
煽るように言ってくる家臣。
しかし、天璟は冷静であった。
……やはり、突然皇帝になった俺をまだ信頼しきれていないのだな。
俺が部下に舐められてしまっては、本末転倒だ。
何とか、いいように先伸ばさないといけない。
「戦争をするにも、まずは物資が必要だろう」
「…………」
二人の家臣は口を閉じる。
「武器、食糧、馬。ここで判断を下したとて、戦う人間の準備ができていなくては、どうしようもない」
開戦の命が下ってから手配するようでは、混乱を招く恐れがある。
戦争を始める寸前まで、自国の民にすら気づかれないようにしたほうがいい。そうすることで、戦争をする気がないのだと、敵をも欺くことができる。
「お前たちは武器の用意を秘密裏に進めておいてくれ」
「はっ!」
ようやく家臣たちは納得して執務室を出て行った。
ひとまず、難は乗り切ったか……。
「天璟様。失礼いたします」
肩の荷が降りたのも束の間、入れ替わるように、一人の武官が入室してきた。
「あぁ、劉帆。来てくれたか」
天璟は劉帆の姿を目に留め、ほっと胸を撫でおろした。
彼は美しい武官だった。決して線が細いわけではないが、端正な顔立ちをしており、武官の中でも唯一後宮での出入りを許された、天璟が一目置いている武官であった。
その美貌のせいで、後宮の妃という身分を持ちながらも言い寄ってくる女が出てくるほど。
「また戦争推進派ですか」
「そうなんだ。懲りもせず頻繁にやって来る。彼らの言うことも理解できるが……俺はなるべく人を傷つける戦争なんかしたくない」
首を左右に振る天璟。
劉帆はそっと歩み寄り、天璟の肩に手を置いた。
「階下。あまりご自分を責めずに」
「劉帆……」
天璟は、劉帆の手に己の手を重ねた。
「……頼んでいた家臣たちの調査はどうだ?」
「……戦争推進派の数は増え、不満は溜まっていく一方でございます」
「そうか……」
このまま自分が曖昧な態度を続けていれば、謀反が起こるかもしれない。
そうなれば対外諸国の対応どころではなくなってしまう。
「いい加減、腹を決めないといけないな……」
「仰せのままに」
決意を固める天璟に、劉帆は頭を下げるのみだった。
***
「じゃ、じゃあ、次はわたしが釣りますね!」
釣り針に刻んだミミズをセットして、わたしは得意げに遠くに竿を投げた。
水底に着いた感覚を得てから、ずるずるとリールを巻いていく。
「そんな釣り方もあるのか」
「底のほうを探っていくやり方です。ただこれ怖いのが……」
鼻高々と語っているうちに、リールが巻けなくなった。竿をグッと引っ張ってみるが、ミミズは戻ってこない。
「魚、かかったか?」
月瑤が爛々と目を輝かせてくる。
残念ながら、魚がかかったときのブルブルという震えはない。しかし、何かにつっかえてしまったかのように、リールは巻けない。
とても言いにくいけれど……誤魔化してもしょうがない。
「根掛かりました……」
「根掛かり?」
「底にある障害物に、針が引っかかってしまったということです……」
「えっ!? どうすんの!?」
「思いっきり引っ張るしかないです……!」
竿を引っ張ってみる。ミヨンミヨンと竿が揺れるだけで、一向に釣り針が外れる気配はない。
いろんな角度から引っ張ってみるも、変化なし。
「力なら任せて!」
月瑤に釣り竿を渡すと、勢いよく引っ張る。
釣り糸がふわっと浮いた。針が抜けたようだ。
「やった……──」
「悪く思わないでくれよ」
月瑤と喜びを分かち合おうとした瞬間、体格のいい男が草むらから現れた。
「むぐっ!?」
「清蘭様!?」
あっという間に、わたしは後手に拘束され、喋れないように口を押さえられた。
釣り竿が地面に転がる。
「依頼人は清蘭をご所望だが、金髪のほうが高く売れそうじゃねぇか」
……人攫い!?
しかも、誰かに依頼されている……!?
「おい、両手を上げてしゃがめ。こいつを傷つけられたくなけりゃな」
「んーっ!」
わたしは身を捩らせてみるが、びくともしない。
「わかった! 言う通りにするから、清蘭様に乱暴するな!」
月瑤は言われた通り、両手を上げてしゃがみこむ。
小型剣は月瑤が持っているはず。
一瞬でも隙が作れれば、月瑤がなんとかしてくれる……!
何か、何かないか、隙を作る何かが……!
あたりを見渡して気づく。
月瑤がしゃがみ込んだ近く、草むらの影に隠れて“アレ”を置いたはずだ。
月瑤……! 気づいて……!
わたしが必死で何度かパチパチとウインクをする。
「……?」
怪訝な表情をしていた彼女だったが、足元の“アレ”に気づいて、ウインクを返してくれた。
「おい! 言う通りにする! するから……! 清蘭様だけは離してやってくれ!」
「ものわかりがいいね、金髪は高く売れそうだからな」
月瑤の怯えた演技に、男は簡単に騙されてくれた。
「じゃあ、俺について来い。手間が省ける」
男はわたしを掴む手を緩めないまま、一瞬だけ月瑤から目を離した。
「あの、でも、ここ……変じゃないか?」
「あ? どこが……」
月瑤の呼びかけに振り向く男。
すでに月瑤は足元にあった桶を振りかぶっていた。
すっかり油断した暴漢の顔に、ハゼごと水を叩きつける。
バッシャン!
「ぶわっ!?」
勢いよく水を顔面に食らって男が怯む。
拘束から逃れたわたしは、男の手から一心不乱に飛び出した。
月瑤は滑らかな動きで、体のどこからか小刀を取り出す。
柄で男の鳩尾を殴る。
ゴッ!
鈍い音がした。
「ぐはっ!」
唾液か胃液か分からないものが、男の口から吐き出される。
苦しそうに腹を押さえてしゃがみ込むのに合わせて、月瑤が男の背後に回る。
……なんて鮮やかなの。
わたしはこの一瞬を美しいとすら感じてしまった。
「誰からの差金だ?」
刀を男の喉元に突きつけ、月瑤が尋問を始めた。
今までのやり取りでは聞いたことのない、低い声音だった。
「し、知らねえ……取引相手は顔を隠していた……」
「依頼内容は?」
「せ、清蘭を殺せ……」
「…………」
「た、頼む、命だけは……がっ」
月瑤が男の首裏を強く叩き、男は気を失った。
ガクン、と男の体から力が抜けたのを見て、月瑤は立ち上がる。
「清蘭様、一度後宮に戻り、報告しましょう。こいつはしばらく起きませんから、武官たちに回収してもらえばいいかと」
「は、はい……」
緊急事態により、月瑤の砕けた喋り方が敬語に戻り、わたしはその提案に従う他なかった。それが一番正しいと思ったし、自分ではどうすればいいか分からなかった。
「月瑤、本当に強いですね……」
「そう? あいつが弱かっただけだよ」
ゴキゴキと指を鳴らす彼女は、先ほどの印象とは裏腹に今だけゴリラに見えた。
「それより、後宮に急ぎましょう」
「あ、一つだけ……」
くるり、と背を向ける彼女にわたしは声をかけた。
「なんでしょう」
「釣れたハゼを持ち帰っていいでしょうか……?」
「……」
わたしの問いに、月瑤はポカンと口を開けた。
や、やっぱりダメかしら……?
「く、くく……」
くぐもった声が漏れるように聞こえてくる。
「あっはっは! 変な人!」
月瑤はひとしきり笑ったあと、
「いいでしょう! ハゼ、持って帰りましょう!」
と、笑顔で了承してくれた。
「ていうか、ハゼはまだ生きてるんですかね?」
「ハゼは生命力が高いですから」
桶に水を汲んで、地面で瀕死になっているハゼを入れる。
途端にハゼはビチャビチャと桶の中を動き回った。
驚いた顔の月瑤にわたしは笑いかける。
「ね?」
そして、わたしたちは急いで後宮へ急いだ。
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