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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第5章 後宮の釣り姫
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3 持ち帰り

 劉帆《りゅうほ》様が捕らえられて二日後。天璟様に伝えられた、雪瑛様処刑のタイムリミットの日。


 わたしは月瑤《げつよう》とともに北の蔵を訪れた。訪れたといっても、中に入るわけではなく、遠目から蔵の様子を窺っていた。


 まだ正午にもなっていない、少しだけ朝の香りが残っている。


 処刑まで時間制限を設けられたものの、期限を待たずして事件が解決したわけだ。劉帆様が焦ってわたしを殺しに来なかったら、わたしたち三人とも、今日処刑されていたかもしれない。


 あったかもしれない未来を想像して身震いする。


「何か嫌なこと考えてます?」


 月瑤が横目で問いかけてきた。なんでもお見通しだなぁ、とわたしは感心する。女官として満点だ。


「生きててよかったな、と思いまして」

 わたしが言うと、月瑤も「ですね」と笑った。


 ガタン、と音がして蔵の扉が開けられた。一人分の影がゆっくりと現れてくる。


「雪瑛《せつえい》様!」

「清蘭《せいらん》様……!」


 お召し物はだいぶ薄汚れ、やせ細っていたが歩けるくらいには元気なようだ。わたしはほっとして雪瑛様に抱きつこうとした。


「汚いからダメよ」


 猫が飼い主のキスを拒絶するように、やんわりとハグを拒否されてしまった。空っぽの両手が虚しい。


 そんなわたしに雪瑛様は少しだけ笑ったあと、真面目な表情になった。


「まず、謝らせて」

 雪瑛様が頭を下げる。


「貴女を桟橋から突き落として本当にごめんなさい」

 劉帆様に逆らえなかったとはいえ、雪瑛様がわたしを殺そうとした事実は変わらない。


 わたしは両手を振って、笑顔で答えた。


「大丈夫ですよ、全然気にしてませんから」

「清蘭様……」

 月瑤が気を遣って口を挟もうとするのを片手で制する。


「……とは、言えませんね」


 雪瑛様の肩がびくりと震えた。


「すごく、すっごく怖かったです。いつも釣りをしている夜の海が、初めて怖いと思いました。ここで死ぬんだって、諦めそうになりました」

「…………」


 雪瑛様は黙ってわたしの話を聞いている。頭を下げたままなので表情はわからない。わたしは続けた。


「……そして、死にたくないと強く願いました」


 雪瑛様は顔を上げた。後悔と懺悔に塗れた表情をした彼女に、わたしは安心させるために微笑んだ。


「そしたら、人魚が助けに来てくれたんです」

「人魚じゃなくて月瑤です」


 すかさず月瑤からツッコミが入れられる。


「おかげさまで、自分の本当の気持ちに気づけました。だから、感謝している部分もあるんですよ」


「そう言ってもらえたところで、私は許されないことをしたわ……」

 複雑そうに眉根を下げる雪瑛様の頬に手を添える。


「だから、わたしの女官になりませんか?」

「え……?」


 雪瑛様は目をぱちくりとした。思ってもみない提案だったようで、わたしはサプライズが成功した気持ちになる。雪瑛様の頬に添えた手を離す。


「確かに、女官に降格される処分を言い渡されたけれど……清蘭様の?」

「はい」


 わたしが来る前に、宦官《かんがん》が雪瑛様へ処分を伝達に来ていたはずだ。


 天璟《てんけい》様はわたしの証言で雪瑛様に配慮してくれた。天璟様は状況を鑑みても情状酌量の余地があるとして、女官への降格と処罰を下したのだ。賢妃殺害未遂の実行犯なのだから、随分と寛大な処置だ。


「あんなことをした私を許してくれるの?」

「許したわけではありません。感謝している部分があるというだけの話です」

「だって、そんな……」


 雪瑛様の瞳にどんどん涙が溜まっていく。


「わたしと釣りをしませんか?」

「……いいの?」

「約束したじゃありませんか」


 とうとう涙が雪瑛様の頬を伝い落ちた。一度こぼれた涙は止まらずに、次々と溢れ出ていく。


「ありがとうございます……! お仕えさせて頂きます……!」

 拱手《こうしゅ》で顔を隠すようにして、雪瑛様は嗚咽を漏らした。


「アタシのほうが女官としては歴が長いですからね!」


 既に話をしてある月瑤がふざけて胸を張る。四夫人《よんふじん》から同僚になる雪瑛様にどうやって接していくか、彼女なりに考えあぐねているのかもしれない。月瑤の心遣いに感謝する。


 元四夫人の雪瑛様が誰の女官になったところで、よくて腫れ物扱い、いじめられるのが関の山だ。わたし付きの女官になれば彼女を守れる。


「雪瑛様にお渡ししなければならないものがあります」


 わたしは懐から簪《かんざし》を取り出す。

 隠し通路へと続く扉の鍵となっていた、雪瑛様の簪だ。

 天璟様から調査が済んだとして返してもらっていた。


「あ……」

「お互い処刑されなかったらお返しする、と」


 雪瑛様はうやうやしく簪を受け取った。わたしが身に付けるよう促すと、申し訳なさそうにしながら自身の髪を簪でまとめた。


 簪にはめられている白い石は、肌の白い雪瑛様にぴったりだと改めて実感した。


「もう徳妃《とくひ》じゃないのに……」

「お似合いですから」


 涙の跡が残る顔で照れ臭そうに笑う雪瑛様に、わたしも思わず笑みを浮かべる。

 思い出したように、雪瑛様が呟いた。


「じゃあ、劉帆様は……」

「……処刑されました」

「そう……」


 わたしが簡潔に伝えると、雪瑛様は目を伏せる。


「劉帆様について他には……」

 雪瑛様は再び問いかけようとして、口を閉じた。


「……いいえ、やっぱりやめておくわ。終わったことだものね」

 頭を軽く左右に振って、質問を取り下げた。


 憎たらしい兄をまだ劉帆様と呼ぶのは、兄妹関係を知られていると思っていないからだろうか。


 諸悪の根源が処刑されて、多少は楽になったらいいんだけれど。


 わたしは雪瑛様に聞きたい気持ちをグッと抑える。


 彼女の中で区切りをつけようとしているのに、わざわざ掘り返す必要もない。


 天璟様から詳しくは聞いていないが、おそらく雪瑛様以外の一族は処刑の命が下されていると思われる。それぐらい、皇帝暗殺の罪は重い。


 海月宮《くらげきゅう》は雪瑛様にとっては嫌な記憶が詰め込まれた場所かもしれない。

 でも、そんな記憶を忘れられるくらい、楽しい思い出で塗り替えてやりたい。


「帰りましょう」


 わたしは雪瑛様──女官となった雪瑛に手を伸ばす。雪瑛もその手を遠慮がちに握り返してくれる。


「わたしたちの海月宮に!」

「……私たちの……」


 雪瑛は口をパクパクと開いて閉じてを繰り返し、言葉をじっくり咀嚼しているようだった。


 やがてわたしの手を握る力がぎゅ、と強くなった。


「はい……!」


 家族が処刑される複雑さは、そう簡単に切り替えられないだろう。それでもわたしたちは足取り軽く海月宮へ向かった。

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