3 持ち帰り
劉帆様が捕らえられて二日後。天璟様に伝えられた、雪瑛様処刑のタイムリミットの日。
わたしは月瑤とともに北の蔵を訪れた。訪れたといっても、中に入るわけではなく、遠目から蔵の様子を窺っていた。
まだ正午にもなっていない、少しだけ朝の香りが残っている。
処刑まで時間制限を設けられたものの、期限を待たずして事件が解決したわけだ。劉帆様が焦ってわたしを殺しに来なかったら、わたしたち三人とも、今日処刑されていたかもしれない。
あったかもしれない未来を想像して身震いする。
「何か嫌なこと考えてます?」
月瑤が横目で問いかけてきた。なんでもお見通しだなぁ、とわたしは感心する。女官として満点だ。
「生きててよかったな、と思いまして」
わたしが言うと、月瑤も「ですね」と笑った。
ガタン、と音がして蔵の扉が開けられた。一人分の影がゆっくりと現れてくる。
「雪瑛様!」
「清蘭様……!」
お召し物はだいぶ薄汚れ、やせ細っていたが歩けるくらいには元気なようだ。わたしはほっとして雪瑛様に抱きつこうとした。
「汚いからダメよ」
猫が飼い主のキスを拒絶するように、やんわりとハグを拒否されてしまった。空っぽの両手が虚しい。
そんなわたしに雪瑛様は少しだけ笑ったあと、真面目な表情になった。
「まず、謝らせて」
雪瑛様が頭を下げる。
「貴女を桟橋から突き落として本当にごめんなさい」
劉帆様に逆らえなかったとはいえ、雪瑛様がわたしを殺そうとした事実は変わらない。
わたしは両手を振って、笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ、全然気にしてませんから」
「清蘭様……」
月瑤が気を遣って口を挟もうとするのを片手で制する。
「……とは、言えませんね」
雪瑛様の肩がびくりと震えた。
「すごく、すっごく怖かったです。いつも釣りをしている夜の海が、初めて怖いと思いました。ここで死ぬんだって、諦めそうになりました」
「…………」
雪瑛様は黙ってわたしの話を聞いている。頭を下げたままなので表情はわからない。わたしは続けた。
「……そして、死にたくないと強く願いました」
雪瑛様は顔を上げた。後悔と懺悔に塗れた表情をした彼女に、わたしは安心させるために微笑んだ。
「そしたら、人魚が助けに来てくれたんです」
「人魚じゃなくて月瑤です」
すかさず月瑤からツッコミが入れられる。
「おかげさまで、自分の本当の気持ちに気づけました。だから、感謝している部分もあるんですよ」
「そう言ってもらえたところで、私は許されないことをしたわ……」
複雑そうに眉根を下げる雪瑛様の頬に手を添える。
「だから、わたしの女官になりませんか?」
「え……?」
雪瑛様は目をぱちくりとした。思ってもみない提案だったようで、わたしはサプライズが成功した気持ちになる。雪瑛様の頬に添えた手を離す。
「確かに、女官に降格される処分を言い渡されたけれど……清蘭様の?」
「はい」
わたしが来る前に、宦官が雪瑛様へ処分を伝達に来ていたはずだ。
天璟様はわたしの証言で雪瑛様に配慮してくれた。天璟様は状況を鑑みても情状酌量の余地があるとして、女官への降格と処罰を下したのだ。賢妃殺害未遂の実行犯なのだから、随分と寛大な処置だ。
「あんなことをした私を許してくれるの?」
「許したわけではありません。感謝している部分があるというだけの話です」
「だって、そんな……」
雪瑛様の瞳にどんどん涙が溜まっていく。
「わたしと釣りをしませんか?」
「……いいの?」
「約束したじゃありませんか」
とうとう涙が雪瑛様の頬を伝い落ちた。一度こぼれた涙は止まらずに、次々と溢れ出ていく。
「ありがとうございます……! お仕えさせて頂きます……!」
拱手で顔を隠すようにして、雪瑛様は嗚咽を漏らした。
「アタシのほうが女官としては歴が長いですからね!」
既に話をしてある月瑤がふざけて胸を張る。四夫人から同僚になる雪瑛様にどうやって接していくか、彼女なりに考えあぐねているのかもしれない。月瑤の心遣いに感謝する。
元四夫人の雪瑛様が誰の女官になったところで、よくて腫れ物扱い、いじめられるのが関の山だ。わたし付きの女官になれば彼女を守れる。
「雪瑛様にお渡ししなければならないものがあります」
わたしは懐から簪を取り出す。
隠し通路へと続く扉の鍵となっていた、雪瑛様の簪だ。
天璟様から調査が済んだとして返してもらっていた。
「あ……」
「お互い処刑されなかったらお返しする、と」
雪瑛様はうやうやしく簪を受け取った。わたしが身に付けるよう促すと、申し訳なさそうにしながら自身の髪を簪でまとめた。
簪にはめられている白い石は、肌の白い雪瑛様にぴったりだと改めて実感した。
「もう徳妃じゃないのに……」
「お似合いですから」
涙の跡が残る顔で照れ臭そうに笑う雪瑛様に、わたしも思わず笑みを浮かべる。
思い出したように、雪瑛様が呟いた。
「じゃあ、劉帆様は……」
「……処刑されました」
「そう……」
わたしが簡潔に伝えると、雪瑛様は目を伏せる。
「劉帆様について他には……」
雪瑛様は再び問いかけようとして、口を閉じた。
「……いいえ、やっぱりやめておくわ。終わったことだものね」
頭を軽く左右に振って、質問を取り下げた。
憎たらしい兄をまだ劉帆様と呼ぶのは、兄妹関係を知られていると思っていないからだろうか。
諸悪の根源が処刑されて、多少は楽になったらいいんだけれど。
わたしは雪瑛様に聞きたい気持ちをグッと抑える。
彼女の中で区切りをつけようとしているのに、わざわざ掘り返す必要もない。
天璟様から詳しくは聞いていないが、おそらく雪瑛様以外の一族は処刑の命が下されていると思われる。それぐらい、皇帝暗殺の罪は重い。
海月宮は雪瑛様にとっては嫌な記憶が詰め込まれた場所かもしれない。
でも、そんな記憶を忘れられるくらい、楽しい思い出で塗り替えてやりたい。
「帰りましょう」
わたしは雪瑛様──女官となった雪瑛に手を伸ばす。雪瑛もその手を遠慮がちに握り返してくれる。
「わたしたちの海月宮に!」
「……私たちの……」
雪瑛は口をパクパクと開いて閉じてを繰り返し、言葉をじっくり咀嚼しているようだった。
やがてわたしの手を握る力がぎゅ、と強くなった。
「はい……!」
家族が処刑される複雑さは、そう簡単に切り替えられないだろう。それでもわたしたちは足取り軽く海月宮へ向かった。
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