2 自由
杏蕾は門を振り返った。くぐったら後宮へ繋がる門。自分は今、ずっと閉じ込められていた後宮から出てきた。
荷物は風呂敷一つだけ。
「……はぁ」
ため息は夏の蝉にかき消された。太陽は高く、杏蕾の影がくっきりと地面に落ちていた。
結局、劉帆様は捕らえられたらしい。どこかの宮女が噂しているのが耳に届いてきた。おそらく処刑されるだろう、と口々にみんな言っていた。そんな噂が流れてから翌日。
突如として、杏蕾は減刑を言い渡された。掖庭で働くことから、後宮追放へ処罰が変わった。
汚い身なりと粗末な寝床、簡素な食事ではあったが、それでも寝る場所と食べるものは確保できていた。なのに、今は後宮を追い出されて、実家に帰るあてもない。
実家が歓迎してくれないことぐらい、杏蕾自身もわかっていた。
「これからどうしよう……」
「いいところがありますよ」
背後から声をかけられた。見ると、金髪の女官が立っていた。後頭部の高い位置で一つに髪を結んでいる。結び目に挿された簪が、太陽の光を反射して輝いていた。
「掖庭で会った……」
「月瑤と申します」
もう何の身分もない杏蕾に、月瑤は拱手をして頭を垂れた。彼女は出会った頃からずっと九嬪だった杏蕾を尊重してくれている。
「ここからずっと南に進むと、道場があります」
月瑤が遠くを指差す。つられて指の先を見た。目の前は広場だ。少し前には東の商人がここで屋台を広げていたらしい。掖庭にいた杏蕾は行けなかったけれど。
「月瑤の紹介で来た、と言えば歓迎してくれるはずです」
指の先から月瑤に視線を戻すと、彼女は微笑んだ。
道場とは何なのだろう。杏蕾には武道の心得などないが、行くあてもないよりはマシかもしれない。
「どうしてそこまでしてくれるの? 誰かに言われたの?」
杏蕾が疑問をぶつけると、月瑤は照れ臭そうに頬を人差し指で掻いた。
「アタシがそうしたいから、杏蕾様の減刑を進言しました」
杏蕾は自身が掖庭から後宮追放になった理由を知った。
照れ笑いする月瑤を見つめ続けていたら、杏蕾が理解していないと思ったのか、彼女は喋り出した。
「証言、してくださったじゃないですか」
わたくしの心を利用して使い捨てた、劉帆様。
自分の証言で好きだった人が死ぬのは、複雑な気持ちだ。
まだ、わたくしは……。
「杏蕾様?」
月瑤に呼びかけられてハッとした。お互い、夏の日差しを浴びて額には汗が浮かんでいる。
彼女は微笑んで、手で南を指し示した。
「行くも行かないも、杏蕾様の自由です。無理強いはしません」
「……そう」
わたくしの自由、か。
不思議な響きだ。そっと優しく心に溶け込んでくる。でもまだ、馴染んではいない。
きっとこれからなんだろう。
劉帆様への気持ちも、自由という言葉も。
「ありがとう」
杏蕾は月瑤の目を見て感謝した。彼女の目は薄い青色で、とても綺麗だと思った。その異国の髪色とともに。
「月瑤は目も髪もきれいだね」
そう言うと、月瑤の目がみるみるまん丸になった。ちょっと面白い。
「ありがとうございます!」
杏蕾は歩み出した。もう振り返らない。後宮には戻らない。
「またいつか!」
元気な月瑤の声を背中に受けて、杏蕾は前を向いたまま手を振った。
青空には入道雲が浮かんでいる。
「どこに行こう」
自由、自由、自由。
口の中で飴玉みたいに転がせば、その言葉はとても甘美な味がした。
右に行っても、左に行っても。
北に進んでも、南に進んでも。
杏蕾は両手を大きく広げた。広場の人はまばらで、誰にもぶつからない。
「まぁ、とりあえず行ってあげるわ」
月瑤のおすすめする道場とやらに。
足が軽い。南へずっと行く、と言われたけれど、どれだけ遠いのだろう。まぁいいか。どれだけでも歩いていける気がした。
だって、わたくしは今、自由なのだから!
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