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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第5章 後宮の釣り姫
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1 誘い

「天璟《てんけい》様、お呼びでしょうか?」


 桟橋に置いてきたシーバスを回収してから、月瑤《げつよう》に付き添われて医官から手当てを受けているとき、天璟様の使いの者がやってきた。天璟様が執務室にお呼びだ、と。


 月瑤を伴い、わたしは包帯を巻き付けた手で扉をノックする。すぐに「入れ」と返事がきた。


「いっ……!」

 扉を開けようとすると、右手に激痛が走った。こんな少しの力でも痛いのか。


「アタシが開けます」

 月瑤が小声で言って、扉を開けてくれる。


 天璟様は机に向かっていつもの仏頂面をしていた。机上にはたくさんの書簡が重なっている。


「見事、三日以内に黒幕を見つけ捕縛した。雪瑛の処刑は中止とする」

「ありがとうございます」


 月瑤と共に頭を下げる。


「それで、今回の事件をまとめているんだ。知っていることを説明してくれないか?」

「はい」


 机の前まで歩み寄り、わたしは自分の知っていることを整理しながら話す。


「海月宮《くらげきゅう》はずっと劉帆《りゅうほ》様が拠点として使用していたそうです。我々、と仰っていたのですが、何かの集いがあるのかもしれません」

「戦争推進派の連中だろうな」


 戦争推進派、という言葉を聞いて、満月の夜を思い出す。


 確か、天璟様は家臣たちから「周辺諸国へ軍事的圧力をかけるべきだ」と進言され困っているとこぼしていたはずだ。


「だから海月宮に真新しい使用感があったんですね」

 月瑤が納得したように口を挟む。わたしは彼女に振り返った。


「使用感?」

「ほら、厨院《ちゅういん》の門の錠前が新しいものだったでしょう? それに小厨《しょうちゅう》にあった包丁も最近研いだ感じがしたんですよ」


「わたしが移住すると言い出すまで、彼らが生活していたのですね……」

 天璟様は筆で書簡に書きつけている。


「それに今思えば、劉帆様は厨院の説明だけわざと飛ばしていた気がします」


 月瑤の言葉を頼りに必死に思い出す。二人だけなら小厨で事足りるとかなんとか言われて、錠前は開けられなかった。


「清蘭が海月宮を使うと言い出したから、劉帆はお前を殺そうとしたのだな」


「あと、地下に折檻《せっかん》部屋がありました。雪瑛《せつえい》様は日常的にあそこで折檻を受けていたようです。彼らは兄妹で、雪瑛様は幼少期から劉帆様に逆らえなかった、と」


「……そんなことが……」


 ため息をついて、天璟様は眉間を揉んだ。

 雪瑛様は普段から何かしらの指示を出されていて、失敗するたびに折檻されていたようだった。


「その折檻部屋から隠し通路に続く鍵を、雪瑛様が持たせてくれました。そのお陰でわたしは生き延びることができました」


 わたしは証拠品として、雪瑛様の簪《かんざし》を提出した。


「なるほど……。それは雪瑛の処罰に配慮する事項になる」

 天璟様の言葉を聞いて、少し安堵する。


「わたしが知っているのはこれくらいです」

「わかった、礼を言う」


 筆を置いた天璟様は、わたしの後ろに控えている月瑤を呼び寄せた。彼は机に肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せる。


「約束は守ろう」

「約束……?」

 わたしと月瑤は一緒に首を傾げた。


「お前は黒幕が捕まるまでの間、見事清蘭を守り抜いた。すぐ任命することもできるが、一応武官になるための試験を受けてもらう」


 あっ、とわたしは口元を手で押さえた。

 すっかり忘れていた。

 今度こそ本当に月瑤の夢が叶うときがきたんだ。


「お前が試験を受けさえすれば、いつでも武官になれるが、どうする?」

「……申し訳ありません」


 月瑤は拱手《こうしゅ》して頭を下げた。


「少し、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

 その反応を見て、天璟様は「だろうな」と言いたげに片方の口の端だけ上げた。


「いいだろう、その気になったらいつでも言いに来い」

「ありがとうございます」

 お礼を述べても月瑤はその場から動かない。


「何かあるのか?」

 不審に思った天璟様が問いかけると、月瑤は息を少し吐いてから口を開いた。


「掖庭《えきてい》にいらっしゃる杏蕾《きょうらい》様の減刑をお願いできないでしょうか?」

「減刑?」


 天璟様が眉を寄せる。わたしも初耳だ。


 月瑤に、アイゴを紛れ込ませた九嬪《きゅうひん》へ話を聞きに行くようお願いしたが、そこで何かあったのだろうか?


「杏蕾様も雪瑛様同様、劉帆様に指示され罪を犯してしまった、いわば被害者でもあります。掖庭から減刑して頂けないでしょうか?」


 月瑤は膝をついて、拱手した。

 掖庭送りは重い罰だ。杏蕾様にも情状酌量の余地はある。


 しかし四夫人《よんふじん》の食事に毒を紛れ込ませた事実は変わらない。すべては天璟様次第だ。


 天璟様はしばらく無言だったが、顔を上げない月瑤を凝視してから「わかった」と呟いた。


「検討しよう」

「ありがとうございます」


 顔を輝かせる月瑤に「良かったですね」と笑いかけた。あとで杏蕾様と何を話したのか聞いてみよう。


「では、用件は以上だ。二人ともきちんと休息をとるように」

「天璟様こそ」


 わたしたちは天璟様の執務室を後にした。




***




 清蘭《せいらん》と月瑤が去り、静かになった執務室で、天璟は椅子の背もたれに体重をかけた。ふぅー、と長い息が出る。


「これで大体は終わったか……」


 今回の事件をまとめるのにかなり時間がかかっている。しかもこれで終わりではない。


 劉帆は戦争推進派の筆頭だった。すなわち、残党がいる。指導者が捕らえられ、士気が下がっていればいいが、逆に打倒皇帝と燃え上がっている可能性もなくはない。


「残りをどう炙り出すか、か……」


 清蘭と月瑤を巻き込むわけにはいかない。


 ここからは、信頼する家臣を見極めるまで、全部一人でやらなければいけないのがどうしようもなく億劫だ。そんなことも言っていられない状況だが、以前は劉帆がいてどれだけ助けられていたかが身に染みる。


 彼のせいで面倒なことになっているのだから、矛盾した感情が胸に渦巻く。


「こんなとき、清蘭ならどうするだろうか……」


 天井を見上げ、彼女とのやり取りを思い出すべく、記憶の海に沈む。


 ──「そうですね、確かに海底には何がいるかわかりません……」


 そうだ、あれは清蘭が暴漢に襲われたというのに、呑気に厨でハゼを調理しようとしていたときだ。


 記憶の中で、らんらんと目を輝かせる清蘭は早口で語りかけてくる。


 ──「だからこそ、探ってみる価値があるのです。仕掛けを着底させて、動きを入れながら、時々隙を見せ、相手が乗ってくるのを待つ。そのやりとりは、とても胸が高鳴ると思いませんか……!?」


 後半の言葉はやや尻すぼみで再生された。


「動きを入れながら、時々隙を見せる……」


 やれ面倒だ、億劫だ、とウンザリしていた天璟の顔に、笑みが浮かんだ。

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