1 誘い
「天璟様、お呼びでしょうか?」
桟橋に置いてきたシーバスを回収してから、月瑤に付き添われて医官から手当てを受けているとき、天璟様の使いの者がやってきた。天璟様が執務室にお呼びだ、と。
月瑤を伴い、わたしは包帯を巻き付けた手で扉をノックする。すぐに「入れ」と返事がきた。
「いっ……!」
扉を開けようとすると、右手に激痛が走った。こんな少しの力でも痛いのか。
「アタシが開けます」
月瑤が小声で言って、扉を開けてくれる。
天璟様は机に向かっていつもの仏頂面をしていた。机上にはたくさんの書簡が重なっている。
「見事、三日以内に黒幕を見つけ捕縛した。雪瑛の処刑は中止とする」
「ありがとうございます」
月瑤と共に頭を下げる。
「それで、今回の事件をまとめているんだ。知っていることを説明してくれないか?」
「はい」
机の前まで歩み寄り、わたしは自分の知っていることを整理しながら話す。
「海月宮はずっと劉帆様が拠点として使用していたそうです。我々、と仰っていたのですが、何かの集いがあるのかもしれません」
「戦争推進派の連中だろうな」
戦争推進派、という言葉を聞いて、満月の夜を思い出す。
確か、天璟様は家臣たちから「周辺諸国へ軍事的圧力をかけるべきだ」と進言され困っているとこぼしていたはずだ。
「だから海月宮に真新しい使用感があったんですね」
月瑤が納得したように口を挟む。わたしは彼女に振り返った。
「使用感?」
「ほら、厨院の門の錠前が新しいものだったでしょう? それに小厨にあった包丁も最近研いだ感じがしたんですよ」
「わたしが移住すると言い出すまで、彼らが生活していたのですね……」
天璟様は筆で書簡に書きつけている。
「それに今思えば、劉帆様は厨院の説明だけわざと飛ばしていた気がします」
月瑤の言葉を頼りに必死に思い出す。二人だけなら小厨で事足りるとかなんとか言われて、錠前は開けられなかった。
「清蘭が海月宮を使うと言い出したから、劉帆はお前を殺そうとしたのだな」
「あと、地下に折檻部屋がありました。雪瑛様は日常的にあそこで折檻を受けていたようです。彼らは兄妹で、雪瑛様は幼少期から劉帆様に逆らえなかった、と」
「……そんなことが……」
ため息をついて、天璟様は眉間を揉んだ。
雪瑛様は普段から何かしらの指示を出されていて、失敗するたびに折檻されていたようだった。
「その折檻部屋から隠し通路に続く鍵を、雪瑛様が持たせてくれました。そのお陰でわたしは生き延びることができました」
わたしは証拠品として、雪瑛様の簪を提出した。
「なるほど……。それは雪瑛の処罰に配慮する事項になる」
天璟様の言葉を聞いて、少し安堵する。
「わたしが知っているのはこれくらいです」
「わかった、礼を言う」
筆を置いた天璟様は、わたしの後ろに控えている月瑤を呼び寄せた。彼は机に肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せる。
「約束は守ろう」
「約束……?」
わたしと月瑤は一緒に首を傾げた。
「お前は黒幕が捕まるまでの間、見事清蘭を守り抜いた。すぐ任命することもできるが、一応武官になるための試験を受けてもらう」
あっ、とわたしは口元を手で押さえた。
すっかり忘れていた。
今度こそ本当に月瑤の夢が叶うときがきたんだ。
「お前が試験を受けさえすれば、いつでも武官になれるが、どうする?」
「……申し訳ありません」
月瑤は拱手して頭を下げた。
「少し、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
その反応を見て、天璟様は「だろうな」と言いたげに片方の口の端だけ上げた。
「いいだろう、その気になったらいつでも言いに来い」
「ありがとうございます」
お礼を述べても月瑤はその場から動かない。
「何かあるのか?」
不審に思った天璟様が問いかけると、月瑤は息を少し吐いてから口を開いた。
「掖庭にいらっしゃる杏蕾様の減刑をお願いできないでしょうか?」
「減刑?」
天璟様が眉を寄せる。わたしも初耳だ。
月瑤に、アイゴを紛れ込ませた九嬪へ話を聞きに行くようお願いしたが、そこで何かあったのだろうか?
「杏蕾様も雪瑛様同様、劉帆様に指示され罪を犯してしまった、いわば被害者でもあります。掖庭から減刑して頂けないでしょうか?」
月瑤は膝をついて、拱手した。
掖庭送りは重い罰だ。杏蕾様にも情状酌量の余地はある。
しかし四夫人の食事に毒を紛れ込ませた事実は変わらない。すべては天璟様次第だ。
天璟様はしばらく無言だったが、顔を上げない月瑤を凝視してから「わかった」と呟いた。
「検討しよう」
「ありがとうございます」
顔を輝かせる月瑤に「良かったですね」と笑いかけた。あとで杏蕾様と何を話したのか聞いてみよう。
「では、用件は以上だ。二人ともきちんと休息をとるように」
「天璟様こそ」
わたしたちは天璟様の執務室を後にした。
***
清蘭と月瑤が去り、静かになった執務室で、天璟は椅子の背もたれに体重をかけた。ふぅー、と長い息が出る。
「これで大体は終わったか……」
今回の事件をまとめるのにかなり時間がかかっている。しかもこれで終わりではない。
劉帆は戦争推進派の筆頭だった。すなわち、残党がいる。指導者が捕らえられ、士気が下がっていればいいが、逆に打倒皇帝と燃え上がっている可能性もなくはない。
「残りをどう炙り出すか、か……」
清蘭と月瑤を巻き込むわけにはいかない。
ここからは、信頼する家臣を見極めるまで、全部一人でやらなければいけないのがどうしようもなく億劫だ。そんなことも言っていられない状況だが、以前は劉帆がいてどれだけ助けられていたかが身に染みる。
彼のせいで面倒なことになっているのだから、矛盾した感情が胸に渦巻く。
「こんなとき、清蘭ならどうするだろうか……」
天井を見上げ、彼女とのやり取りを思い出すべく、記憶の海に沈む。
──「そうですね、確かに海底には何がいるかわかりません……」
そうだ、あれは清蘭が暴漢に襲われたというのに、呑気に厨でハゼを調理しようとしていたときだ。
記憶の中で、らんらんと目を輝かせる清蘭は早口で語りかけてくる。
──「だからこそ、探ってみる価値があるのです。仕掛けを着底させて、動きを入れながら、時々隙を見せ、相手が乗ってくるのを待つ。そのやりとりは、とても胸が高鳴ると思いませんか……!?」
後半の言葉はやや尻すぼみで再生された。
「動きを入れながら、時々隙を見せる……」
やれ面倒だ、億劫だ、とウンザリしていた天璟の顔に、笑みが浮かんだ。
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