7 大物
首だけで振り返ると、顔面エビだらけの劉帆様がわたしの首根っこを掴んでいた。視界を奪ったはずなのに、彼は今までの経験と勘でわたしを捕らえた。
扉を開けるのに少し手間取っただけなのに、もう追いつかれた……!
「女のくせに、どこまでも……!」
「きゃあ!」
片手だけで地面に叩きつけられた。土がべしゃりと頬につく。横たわるわたしの上に、劉帆様が馬乗りになった。体の自由を奪われる。
逃げる隙も与えられない……!
「とっとと死ね!」
刀がわたしを見下ろしていた。
万策尽きたか……!
「清蘭様ぁ!」
叫び声と共に、劉帆様が視界から消えた。わたしから見て右方向に吹っ飛んだ。
「え……!?」
慌てて体を起こし、彼が消えていった方向へ顔を向けると、情けなく倒れる劉帆様がいた。
そしてその横に立っているのは、見惚れるほどに美しい金髪のポニーテール。
「月瑤!」
「清蘭様! ご無事ですか!?」
頼もしい後ろ姿に涙が溢れそうになる。月瑤の頭にはわたしがあげた簪が挿してあった。
「清蘭! こっちに来い!」
肩をグイッと引かれ、逞しい胸板に後頭部から収まる。刀を抜いた天璟様が劉帆様を睨んでいた。
「……お前ら、女の分際で……!」
片膝をつきながらゆっくり起き上がろうとする劉帆様に、月瑤が容赦なく蹴りを入れた。唾液を吐いて地面に転がる劉帆様の手を踏みつけ、月瑤が刀を取り上げる。
「観念してください」
刀を遠くへ投げ捨て、月瑤は劉帆様を後ろ手に拘束した。跪かせた姿勢にさせ、彼の背中を膝で押さえつける。
「後宮を出る前に、武官たちにも来るよう天璟様が命じました。もうすぐ到着します」
月瑤が冷たく言い放った。遠くから大量の足音が聞こえてくる。
「ぐ、ぐ……! 女のくせに、女のくせに……!」
地面に額を擦り付けながら、劉帆様は呪詛のように言葉を吐き出す。
天璟様が劉帆様に近づき、刀を向けた。
「劉帆……」
劉帆様が視線を上げる。顎が土で汚れていた。
「どうしてなんだ? どうして清蘭を殺そうと──俺を殺そうとした?」
劉帆様に向ける刀がわずかに震えている。眉間に皺を寄せ、今にも泣きそうな声で話しかける天璟様に対して、劉帆様は鼻で笑った。
「私は一番になるべき人間だからです。生まれたときからずっと!」
「……なら、今まで俺を気遣ってくれていたのは……」
「全部演技に決まっているじゃないですか! あっはっは! 信じていただなんて、幸せなお人だ!」
劉帆様はこんな状況でも高笑いした。
歯をぎり、と噛み締めて、天璟様は続ける。
「戦争推進派の指導者もお前か……!」
「そうですよ。本人に指導者を探せだなんて命じて、見つかるわけがないのに!」
「なぜ戦争を……!」
「大国でありながら周りの小国を従えないなんて馬鹿すぎるからです! いつまでも人命がなんだと甘えた考えでノロノロと政治を続けて……いい加減にしてください。私が頂点に君臨するには、もっと大きな国でなければいけない」
天璟様は目を閉じて、大きく息を吸って、吐いた。
「なら、父上の死は……」
劉帆様は目を大きく開いて、素っ頓狂な声を上げた。
「前皇帝は過労で亡くなったんですよね? か、ろ、う」
「貴様ぁ!」
天璟様が刀を振り上げた瞬間、武官たちが一斉に駆けつけた。
「天璟様!」
武官たちに顔を見せないようにしながら、天璟様は刀をゆっくり下ろした。
「…………劉帆を拘束しろ」
天璟様の命に従い、武官たちが一斉に劉帆様を取り囲む。
「劉帆様」
縄で拘束され、連行される劉帆様にわたしは声をかけた。連れて行こうとする武官たちが気を遣って足を止めてくれる。
「一番になりたかったんですよね? たくさんの人を従えて」
「…………」
「でも、アイゴや生サバでは人は死にません」
「……何が言いたい」
アミコマセだらけの劉帆様を見据える。
「あなたに心から従う人なんていないから、適当な方法で指示が実行されるんですよ」
劉帆様は何も言わなかった。そのまま武官によって海月宮から出て行く。
随分と情けない後ろ姿に見えた。
「清蘭様! お怪我などは……」
「月瑤」
わたしは右手首を上げて見せた。気づかなかったが、いつの間にか赤く腫れ上がっている。
「すぐ手当てしましょう! 後宮の医官のもとへ行ったほうがいいかもしれません!」
月瑤は背中を向けてしゃがみ込んだ。おぶって運んでくれるということだろう。
「天璟様」
わたしは月瑤の背に乗って、天璟様に振り返る。
「あぁ、行ってこい。こちらは任せてくれ」
「……はい」
いつもの仏頂面に戻っていたが、目は赤くなったままだ。他の武官も残っているのでそれ以上は何も言えずに、わたしは後宮へ向かった。
***
清蘭を見送ってから、天璟は武官たちに指示を出した。海月宮で何があったのか、とにかく全面的に捜査をする必要があると判断したためだ。
天璟は一旦寝室に戻った。どうしても一人になりたかった。寝台に沈み込む。
「…………」
黒幕は劉帆であった。
なぜ清蘭を執拗に狙っていたのかはまだわからないが、四夫人暗殺未遂事件と戦争推進、両方を秘密裏に進めていたのが彼だった。
そして、前皇帝の暗殺も。
──「誰も信用するな」
天璟の父親も劉帆を側近として置いていた。信頼していた人物に裏切られたからこその言葉だったのだろう。
あのときに劉帆のことを教えてくれていればよかったのに、抽象的な言い回しをされたものだ。
父親の遺言を以ってしても、唯一信頼してしまっていたのが劉帆だった。遺言をきちんと守っていれば、早期に気づけたかもしれない。
手首が腫れ上がった清蘭を思い出す。
危ない目にも遭わせずに済んだかもしれない。
じわり、と涙が浮かんでくる。
自分の選択は間違いばかりだ。
大切な人を恐怖させてまで、一体何を信じていたのだ。
涙が次々と溢れて止まらない。
──「本当に美味しい魚を、わたしが天璟様に教えて差し上げます」
ふと、海月宮への移住を申し出た清蘭の言葉が蘇る。
そして清蘭は宣言通りに美味いハゼを食わせてくれた。信じるに足る人物だと行動で示した。
……やるしかないのだ。
天璟は、ごし、と乱暴に目元を拳で拭った。
俺にやれることはまだある。次からの行動を間違いじゃないようにしていくしかない。
それに、と天璟は思い出す。
──「天璟様は、どうしたいですか?」
月瑤に問われ、彼女たちの信頼に乗っかった。
父の遺言通りであったら、彼女たちをも信頼せず、清蘭は間に合わなかっただろう。
天璟は寝台から起き上がる。大きく息を吐いた。
後始末がまだ残っている。
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