5 賭ける
「天璟様! ご無事ですか!?」
月瑤が天璟の執務室に飛び込んできた。息を乱して駆けつけた月瑤のただならぬ様子に、天璟は執務机から顔を上げた。
「無事だが……何があった?」
肩で息をしていた月瑤は、呼吸を整えながら拱手をする。
「……掖庭へ送られていた、元九嬪の杏蕾様から証言をいただきました……“陛下のお側にいる武官”の指示で毒魚を仕入れた、と」
「馬鹿を言うな! 劉帆が黒幕だと言いたいのか!?」
立ち上がり、声を荒げる天璟に月瑤は一歩も引かなかった。
「アタシは“陛下のお側にいる武官”としか申し上げておりません。天璟様もわかっているのでしょう?」
「そんな、そんなはずは……」
天璟は額に手を当てて黙り込んでしまった。
「杏蕾様に指示した人物は清蘭様目当てだと仰っていました。また雪瑛様に指示した人物も、やたらと清蘭様の命を狙っています。お二人に指示を出した人間は同一人物で間違いないかと」
月瑤は拱手を解き、天璟に近づく。
「劉帆様はどこでしょうか?」
月瑤の質問に、天璟は首を横に振った。わからない。天璟の執務室から出て行き、己の職務を全うしているのだろうとばかり思っていた。
「海月宮へ使いを出しましたか?」
「いや、誰も送っていないが……」
月瑤はゴクリ、と唾を飲んだ。
「今、海月宮で清蘭様がひとりです。囮のつもりでしょう」
「清蘭を劉帆が殺しに行っているとでも言いたいのか!」
いつも無表情を貫いていた天璟の顔は酷く歪んでいた。杏蕾から証言が出てしまった以上、劉帆に疑いの目を向けざるを得ない。しかし、天璟の中で劉帆はたったひとりの信用できる臣下だった。
「劉帆様が黒幕でなくとも、清蘭様の身が危ない状況なのは確実です」
「それは……わかっている……!」
皇帝のものである後宮の姫を毒殺しようなど、重罪である。劉帆がそんなことを企んでいるとは思いたくない。
海月宮へ行くということは、劉帆を疑うことにならないか?
「理由がないだろう、劉帆が清蘭を殺す理由が」
藁をも掴む思いで、劉帆が黒幕ではない可能性を探す。
「それはわかりませんが」
月瑤は言葉を切る。
一瞬ほっとした天璟に、月瑤は続けた。
「劉帆様は、雪瑛様に皇帝暗殺を命じています」
天璟は目を見開いた。
「……なんだと……」
絞り出した声はそれだけだった。
劉帆が俺を暗殺?
なぜ?
あんなに慕ってくれて、心配してくれて、俺を一番に考えてくれていたのに──俺を殺す?
「本当、なのか……?」
「雪瑛様本人から聞き出しました。黒幕に命じられた、と」
二つの証言が事実ならば、導き出される答えは一つだった。
それでも天璟は信じたくなかった。
捕らえられた姫たちが嘘をついているかもしれない、劉帆に濡れ衣を着せるために……。
──「誰も信用するな」
亡き父の声が天璟の頭に響く。
誰を信じて、誰を信じてはいけないのか。
皇帝になってから、家臣たちすら敵になっていた。
俺に味方はいなかったのか?
劉帆だけは、唯一の……。
「天璟様」
ぐるぐると混乱する天璟は、月瑤の呼びかけでふと我に返った。
「アタシは清蘭様を守りたいです」
月瑤は真っ直ぐ天璟を見据えていた。澄んだ波打ち際のような色の瞳は、純粋に己の希望を訴えていた。
「天璟様は、どうしたいですか?」
俺は……どうしたいのか……。
劉帆を信じたいのか、清蘭を守りたいのか。
戦争を進めたいのか、民を守りたいのか。
誰を信用して、誰を疑うのか。
──「ご自身が納得できるご決断をしてください」
満月の夜、釣り好きの彼女はそう言っていた。
「アタシは雪瑛様も杏蕾様も信じています、もちろん、清蘭様もです」
天璟には、迷いなく言い切る月瑤が眩しく思えた。
「そんなに簡単に信じるなどと……」
「簡単ではないのは、天璟様が一番わかっていらっしゃるでしょう」
月瑤は苦笑した。
「お忘れですか? アタシ、清蘭様に命賭けてるんですよ?」
あぁ、そうだ。月瑤は清蘭の主張に乗っかっていた。
仕える主人の末路に女官は巻き込まれるものだが、本来自ら首を差し出す必要はない。
天璟は月瑤に向き直る。月瑤の目に怯えの色はない。
「それほどに、か……」
腹の奥底から笑いが込み上げてきた。なんだか悩んでいる自分が馬鹿らしい。
彼女たちが信頼関係を築き上げている間、自分は何をしていたんだろうか。
「いいだろう」
天璟は大きくうなずいた。
「お前の信頼に、私も乗ってやろう」
「……! ありがとうございます」
月瑤はパァッと顔を輝かせて拱手をした。
「とにかく、海月宮へ向かいましょう。清蘭様が危ないです!」
海月宮に到着するやいなや、月瑤は真っ先に桟橋へ向かった。
「え……」
言葉を失う月瑤の後ろから、天璟が覗き込む。
置かれた釣り竿、放りっぱなしの網、そして大きな魚の入った透明な入れ物が残されていた。
「清蘭様は絶対ここにいらっしゃった……」
「わかるのか?」
月瑤は「はい」と答える。
「こんな見覚えのない釣り竿を使うのは清蘭様しかありえません。しかも、釣った魚をそのままにして場を離れるなんて……男に襲われたときのハゼすら持って帰るような人ですから」
「拐われた……!?」
月瑤が言い切る前に、天璟は結論を弾き出した。
「清蘭はどこに行ったんだ!」
「落ち着いてください」
月瑤は桟橋の水滴を見る。天気は曇りだが気温は夏。水滴はすぐ乾いてもおかしくない。だが、桟橋はまだ濡れている。
「まだ近くにいるかもしれません」
そのとき、どこからか大きな物音がした。
読んでくださり、ありがとうございます!
ぜひ☆やリアクションをポチッとよろしくお願いします!
感想やレビュー、励みになります!




