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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第4章 黒幕を釣り上げる
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2 折檻部屋

「そうです、雪瑛《せつえい》は私の妹です」


 泳がせ釣り作戦は成功した。

 劉帆《りゅうほ》様は認めると、腰に下げていた刀を抜いて切っ先を向けてくる。


「言うことを聞いていただけますね?」

 後宮の女官たちが黄色い歓声を上げていた笑顔で脅してくる。わたしは黙ってうなずいた。


 釣り竿もシーバスの入ったバケツも置いて、桟橋を戻るよう促され、わたしは先を歩いた。劉帆様は刀を向けたまま、後ろからついてくる。


 桟橋を降りる前に釣り竿とバケツに振り返る。時折シーバスが暴れるようで、バケツがガタガタと揺れていた。


「進んでください」

「はい……」


 刀で脅され、わたしは言われた通りに海月宮《くらげきゅう》へ戻ることしかできなかった。


「止まってください」

 そう言われたのは、鍵のかかった厨院《ちゅういん》の前。海月宮で釣りをするときはいつも通りかかっていた門がやたら恐ろしく思えた。


 劉帆様がどこからか取り出した鍵で錠前を外す。


「入ってください」

 門をくぐると、中央に井戸があり、その奥には煙突のある建物。おそらくあそこが大きな台所だろう。


 灰色の壁とさらに濃い灰色の屋根は、水色を基調とした海月宮内の他の建物と比べて、やはり異質だ。


 井戸を挟んで左右に長屋があった。左の長屋の手前には穴蔵。暗い灰色の屋根だけが地面に被さっている。


「こちらへ」


 劉帆様の口調だけは恭しいままなのが余計不気味だ。彼が手で示した穴蔵へ向かうと、地下へ続く石段が現れた。


 先は暗くて、目を凝らしても何もわからない。


「どうぞ」


 進むのを躊躇っていると、劉帆様が刀で軽くわたしを小突いた。痛みはないけれど、イラついているのが伝わってくる。わたしはおそるおそる足を踏み出した。


「ここは……」


 地下室の暗闇に目が慣れるまで動きを止める。


 後ろで何度か音がしたかと思えば、パッと部屋が明るくなった。振り向くと、蝋燭に火がついている。さっきの音は火打ち石か。


 劉帆様はいつの間にか刀をしまい、慣れた手つきで火のついた蝋燭を持って他の蝋燭にも火をつけて回っていく。蝋燭の中には短いものもあった。


「……!」


 部屋が明るくなってわかる。部屋の中央には木製の長椅子、そしてその近くに転がっている笞、杖。壁には鎖が繋がっていた。


 ここは、折檻《せっかん》部屋だ。


 木製の長椅子にうつ伏せに横たわらせ、笞《むち》や杖《じょう》で叩くのだ。


 釣り竿を最初に持ってきた宦官《かんがん》の言葉が蘇る。


 ──「過去には、過ちを犯した女官を折檻する場所として使われていたようでございます」


 わたしは長椅子に駆け寄った。

「この血……最近のじゃないですか?」


 長椅子には真新しい傷跡や血痕が残っていた。誰かがついこの間まで折檻を受けていたということだ。


 ──「折檻で命を落とした女官が怨霊となって呪いに出るらしいわよ」


 雪瑛様の忠告が頭で響く。


 彼女はずっとわたしを守ろうとしてくれていた。幽霊の話自体がわたしを海月宮から遠ざけようとした嘘なら、その幽霊って……。


 長椅子の血、転がっている笞や杖。逃げられないようにする鎖。


 ──「怖いのよ、あの人のことが、ずっと」


 北の蔵で話したとき、雪瑛様は自身を抱きしめ、震えていた。


「まさか……実の妹を……?」


 わたしは劉帆様に視線を向けた。劉帆様は入口の扉を閉めながら、笑みを絶やさずわたしの視線を受け止めていた。


「実に出来の悪い妹ですよ」


 苦笑。困ったように、呆れたように、彼は肩をすくめてみせた。


「暗殺ひとつ、ろくにできないなんて。わざわざ後宮からの外出を手助けしてやったのに」


 心がざわつく。劉帆様の瞳には光が宿っていなかった。


「海月宮で……何をしていたんですか」


 自分の声が震えているのがわかった。それでも真実を明らかにしたい。

 劉帆様はやれやれ、とでも言いたげに話し始めた。


「前皇帝の頃から、我々は海月宮を拠点にして活動していたんです。なのに、天璟様が皇帝になった途端、使っていない離宮の整理をし始めて、挙げ句の果てにあなたは移住するなどと言い出すではないですか」


 我々? 活動?


「……だから、わたしを殺そうと?」

 劉帆様はうなずいた。


「あなたが天璟様に打診をしたときは焦りました。慌てて男を手配しましたが、まさか返り討ちに遭うとは」


「わたしが天璟様に打診するところから、全部見ていたのですね……!」

 月瑤が気絶させた男を口封じのために殺したのは劉帆様だったのだ。


「私に惚れている九嬪《きゅうひん》に毒を仕込むよう指示したのですが……」

 わざとらしく頭を手で押さえて、首を横に振る劉帆様。


 ヒレに毒を持つアイゴだったから、食事に毒を仕込めず失敗に終わった。

「すべての罪を九嬪になすりつけたのですね」


「あなたが、犯人は四夫人《よんふじん》がいなくなって喜ぶ人物、などと言い出さなければ、彼女はあんなに早く捕まらずに済んだのですよ」

「……っ」


 あの推理は確かに根拠が薄かった。わたしが毒で死んだとて、九嬪が四夫人に上がれる保証はない。新しい四夫人が外部から来る可能性だってあるし、そもそも九嬪の位には九人の女がいるのだ。


 あれは推理ではなく、偶然当たっただけだったんだ。


「仕方ないから皇帝暗殺に一度は切り替えたんですが、それも失敗」

「雪瑛様の生サバ……」


 命令に背けばここで酷い折檻に遭う。皇帝を殺した罪に問われれば死罪。だから雪瑛様は自らも生サバを食べようとしたんだ。


「なら最低限、あなたさえいなくなれば、再びここを拠点として立て直しができると踏んだんです。ですが、あなたは結局生きているし、雪瑛はすべて自白して捕まった。それでもなお、黒幕を暴くなどとほざくではありませんか」


 劉帆様は刀を抜いた。


「どいつもこいつも使えない女ばかりで、仕方ないから私が直々に殺すことにしたんです」


 使えない女……?


 思わず顔をしかめる。


 どうしてそんなことが言えるんだ。

 彼女たちは劉帆様に使われるために生まれてきたわけじゃない。


 わたしは拳をぎゅ、と握った。劉帆様を睨みつける。


「賢妃《けんひ》が死んだら、後宮で大騒ぎになります。すぐに劉帆様が犯人だとわかりますよ」

 劉帆様は鼻で笑った。その態度がわたしの神経を逆撫でする。


「死んだら、ですよね。行方不明になったとしたら、どうです?」

「……っ!」


 額に嫌な汗が流れた。劉帆様が距離を詰めてくる。


「元々一人でふらりと夜釣りをするような女ですから、何かの事故で海に沈んだと思われれば誰も疑いませんよ」


 刀がわたしを映す。わたしは劉帆様から目を逸らさないまま喋る。


「わたしがいなくなれば、海月宮近くの海だって捜査されるはずです。どこに隠したって死体は見つかりますよ」

「見つからない場所があるので、ご心配には及びません」


 ニコリ、と劉帆様は微笑んだ。


 見つからない場所だって?

 厨院の他に、まだ部屋があるっていうの?


 雪瑛様の処刑までの期限は三日。わたしが三日間行方不明になれば、雪瑛様の首も、月瑤の首も飛んでしまう。


 黒幕は誰にも暴かれずに、雪瑛様が一連の事件の犯人として処理される。


 そもそもわたしが海月宮の桟橋で釣りをしていることは月瑤《げつよう》にも言っていない。泳がせ釣り作戦なんて明かしたら止められるに決まっているから。


「まったく、釣り姫の我儘もここまでですよ」


 劉帆様が入口の扉を背に、刀を振りかぶった。


「女が余計なことを考えるからこうなるんです」

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