1 タモを持たせる
掖庭へ向かう月瑤と別れて、わたしは海月宮に戻った。
「えーと……ルアールアー……」
釣り具が湧いてくる蔵からルアー竿を引っ張り出し、色とりどりのルアーもいくつか持つ。
「そういえば、前世のアジング竿はなくなってしまったのよね……」
海に突き落とされた際、もがいているうちに手放してしまった。
アジング竿より大きくて重たいルアー竿を見つめる。探せば、きっと別のアジング竿だってここにはあるだろう。
だけど、あれは思い出の竿だったのだ。
「あとバケツ……一応タモも……」
透明なメッシュの蓋が付いているバケツを手に持ち、タモを肩にかけてようやく桟橋へ向かう。
先端に到着して一式を置く。まだ昼過ぎだ。今回は釣るためというより、考えを整理するための釣りだからまぁ釣れなくてもいい。釣れたら嬉しいけれど。
狙いはシーバス、俗に言うスズキ。今回は六十センチ以上のものを狙っている。
先にバケツへ水を汲んでから、ルアーを選ぶ。
「最初はピンクのルアーにしてみよっかな」
仕掛けをセッティングして、釣り竿を掴む。誰もいないのはわかっているけれど、後方を確認してから釣り竿を振りかぶってキャスティングした。
シュルルル!
糸が飛び出していき、ルアーは遠くの水面にぽちゃんと沈んでいった。
一、二、三……。
五カウントでリールをゆっくりただ巻きしていく。
わたしがここにいるのは、考え事する以外にも理由がある。
黒幕がわたしに固執しているなら、わたしが一人になったところを狙ってくるはず。雪瑛様が失敗して焦っている今ならなおさら。
名付けて、泳がせ釣り作戦!
生きた小魚を針にかけ、大物を狙う釣り方を己で実践しているのだ。
犯人が接触してきたら、何も気づいてないふりをしながら距離を置いて、後宮まで逃げよう。
まずは今まで起こった事件をまとめ直さなくては。
雪瑛様に皇帝暗殺を指示し、今までの罪をすべて彼女に被せようとした黒幕がいる。
しかし、皇帝暗殺以前に、執拗にわたしの命も狙っている。わたしを海に突き落とすよう指示したのも黒幕で、ハゼ釣りのときに襲ってきた男やアイゴも黒幕の仕業。
わたしが前世の記憶を思い出した途端、命を狙われている……?
竿がふっと軽くなる。ルアーが水面から浮いていた。
わたしは再び釣り竿を振りかぶって、ルアーを海に飛ばす。
……わたしが前世の記憶を思い出す前と後で変わったことと言えば……。
ぐるぐるとリールを巻く。
時折動きもつけたり、巻くのを止めたり。
──海月宮への移住?
ブルッと竿先に感触があった。
あたった!
竿を持ち上げ、リールを巻いてみるがすでに手応えはなくなっていた。
「昼過ぎでもあたるのね」
気を取り直して、リールを巻いていく。
海月宮に移住されると、黒幕にとって困ることがある。
そういえば、海月宮については雪瑛様が何か仰っていたような……。
お茶会をしたときの記憶を脳内から探し出す。
──「折檻で命を落とした女官が怨霊となって呪いに出るらしいわよ」
あれは、わたしを脅かして海月宮から穏便に避難させたかった?
わたしが幽霊を怖がらないせいで、強硬手段に出たのかもしれない。
まとめると、海月宮へ移住を言い出した途端、男に襲われ、アイゴを出されそうになり、最終的には海に突き落とされた。
わたしはリールを巻く手を止める。
……どうして雪瑛様はわたしが夜釣りをしていることを知っていたんだろう?
夜釣りのことを話した人といえば、三人いる。うち二人は天璟様と月瑤。
あと一人は……。
──「いつも夜釣りを?」
雪瑛様に突き落とされる前夜、劉帆様が天璟様の命をわたしに伝えに来ていた。この三人の誰かから、雪瑛様にわたしが夜釣りをしていることが伝わっている。
そして、雪瑛様に指示した黒幕は、皇帝暗殺を企てている──皇帝を暗殺して得をするのは、決まって皇帝と近い距離にいる人物だ。
ビビビッ!
「わっ!」
さっきよりも強いあたりがきた。
竿を持ってかれそうになるほど強い。サイズは期待できそうだ。手早く、慎重にリールを巻いていこう。
バシャバシャッ!
水面に顔が見えてきた魚が左右に跳ねる。
「エラ洗いやめて〜」
シーバスだ!
狙った魚がかかって嬉しい反面、ここから一人で岸に持ち上げなきゃいけない。
大きくて重いからタモを使わなくちゃならないが、釣り竿片手にタモを扱うのはとても大変だ。
とはいえ、今までも一人でやってきたので腹を括るしかない。
わたしはリールを巻いて、桟橋の足元までシーバスを手繰り寄せる。
「釣れているんですか?」
背後から呼びかけられ、首を回す。劉帆様がにこやかな顔で立っていた。先程竿を振ったときは誰もいなかったから、たった今いらっしゃったようだ。
……あたった。
緊張が悟られないように気をつけながら表情を作る。
──「私の家系に生まれてきた赤子には、全員どこかしらにこのアザが出るようになったのよ」
あれが雪瑛様のヒントだとしたら、もしかしたら……!
「ちょうどいいところに!」
「は」
「そこのタモ……」
タモって通じるのだろうか?
わたしはブルブル震える釣り竿を片手に持ったまましゃがみ、空いた方の手でタモを持つ。
カシャン、とストッパーを外せば、タモの持ち手は長くなった。
「このアミを使って、魚を取り上げてください!」
「は、はい」
わたしの剣幕に押されて、劉帆様は長くなったタモを持つ。
「ここです、ここに魚を持ってきますから!」
「わかりました」
わたしは欄干の足元を指差す。釣り竿を操りながら、自分で指差したほうへシーバスを誘導する。
劉帆様は欄干から身を乗り出して、タモを一生懸命伸ばしている。わたしはその首元を凝視した。
普段しない姿勢をしている劉帆様の襟元が少しだけ乱れていて、首から肩にかけて肌があらわになった。
やっぱり、ある。
背中側、首の根元に──簪型のアザ。
「よっと、これはまた大物ですね」
劉帆様がタモに入ったシーバスを桟橋に持ち上げてくれる。シーバスは橋の上でビチビチと跳ねた。
「劉帆様は何しにここへいらっしゃったのですか?」
「無茶な取引をしていましたから、天璟様の命でご様子を窺いに」
「天璟様が……」
わたしは釣り竿を置いて、シーバスから針を取り除く。
動揺がバレないように平常心を保ちながら、シーバスを水の入ったバケツへ投入した。シーバスは狭すぎるバケツの中で暴れるが、蓋のチャックを閉めてしまう。
「この魚は食べられるんですか?」
「えぇ、食べられます。汚い川にいたら微妙ですが、海ですので」
雑談をしながら、わたしは海月宮へ続くほうへ体を移動させた。なるべく自然な動きで。
「……どうして距離を取るんですか?」
劉帆様がスッと目を細めた。
もう気づいていないふりはできなさそうだ。
「……わたしもお伺いしてもいいですか?」
「どうぞ」
「その首元のアザは生まれつきですか?」
「あぁ……見られてしまいましたか」
劉帆様はかったるそうに、アザに手をやった。バケツの中のシーバスがばちゃんと身を震わせた。
雪瑛様の親族には間違いないが、一か八か、賭けてみるか。
「劉帆様は、雪瑛様のお兄様ですね?」
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