8 怖い
わたしたち三人は床に座り、壁に背中を預けた。足を真っ直ぐ投げ出す姿勢だ。
「これを清蘭様に預けるわ」
そう言って、雪瑛様は簪を髪から引き抜いた。ふわりと髪が下ろされる。簪には白い石が嵌っていた。
「どうしようもなくなったとき、思い出して」
「お守りですか?」
「まぁそんなところ」
右側に座っている雪瑛様は、差し出したわたしの手にポンと簪を置いた。
「お互い処刑されなかったら返してちょうだい」
「わかりました!」
わたしは簪を懐にしまい込んだ。落とさないように大切にしよう。
「どうしても黒幕の正体は教えてもらえないんですか?」
わたしの左側に座っている月瑤が雪瑛様に問いかける。雪瑛様は口を開いては閉じる、を繰り返した。
「ダメね、どうせ死ぬなら同じことなのに、どうしても言えないわ……」
言えない?
「怖いのよ、あの人のことが、ずっと」
雪瑛様は自身を両手で抱きしめた。震える肩にそっと手を置くと、だんだん震えが収まってくる。
「わたしたちで探すしかないですね、黒幕」
「探すってどうやってですか? 今のところ手掛かりなしですよ」
月瑤が腕を組む。わたしもうーん、と考え込んでから、人差し指を立てた。
「一回、雪瑛様が自白した内容を整理してみましょう」
二人がうなずいたのを確認してから、わたしは出来事を順番に話し始める。
「まず、わたしと月瑤が後宮外の川で謎の男に襲われましたが、これは雪瑛様が……?」
「そう自供したけれど、本当は黒幕が雇った者よ」
「では、アイゴを仕込んだ九嬪の方も?」
「えぇ。彼女に指示を出したのも黒幕。当時、私は何も知らなかったわ」
じゃあわたしが前世の記憶を取り戻した時点で、黒幕に目を付けられていたことになる。他の四夫人にはそういった事件は聞かない。
いったいなぜ?
「天璟様に生サバを献上したのは?」
雪瑛様はチラリと出入り口の扉に視線をやった。わたしと月瑤は雪瑛様に耳を寄せる。
「……皇帝暗殺のためよ」
わたしは思わず口元を両手で押さえる。大きな声が出そうになった。
まさか、黒幕は皇帝の座を狙っている……!?
──「周辺諸国へ軍事的圧力をかけるべきだと、進言されていて……」
天璟様はそう言っていた。何か関係あるのかもしれない。
狙われていたのはわたしの命だけではなさそうだ。
「ご自身でも生サバを召しあがろうとしたのは……」
雪瑛様は視線を逸らした。
「……自殺を図ったのよ。死ねないと聞いたときは驚いたわ。商人の話をよく聞いてなくて」
頭に手をやり、ため息をつく雪瑛様。毒がある、というワードに飛びついてしまった、と彼女は言った。
「生サバ事件が失敗して、今度は清蘭様を殺めようと海に……?」
月瑤が言いながら眉をひそめる。雪瑛様はうなずいた。
「そうしろ、と言われたのよ」
「なんだか、黒幕は異様に清蘭様だけを嫌ってませんか?」
「確かに、わたしだけ狙い撃ちされている気がします」
黒幕の真の狙いが皇帝暗殺だとしたら、わたしに執着する必要はないはずだ。
わたしがいると都合の悪いことがある……?
「私が言えるのはここまでかしら。これ以上言おうとすると、心臓がすごく嫌な感じになるわ」
胸のあたりに手をやる雪瑛様の額には、脂汗が浮かんでいた。呼吸も荒くなっていて、走ってもいないのに短い息を繰り返している。
「たくさん教えていただいて、ありがとうございます」
「これらのことは陛下にもまだ伝えないほうがいいでしょうね」
月瑤の進言にわたしはうなずく。どこで誰が聞いているかわからないし、天璟様から黒幕に伝わってしまう可能性だってある。
何より、皇帝暗殺を目論む者がいるだなんて怖がらせたくない。
「あまり力になれなくてごめんなさいね」
「そんなことありません! お陰様で一つ気づきました」
謝る雪瑛様にわたしは両手をブンブン振った。
「アイゴを仕込んだ九嬪の方って、まだ牢にいらっしゃいますよね?」
「……!」
雪瑛様と月瑤が顔を見合わせた。
「確か、掖庭に送られていたはずです……!」
「月瑤、彼女に会いに行って、話を聞いてきていただけませんか? 賢妃の使いとして来た、と言えば面会させてもらえるはずです」
「わかりました!」
掖庭は、罪を犯して位を剥奪された妃嬪が働いている場所でもあり、位の低い宮女たちの働く場所でもある。雪瑛様が掖庭送りではなく北の蔵に入れられているのは、四夫人という立場ゆえだ。
わたしと月瑤は立ち上がり、お尻についた土埃を払う。
「では、そろそろ参りましょうか」
「もう行っちゃうのね」
夕方まで遊んでいた小学生みたいなことを言ってくれる雪瑛様に、わたしは笑顔で返す。
「雪瑛様の無実を証明してきます」
言うと、雪瑛様は笑顔でわたしたちを送り出してくれた。
わたしと月瑤は北の蔵を出て、再び天璟様の執務室へ舞い戻った。
「どうだった?」
天璟様は椅子に腰掛け、机に肘をついた姿勢で尋ねてくる。横に劉帆様も控えていた。
「意見は変わりません」
真っ直ぐに天璟様の瞳を見据える。
「雪瑛様を処刑したところで、黒幕が他にいます」
「本当にそれでいいのか?」
天璟様はしばらくわたしを凝視していた。深い海のような瞳に、心配と期待の波が押し寄せている。
「わたし、後悔した釣行はございません」
断言する。行かなきゃよかったと思った釣りなどない。
意図を察した天璟様は鼻で笑う。迷いが消え、皇帝の顔になった。
「期限は三日だ。三日以内に黒幕を見つけ出せなければ、雪瑛も清蘭も月瑤も処刑する」
久しぶりだ、低い声で背中を撫でられるこの感覚。
釣り竿を持って海月宮に移住したいと懇願したとき以来だ。
「いいな?」
怖気付いたか確認するような視線に、わたしと月瑤は拱手で応えた。
「ありがとうございます」
「良い報告を待っているぞ」
真顔を崩さない天璟様に「失礼します」と言って退室する。扉を閉めてすぐ、わたしは大きく息を吐いた。
この両肩に雪瑛様と月瑤、二人の命が乗っている。
三日、か……。
今日はもう正午を過ぎている。残り二日半、といったところだろうか。
……時間は少ない。
でも、やることはもう決まっている。
「月瑤は先程指示した通りに」
力強くうなずいてくれる月瑤。わたしも気合いを入れなければ。
「清蘭様は?」
「わたしも少々やることがあるので」
「?」
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