↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第1章 魚嫌いに魚を食わせる
PR
3/17

2 釣り竿との出会い

 瞬間、脳裏に閃光が散った。


 脳内に浮かぶのは、夕焼けに染まる海だった。

 こことは違う時代、そうだ、“わたし”は現代の日本人で、普通の派遣社員OLだった。


 堤防の先端、絶好のポイントを確保できたわたしは意気揚々としていた。狙いはアジだ。夏から秋にかけてが一番釣れる。


 このときは確か、魚が活性化する日が落ちる時間帯──夕まずめどきだったはずだ。


 釣り竿にリールを取り付けていく。心が凪いでいるのを感じる。この時間だけは誰の期待も背負わなくていい。


 ──「あんたのせいで何もできない」


 頭の中に響く母の言葉を霧散させるように、わたしは頭を振った。女手一つで育ててくれたことには感謝しているが、代わりに呪いを植え付けられた気がする。


 ポケットに入れたスマホが着信を鳴らしているのも気にしない。きっと祖母が「ひ孫の顔を見せてくれ」と小言を言うだけの、いつもの電話だ。


 わたしは釣り糸の先にワーム──ミミズのような擬似餌を丁寧につける。今回はピンク色でいこう。


 ぽちゃん、とワームが水面に着地する。


 一、二、三……。


 秒数を数えながら、階層を探っていく。今回はボトムまで落とした。カチャンと小気味のいい音を鳴らしてベールを戻す。


 リールをゆっくり巻きながら、くん、くん、と釣り竿を揺らす。ワームが本当に生きているかのように動きを加えるのだ。


 そして釣り竿の動きを一瞬止めた瞬間──ビビビッと糸が強く引っ張られるのを感じた。


 あたった!


 釣り竿を縦にして慎重にリールを巻いていく。グイグイと引っ張り合う感触がたまらなく楽しい。アドレナリンがドバドバ出ているのを感じる。


 魚の姿はすぐに水面に見え始めた。


 アジだ!


 バラさないように、丁寧に引き上げる──

「……どうされましたか? 賢妃《けんひ》様?」


 宦官《かんがん》の心配そうな声で我に返った。随分とぼーっとしていたらしい。宦官も、金髪の宮女《きゅうじょ》も、先ほど悪口を言い合っていた女官も、全員がわたしを心配そうに見つめていた。


「い、いいえ……何でもありませんわ」

 なんとか笑って誤魔化してみるが、頭の中では動揺が止まらない。


 今のってもしかして──前世の記憶?

 じゃあ前世のわたしはどうなったの?


 思い出そうと、目をぎゅっとつむってみる。

「せ、清蘭《せいらん》様?」

 女官たちが不審に思って呼びかけてくるが無視した。


 脳内に浮かんでくるのは、雨の日のアパートの階段。


 確かあの日は……ハゼ釣りに行ったものの、雨が降ってきたから退散した休日。足を滑らせて、階段から落ちて、頭を強く打って……。


 わたしは後頭部に手を当てた。痛くはないし、傷もない。


 ……あのときに、死んでしまったのかしら。


 そう結論付けると、なんだか未達成な人生だったように思う。好きとも言えない仕事をして、安月給で。悲しい、というより、無念、が近いだろうか。


 わたしは目を開けて、自分の手の中にあるものを見つめる。


 ……これは釣り竿だ。しかも、わたしが前世で使っていたものと全く同じ、愛用していたアジング竿。リールも釣り竿もオレンジで彩られている。


 後宮にこんな時代外れのものがあるなんて。


 ドクン、と心臓が高鳴る。


 魚が掛かったときの、あのビリビリとした感触が釣り竿越しに思い出される。


 今世は家族の期待を背負って、後宮入りして、皇太子を産むことを望まれているわたしだけれど──前世の記憶を思い出した今、そんなことはもう、どうでもよくなっていた。


 ……釣りがしたい!!

 とにかく釣りがしたい!!

 釣りができれば、この際他のことはどうだっていい!


「これが、えぇと、海月宮《くらげきゅう》? に?」

 わたしは胸中を悟られないように、いたって冷静に振る舞った。


 左様でございます、と宦官は首を縦に振った。わたしの様子が元に戻ったので、少しばかり胸を撫で下ろしている。


「海辺にある宮殿です。過去には、過ちを犯した女官を折檻《せっかん》する場所として使われていたようでございますが、最近は誰も立ち入らず……。今回の整理で普通に生活ができるよう整えました」


 つまり、寝床やキッチンなどは揃っていて、しかも、海辺にある。なんなら他の釣り道具だってあるかもしれない。


 なんて夢のような宮殿なの!?

 もう跡継ぎがどうとか、どうなったっていいわ!

 わたしはそこに行きたい!


「清蘭様……?」

「どうかしましたか? ご様子が……?」


 後ろに控える女官たちの不安そうな声に、わたしは振り返って笑顔を取り繕う。女官たちはほっとしたように笑みを返してくれた。


 宦官に向き直り、釣り竿を彼の手に戻す。

「わたしも、天璟《てんけい》様のところへ伺う予定でしたの。共にしてもよろしくて?」

「もちろんでございます」


 長い回廊をゾロゾロと並んで歩いて天璟様の執務室に向かう。


 宦官が天璟様の執務室の扉を叩くと、すぐに中から低い声で「入れ」と許可が出た。


「失礼いたします」


 部屋の中は、手前に来客対応用のローテーブルとローソファが並べられている。その奥には、執務机と椅子があるだけだ。


 天璟様は執務机に向かったまま、顔も上げなかった。


 綺麗な黒髪を適当なハーフアップに束ねている。政《まつりごと》の際は、もっと丁寧な結い方をしていたが、仕事中は視界に入ってくる顔周りの髪が煩わしいだけのようだ。


 身長が高く、体格もいい天璟様だが、目元は丸く、少しばかり幼く見えた。実際二十歳なので年相応でもあるが。そんな美形は無表情で覆われていた。これでは宝の持ち腐れだ。


 お茶会で聞いた話だと、わたしを入れた四夫人《よんふじん》の誰も、彼が表情を崩したところを見たことがないらしい。


「なんだ」


 相変わらず顔を上げないまま、天璟様はわたしたちを促した。


 宦官は、陛下《へいか》に用事があるならお先にどうぞ、と言いたげにわたしを見やった。わたしは宦官の視線にうなずいて、彼の手から釣り竿を奪い取る。


「えっ」


 驚いて声を上げる宦官を無視して、わたしは釣り竿を大事に、それはもう大事に持ちながら申し上げた。


「天璟様、わたしを海月宮に住まわせてください」

読んでくださり、ありがとうございます!

評判が良かったら長編化するつもりなので、ぜひ☆やリアクションをポチッとよろしくお願いします!

感想を頂けたら舞います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
清蘭の行動力と月瑤の不屈が最高。釣り描写は手触り抜群で初心者もワクワク。人攫い撃退の連係も爽快、恋バナの伏線まで盛って次話への加速感◎皇帝の条件達成への道筋も見え、料理展開への期待が高まります。
おお、後宮のお妃さまがハゼを釣っている。 内情を知らなければ、ミミズやハゼを持ってる妃の構図は頭を抱えるレベルですね。 ですが、後宮と釣りの組み合わせは新鮮を感じます! 釣れたばかりの魚のように。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。