1 清蘭妃
……緊張する。
後宮の回廊を歩く途中、わたくしは思わず唾を飲み込んだ。
「きっと大丈夫ですよ、清蘭様。清蘭様の魅力にかかれば、天璟様もきっとお手つきをなさるはずです!」
「そうですよ! 天璟様はちょっと奥手なだけかと」
わたくしの緊張が伝わったのか、引き連れている二人の女官がにこやかな笑顔とともに励ましてくれる。
わたくしたちは今、皇帝である天璟様の執務室に行く途中なのだ。
ここは海に接した大国──碧海国。
時の皇帝・天璟様は、二十歳にして自身の後宮を持っていた。
後宮では次期皇帝を産むため、多くの女が暮らしている。出入りする男性は生殖機能を失った宦官か、身分のある者のみ。
現在皇后不在の後宮で、わたくしは皇后の次に位が高い四夫人の地位を与えられているが、それでも危機感を覚えていた。
天璟様は後宮にいるどの美しい女とも、夜を過ごしたことがないのだ。
ここにいる女たちは皆、自分の子どもを皇太子にしようと躍起になっているというのに、肝心の天璟様のお立ち寄りがなくては話にならない。
それこそわたくしは、一族全員の期待を背負って、皇太子を産むために後宮入りを果たしていた。
四夫人の中でも一番下の位──賢妃であるわたくしは、他の三人を出し抜けないかとずっと画策している。
その結果が、今。
本来、太陽が高く昇っている時間に誘うなんて、お下品なこと。
それでも、これくらいしなければ天璟様がわたくしに振り向くとは思えなかった。
「頑張りますわ!」
わたくしが女官たちと目を合わせてうなずくと、彼女たちも笑顔になる。
「……あら?」
もう執務室が目と鼻の先、というときに、向かい側から宦官、そして、宦官から一歩下がって金髪の宮女が歩いてくる。
……あれは何かしら?
宦官の手には何やら細長い棒状のものが握られており、その棒にわたくしは自然と興味が惹かれた。
「これは、賢妃様」
宦官が棒を持ったまま拱手をし、続くように金髪の宮女も拱手をした。
金髪の宮女は珍しい。一度見たら忘れなさそうな、透き通った髪色だった。
特にわたくしの記憶にないことから、妃嬪に仕える女官ではなさそうだ。洗濯や掃除などの雑用を担っている、無所属の宮女だろうか。
下げられる頭を見下しながら、わたくし付きの女官たちが囁き始める。
「何、あの金髪……なんだか下品だわ、それにどうして宦官と一緒にいるの?」
「男を誘惑するための色かしら?」
金髪の宮女は聞こえているだろうに、拱手を解いてからも真顔のまま表情をぴくりとも動かさなかった。
……何もしていない人の陰口は感心しない。
そうはわかっていても、わたくしは人を注意するのが苦手だ。わたくしのほうが身分は高いのに、強く叱咤することがどうしてもできない。
金髪の宮女に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「それは?」
わたくしは女官たちの気を逸らすことにした。
話題を変えるために、宦官が持つ棒状のものを指差す。棒の長さは、わたくしが両腕を広げた長さよりも長そうだ。
わたくしから見て左端は太く、右端は細い。かつ、弓のように糸が張ってあり、太い端のほうには、糸巻きのようなものがくっついている。それが異様さに拍車をかけていた。
──どき、どき、どき、どき。
「……?」
わたくしは自身の左胸に、そっと手を寄せる。
心臓が高鳴っている?
どうして?
この“棒”に覚えがある……?
そんな、謎の“棒”をわたくしが知っているわけがない。
「わたくしどもにも、わからないのです」
宦官は首を左右に振った。
「この後宮から離れたところにある、もう使われていない海月宮の整理をしていましたら、発見されたものです。こちらの処遇について、陛下に判断を仰ぐところでございます」
宦官の説明を聞いても鼓動は収まらず、宦官の声が聞き取りづらい。
これはただの好奇心?
自問自答してみるも、一言では片付けられないような高揚感にのぼせて答えは出ない。
「少し、触れてみても?」
宦官はうなずいて、謎の“棒”を差し出した。
おそるおそる手を伸ばす。細いところを持ったら折れてしまいそうなので、太い端を両手で持ってみる。
「……っ!?」
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