4 その程度
「清蘭様って、幽霊が怖くないの?」
海月宮に雪瑛様から呼び出しの使いが来たのは、東の商人の市場へ遊びに行った次の日だった。
お茶会の知らせにわたしは浮き足立って月瑤と後宮に向かい、雪瑛様からおもてなしを受けている。
庭に立つ亭で自然を楽しみながら美味しいものを頂くのは、とても良い体験だった。夏で気温は多少高いものの、今日は風が吹いていて心地いい。
持っていた茶器を置いて雪瑛様がそんなことを言ったのは、わたしがほとんどのお茶菓子を食べた後だった。
ごくり、とお饅頭を飲み込み、わたしは聞き返す。
「後宮に幽霊が出るんですか?」
「後宮ではなく、海月宮に出るのよ」
「えっ」
声を漏らしたのはわたしの後ろで控えていた月瑤だった。振り返ると、しかめっ面で固まっている。
「海月宮って幽霊が出るんですか?」
雪瑛様は神妙な面持ちでうなずいた。
「海月宮って元々何に使われていた離宮か知ってる?」
わたしは首を横に振った。周りには月瑤と雪瑛様の女官が一人いるだけなのに、雪瑛様は内緒話をするように口元を片手で覆い、耳打ちしてきた。
「女官を折檻する場所なのよ」
そういえば釣り竿を持ってきた宦官がそんなことを言っていたような気がする。
折檻……というと、鞭打ちとかだろうか。
わたしは海月宮にあった部屋を順々に思い出していく。折檻部屋のような場所は見当たらなかったけれど。
「折檻で命を落とした女官が怨霊となって呪いに出るらしいわよ」
雪瑛様は座り直した。右手で簪に軽く触れる。
「わたしは何もしてないのに呪われてしまうのですか……!?」
「信じてないわね」
わざとらしく怯えて見せると、雪瑛様は冷ややかな視線を寄越した。
「わたしは釣り竿と魚しか信じませんので」
「ちょっと違う気がするけど……」
少しがっかりしたようにため息をつく雪瑛様。わたしはお茶を啜った。
「雪瑛様は信じていらっしゃるのですか? 見たこともない幽霊を」
雪瑛様は考え込むような仕草をしてから、わたしの瞳を真っ直ぐと見つめ返してきた。
「信じたくもなるのよ、私の一族ではね」
「一族?」
「これを見て」
そう言って、雪瑛様は襟元をくつろげた。指差された箇所を覗き込む──鎖骨の下に簪型のアザがあった。
「アザ……ですか?」
「生まれつきのね」
わたしが見たのを確認して、雪瑛様は上衣を整えた。
「私の家系は代々、罪を犯した女官を折檻する役職だったの。とんでもない人数の女官を折檻し、時には命を奪い……」
雪瑛様は言葉を切った。
「そんな女官たちの怨念から、私の家系に生まれてきた赤子には、全員どこかしらにこのアザが出るようになったのよ」
「赤子全員にアザが……!」
それは確かに呪いと言ってもいいかもしれない。わたしには関係のない話だが。
「ひぃっ!」
小さく悲鳴を上げたのは月瑤だった。青ざめた表情で自身を抱きしめている。
「月瑤、幽霊苦手ですか?」
「得意な人もいないでしょう! だって、武力が通じないんですよ!? 無敵ですよ! 怖いじゃないですか!」
月瑤の強さは物理的なものだ。物理が通用しない幽霊が攻撃的な性格だったら、太刀打ちできないと怯えるのも無理はない。
「大丈夫ですよ、幽霊がいたら一緒に夜釣りをしますから」
「なんで仲良くなれる前提なんですか!」
「ふふふ」
月瑤を安心させようとしていたら、雪瑛様が上品に笑い出した。
「貴女たちの仲の良さ、とても羨ましいわ。自慢の女官なのね」
話を振られ、わたしは「待ってました」とばかりに身を乗り出した。
「月瑤は武官を目指しているんです! 自分を育ててくれた道場に恩返しをするため、日々精進中なのです!」
「武官になりたいの?」
意外にも雪瑛様が食いついてきた。武官と勝負をしていたのは見学していたと言っていたが、勝負の目的は知らないらしい。
「それなら、私、武官に親しい者がいるわ。口添えしてもいいわよ?」
「えっ!?」
わたしと月瑤は同時に叫び、顔を見合わせた。捕まえられるかどうかもわからない、いつまでかかるかわからない暗殺者からの護衛より、口添えされたほうがよっぽど武官への近道だ。
「ただ、さすがに他の姫の女官を口添えするのは筋が通らないから……」
雪瑛様はわたしから月瑤に視線を移した。
「私の女官になる必要があるわ」
「…………っ」
月瑤が息をのむ。
背中に嫌な汗が伝うのがわかった。
……どうしたらいいんだろう。
月瑤が雪瑛様の女官になってしまったら、天璟様との約束を破ることになってしまわないか。
でも、月瑤が武官になる確実なルートはそっちだ。わたしのせいで月瑤の夢を縛りたくはない。
天璟様には事情を説明すればいい。話を聞いてくれる人だから、きっとわかってくれる。
……海月宮での釣り三昧はなくなるかもしれないけれど。
「月瑤」
「清蘭様……」
月瑤は眉間に皺を寄せ、唇を震わせていた。
そんな顔をさせないように安心させるのが主人の務めだろう。
「いってらっしゃい。夢を叶えるときが来たのです」
「え……」
わたしは精一杯の笑顔を取り繕い、立っている月瑤の腰あたりをポンと叩いた。
「他のことは気にしなくて大丈夫です。天璟様も説明したらきっと」
「清蘭様は……」
言葉を被せてきた月瑤の声は、とても頼りなかった。爪が食い込みそうなほど拳を強く握りしめている。
「清蘭様は、それでいいんですか?」
不意に、前世の母親の顔が浮かんだ。母の言葉が響く。
──「あんたのせいで」
奥歯のほうで苦い味が広がった。
もうあんな失敗はしないんだ、わたしは。
「わたしは問題ありません」
ふ、と月瑤の拳から力が抜ける。
「わかりました、あぁ、わかりました!」
月瑤は声を荒げた。視線が合わない。
「アタシって清蘭様にとって“その程度”だったんですね!」
「げつよ……」
「もういいです! 清蘭様の釣り馬鹿姫!」
弁明する隙も与えられない。月瑤はわたしから離れ、雪瑛様の隣に立ち「よろしくお願いします」と拱手した。
「では、色々手配しなくてはね」
言いながら、雪瑛様は腰を上げる。
「今日はこれで。またお茶会しましょ」
雪瑛様は月瑤を連れて去って行った。わたしはその背中をいつまでも見送るしかできなかった。月瑤に渡した簪は、彼女の頭で寂しそうに煌めいた。
そのまま海月宮に帰って一人悶々としていた。日が落ちかけてきたので、前世を思い出させてくれたアジング竿を持って、桟橋に出る。
夕日が目に眩しい。
「女官も連れずに何をやっているのですか」
誰も来るはずがないのに声をかけられ、振り返ると劉帆様が呆れ顔で立っていた。夕日によって、美形の陰影が際立っている。
「夕まずめを少々……」
「まず……?」
「魚が釣れやすい時間帯のことですわ」
わたしは劉帆様から海に向き直った。日が暮れる直前に手提げ灯籠を持ってこなきゃ。
「このまま夜釣りをします、夜のほうが釣れますから」
「一人では危ないですよ」
「でしたら、劉帆様が護衛をしてください」
劉帆様はため息をついたものの、そのまま動かなかった。何しにいらっしゃったんだろう。
月瑤の所在を聞いてこないということは、彼女が雪瑛様付きの女官になった情報がもう出回っているのかもしれない。
本来ならすぐにでも天璟様にお伝えに行かなきゃいけないのに、どうにも気が乗らなくて後回しにしてしまった。
「いつも夜釣りを?」
「夜のほうが手提げ灯籠の光に魚が集まってくるんですよ」
あっという間に日が落ちかけ、あたりが薄ら暗くなる。夕まずめは坊主だ。
わたしは釣り竿を欄干に立てかけ、手提げ灯籠を取りに行くために桟橋を引き返す。劉帆様も後ろからついてきた。
「暗殺者がどこにいるのかもわからないんですよ」
「そうですね」
「……天璟様が、すぐに後宮に戻るようにと」
読んでくださり、ありがとうございます!
ぜひ☆やリアクションをポチッとよろしくお願いします!
感想やレビュー、励みになります!




