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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第3章 生で食うな、焼いて食え
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23/31

3 泣きそうな顔


 天璟《てんけい》様の執務室に入室すると、二人で話がしたいという天璟様の願いによって、月瑤《げつよう》と劉帆《りゅうほ》様は室外で待機となった。


「天璟様、サバは召し上がりませんでしたか?」


 背を向けて立っている天璟様にずっと気になっていたことを問いかける。

 振り返った彼の顔は、なんだか泣きそうだった。


「虫が入っていたようだな、知らせが来た」


 その様子だとアニサキスは食べなかったようだ。生サバを口にしたとて、アニサキスさえ胃に迎え入れなければ実害はない。


「……お前の指示か?」

「わたしは雪瑛《せつえい》様に虫の存在を忠告したまでです。天璟様に使いをやったのは、雪瑛様のご指示かと」

「なぜ忠告したんだ?」


 思いもよらぬ質問に、答えに戸惑ってしまった。


 なぜ……?


 わたしがアニサキスにやられたことがあるから、というのも不自然だ。碧海国《へきかいこく》に生で魚を食べる文化自体がないのだから。


「お前は……」

 天璟様が近づいてくる。そっと彼の大きな手がわたしの頬に添えられた。


「俺を助けたのか?」

 彼はずっと泣きそうな顔のままだ。


 なんと言ったらこの人を安心させられるだろうか。それでも、嘘はつきたくないと思った。


「……虫が怖かっただけです」

「そうか」


 天璟様の下がりきっていた眉がやや満足げに持ち上げられた。


「感謝する」

 感謝なんてしなくていいのに。虫の話でそんな表情になる理由もわからない。


 わたしは思わず視線を逸らしたが、天璟様はわたしの頬に添えた手で顔を向き直させた。ゴツゴツとした手なのに、不思議と悪い気はしなかった。


 天璟様の執務室から出て、待機していた月瑤と合流して歩く。


「結局、月瑤が欲しいものってなんだったんです?」

 後宮を出発する前に、わたしは月瑤に尋ねた。まだ市場のほうへ戻れる。


「あ、あー……」

 頬を掻きながら目線を逸らす月瑤。わたしは首を傾げて、彼女の回答を待った。


「恥ずかしいんだけど、さ」

「言ってください」


 ずいっと顔を近づける。圧に負けたように、月瑤は目をつむった。


「か……」

「か?」

「髪飾り……」


 月瑤のポニーテールを見る。紐で括られていた。


「簪《かんざし》を買いましょう!」

「恐れ多いですよ!」


 うだうだ文句を言う月瑤の首根っこを引っ張って、わたしは市場へ急いだ。


 簪を売っている店はすぐに見つかった。揺れる飾りのついた簪もあるが、動き回る月瑤には使いにくいかもしれない。


 月瑤の金髪に映える色が良いわね……。


 じーっと並ぶ簪を睨めっこして、わたしは一つの簪に心を決めた。


「これをください!」

 代金を渡して簪を受け取る。すぐに月瑤に付けるよう促した。


「本当にいいんですか……?」

「いいんです!」


 月瑤は綺麗な金髪を結っていた紐を解いて、簪で結い直した。


「似合ってますよ、月瑤!」

 薄紅の石が飾られた銀色の簪。わたしは桃色の上衣だから、わたしの女官だとわかるようにこの色にした。


「ありがとう、ございます……」


 うっすら赤く染めた頬を隠すように、月瑤は拱手した。身につけたら自分で確認できないし、帰ったら思う存分簪を愛でてほしい。


 髪にさした簪をそっと撫でる月瑤に満足して、うんうん、とうなずいていたら、月瑤の背後で探し求めていたものが光った。


「すりおろし器!」


 屋台の商人に詰め寄って若干引かれながら手に入れたすりおろし器を天に掲げる。銀色のすりおろし器が太陽の光を反射した。気づけばもう夕方近い。


「次はもっと美味しい焼きサバを食べさせてあげますからね……!」


 雪瑛様の頬が落ちる様子が目に浮かぶ。


 先に手に入れていたら大根おろしを付け合わせられたのに、という後悔もある。わたしと月瑤は、厨《くりや》に寄って食材をおすそ分けしてもらってから、海月宮へ帰った。


 後宮の厨からの食材を持ったまま、わたしと月瑤は海月宮《くらげきゅう》の小厨《しょうちゅう》に入った。先に入った月瑤がくるりと振り返る。


「もう、アタシが調理するんで大人しく待っててくださいってば!」

「いやいやいや……」

「何がいやいや……、ですかっ」


 わたしは無視して月瑤がもらった食材をまな板の上に並べるのを見る。ちゃっかりシマアジも手に入れてきたのだ。そして大根!


「このすりおろし器の真の力をご覧に入れましょう!」


 すりおろし器を掲げる。月瑤はすっかり諦めてシマアジを捌くために包丁を持った。


「はいはい……ん?」

「どうしました?」


「なんかこの包丁……切れ味が良いような……」

「良いことではありませんか!」

「いや、そうなんですけど……まぁいいか」


 月瑤はぶつぶつと何か気になるようだったが、シマアジはどうやって食べようか、それだけでわたしの頭の中はいっぱいだった。




***




 月夜が照らす中、サバを雪瑛に売った商人は外廷《がいてい》に呼び出されていた。皇帝の謁見の間にて、膝をつき拝礼している。


 豪華な椅子に腰掛ける天璟は商人を見下ろしていた。その隣に控える劉帆が尋問する。


「それでは、そなたはきちんと生の危険性を説いたということだな?」

「仰る通りでございます」


 商人に焦りはない。魚を売る者としての務めは全うしている自信が窺えた。

 天璟は顎を撫でる。


 ならば、俺の暗殺目的ではなく、雪瑛が焦って話を聞き逃しただけか……?


 雪瑛の顔を思い出す。気が弱そうに見えて、実は誰よりも機会を狙っている女。天璟の寵愛を受けたいならば、暗殺を企てるのは矛盾する。


「徳妃様はご自身も召し上がろうとしたそうです」

 劉帆からの耳打ちを受けて、雪瑛への疑いは見当違いだと天璟は結論付けた。


「賢妃《けんひ》様が居合わせたのが幸運でした」


 賢妃、清蘭。


 恩を売るため、天璟に手を貸す者はいくらでもいる。しかし彼女は違った。


 ──「……虫が怖かっただけです」


 思い出して、やや口角が上がりそうになるのを我慢する。

 天璟は劉帆に質問を変えるよう促し、劉帆は再び商人へ問いかけた。


「周辺諸国の情報を聞こう」

 東の商人を碧海国へ呼んだのは天璟だった。


「碧海国の周辺では戦争の準備が進められています。碧海国から戦争が仕掛けられるという情報が出回っているためです」

「…………」


 無言で耐えたものの、天璟は目を見張った。天璟は戦争反対派だ。あくまで推進しているのは家臣たちだが、秘密裏に武器だけ集めるよう命じたはずだ。


 なぜそのような噂が出回っているのか。


「情報、感謝する」


 動揺に揺れる天璟を気遣って、劉帆は尋問を終わらせた。その場にいた他の家臣たちにも下がるように伝え、謁見の間は劉帆と天璟の二人だけになった。


「すまない、劉帆……」


 天璟は右手で口元を覆い、大きく息を吐いた。顔に出てしまっていた己を反省する。


「確かに戦争推進派の数は増えてきていますが、何者かが水面下で事を進めていたようですね」

「あぁ、ここまでとは……」


 自分の耳には届いていない情報が周りの国に出回っている。もはや見過ごすわけにはいかない。


「推進派を指揮している者はわかるか?」

「それが掴めないのです。推進派は人数が激増したせいで個人が把握しにくくなりました。それでも確実に判明している者はおりますが……」


 劉帆は言葉を切った。見せしめにするか、と暗に尋ねているのだ。


 天璟は無言で首を横に振った。末端を殺してもトカゲの尻尾切りにしかならない。どころか、逆に闘志を燃え上がらせてしまう可能性すらある。


「やはり指導者を見つけ出すしかないだろうな」

「ですね」

「はぁ……」


 気が重い。自分に仕えている家臣から犯人探しをするなんて。


 ──「誰も信用するな」


 だが、父からの遺言でもある。


「おそばにおります」

 劉帆に声をかけられて、天璟は自身が険しい顔をしていることに気づいた。眉間を揉み、椅子の背もたれに背中を預ける。


「お前だけだよ、そう言ってくれるのは」

 天璟が微笑むと、劉帆も微笑み返した。後宮で人気なだけあるな、と天璟は場違いなことを思った。


 よし、と天璟は立ち上がる。


「推進派の指導者を探してもらえるか?」

「御意」


 劉帆は拱手をして、頭を下げた。退室していく彼の背中を見送りながら、父の遺言が脳内で響く。


 ……でも、お前は違うだろう?

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