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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第3章 生で食うな、焼いて食え
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2 美味しいサバの食べ方


 わたしは月瑤《げつよう》と共に厨《くりや》へ向かった。


 またしても渋る尚食局長《しょうしょくきょくちょう》に無理を言って、わたしはまな板の前に立つ。袖がだぼっとしていて邪魔なので、月瑤から借りておいた紐を使って背中のほうにくくる。


「塩を頂けますか?」

 近くの女官にお願いして、塩が入った壺を受け取った。


 雪瑛《せつえい》様に出されていた残りのサバの切り身をまな板に並べ、塩を振りかける。塩加減は魚の重さに対して一パーセントがいいのだが、今回は目分量で。


 そもそも、サバの切り身は明らかに生で食べられるように切られていない。分厚い切り身だ。これを生で食べようとしていたのか。


 浅く平たい皿に酒を注いで準備しておく。体感で二十分くらい経ったかな、というくらいで、サバを酒に浸していく。そこからまた十分後、サバを一つ一つ竹串に突き刺す。


 わたしは薪をくべる焚口《たきぐち》の前にしゃがみ、サバの突き刺さった切り身を火にかざそうとした。


「待ってください! それはわたくし共がやります!」

 至近距離に炎がくる調理は、尚食局長からストップが入った。


「賢妃《けんひ》様の前髪が焼けてしまったり、顔が煤だらけになったりしてしまったら、わたくし共の首が飛んでしまいます!」


「でもここからが本番と言いますか……ハゼの素揚げのときは……」

「いやいや、素揚げは鍋を使ってたじゃないですか。さすがに引きましょ、危なすぎますから」


 反論しようにも、月瑤にまで咎められてしまった。わたしは渋々サバ付きの竹串を尚食局長に渡す。わたしとて、この方たちの首が飛ぶのは本意ではない。


「こちらを焼けばいいんですよね? お任せください」

 慣れておりますから、と付け加えられてしまえばこちらはもう言えることはない。


「雪瑛様のところで大人しく待ちましょう」

 確かに、とわたしは月瑤の提案にうなずいた。


「聞きたいこともありますしね」


 月瑤を引き連れて雪瑛様の宮殿へ戻る。雪瑛様はようやく事態を把握できたようで、わたしたちを快く部屋に招き入れてくれた。


 食事用の丸テーブルを囲んで雪瑛様とわたしは着席し、月瑤はわたしの後ろに控えた。


「命を救っていただき、感謝するわ」

 拱手《こうしゅ》をして頭を下げる雪瑛様に、わたしはいやいやと両手を振る。


「命に関わる事態ではないですから。それより、なぜサバを生で……?」

「異文化の食事は物珍しいですから、天璟様に献上すれば目に留まるはずだと思って……」


「天璟様にも生サバを出したんですか!?」

 思わず立ち上がった。雪瑛様は続ける。


「貴女のおかげで私の女官がすぐに伝達に行ったわ」

「そう、ですか……」


 使いは間に合ったのだろうか?


 魚嫌いのお人だから簡単には口にしないだろうが、それでも心配だ。

 雪瑛様は再び感謝を口にした。


「私は危うく朝敵になるところだったわ」


 アニサキスで人は死なないとはいえ、皇帝に毒を盛ったも同然だ。雪瑛様の献上だと発覚すれば、彼女の頭は胴体から切り離されていたかもしれない。


「間に合ってよかったです」


 わたしが言うと、雪瑛様は微笑んだ。


 名前と同じ白を基調とした襦裙《じゅくん》を身にまとい、黒髪のロングヘアーがさらりと肩に落ちている。頭の右側でお団子にまとめたハーフアップに簪《かんざし》の歩揺《ほよう》が揺れていた。


 大きな垂れ目から大人しそうな印象を受けていたけれど、虎視眈々と寵愛を狙う強かさもあるらしい。


「私も尋ねていいかしら? 清蘭《せいらん》様はどうして離宮へ移住なさったの?」


 好奇心で満ち溢れた顔を向けられ、わたしは少しだけたじろいだ。変わり者の姫だと後宮中で噂になっているんだろう、と理解した。


「それって、寵愛から外れたということ?」

 ストレートに聞いてくる雪瑛様。同じ四夫人として、ライバルは少ないほうが良いに決まっている。


「そうですね、わたし自身はもう天璟様の寵愛をお受けしたいと思ってはおりません」

「えぇ!」


 雪瑛様は両手で口を覆った。咳払いを何度かしてから、真剣な眼差しで尋ねてくる。


「喜ぶのは失礼かもしれないのだけれど、どうして? やっぱり離宮へ行ったことと関係が?」

 わたしはうなずいた。


「釣りがしたくて」

「……釣り?」


 雪瑛様の可愛らしい垂れ目が大きく見開かれる。表情がコロコロと変わるお方だ。


「釣りって、あの、魚の?」

「釣りです」

 沈黙がややあって、雪瑛様はぷっと吹き出した。


「あはは! 釣りがしたくて寵愛を諦めるなんて、よっぽどなのね!」

 そんなに爆笑されることだろうか、と月瑤を見やると、「ほらね」と目線だけで言われてしまった。


「清蘭様、面白いわ! 私、貴女のことすっかり気に入ってしまったわ」


 目尻に浮かぶ笑い涙を人差し指で上品に掬いながら、雪瑛様は笑った。何もしてないのだけれど、気に入られたわたしも彼女に合わせて笑っておいた。


 そんな中、ノックの音が聞こえてきた。調理が終わったサバを女官が配膳しに来てくれたのだ。箸とサバだけを丸テーブルに置いて女官は退室していった。


「これは……」


 出来立てホカホカのサバから湯気が上がる。美味しそうな匂いに肺まで満たされる気持ちだ。


「サバの塩焼きです」

 味はもう付いている。早速箸でつつこうとすると月瑤に止められた。


「毒味が必要ですので」


 我先にと食べたい気持ちをグッと堪えて、わたしは月瑤が毒味用に小皿へサバを取り分けるのを見守った。「待て」をされる犬の気持ちが今ならよくわかる。その様子を見ながら、雪瑛様は笑いを堪えている。


 サバを口に含んだ途端、月瑤の顔に満面の笑みが広がった。


「美味しいです……! 臭みが全然なくて、塩が味を引き立てています。身も柔らかくて食べやすいです」

「そんなに……」


 雪瑛様も美味しく食べる月瑤を見て、ソワソワし始めた。わたしはよだれが口から漏れてしまいそうだ。


「毒はありません。清蘭様、召し上がって大丈夫かと」

「では……!」


 雪瑛様と同時に箸を掴むと、各々のサバをほぐして口に入れた。


「美味しい〜……」


 自分で釣ったサバだったらもっと美味しいんだろうな。この時期は小サバも釣れるから、それを素揚げにしたっていい。


「柔らかいわ……!」


 旨みに驚嘆しながら雪瑛様は箸を進めていた。酒で十分浸した甲斐があるというものだ。


 一口食べるごとに、雪瑛様は美味しさに目を見開き、じっくりと味わって食べてくれる。一緒に食事をすると楽しい人だと思った。


 わたしたちはサバをペロリと平らげてしまった。


「すごく美味しかったわ、ありがとう」

「いえ、生魚は別の安全な魚で食べましょうね」


 できたら寿司を食べたいものだが、刺身で譲歩しよう。アニサキスもちゃんと確認して。アジはもちろんだが、この時期はカツオも釣れる。


 そこでわたしは名案を閃いた。


「雪瑛様も今度一緒に釣りをしませんか?」

「え? 一緒に?」


 月瑤がこそっと耳打ちしてくる。


「清蘭様、普通はお姫様って釣りしないんですよ」

「でも、一度試されてみるのも……」

「一回だってないですよ!」

「うふふ、本当に仲が良いのね、貴女たち」


 月瑤と言い合いしていると、雪瑛様が笑い出した。


「今は釣りにもってこいの時期ですので、ぜひ! いや、もう少し涼しくなってからでも大丈夫ですが、いつかぜひ!」

「…………いつか」


 呟いて、雪瑛様は視線を床に落とした。時期が悪かったのだろうか?


「私も清蘭様と釣りがしてみたいわ……いつか、ね」


 含みのある言い方だったけれど、わたしは雪瑛様と釣りができる可能性を示唆されて単純に嬉しかった。


「月瑤と言ったかしら。武官との勝負を見ていたわ」

 雪瑛様は月瑤に視線をやった。月瑤は拱手で応える。


「貴女たちと釣りをするのは楽しそうね」


 雪瑛様はどことなく影のある笑い方をする。


 わたしたちはいつか雪瑛様と釣りをする約束をして退室した。回廊を歩きながらふと考える。


 どうして雪瑛様は注意喚起をされていたサバを生で食べようとしたんだろう……?


 天璟様に献上するだけなら、自分は食べなくたっていいはずなのに。


「賢妃様」


 思考がまとまる前に呼ばれて振り返ると、劉帆《りゅうほ》様が立っていた。


「天璟《てんけい》様がお呼びです」

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