第二話 ハゼを釣ろう!
「あっちぃですわ……」
季節は夏。わたしは、布を顔に巻く軽い変装をして、軽装に着替えてから後宮を飛び出した。
後宮のすぐ近くの林に、川が流れている。この川は海と繋がっていて、わたしがいるのは、河口の近く。淡水と海水がぶつかる汽水域だ。
誰の協力も得ずに達成して、天璟様をギャフンと言わせたかったので、一人でここまで来た。
「まずは、餌探しですわ!」
陰っているエリアの落ち葉をばさっとめくる。
「当たりですわ〜!」
ミミズが三匹!
近くにあった短めの木の枝で、湿った地面を少し掘ると、さらに三匹出てきた。
「ちゃんとバケツを二個持ってきてよかったですわ」
釣った魚を入れる用の木製バケツと、釣り餌を保管する用の一回り小さな木製バケツを、洗い場から拝借してきたのだ。この世界では、バケツではなく、桶といったほうが正しいかもしれない。
本当は、お皿でも良かったのだけれど、ミミズを入れた後に使いたくなくなってしまうから、やめておいた。
小さいほうのバケツにミミズを六匹放り込む。とりあえず、これだけあれば足りそうだ。
大きいほうのバケツには川の水をたっぷりと汲む。
放置していた釣竿を拾い上げる。
幸い、リールも糸もあり、なんと糸の先には、仕掛け(釣り針)もついていた。
初心者レンタルセットのような釣竿である。怖いのは、糸が切れることだけだ。海月宮に行けば、替えの糸や仕掛けも残っているかもしれない。
「お姫様がなんでミミズ持ってんの!?」
ミミズを拾い上げて、釣り針に通そうとしていると、信じられないものを見たような声をぶつけられた。
振り向くと、天璟様の執務室で一緒になった金髪の女官が目を見開いて立っていた。
「あら? 先ほどの……ええと、お名前は」
「月瑤です。賢妃様の護衛に参りました……って、それより、それ!」
月瑤がわたしの手にいるミミズを指差す。
「月瑤もやります? ミミズは平気ですか?」
「ミミズは平気かってこっちのセリフなんだけど……」
呆れた様子で近づいてくる月瑤。フレンドリーな感じで助かる。
「何を釣る気なんですか?」
「そうですね……あわよくば、鰻を釣りたいところですが、流石にこの明るい時間では無理でしょうね」
「鰻!? こんな林の川で!?」
「ほら、川を見てください」
月瑤と川に目を凝らす。光の反射で見えにくい。
「……何もいませんが」
「よく見てください、あそこの影になっているところの大きな石」
わたしが指差した方向へ、月瑤が目を細める。
「……あ! 魚が石にくっついてる!」
「そう、あれが今回の狙いです」
わたしは言いながらミミズを張りに通して、釣竿を月瑤に差し出す。
「あの魚の顔の前を狙って、投げてみてください」
「……!」
月瑤は釣竿を受け取り、指示した通りに振るった。
ぽちゃん。
ミミズがゆっくりと水中を落下していく。
「見てますね……」
魚がミミズをじーっと見つめているのが、地上からでも分かる。
ここからは耐えだ。
「竿を上下に小さく振ってみてください」
「こ、こう?」
月瑤が軽く竿を上下に振ると、ミミズもそれに合わせて水中で踊る。魚が注意を惹きつけられている。
「そうそして、たまに動きを止めてください、気持ち長めに」
「……こうか?」
ぴた、とミミズの動きが止まると、魚が少し近づいてきた。しかし、そこで警戒してしまう。
月瑤は慣れてきたのか、自分のタイミングで竿を振ったり止めたりできるようになってきた。
小さくアクションを加え、ピタッと止める。それの繰り返し。
「見てます、見てます。いいですよ……!」
そして、ミミズの動きを止めたとき。
──ブルブルッ!!
魚がミミズに食いついた。
「食いましたわ!! 月瑤、竿を縦にしてください!」
「竿を縦に!?」
月瑤は困惑しながら、竿を持ち上げた。地面と垂直になった竿を確認して、わたしはリールに手を添える。
「月瑤、この持ち手を回します、いきますよ」
月瑤がリールに手をやったのを確認して、一緒にリールを巻いていく。
バシャン!
水面から糸に吊された魚が現れる。
距離が近いので、魚はすぐわたしたちの手元までやってきてくれた。
ミミズを食べて針を飲み込んだまま、上を向いてビチビチと揺れている。サイズは十センチないぐらいだろうか。
「つ、釣れた……!」
「これが今回の狙い、ハゼです。夏からが旬の小魚。揚げると美味しいんですよ〜」
後宮で天ぷらが出されたことはないけれど、揚げ物は出てきたことがある。
ハゼの揚げ物を、天璟様に実食して頂こうという作戦だ。
「…………」
月瑤は自身の両手を見たまま、ぼうっとしている。
「ふふ、釣りは初めてですか? どうでしたか、アタリの感覚は」
「アタリ?」
「魚が餌を食ったということです」
「あぁ……、ブルブルって竿が震えて、アタシも震えてるみたいだった。魚が戦ってるのが分かって、アタシも負けないぞって気持ちになって、なんていうか……」
月瑤は両手をぎゅうっと握りしめる。
「楽しいな、釣りって」
「そうでしょう!」
渾身の笑顔で月瑤に応える。
やっぱり、釣りの魅力を分かち合える仲間がいるのは、嬉しいものだ。
わたしはハゼから釣り針を取る。ミミズはまだ形を残っていた。再利用できそうだ。
「でもやっぱり、夏は小さいですね。今回のミミズが小さめだったから、口に入りましたけど、他のミミズは大きいから切ったほうがいいかもしれません。月瑤、鋏持っていませんか?」
「裁縫用なら持ち歩いているけど……ミミズ切るの!? 嫌だよ!?」
「ですよねぇ……」
困った。手や爪で切れるとは思えない。先の尖った小枝でも探すしかない。
わたしはハゼを、水を汲んでおいたバケツに入れる。ハゼが飛び跳ねて逃げ出さないように、バケツを川から離れたところに移動させた。
「でも、小型剣なら……」
おずおずと月瑤から差し出されたのは、護身用の小型剣。おおよそ、後宮にいる女官が持っているとは思えないものだ。
「助かります……ですが、なぜ剣を?」
「……アタシ、武官になりに来たから」
女性が武官?
聞き馴染みのない言葉に、わたしは耳を傾けた。
小型のバケツに入れておいたミミズを一匹取り出して、ナイフで三等分にしていく。
「もともと、アタシ孤児で。道場で育って、その道場で一番強くなった。だから恩返しがしたかった。師匠も武官に推薦してくれたんだけど、国が女だから後宮に入れって言って……」
「そんな……」
二匹目のミミズも三等分にしていく。
「でも、後宮に入っても機会はあると思った。どの妃の担当にもならなかったし。宦官様に訴えかけてみたけど、それが逆に男に媚びてるって言われちゃって……。この髪の色と相まって、後宮では陰口ばかり……」
そういえば、うちの女官も何か言っていたっけ。あの時は嗜めたけれど、そんなふうに言われるのが、月瑤にとっては、日常茶飯事なんだろう。
月瑤の金髪が、太陽光に反射してキラキラと輝く。
「みんな、月瑤の綺麗な髪に嫉妬してるんですかね?」
「え……」
パッと、月瑤の瞳に光が入る。よく見れば、瞳も美しいアクアブルーだった。
「嫉妬なんてしてるわけないだろ、母親が異国生まれだから、珍しいだけで」
「まあ、お母様が。その髪色、キラキラして綺麗です、名前の通り、月みたいに」
「月みたいって……そんな、恥ずかしいこと……」
月瑤の頬が赤く染まって、腕で顔を隠した。
わたしはそんな月瑤を見て、可愛いなぁと思う。
「それに、海の中なら魚がいっぱい寄ってきますよ?」
「例えがよく分からないけど……ありがとな」
涙声になりながら、月瑤はミミズを細かく切る作業を手伝ってくれた。
「本当は、道場で待ってくれてる人がいるんだ」
「まぁ、殿方ですの?」
月瑤は、こくりと頷いた。
こ、こ……恋バナですわ〜!!
「そいつは病弱だったから、道場ではほとんど家事や雑用をやってくれて、みんな彼に支えられてたんだ。アタシは特に。それで、武官になったら迎えに行くって約束したんだ。だから、アタシはこんなところで諦められないんだよ……!」
「な……」
「な?」
「なんていい話ですの〜!? わたし、全力で応援しますわ!」
病弱男子マネージャーに、道場一強い月瑤が武官になって、逆プロポーズってこと!?
カッコ良すぎる! 胸のキュンキュンが止まらない!
「あ、ありがとう……」
わたしの勢いに若干引いている月瑤に気づき、わたしは咳払いをして、調子を戻す。
「じゃ、じゃあ、次はわたしが釣りますね!」
釣り針に刻んだミミズをセットして、わたしは得意げに遠くに竿を投げた。
水底に着いた感覚を得てから、ずるずるとリールを巻いていく。
「そんな釣り方もあるのか」
「底のほうを探っていくやり方です。ただこれ怖いのが……」
鼻高々と語っているうちに、リールが巻けなくなった。竿をグッと引っ張ってみるが、ミミズは戻ってこない。
「魚、かかったか?」
月瑤が爛々と目を輝かせてくる。
残念ながら、魚がかかったときのブルブルという震えはない。しかし、何かにつっかえてしまったかのように、リールは巻けない。
とても言いにくいけれど……誤魔化してもしょうがない。
「根掛かりました……」
「根掛かり?」
「底にある障害物に、針が引っかかってしまったということです……」
「えっ!? どうすんの!?」
「思いっきり引っ張るしかないです……!」
竿を引っ張ってみる。ミヨンミヨンと竿が揺れるだけで、一向に釣り針が外れる気配はない。
いろんな角度から引っ張ってみるも、変化なし。
「力なら任せて!」
月瑤に釣竿を渡すと、勢いよく引っ張る。
釣り糸がふわっと浮いた。針が抜けたようだ。
「やっ……──」
「悪く思わないでくれよ」
喜びを分かち合おうとした瞬間、体格のいい男が、月瑤を捕らえた。
釣竿が地面に転がる。
男は、月瑤の口に手を回し、両手を後ろ手に固定した。
「本当は賢妃をご所望だったんだが、金髪のほうが高く売れそうじゃねぇか」
……人攫い!?
しかも、もともとの狙いはわたしだったようだ。
ご所望ってことは、誰かに依頼されている……!?
「おい、両手を上げてしゃがめ。こいつを傷つけられたくなけりゃな」
「んーっ!」
月瑤は身を捩らせるが、力の差では男に敵わない。
わたしは言われた通り、両手を上げて、しゃがむ。
確か、小型剣は月瑤が持っているはずだから、一瞬でも隙が作れれば、月瑤がなんとかしてくれるはずだ。
何か、何かないか、隙を作る何かが……!
しゃがみ込んだ踵が、コツンと障害物に当たる。
それを見て、わたしは怯えたふりを始めた。
「命だけは、お願いします……! 死にたくないです……! なんでも言うことを聞きますから……!」
「んーっ!」
月瑤が首を横に振る。それを、男が手に力を込めて、やめさせた。
月瑤……! 気づいて……!
わたしが必死でアイコンタクトを試みると、月瑤は瞳だけで「わかった」のサインを出してくれた。
彼女もわたしも、抵抗をやめ、怯えた表情を作った。
「いいね。じゃあ、俺について来い。手間が省ける」
「あの、でも、ここ変じゃないですか?」
「あ? どこが……」
すっかり油断した暴漢の顔に、わたしは足元にあったバケツを掴んで、ハゼごと水を叩きつけた。
バッシャン!
「ぶわっ!?」
その一瞬。
合図の甲斐あって、ずっと反撃の構えをしていた月瑤が、体のどこからか小刀を取り出し、柄で男の鳩尾を殴る。
「ぐはっ!」
唾液か胃液か分からないものを吐き出した。苦しそうな男が腹を押さえて屈むのに合わせて、月瑤が背後に回る。
「誰からの差金だ?」
刀を男の首に突きつけ、月瑤が尋問する。
「し、知らねえ……取引相手は顔を隠していた……」
「依頼内容は?」
「け、賢妃を殺せ……」
「……わかった」
「た、頼む、命だけは……がっ」
月瑤が男の首裏を強く叩き、男は気を失った。
「賢妃様、一度後宮に戻り、報告しましょう。こいつはしばらく起きませんから、武官たちに回収してもらいましょう」
「は、はい……」
緊急事態により、月瑤の砕けた喋り方が敬語に戻り、わたしはその提案に従う他なかった。それが一番正しいと思ったし、自分ではどうすればいいか分からなかった。
「で、でも一つだけ……」
「なんでしょう」
「釣れたハゼを持ち帰っていいでしょうか……?」
わたしの問いに、月瑤はポカンとしたあと、大笑いした。
「持って帰りましょう!」
バケツに水を汲んで、地面で瀕死になっているハゼを入れ、わたしたちは急いで後宮へ急いだ。
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