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後宮の釣り姫  作者: よこすか なみ
第1章 魚嫌いに魚を食わせる
2/6

1 釣り竿との出会い

 ……緊張する。

 わたくしは唾を飲み込んで、後宮の回廊を進んでいた。


「きっと大丈夫ですよ、清蘭様。清蘭様の魅力にかかれば、天璟様もきっとお手つきをなさるはずです!」

「そうですよ! 天璟てんけい様はちょっと奥手なだけかと」


 わたくしの緊張が伝わったのか、連れていた二人の女官が励ましてくれる。

 わたくしたちは今、皇帝である天璟様の執務室に行く途中なのだ。


 ここは海に接した大国──碧海国へきかいこく


 時の皇帝・天璟様は、わずか二十歳にして自身の後宮を持っていた。

 後宮では次期皇帝を作るため、多くの女が暮らしている。出入りする男性は生殖機能を失った宦官か、身分のある者のみ。


 わたくしは後宮にいる女の中では、皇后の次に位が高い四夫人よんふじんの地位を与えられている。それでも、危機感を覚えていた。


 天璟様は、後宮にいる、どの美しい女とも、夜を過ごしたことがない。

 女たちはみんな、自分の子供を皇太子にしようと躍起になっているというのに。天璟様のお立ち寄りがなくては話にならない。


 わたくしは、一族全員の期待を背負って、皇太子を産むために後宮入りしているのだ。


 四夫人の中でも一番下の位──賢妃けんぴであるわたくしは、他の三人を出し抜けないかとずっと画策していた。


 本来、後宮妃から誘うなんてありえないこと。しかも、まだ太陽が高く昇っている時間なんてもってのほか。


 それでも、これくらいしなければ天璟様がわたくしに振り向くとは思えなかった。


「そうよね……! 頑張りますわ!」


 わたくしが女官たちと目を合わせてうなずくと、彼女たちも笑顔になる。

 強引な手段を選ぶわたくしを応援してくれる、ありがたい女官たちだ。


「……あら?」


 もう執務室が目と鼻の先、というときに、向かい側から宦官、そして、一歩下がって金髪の女官が歩いてくるのが見えた。

 何やら細長い棒状のものを持っている。


「これは、清蘭様」

 宦官と金髪の女官が拝礼をする。


「何、あの金髪……なんだか下品だわ、それにどうして宦官と一緒にいるの?」

「男を誘惑するための色かしら?」


 後ろの女官が金髪の女官について囁きあっている。

 二人に感謝こそすれ、他人を貶めるのは感心しない。


「おやめなさい」


 わたくしが嗜めるように睨みつけると、二人はすぐに口をつぐんだ。

 こほん、と軽く咳払いをしてから、わたくしは宦官と金髪の女官に目を向けた。


「それは……何かしら?」


 わたくしは宦官が持つ棒状のものを指差した。棒の長さは、わたくしが両腕を広げた長さよりも長そうだ。

 わたくしから見て左端は太く、右端は細い。かつ、弓のように糸が張ってある。


 何より、太い端のほうには、糸巻きのようなものがくっついている。

 それが異様さに拍車をかけていた。


 ──どき、どき。どき、どき。


「……?」


 わたくしは自身の左胸に、そっと手を寄せる。

 心臓が高鳴っている……?

 初めて見たものだというのに、なぜか見覚えがある気もする。


「わからないのです」

 宦官は首を左右に振った。


「この後宮から馬車で四半刻(約三十分)走ったところにある、もう使われていない海月宮の整理をしていましたら、発見されたものです。こちらの処遇について、陛下に判断を仰ぐところでございます」


 宦官の説明を聞いても、胸のドキドキは止まらない。

 これはただの好奇心……?

 いや、でも、何か違う。


「少し、触れてみても?」

 宦官はうなずいて、謎の棒を差し出した。

 恐る恐る手を伸ばす。

 細いところを持ったら折れてしまいそうなので、太い端を両手で持ってみる。


「……っ!?」


 瞬間、脳裏に閃光が散った。


 思い出されるのは、雨の日のアパートの階段。

 足を滑らせて、階段から落ちて、頭から思いっきり打って、それから……。


 ──これは、前世の記憶?


 そうだ、“わたし”は日本に住む普通の派遣社員だったけれど、足を滑らせて頭を打って死んでしまったんだったわ……。


 あれは……ハゼ釣りに行ったものの、雨が降ってきたから退散した休日。


 死んで、後宮の姫として生まれ変わったということ……!?


「……どうされましたか? 清蘭様?」

 宦官の心配そうな声で我に返り、自分の手の中にあるものを見つめる。


 ……これは釣り竿だ。


 しかも、わたしが前世で使っていたものと似ている。

 後宮にこんな時代外れのものがあるなんて。


 ドクン、と一段高く心臓が高鳴る。

 魚が掛かったときの、あのビリビリとした感触が釣り竿越しに思い出される。


 家族の期待を背負って、後宮入りして、皇太子を産むことを望まれているわたしだけれど──前世の記憶を思い出した今、そんなことはもう、どうでもよくなっていた。


 ……釣りがしたい……!!


 とにかく釣りがしたい……!!


「これが、えぇと、海月宮? に?」


 左様でございます、と宦官は首を縦に振った。


「海辺にある宮殿です。過去には、過ちを犯した姫様を折檻する場所として使われていたようでございますが、最近は誰も立ち入らず……。今回の整理で普通に生活ができるよう整えました」


 つまり、寝床やキッチンなどは揃っているということだ。

 しかも、海辺にあるだって……!?

 海月宮に行けば、他の釣り道具だってあるかもしれない……!


 なんて夢のような宮殿なの!?


 もう跡継ぎがどうとか、どうでもいいわ! 

 わたしはそこに行きたい!


 釣りができればなんでもいい!!


「清蘭様……?」

「どうかしましたか……? ご様子が……?」

 後ろに控える女官たちに声をかけられて、わたしは我に帰った。


「わたしも、天璟様のところへ伺う予定でしたの。共にしてもよろしくて?」

「もちろんでございます」


 宦官は拝礼をしてから、天璟様の執務室の扉を叩く。

 中から低い声で「入れ」と声がした。

「失礼いたします」


 部屋の中は、手前に来客対応用のローテーブルとローソファーが並べられている。その奥には、執務机と椅子があるだけだ。


 天璟様は執務机に向かったまま、顔も上げなかった。


 綺麗な黒髪を適当なハーフアップに束ねている。政のときは、もっと丁寧な結い方をしていたが、仕事中は視界に入ってくる顔周りの髪が煩わしいだけのようだ。


 整った顔立ちが勿体無いくらいの無表情。

 お茶会で聞いた話だと、わたしを入れた四夫人の誰も、彼が表情を崩したところを見たことがないらしい。


「なんだ」

 冷徹な声だけが、わたしたちを動かす。


 宦官はわたしを見やった。階下に用事があるならお先にどうぞ、ということだろう。

 わたしは宦官の視線にうなずいて、彼の手から釣り竿を奪い取る。

「えっ」

 驚いて声を上げる宦官を無視して、わたしは釣り竿を大事に持ちながら申し上げた。


「天璟様、わたしを海月宮に住まわせてください」

読んでくださり、ありがとうございます!

評判が良かったら長編化するつもりなので、ぜひ☆やリアクションをポチッとよろしくお願いします!

感想を頂けたら舞います。

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― 新着の感想 ―
釣竿ひとつで後宮劇が転がり出す導入、テンポ最高でした。魚嫌い皇帝との勝負条件も強いフック!清蘭の胆力に惚れます。月瑤参戦もワクワク、天璟の弱さも刺さる。次も読みたいです。
Xから来ました。とても面白かったです!!「それでは、わたしは釣りに明け暮れてまいりますので、後宮のことはお任せしますわ」の部分、主人公の釣りに対する想いが伝わってきて、にやにやしながら読みました。続き…
こんなヒロインはじめて!! 天璟様のお言葉をお借りすると まさに「……面白い」です( *´꒳`* )!!
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