6 外道
摩訶不思議すぎてありえないが、東の蔵はわたしの前世にあった釣り具店のような品揃えの良さだった。まぁ、釣りができれば多少の不思議はどうでもいい。
一目見ればどこのブランドかわかる。すべて未使用で綺麗な状態だった。とてもありがたい。
しかし、すべて常温保存できるものに限られていて、さすがに冷凍庫から取り出す系の餌は置いていなかった。
リールと糸付きの釣り竿二本、キャップ付き袋に入ったアミコマセ、長い紐の付いたバケツ、そして仕掛けを持ってわたしと月瑤は桟橋にやってきた。桟橋には腰より低い高さに欄干がある。
「やっぱり先端かしら」
わたしたちは桟橋の先端に荷物を下ろした。
風はそこまで強くないので、あたりを取る程度なら気にならない。
夏なので日差しがやや強いが、汗が湧き出るほどではない。この世界は日本の夏ほど気温が上がらないようで釣りに適した気候で大変良い。
「なんか、前回より荷物が多いような……」
月瑤が並べた釣り具を見ながら首を傾げる。
「今日は釣り方が違いますからね」
「釣り方?」
笑顔で答えるわたしに月瑤はさらに疑問を膨らませた。
わたしは屈んで、釣り竿から伸びる糸にスナップ付きサルカンを結びつける。
「なんですか、それ?」
手元を覗き込んでくる月瑤にわたしは銀色の留め金を見せた。留め金の上部には爪の先ほどの丸い玉と輪がある。この金属製の輪に釣り糸を結び付ける。
「この丸い玉は、糸がくるくる回ってこんがらがるのを防止してくれるんです」
説明しながら、サルカンの輪に釣り糸を通し、折り返した糸の輪に左手の人差し指を入れ、念入りにくるくると回す。
「じゃあ、その留め金部分は?」
「仕掛けを引っ掛ける役割を持っています。これがあると、次回以降仕掛けの準備が楽になるんですよ〜」
左手の人差し指で作った糸の輪の中に糸の先端を入れ、その結果下部にできた糸の輪にも先端を入れる。
最後にサルカンとメインの糸をゆっくり引っ張り合わせる──
「え、なんで糸舐めてるの!?」
ごちゃごちゃとなった結び目に口を添えると、月瑤が驚いた声をあげた。
「擦り合わせる力が強いと、強度が下がっちゃうんです。だから湿らせる必要があるんです」
「へぇ」
目をまんまるにしたまま月瑤はうなずいた。
ぎゅう、と力強く引っ張り合わせると、結び目がサルカン側で定着した。わたしは月瑤の竿にも同様にスナップ付きサルカンを結びつける。
「では、この留め金に仕掛けを付けていきましょう」
「これが仕掛け?」
渡された仕掛けに月瑤は顔をしかめつつも、スナップを開けて仕掛けを引っ掛けた。
「なんか針がやたらいっぱいあって、下のほうに穴だらけの小さなカゴみたいなのがあるけど……」
「そうです。これが今回の釣り方──サビキ釣りです!」
「サビキ?」
「とにかく魚がたくさん釣れる初心者向けの釣り方なんです」
わたしは人差し指を立てて説明した。
擬似餌の付いた針が五つ並んでいる釣り糸の下には、アミコマセという魚の餌を詰め込むカゴが付属されている。
ここにアミコマセを詰め込んで海に垂らすだけで、アミコマセの匂いに寄ってきた魚が針の擬似餌を食べるという算段である。
「じゃあ、そのアミコマセ? っていうのが……」
「これです」
キャップの付いた袋を掲げる。中には極小のエビがたくさん詰まっていて、もはやゲル状だ。
「うげ〜、なんだかエビがもったいない……」
「いいんです。魚の餌ですから」
月瑤を無視して、彼女の六センチくらいのカゴにアミコマセを注入する。何滴か溢れて桟橋にシミを作った。
「ほら、海に垂らしてきてください!」
海のほうへ背中を押すと、月瑤はしぶしぶサビキ仕掛けを海に垂らした。わたしも自分のカゴにアミコマセを入れる。
「うわっ!」
背後から月瑤の声が聞こえ、焦って振り返る──月瑤がリールを巻いていた。
驚く間もなく魚が釣り上げられた。地面にそっと置かれ、ビチビチと跳ねるその魚は茶色に白い斑点模様があり──
「アイゴですわ……」
「え! アイゴって、この前厨にいた、ヒレに毒あるやつじゃん!」
わたしと月瑤はそろって肩を落とす。
月瑤がいた釣りポイントの海を見下ろすと、おびただしい数のアイゴが優雅に泳ぎ散らかっていた。
……アイゴ地獄か。
アイゴがこんなにいたら、狙いの魚が餌に食いついてくれない。
「そういえば、何の魚狙っているんですか?」
月瑤が器用に靴の裏でアイゴを海に落としながら尋ねてきた。
「アジです!」
前世から夏になればいつも狙っている魚だ。美味しいし、群れが回ってくればたくさん釣れて楽しい。
月瑤は、ふーん、と言いながら海面を覗く。
「アジ、いなさそうですね」
「場所を変えたほうがいいかもしれませんね」
潮通しが良さそうだったのでここにしたのだが、いかんせん状況が状況だ。サビキは移動が大変なので、まだバケツに水も汲んでいない今の段階で決断しよう。
月瑤がほとんどの荷物を持ってくれ、わたしたちは桟橋のポイントを転々とした。
「今度はフグ……」
釣り上げた先にはぷくうと膨らんでいるフグが転がっている。
「フグは触っても大丈夫なんですか?」
「そうです。フグは食べたら毒になるので」
月瑤に答えながら、わたしは釣り針からフグを取り外して海に投げる。
「そういえば、清蘭様、厨院のことなんですけど……」
「はい?」
アミコマセを補給し、立ち上がると違和感が足元を襲った──釣り針が長裙に引っかかっている。
面倒なことになったな、と思いながら針に手を伸ばす。
「待ってください! アタシがやりますから動かないでください!」
異変に気づいた月瑤が必死の形相で止めに入った。すでに釣り竿を地面に置き、片膝をついて丁寧に針を外すのに取り掛かる。
「そんな、大袈裟ですわ」
「清蘭様に何かあってはいけないです! しかも、この長裙いくらすると思ってるんですか!」
「…………」
正論を食らい、「針にカエシがあるから気をつけてくださいね」としか言えなかった。
「カエシ? あぁ、針の先端が出っ張ってるんですね」
針は、魚が飲み込んだら深く食い込み、簡単には取り外せないようになっている。
月瑤は慎重に針から長裙を解放することに成功した。指に怪我もしていなさそうで安心した。
わたしは何回指に針を引っ掛けて痛い思いをしたっけな……。
「はい、取れました! もう、何かあったら自分一人でなんとかしようとしないで、絶対にアタシを呼んでくださいね」
「…………」
「返事!」
「わかりましたわ……」
自業自得というか、わたしの不注意で起きた事故に対して月瑤を呼ぶのは、なんだかなぁ。
結局日が暮れるまでやって、釣果はアイゴとフグのみ。なんなら、わたしと月瑤の釣り糸がこんがらがってオマツリになり、解くのにも結構な時間を費やした。
「つ、釣れませんわ〜……」
わたしと月瑤は、後殿で夕食にありついていた。釣りから一緒に帰った月瑤がサッと作ってくれたのだ。
本来なら女官と賢妃様が同じ席で食事などあり得ない、と自室で食事を済ませようとする月瑤に無理を承知で同席することをお願いした。釣れたときですら別室で食事など言い出しかねない。
「その割には楽しそうですね?」
「わかります?」
箸を持っていないほうの手で頬を押さえた。口元が緩んでいる。
「やりたいことができているからでしょうか……釣れなくても楽しいんです、釣りって」
「変な人」
わたしたちは顔を見合わせて笑った。
「まぁ、釣りの本番は夜ですからね」
「まだやるの!?」
わたしが拳を握って見せると、月瑤は口に含んでいた食事を吹き出しそうになっていた。
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