5 海月宮
月瑤が武官に勝利をおさめた翌日、さっそくわたしと月瑤は劉帆様によって海月宮を案内されることになった。
わたしは輿に乗り、後ろの二人は徒歩。体感三十分ほどで後宮から海月宮に到着した。輿を持って歩く速度は徒歩より遅いので、徒歩だと二十分くらいかかるだろうか。家から駅までだったらギリギリ歩けるけど、できれば避けたい距離だ。
一週間は暮らせる程度の食材も一緒に、宦官たちに運んでもらった。悪くしないうちに食べきりつつ、釣った魚で賄えたら理想だ。
「こちらが海月宮です」
わたしが輿から出たのを確認してから劉帆様が手で示す。薄い水色を基調とした宮殿は、わたしが元いた四夫人に与えられる宮殿より一回りほど小さい。それでも、月瑤と二人で生活していくには十分な広さだった。
劉帆様が先頭に立ち、門扉を開けてくれる。すぐに目に入ったのはまた門だった。
年季の入った音を立てて開かれる門の向こう側には、庭が広がっていた。
「あ、あぁ……」
庭は草木が生え放題だった。思わずため息が漏れてしまう。放置された離宮を片付けた、と宦官は言っていたが、ここまでは手が回っていないようだ。
「これは草むしりが先になりますかね」
隣に来た月瑤もため息をついている。相当な量だ。
草だらけの庭の奥には低い階段があり、そこを上がれば正殿──主に応接室として使われる建物があった。
薄水色の屋根に朱色の柱。壁は白塗りだったが、海風に長年当たっていたせいか、だいぶくすんでしまっていた。
「こちらが正殿になります」
おそらく誰も訪ねてこないだろうから、正殿前の草むしりは後回しにしたいところだ。
劉帆様は右手の回廊へ向かった。回廊は正殿を囲むようにぐるりと設置されている。
劉帆様は、つま先が上に反り上がった靴を脱いで回廊に上がっている。わたしと月瑤も履き物を脱いで後に続いた。
「履き物を持ってきてくださいね」
劉帆様に言われ、月瑤が二人分の履き物を持ち、回廊を進んでいく。正殿を迂回すると、扉が開きっぱなしの中門にたどり着いた。
一段高くなっているそこを跨ぎ、履き物を履いて中庭に入った。
真ん中に井戸を挟んで可愛らしい小屋が左右に二つあり、井戸の奥には、階段の付いた後殿があった。わたしが生活する部屋だ。
「こちらが後殿でございます。右手が賢妃様のおっしゃる釣り竿が発見された蔵、左手は女官たちの住居として使われておりました」
なるほど、釣り具があるのは東の蔵ね……!
わたしは心にしっかりとメモする。
劉帆様は井戸の横を通り過ぎると右に曲がって釣り具の蔵の横を突っ切り、再び回廊へ靴を脱いで上がった。後殿の回廊も、後殿、東の蔵、西の小屋を囲むようにあるのだ。
「そして、後殿横の小厨に繋がっているこの角門を通れば、海に繋がっています」
小厨とは台所のことだ。後殿の隣にあるのはありがたい。
海……!!
目を輝かせるわたしに、月瑤が大きく咳払いをして釘を刺す。
「まだ案内終わってないですよ」
「わ、わかっています……!」
釣り具の場所と海への行き方さえわかったんだからすぐにでも釣りに行きたいのだが、はやる気持ちを悟られないように、あくまで冷静に返事をした。
わたしたちのやり取りに、劉帆様が笑いを堪える。
「それでは、海のほうに行きましょうか」
角門は門というより、ただの勝手口だった。
劉帆様の説明もそこそこに、わたしたちは人ひとり通れるぐらいの角門をくぐり、外に出る。月瑤が履き物を揃えてくれた。
ブワッと潮の匂いが一気に舞い込んできた。
海が近い……!
角門を出て、左に曲がる。真っ直ぐ進むと曇り空みたいな色の壁に直面した。灰色の壁とさらにどんよりとした濃い灰色の屋根で構成されているそこは、海月宮の中では異質な存在感を放っていた。
「こちらは厨院ですね、今は使われておりません。お二人だけなら先ほどの小厨で事足りるでしょう」
劉帆様は素通りして先を急ぐ。厨院の門には真新しい錠前がかけられていた。
「……?」
月瑤が錠前を手に取り、立ち止まって首を傾げる。
「月瑤! 早く!」
わたしが呼びかけると、月瑤は早足で追いついてきた。そのまま潮の匂いがする方向へ導かれて行く。
行き止まりに差し掛かり、厨院を左に曲がると、亭があった。屋根と柱が四本だけの建物、屋根の下には腰を下ろせる石造りの長椅子がある、
亭の手前まで歩けば、右手に後門が現れた。劉帆様が閂を外す。
「賢妃様が求めていたものがこちらです」
劉帆様は両開きの扉を勢いよく開けてくれた。
先に続くのは──水平線。
キラキラと輝く水面と海鳥が数匹飛び交う青空。頬に当たる潮風の匂い。波の音。わたしは両手を広げて全身で受け止めた。
「海だ〜〜〜!!!」
「待ってください」
駆け出そうとするわたしの首根っこを月瑤が掴む。
「ふ、不敬ですわ……!」
「思ってもないことを言わないでください。妃嬪の装いで釣りなんてできませんよ」
「あ……」
わたしは己を見下ろした。白い長裙にピンクの上衣。釣りには適していない格好だ。汚してしまったらいくらするだろう……。
「あと、アタシ厨院で気になることがあって……」
こそっと耳打ちをする月瑤にわたしは首を横に振ってシャットアウトした。
「それでもわたしは釣りをします!」
「えぇ……」
話を遮られた月瑤は困惑顔だが、わたしは劉帆様のほうへ体を向ける。
「劉帆様! 案内ありがとうございました!」
「いえいえ、海に出るための石段は滑りやすいから気をつけてくださいね」
「はい! 失礼いたしますわ!」
挨拶もそこそこに、わたしは東の蔵へ向かって駆け出した。
「清蘭様ってば〜!!」
後ろから月瑤が困りながら追いかけてくる気配がした。
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