2 ふたりぼっち
天璟様の執務室から戻った翌日。
まだ日が高い時間に女官たちを応接室に集め、わたしは昨日までの顛末を説明した。
「……ということなんです」
四夫人暗殺未遂事件について既に噂が回っているらしく、誰も驚いた様子がなかった。
「わたしは海月宮に移住します。そして、月瑤を女官兼、護衛としてわたしの側に置きます」
神妙な面持ちで話を聞いていた女官たちだったが、一斉に顔を見合わせ始めた。
「……清蘭様、お言葉なのですが」
女官長が代表してスッと一歩前に出る。
「わたくしども、清蘭様にはついていけません」
「え……」
その言葉に動揺するわたしとは対照的に、月瑤は静かだった。
すでに知っていたかのように。
重い沈黙のあと、女官長が口を開いた。
「なぜ、暗殺者に狙われているのに離宮に住もうなどとお考えなのですか?」
「釣りがしたいからですわ」
「……はぁ」
即答するわたしに、彼女は呆れてものが言えないかのように頭を振った。
「そんな理由で、わたくしどもも命の危険に晒されるのですか?」
「それは……」
「わたくし……」
別の女官が前に出た。わたしが天璟様を誘惑しようとしたときに、ついてきてくれた女官だった。
「最初に寵愛を受けるのは、清蘭様だと思っていましたのに……!」
彼女の目尻には涙が浮かんでいた。
皇太子を産めという期待をどうでもいい、などと切り捨てたところで消えるわけもない。
──「あんたのせいで何もできない」
前世の母の声が頭の中で響く。
「それに」
女官長の瞳が月瑤に向く。
「下品な髪の女官と共に仕えるなど、到底できません」
「……口を慎みなさい」
「いいですよ、清蘭様」
わたしの注意に被せてきたのは月瑤だった。声色にはなんの感情もない。怒りも、悲しみも。
「でも……!」
「何を言っても、もう無駄です。彼女たちは先刻、天璟様に許可を取って他の姫様付きになることが決定していますから」
「え……!? いつの間に……!?」
女官たちはわざわざ月瑤にのみ、知らせたのかもしれない。
それにしても昨日の今日だって言うのに行動が早すぎる。
賢妃の女官が全員辞めるなど、できるはずがない。身分差は絶対だ。
しかし、この国で最も地位の高い天璟様が許されるのなら、話は別となる──女官たちの気持ちとわたしが嫌がらせを受ける可能性を考慮してくださったのだろうか。
「……わかりました。今まで、ありがとうございました」
わたしは礼をするしかなかった。
女官たちも拱手してから去っていく。
広い応接室はわたしと月瑤二人きりになってしまった。
……いや、応接室どころではない。
後宮でわたしに与えられた広い宮殿で、二人ぼっちになったのだ。
「これからどうしましょう……」
「すみません、アタシのせいで」
つい漏れた不安を月瑤が拾って謝ってきた。
「ど、どうして……!? 月瑤は悪いことしていませんよ……!?」
「いや、辞めた理由の半分はアタシが嫌だったからですよ」
確かに彼女が女官内で良く思われていないことは周知の事実。それでも、姫であるわたしの命令ならみんな受け入れてくれると思った。
……浅はかでしたわね。
わたしは月瑤の両肩を掴む。
「月瑤、あなたは何も悪くありません。彼女たちが辞めた理由のもう半分を考えてみてください」
考える素振りをする月瑤。絶対に何も考えていない。わざとらしく腕を組んで見せられた。
わたしは改めて尋ねる。
「去って行った本当の理由は何だと思いますか?」
「もちろん、清蘭様が狂ってるからです」
言うじゃないか。
それだけ軽口が叩けるなら大丈夫そうだ。
「半分どころか、大部分でしょう。だからあなたが責任を感じる必要はありません」
「……はい、ありがとうございます」
強張ったままの表情が穏やかな笑みへと変わり、わたしは胸を撫で下ろした。
「ただ釣りがしたいだけなのに……」
「命、狙われてるんですから釣りどころじゃないんですよ、普通……」
言い終わると、わたしたちは目を合わせる。
無言の時間が少し流れて、ぷっと同時に吹き出した。
「本当に変なお人! どうしてそこまでして釣りがしたいんですか!?」
「どうしてと言われても……逆に皆さんはなぜ釣りのない人生で我慢できるんでしょう?」
「釣りに狂わされすぎだって、あはは」
和やかな笑い声は二人には広すぎる応接室に響き渡っていた。
そして、天璟様に海月宮へ移住する条件を突きつけられた、三日後。女官たちが去って、二日後。
わたしは月瑤に髪を梳かれていた。これからわたしの身の回りの世話もすべて月瑤の担当になった。
「本日の正午に劉帆様が推薦された武官と試合なんですけど、わかってます?」
「もちろん、わたしの大切な女官のお披露目ですもの」
「……唯一の女官になっちゃいましたけどね」
ため息をつきながら、月瑤が答える。
本来、女官一人だけが朝の準備を担当するわけがない。必ず複数人で着替えやらヘアセットやらを施してくれる。
しかし、今いるこの部屋──わたしの寝室には、ベッドと椅子、丸テーブルが置かれているだけで他の人間はいない。
「どうしてあんな無理な賭けに即答できるのですか」
「だって、わたしは月瑤の強さをこの目で見ましたから」
急に月瑤の手捌きが速くなる。編み込みを慣れた手つきで作っていくのが意外だったけれど、道場で下の子の面倒を見ていたのかもしれない。
面倒見、良さそうですもんね。
「アタシが勝てるかどうかもわからないのに……」
「月瑤……」
髪を結っている手は止めずに、月瑤はぽつぽつと胸の内を吐露する。
「そもそもせっかく皇帝様に気に入られているのに、寵愛を受けずに後宮を出て離宮に住みたいなんておかしいですよ。何のためにここにいるんですか。ご自身の子どもを皇太子様にしたいからじゃないんですか。きっと清蘭様の親族たちだって期待していたはずですよ」
つらつらとわたしのおかしさをまくし立てる月瑤を、わたしはただ聞いていた。思いのすべてを聞きたいと思ったから、相槌で邪魔もしたくなかった。
彼女が言っていることは正しい。転生前の記憶を取り戻す前のわたしならそう考えていた。
でも、わたしがおかしいのはわかりきっていたはず。
月瑤が本心を話してくれるまで、わたしは待っていた。
「だって、もし……」
常識的にどれだけおかしいか並べ立て終わり、月瑤が言葉を切る。
「もし負けたら、釣りができなくなるかもしれないんですよ……?」
実力とは正反対の弱々しい声。
髪を結われている途中なのも忘れて、わたしは振り向いて彼女を抱きしめた。
「清蘭様……?」
「月瑤」
名前を呼び、月瑤の背中を安心させるようにさすった。
ハゼ釣りで襲われたとき、彼女は暴漢を一瞬で叩きのめした。その動きを、わたしは目で追うことすらできなかった。
わたしは月瑤から体を離し、視線を合わせる。
月瑤の瞳は少し潤んでいた。
「自分が負けると本当に思っていらっしゃるのですか?」
ごくり、と月瑤が唾を飲み込む音がした。
「気を遣わないでください。女だから慎ましやかでいろとでも言われているのですか?」
目を逸らさずにわたしは続ける。
「何度でも言います。あなたは強い。わたしはあなたを信用しています」
月瑤はハッとした。噛み締めるように胸の前で手を重ね、深呼吸を繰り返す。
「それとも、わざと負ける気ですか?」
ニヤリと煽るように笑いかけると、月瑤も鼻で笑い返してきた。
「まさか。負けるつもりなんか、これっぽっちもありませんよ」
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