11 ハゼを食う
月明かりが後宮を照らす中、わたしは月瑤とともに、天璟様の執務室を訪れた。
座ることを許可されたので、ローソファに腰を下ろす。月瑤はわたしの側で立っている。ローテーブルを挟んで向かい側に天璟様が座り、その後ろにはやたら顔のいい家臣が一人控えている。
「報告を聞こう」
「はい」
わたしの代わりに、月瑤が口を開いた。
「毒のヒレを触ってしまった女官には、お湯で毒を弱め、大事には至りませんでした。まだ痛みが引かないので、しばらくは休養を取るようです」
わたしは憔悴しきった女官を思い出す。
厨がトラウマにならないといいけれど……。
「アイゴについてですが……」
月瑤はそこで言葉を切って、わたしを見る。その視線にうなずいて、わたしが続きを引き継いだ。
「あの魚は、何かの手違いで紛れ込んでしまったのではなく、誰かが故意に紛れ込ませたものだと思います」
「故意に? なぜだ?」
天璟様の眉が片方だけ吊り上がる。
「アイゴを釣ったら、海に戻すのが釣り人の常だからでございます。わざわざ手元に残して、ましてや流通させるなんてあり得ません」
「ならば、漁師の仕業か……!?」
「待ってください」
立ち上がろうとする天璟様を引き止める。
「今回の料理は四夫人の夕餉に出される予定でした。わたしが襲われた件も合わせて、何者かが四夫人を狙っているのは間違いないでしょう」
「では、やはり漁師が何者かに四夫人の暗殺を依頼されたのではないか?」
「しかし、魚に詳しい漁師がヒレに毒のあるアイゴを選ぶでしょうか? 暗殺目的なら、食べて毒が回る魚を選ぶはずです」
「確かに……」
「そこで、わたしは月瑤に頼んで、アイゴを仕入れた宦官を探してもらい、そこからアイゴを売った漁師を辿ってもらいました。意外と口が堅かったので、少々手荒に行ってもらいましたが」
わたしが月瑤を見ると、月瑤が口を開く。
「宦官の方から漁師のいる漁港が判明し、天璟様の命で外出許可を取って漁港へ向かいました。毒魚を金で後宮に納品した漁師がいました。口止めをされていましたが、“軽く”こづいたら、ペラペラと教えてくれましたよ。金を払った人物は、顔を隠していてよく見えなかったらしいです。毒魚ならなんでもいいと言われ、たまたま釣れたアイゴを宦官に渡した、と」
「つまり、買い手は魚の知識がなく、毒魚の毒が、魚の身以外にもあることを知らない者で、四夫人がいなくなると有利に働く者……」
わたしが結論を付け足すと、天璟様は目を見開いた。
「四夫人より下の位の姫たちか!?」
わたしはうなずく。
「おそらく。後宮の外出記録を調べれば、すぐにわかるかと」
「劉帆、調べてこい」
「御意」
天璟様の一声で、劉帆と呼ばれた、側に控えていた強ビジュアルの家臣が走る。
後宮では見たことがないけれど、彼も宦官なのかしら?
あんなに整った顔立ちでも、容赦なく取られてしまうのか、とわたしは彼に同情した。
「あいつは私の側近で、武官だ」
わたしの視線に気づいたのか、天璟様が教えてくれた。失礼な同情をしてしまい、わたしは心の中で劉帆様に謝罪した。
「……ご苦労だったな」
「いえ」
天璟様の労いにわたしは座ったまま拱手をする。
「今回の本題は別にございます。月瑤」
「はい」
月瑤に合図を送ると、一度退室してすぐ戻ってきた。手には皿に載ったハゼの素揚げ。しかも揚げたてである。香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。
う〜、これこれ!
「こちら、わたしが調理したハゼの素揚げでございます」
努めて冷静に天璟様に説明する。
「これが……」
天璟様はうっ、と小さくうめいた。綺麗なお顔が歪んでいる。そんなに嫌いなのか、とわたしは内心驚く。
「視界に入るのもお嫌ですか?」
何の気なしに尋ねると、天璟様はため息をついてからポツリと話し始めた。
「幼い頃、父上との食で魚の小骨が喉に詰まったんだ。痛くて苦しかったが、父は何も言ってくれなかった……」
大したことじゃないだろう? と天璟様は自嘲した。
嫌な記憶は人それぞれ。大したことかどうかはわたしが決めることではない。
「ご安心ください。ハゼは小さく、骨まで食べられますので」
ずっと手に持っていた月瑤が、ローテーブルにハゼの素揚げを置いてくれる。
「とはいえ、毒味が必要でしょうから、先にわたしが……」
「清蘭様」
よだれが垂れそうになるのを必死に抑え、真っ先に食べようとしたところを月瑤に諌められる。
くぅ、バレたか。
「……月瑤が毒味をしてくださるそうです……」
「そんな残念がらなくても……」
月瑤は箸を巧みに使って頭の部分を切り離し、塩を少々付けてから、パクりと食べた。
「〜〜〜〜っっ!!」
ほっぺたを右手で触り、驚きに目を見開く。頬は赤くなり、口角は上がりっぱなしだ。
美味しいでしょうね……! わたしが作りましたから……!
「ほろほろとした白身が、癖がなくてとても食べやすいです……! 塩だけなのに、それが素材の味を引き立てています」
月瑤の食レポを聞いて、ますますわたしの口内によだれが溜まっていく。
「魚料理はもともと好きでしたが、ハゼは初めて食べました。これ、美味しいですね」
興奮気味の月瑤に、わたしはうんうん、と大きくうなずく。
「そんなにか……」
さすがの天璟様も興味を持ってくれたみたいで、自然と箸に手が伸びる。箸を持ったまま、ぴたりと動きが止まったかと思えば、わたしを睨みつけて言う。
「これで美味しくなかったら、お前は後宮から追放だからな」
「それでいいですから、とにかく食べてください」
わたしに促され、不服そうにしながらもハゼの身を崩す天璟様。小さな小さな一口分に塩をつけてから、えいやっと口に入れる。
「……!?」
天璟様はゆっくりと咀嚼しながら、慎重に味わっている。
無言のまま、ごくんと嚥下するのを見届けて、わたしは感想をワクワクして待った。
「…………」
ソワソワと表情を窺う。右に左に揺れるわたしを見かねて、天璟様はつぶやいた。
「……美味い」
「そうでしょう!!」
どでかい同意をぶちかましながら、わたしは手を叩いた。
「ハゼはなかなか市場に出回りませんから、この美味しさは釣り人の特権なのです!」
「こんなに美味い魚は初めてだ」
天璟様は二口目に手が伸びたが、慌てて引っ込めた。
「約束を果たしてくださいますか?」
釣ってきた魚を美味しいと言わせたら、海月宮に移住させてもらう話だ。
「世の中は美味しい魚で溢れているんですよ……! わたしを海月宮に置いて下さったら、いつでも美味しい魚を持ってきます」
もちろん、釣れたらの話だが。
天璟様は腕を組んで、熟考し始めた。
きっといい返事をもらえるに違いない。念押しのためにメリットもアピールした。自信満々のわたしは、箸をとってハゼを頂く。
「ん〜〜! たまらない!」
「おい、皇帝が考えている前で食べ始めるな。まったく、お前は……」
天璟様がくっくっと笑う。
なんだか天璟様の笑顔がやけに拝見できる日だ。
ハゼの旨みでほっぺが落ちないように、左手で支えながら、そんなことを思った。
綺麗な顔なんだから、もっと笑えばいいのに。
天璟様はひとしきり笑い終わった後、「はーあ」と一息ついて、思い出したかのように表情を引き締めた。
「いいだろう、海月宮の移住を許可する」
「ありがとうございます!!」
ハゼを飲み込んでから、立ち上がって拱手する。
やった〜〜!
これで釣り三昧だ〜〜!
小躍りしたい気持ちを必死で抑えて、脳内で踊り狂う想像をするに留めた。ゆっくり腰を下ろす。
「釣れない日の食事はどうするんですか?」
ソファの後ろで控えていた月瑤にこそっと尋ねられた。
釣り人は釣れない日のことなんて考えないのだ。釣れるまで釣るしかないのだから。
「釣れない日は後宮から食材をせしめます」
「そんな盗人みたいな!」
「いいんです、わたしは賢妃ですよ!」
「こういうときだけ!」
はなから自給自足の生活は無理だ。無人島でサバイバルするわけじゃない。
わたしは適度に釣りをしながら、緩やかに暮らしたいだけなんだから。
「お前ら、本当に相性がいいみたいだな」
無表情のまま言う天璟様の声は、なんだか昼間に執務室で直談判したときよりもずっと柔らかく聞こえた。
「なぁ、清蘭」
「はい」
天璟様が座り直してわたしを見据えてくるので、わたしも姿勢を正した。
「私は、もっと、お前のことが知りたくなってしまった。海月宮に行ってしまったら、私はいつお前に会える?」
「そうですね……」
わたしは人差し指を頬に当て、上を向いて考える。
いつ会える、か……。
天璟様に出向いてもらうには、少々遠くて悪い気がするし、わたしが出向くのがいいだろう。
「魚が釣れたら、馳せ参じますわ。来なかったら、坊主だと思ってください」
「坊主?」
「一匹も釣れなかったということですわ」
わずかな間、笑いが流れる。
もちろん、風が強い日や雨の日に釣りはできないから天候も関わってくるが、まとめて坊主ということにしておこう。
穏やかな空気は、けたたましいノックによって裂かれた。
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