胡蝶の夢1
「お兄ちゃん、朝だよ~」
「ぐへぇ!」
腹部に衝撃を受けて、優太は目を覚ました。そして周囲を見て困惑する。
「これは、いったい……」
そこは昨日まで寝泊まりしていた王城の客室ではなかった。
知らない天井――ではない。見上げた天井も、そこにぶら下がっている蛍光灯も、周囲の家具も、今寝ている布団も、優太の腹の上に飛び乗った小学生くらいの少女も、すべて優太の記憶にあるもの。そして異世界にある筈のないものであった。
そこは日本の自宅、優太の自室だった。
「朝ご飯冷めちゃうよ~」
「……」
部屋を出て行く少女の後姿を見送りながら、優太は考え込んでいた。
最初に異変に気付いたのは、大介と王宮騎士団の面々、そして食堂のおばちゃんだった。
優太の生活は割と規則正しい。朝はだいたい同じくらいの時間に起きて、兵士達と一緒に食事を取る。その後王宮騎士団員と一緒に訓練をするのが王城での日課だった。
勇太や大介の立場ならば、自室に食事を運んでもらうことも、王族と一緒にワンランク上の料理を食べることも可能だ。しかし、優太も大介も、兵士と一緒にワイワイガヤガヤと食事を取る方を選んでいた。
「珍しいな、こんな時間になっても優太が起きてこないなんて。」
だが、皆が食事を終える頃になっても優太は現れなかった。これは珍しいことだった。
「昨日のパレードで疲れが出たのかな?」
大介は昨日のパレードで無茶苦茶疲れた。襲撃事件はともかく、ただ笑顔で手を振るだけで、精神的に疲弊した。優太も似たようなものだろう。
それに、破滅的カルトの襲撃に際しては、優太の独壇場だった。相手を殺さずに捕縛すること、使用された毒を処理して犠牲が出ないようにすることに関しては、大介の出る幕はなかった。
だから、この時はさすがに優太も疲れたのだろうということで皆納得した。
「優君、おはよう~」
家を出ると、セーラー服姿の近所のお姉さんがすれ違いざまに挨拶して行った。
優太の実家は、田舎と言うほどではないが大都市からは少し外れた場所にあった。住民同士も濃厚な付き合いがあるわけではないが、「出会ったら挨拶しよう」とか「隣近所にはひと声かけよう」と言った運動が盛んに行われていた。
優太が異世界に召喚されてから三ヵ月余り、だが優太にとってはそれ以上の懐かしさを感じていた。
記憶にある通りの街並みと人々、そして――
「……」
優太は懐かしさを感じながらも、考え込んでいた。
次に気付いたのはアルベルト王子であった。
城内における優太の行動は逐一アルベルト王子に報告が入る。何時起きて、どこで食事をして、どんな訓練を行ったか。全て記録に残した上でアルベルト王子にも報告される。
プライバシーも何もあったものではないが、勇者や聖女と言うのはそれだけ重要人物なのだ。何か問題があった時に迅速に対応できるようにと、日頃から集められる限りの情報を集めていた。
だがこの日はいつまで待っても優太が起きたという報告が入ってこなかった。優太が寝坊したとか、二度寝した場合でも、その報告自体は上がってくる筈なのにそれもなかった。
優太付きのメイドであるエリザベス嬢はとても生真面目で、この手の報告を怠ることはなかった。
不審に思ったアルベルト王子は、優太の寝泊まりする客室に向かうことにした。
「これは、いったい……」
静まり返った室内で、アルベルト王子の見たものは――
「先輩! おはようっす。」
優太が大学に行くと、後輩の女子が声をかけてきた。それに対して優太は――
「せっ、先輩? 一体何を?」
その後輩の頭をがっしりと鷲掴みにした。
「異世界ものの物語には、王道ともいえる展開がある。」
そして、困惑する後輩を無視して一方的に語りだす。
「一度途中で元の世界に戻り、そしてやり残したことを成し遂げるためにもう一度自分の意思で異世界に行くというものだ。」
「あのー、それがいったい……?」
後輩は、話の流れについて行けなかった。
「だが、元の世界に帰るという部分にも二種類ある。一つは本当に元の世界に戻ってくる場合。もうは一つは幻覚などで元の世界そっくりな世界に閉じ込められる場合だ。今回は後者になる。」
優太は淡々と、だが確信をもって言い放つ。
「ここは、俺の記憶から作られた夢の中の世界だ!」
優太は寝室で寝ていた。
そして、エリザベス嬢を筆頭とする優太専属のメイドたちも、使用人の控室で全員寝ていた。
一見するとただ寝ているだけのようだが、ゆすろうが頬を叩こうが何をしても起きる気配が無かった。
アルベルトと王子は、急いで医師と神官を呼び、調べさせた。
「体の方全く異常がありません。ただ寝ているだけの状態です。」
医師の見立てでは、優太もメイド達も健康体そのものであった。ただ普通に寝ている状態にしか見えなかった。
「微かですが、呪いの痕跡があります。目を覚まさないのはそのためだと思われます。」
一方、神官は呪いの痕跡を発見した。しかし、アルベルト王子は首をひねる。
「優太に呪いが通じるのか?」
聖女の力をもってすれば、並大抵の呪いは即座に解除されてしまう。たとえ優太が寝ていたとしても、聖女の衣が大概の呪いを弾き飛ばしてしまうだろう。
「呪いの筈なのですが、害意がまるで感じられないのです。そのため聖女様の無意識の防御を潜り抜けたのではないでしょうか。」
呪いとその他の魔法的な現象を区別することは意外と難しい。ただ、呪いには強い悪意や敵意が込められているために、普通の魔法よりも作用がしつこいと考えられていた。
優太にかけられた呪いは、呪いの特徴である害意を全くもたないという意味不明のものらしい。
「つまり、聖女様専用に調整された呪いと言うわけか、厄介な。」
優太を直接狙った破滅的カルトの攻撃と考えられた。メイド達はその巻き添えを食らったのだろう。
「それで、解呪はできそうか?」
「難しいです。強引に解呪しようとすると、精神に障害が残る危険があります。聖女様が自ら気付いて解呪していただければよいのですが……」
「そうか……、慎重に解呪してみてくれ。」
この話を書きたくて、この章を起こしました。
一度元の世界に戻って来るというのは定番だと思います。
まあ、本当に戻ったわけではありませんが。




