二日目
長い夜が漸く明けた。
『死者の谷』のアンデッドは昼間でも活動する。だから、夜が明けても戦いは終わらない。
それでも、アンデッドである以上、その活動が活発になるのは夜間だ。日が昇れば襲撃の頻度も目に見えて減った。それに、明るくなればアンデッドの接近をいち早く発見することができる。篝火の光の届かない所から不意に現れるアンデッドに神経を尖らせていた兵士たちにとっては、それだけでだいぶ気が楽になった。
兵士の疲労は激しいが、一人の死者も出さず、戦闘不能になるほどの怪我人もなく一晩耐え抜いたのだ。上出来と言えよう。
良い材料は他にもある。
「着任早々悪いが、既に戦いは始まっている。指定の分隊に速やかに合流してくれ。」
ニール隊長は兵士達を送り出すと、地図上に記入した数値を書き直した。
昨夜から何度かに分けて増援が到着していた。『大結界』の消滅には間に合わなかったが、世界の危機に、夜道の危険を顧みず駆けつけてくれたのだ。感謝の念しかない。
一度にやって来るのは少人数だったが、既に兵士が二十名、神官が五名増員されている。僅かばかりだが、物資の補充も行われた。
ニール隊長は到着した兵士と神官を即座に各分隊へと配置していった。どこの戦場も似たような状況なので、人数が均等になるように配分するだけだった。
兵士の中に土魔法の使い手がいたので、第五分隊も四名増員した。
まだまだ厳しいが、今のところ状況は悪くはなかった。
しかし、ニール隊長の顔は険しい。
「司令部要員がちっとも増えねぇ……」
作戦を指揮する司令部には、一兵卒ではなく士官が必要だ。多少の教育は受けているとはいえ、本来ならニール隊長でも荷が重い。
ニール隊長は昨夜から一睡もしていなかった。
ニール隊長自身の心労は置いておくとしても、ニール隊長は事態を楽観していなかった。
確かに各分隊の兵士は増員された。二班から三班に増えれば、休息も仮眠を取れるだけの余裕が出るだろう。今日の昼間は戦えるだろう。だが夜は?
ニール隊長は昨夜の戦いは幸運だったと考えていた。どこの戦場でも、一つ間違えば危ない状況はあったのだ。一ヵ所でも戦線が崩壊すれば、立て直す余裕はなかった。
今日は兵士も増員されて、人的には多少の余裕が出た。しかし、昼からの連戦で昨夜よりも疲労が溜まった状態で戦わなければならない。いつ致命的なミスをするか分からなかった。
「人手が足りん、時間が足りん、物資が足りん、準備が足りん。クソ―、どこのどいつだ、ヘマしやがったのは! 見つけたら吊るしてやる。」
未来は変わる、とは言っても女神の神託は信頼度が高い。神託の内容が変わる場合は人間側の行動がかかわっていると考えられていた。ここまで状況が悪くなったのだから、何らかの大失敗をやらかした者がいるに違いない。
この地に来ている者はほとんどがニール隊長と同じように思っているだろう。
「問題は、現状維持で手いっぱいで、状況を改善する次の一手がまるで打てないことだ。」
そして、夜になればさらに他のことをする余裕がなくなる。
「今のうちに、できることをしておくか。」
ニール隊長は第五分隊に指示を出した。
ニール隊長が考えたのは、谷の北側の放棄だった。
北東と北西の出口を塞ぎ、第一分隊と第二分隊を南側の分隊に合流させれば、二倍の兵力でアンデッドを迎撃できる。
しかし、この場合アンデッドが北側の土壁を破壊して出てきてしまう恐れがある。
幸い、『死者の谷』は南側に開けており、北側には谷の外へ出る道が少ない。
そこで、北側の谷の主要な出口を塞ぎ、また北側から出てきたアンデッドが南側に回って来た際に一ヵ所にまとめるために簡易結界の西側と東側にも土壁を設置する。こうして谷の北側全体にアンデッドを封じ込める作戦だ。
ニール隊長としても、できればこの手段は避けたかった。谷の北側に封じ込めると言っても、完全ではない。どこからか抜け出す危険性はあった。
あくまで、これ以上持ちこたえられないと判断した場合の次善策である。しかし、今から準備しなければいざという時に間に合わないのだ。
増援の到着具合や各部隊の疲弊具合を見て、夕方には判断するつもりであった。
こうして、二日目の日中は順調に進む、かに思えた。
「ん?」
ニール隊長がふと違和感を覚えたのは、午後に入り、日が傾き始めた頃だった。
気になったニール隊長は違和感を覚えた辺り、正面に広がる土壁を凝視した。臨時司令部は屋根だけのテントの下にテーブルを持ち込んだだけの簡易なものだ。南側の土壁は良く見えた。
「何か、動いている?」
その意味するところに気付き、ニール隊長は顔面を蒼白にする。そして慌てて剣と臨時司令部に置かれていた幾つかの物資を手に取り、駆け出した。第五分隊が出払っている今、ニール隊長自身が動くしかなかった。
アンデッドがどのようにして襲う対象の人間を感知しているか、不明な部分がある。ゾンビやスケルトンは視力はあまりよくないらしい。音や呼気に含まれる臭いに反応するとか、生気を感知するという説もある。
いずれにしても、ニール隊長や臨時司令部に出入りする人間の存在を察知されたらしい。臨時司令部の真正面、南側の土壁の中央に穴が開けられた。
即席で作られた土壁だ、アンデッドの集まる出口となる両端以外はたいした強度は持たせていない。開けられた穴は見る間に大きくなり、人が出入りできるほどになった。その向こうから、アンデッド達が出て来る。
「チッ、遅かったか!」
ニール隊長は、苦々しく舌打ちをし、信号弾を打ち上げた。色は赤、アンデッドに突破されたことを示す非常信号だ。
そして剣を抜くと、土壁から出てきたアンデッドに斬りかかる。この位置からアンデッドが溢れ出すのはまずかった。次の対策どころか、今戦っている兵士たちの逃げ場も失われかねなかった。急いで穴をふさぐ必要があった。
ニール隊長も一兵卒からの叩き上げだ。強化されているとはいえアンデッドの一体や二体に後れを取ることはない。しかし、土壁に開いたた穴からは、次々にアンデッドが出て来る。
「くっ、このままじゃ、まずい。」
アンデッドを倒す速度よりもアンデッドが出て来る速度の方が速かった。このままでは穴を塞ぐどころかニール隊長の命が危ない。
「隊長、ご無事ですか!」
その時、東側から兵士が六名、応援に駆け付けた。第三分隊から五名、作業中の第五分隊から一名の兵士だった。さらに、
「『ターンアンデッド』!」
西側からも応援が駆け付けた。こちらは兵士五名に神官が一名だ。どこもそれほど余裕があるわけではないのに、非常信号を見てそれぞれ一班分送り出してくれたのだ。
味方が増えたことで余裕のできたニール隊長は、目の前のアンデッドを倒すと残りは他の兵士に任せ、土壁へ向かった。そして、用意したマジックアイテムを起動する。
「『アースウォール』!」
地面が盛り上がり、狙い通り土壁の穴を塞ぐ形で壁ができた。向こう側からアンデッドが壁を叩く音がするが、壁はびくともしない。敵の攻撃を受け止めるための魔法をマジックアイテム化したものだ。そう簡単には破られない。
これで一安心、と思ったのもつかの間、たった今作ったばかりの壁の左隣の土壁が崩れた。先ほどまで穴から出て来るアンデッドがぶつかったりして脆くなっていたのだ。
再び大きな穴が開いて、アンデッドがこちらに出てきた。
「しまった!」
ここでニール隊長は自分の失策に気付いた。一旦下がって周囲を確認する。既に乱戦になっていて、今すぐ動けるのは一番後ろの神官だけだった。
「司令部にロープと予備の結界具が置いてある!」
「分かりました!」
ニール隊長の短い言葉に、それでも状況を理解した神官が走り出す。
昨夜からの増員と共に、追加の物資として結界具も届いていた。土壁の外側には『浄化柱』が立っている。そこに簡易結界を張ればそこでアンデッドを食い止めることができ、対処し易くなる。
土壁の穴を塞ぐことに気を取られて、結界具を持ち出すことを忘れていた、ニール隊長痛恨のミスであった。
しかし、後悔している暇はない。今はせめて『浄化柱』の内側までアンデッド達を押し戻さなければ簡易結界を張ることも難しくなる。
現在応援にきた二班に工兵とニール隊長を含めた十二名で戦っているが、なかなかアンデッドが減らない。それ以上の数のアンデッドが土壁を越えて出てきてしまっているからだ。
これまで各分隊が大量のアンデッド相手に持ち堪えてきたのは、狭い出口で待ち構えて一体ずつ処理してきたからである。一度其処を突破され、多くのアンデッドを同時に対処する破目になった場合、どれほど困難になるか。それを今、ニール隊長達は体験していた。
そして事態はさらに悪化する。土壁に開いた穴がさらに広がった。この辺りの土壁は薄いから、一度穴が開くと脆かった。アンデッドが通るたびに少しずつ崩れて行った。
穴が広がった分、アンデッドの出て来る速度が上がった。兵士たちが集まっていることを感知したのか、アンデッドが途切れる気配がない。
もはやこれまで。その場にいた兵士たちは半ば観念した。
「全員集まれ! 円陣を組む!」
ニール隊長の号令の下、ちょうど戻ってきた神官を中に入れて、兵士達は円形に陣を組んだ。全方位から襲って来るアンデッドに対応する構えだ。
指揮官には絶望することも許されない。ニール隊長は一旦生存を優先した戦いに切り替えることにした。
まだ日は高い。出て来るアンデッドが途切れればまだチャンスはある。次々とアンデッドが出て来る土壁の穴を睨みながら、ニール隊長達は必死に戦い続けた。
だが、出て来るアンデッドはなかなか途切れない。ニール隊長達は既に二十体を超えるアンデッドに取り囲まれていた。そしてまた土壁が崩れ、穴が大きくなった。
これ以上はまずい。ニール隊長もさすがに焦り始めた。
その時であった。
「『ターンアンデッド』!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。今まで戦っていたアンデッドが突然塵となって消滅したのだ。見える範囲、土壁のこちら側に出ていたアンデッドは全ていなくなった。
神官の神聖魔法でも一度では倒せない、そんな強化されたアンデッドを一撃で、しかも三十体以上まとめて消滅させる。そんな存在は他には知らなかった。
「聖女様……え?」
ニール隊長は振り返り、見た。
そこにいたのは、間違いなく聖女だった。我らが聖女、優太である。
ニール隊長は固まった。
さすがは優太、初見殺しの石化能力である。
ニール隊長はこの点でも不運だった。本来ならば現地指揮官には事前に通達がある筈だった。今度の聖女は男です、と。余裕があれば、別の場所で顔合わせしてから現地入りすることも考えられていた。
しかし、危機の到来が早まったことで、ニール隊長は完全に不意打ちで優太と出会うことになってしまったのだ。
「『エリアヒール』!」
続けて優太はその場にいた兵士たちをまとめて回復した。怪我だけでなく体力まで回復する、優太特製の回復魔法だ。
そこでニール隊長がはっとなった。ここは戦場、呆けている場合ではない。
「今のうちに土壁を修復する! まずは簡易結界を……」
「いや、それには及ばない。」
そこに割って入ったのは、ユージン騎士団長だった。優太に引き続き、王宮騎士団が到着した。
王宮騎士団はエルソルディア王国の軍組織の中でもエリート中のエリート。この時点でこの場の指揮権は、ニール隊長からユージン騎士団長に移った。
「この場は我々が引き受けます。ユウタ殿はそのまま行ってください。」
「分かった!」
ユージン騎士団長の言葉を受けて、優太は動き出した。背負っていた大きな籠を下すと、その中からロープを取り出し、土壁の方へ走り出した。
土壁の穴から顔を出すアンデッドには目もくれず、『浄化柱』の一本にロープの一端を結び付ける。そしてロープを引っ張りながら西へ、土壁の穴の前を通り、走って行った。
土壁の穴から出てきたアンデッドが、優太の張ったロープの位置で見えない壁でもあるかのようにピタリと進行を止めた。
「これは簡易結界、結界具も無しに!」
神官が頑張れば、結界具が無くても簡易結界を張ることはできる。だがその場合、範囲や持続時間が限られるし、何より結界が機能するまでに時間がかかる。神官がいたにもかかわらず結界具を取ってこさせたのはこれが理由だ。
走りながら結界を張ってしまう優太は、それが可能な聖女の力はかなり規格外なのだ。
走り去った優太を見送った王宮騎士団員は武器を手にアンデッドに備える。簡易結界の右手、東側にはまだ隙間があるのだ。
その間に、ユージン騎士団長がニール隊長から詳細な状況を聞き出す。これからはユージン騎士団長が指揮を執るのだ。引継ぎは必要だった。
それから三十分ほどして優太が戻って来た。東側から。優太は『大結界』の周囲を一周してきたのだ。
そして、最初にロープを結んだ『浄化柱』に、引っぱってきたロープを巻き付けた。
「これで良し。途中に張ってあった簡易結界にも魔力を充填しておいたし、これで二、三日は持つだろう。」
今までの苦労が何だったのかと思うほどあっさりとアンデッドを封じ込めてしまった。これが聖女の力である。
ようやく主人公登場。
相手は雑魚アンデッドばかりなので、優太が出て来ると一瞬で終わります。




