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勇者が十二人ならクソスキルはバレない〜そして、オレは追放された〜  作者: 綿木絹
第三章 十一人の勇者たちとたった一人の勇者

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第76話 勇者たちは見事にヴァルシアを解放しました

 冷たい石の床を想像していた。

 錆びついた鉄格子を想像していた。

 湿った不気味な壁と、腐りかけた藁を想像していた。


 なのに、用意された椅子は拍子抜けするほどに柔らかかった。


 クッションが贅沢に厚く、背もたれに体を預けると、全身がわずかに沈み込む。

 過酷な山道を長時間歩き続けた足が、主の意志に反して正直に安堵しようとした。

 アタシはそれを、意地だけで強引に無視した。


 大きな木製のテーブルの上には、豪奢な食事が並べられていた。

 並ぶ皿の数が多かった。

 真っ白な清潔なクロスが敷かれていた。

 金色の燭台に厳かに火が灯っている。

 香ばしい肉の匂いがした。

 焼き立ての、ちゃんとした本物の肉の匂いが、部屋いっぱいに広がっていた。


 蹴鞠が、正面の席に座ったまま彫像のように微動だにしなかった。

 凛が、目の前の皿をじっと見つめ、それからアタシを見た。

 誠司が、椅子の硬さを確かめるように、僅かに身を乗り出して座り直した。


「……なんで」


 誠司が、低い声で呟いた。誰に言うでもなく。


「なんでこんな、丁重な扱いなんだ」

「わからないわ」


 アタシは、冷徹な声を意識して言った。


「でも、絶対に手はつけないで」

「毒か?」

「可能性は否定できない。それよりスキルのことは──」


 アタシは視線だけを鋭く走らせ、部屋の中を見回した。

 高い位置に窓がある。

 鉄格子はない。

 扉に鍵がかけられているかどうかは、まだ確かめていない。

 ただ、見張りが廊下にいることは、この部屋に入れられるときに確認した。

 二人、重装の鎧を着て、完璧に武装している。


 ここから逃げられるか。

 今すぐは、絶対に無理だ。

 でも、奏がまだ外で動いている。

 確実に動いているはずだ。

 それまでは──


 不意に、隣の部屋から声が聞こえてきた。

 分厚い壁を隔てているため、ひどくくぐもってはいた。しかし、確かに聞こえた。


「聞いていない!」


 あの不遜な領主、ロベールの声だった。

 四人の視線が、同時に一方向の壁へと向けられた。


「話が違う! わたしはそういう約束で……!」


 それに、別の声が続いた。

 あのヴァルラだった。

 壁越しであっても、あの得体の知れないゆったりとした独特のトーンははっきりと判別できた。

 何を言っているかまでは細かく聞き取れない。

 低く、穏やかで、それゆえに底が全く見えなかった。


 ロベールが、再び声を荒らげる。


「時間をかけるなど──即金でなければ意味が──!」


 また、ヴァルラの声が響く。

 今度は少しだけ長かった。

 直後、ロベールが完全に黙り込んだ。

 重苦しい沈黙が、壁を隔ててこちら側へと生々しく伝わってくる。


 それから、忌々しげな激しい舌打ちのような音が響いた。

 椅子を乱暴に引く音。苛立った足音。それらが徐々に遠ざかっていく。

 最後に、重い扉が乱暴に閉まる音が聞こえた。


 誠司が、眉をひそめて「今の……」と口を開く。


「聞こえてたわ」


 アタシは、頭の中で状況を整理しながら言った。


「ロベールが、何か向こうと揉めていた」

「揉めていた、というより──完全に押し切られていましたわね」


 蹴鞠が、ようやく重い口を開いた。


「選帝侯側が、ロベールの持ち込んできた提案を無理やり修正した、ということかしらね」

「そう思うわ」

「ロベールは目先の手柄と即金が欲しい。でも、選帝侯側はそれほど急いでいない」

「ええ」


 蹴鞠は、テーブルの上で細い指を静かに組んだ。


「……わたくしたちを、こうして不自然なほど丁重に扱う理由が、そこにあるということですわね」

「そういうことね」


 言葉にして整理すると、敵の意図がより鮮明に浮かび上がってきた。

 この温かい食事も、この柔らかい椅子も、この快適な部屋も


 ──全てはアタシたちに対する値踏みの一部だ。


 壊すつもりのない商品、利用価値のある手駒だからこそ、丁重に扱う。

 ただそれだけのことなのだ。


「気持ち悪いですわね」


 蹴鞠が、不快感を隠さずに吐き捨てた。


「同感よ」


 アタシも短く同意する。

 隣で、凛が再びじっと皿を見つめた。


「……食べていい?」


 三人の視線が、一斉に凛へと集まった。


「腹が減っては戦えない、と思って」

「それは、一理あるな」


 誠司が、苦笑を漏らしながら言った。

 アタシは一秒だけ、冷徹に思考を巡らせた。


「……アタシたちに毒を盛って殺すつもりなら、今ここでのこの扱いと完全に矛盾するわ。食べて」

「了解だ」


 誠司が、視線で応じる。

 蹴鞠が「はしたないですわ」と小さく窘めたが、自分自身も優雅な所作で皿へと手を伸ばしていた。


 アタシは食事を口に運びながら、頭の中を猛烈な勢いで整理し続けた。


 選帝侯が欲しているのは、アタシたちがその身に宿した固有の理──スキルだ。


 アタシたちの持つ異能の価値を、自分たちの目でじっくりと確かめたい。

 だから急がない。だからこそ、こうして傷をつけずに丁重に扱うのだ。


 いずれ、必ず尋問が来る。

 その時、一体どう答えるべきか。

 全ての情報を正直に話す必要はない。

 でも、下手に嘘をつきすぎると、どこかで必ず致命的な綻びが出る。

 何を話し、何を徹底的に隠し通すか──。


「栞」


 不意に、正面から蹴鞠の声が掛けられた。


「考えるのは、少し食べてからにしなさいな」


 アタシは、驚いて蹴鞠を見た。


「顔に出ていますわよ」

「……そう」

「ええ。今この瞬間、あなたにできることは限られています。ならば、まずは目の前のできることをしなさい」


 蹴鞠はそう言って、美しく肉を口に運んだ。

 その所作は完璧に綺麗だった。

 どれほど絶望的な状況に陥ろうとも、彼女の誇りと所作だけは決して崩れない。

 アタシは小さく息を吐き、スプーンを持った。


 運んだスープは、ひどく温かかった。

 それが、なんだか無性に腹立たしかった。


 食事を完全に終えた頃、タイミングを見計らったかのように扉が静かにノックされた。

 部屋に入ってきたのは、ヴァルラだった。

 一人。あの黒髪のヴコルの姿はなかった。

 トロルも、当然引き連れてはいない。

 ただ、ヴァルラ一人がゆったりと入ってきて、椅子を静かに引き、アタシたちの向かいへと腰掛けた。


「ごゆっくりできているかしらぁ」


 四人のうち、誰もその問いには答えなかった。

 ヴァルラは全く気にする風もなかった。


「では、少しだけお話しましょうか」


 青灰色の瞳が、四人の顔を順番に眺めた。

 少しも急いでいなかった。

 その底知れぬ余裕が、一番怖かった。


 内容は予想できたことだった。

 選帝侯と呼ばれる七人の家の何処かへ分けられるというものだった。


「そこでゆっくりされてくださいねぇ。勿論、快適かどうかは、家次第ですけどぉ」


 ヴァルラは話し終えると、ゆっくりと立ち上がった。

 それだけで、話はすべて終わった。

 ということが、明確に伝わってくる立ち上がり方だった。


 こちらが有益な回答を何も返していなくとも、彼女には関係がないようだった。


 今のところは、ただ生存を確認できればそれでよかったらしい。


「では」


 扉に向かって歩きながら、ふいに彼女が振り返った。


「今日も、ゆっくりお休みになってぇ」


 相変わらずの、地を這うようなゆったりとした声だった。

 そして、ドアノブに細い手をかけたまま、思い出したように言葉を付け加えた。


「未来の親戚、かもしれませんものぉ」


 部屋の中の空気が、完全に静止した。

 ヴァルラは、その凍りついた静止の瞬間を心底楽しむように、あえて一呼吸置いた。

 それから、満足げに部屋を出ていく。


 重い扉が、静かに閉まった。

 誰も、しばらくの間は一言も発することができなかった。


 最初に沈黙を破ったのは、誠司だった。


「……親戚、だと」

「聞こえてたわ」


 アタシは、冷たい声を絞り出した。


「政略結婚──婚姻を視野に入れている、ってこと」

「そういうことですわね」


 誠司が、信じられないというように額に手を当てた。

 蹴鞠は表情を一切変えなかった。

 変えなかったが、組んでいた彼女の指先が、テーブルの上で微かに強張ったのをアタシは見逃さなかった。


 凛が、無機質な声で言った。


「逃げるしかない」

「ええ」


 アタシは、強く頷いた。


「でも、今じゃないわ」

「なぜ」

「奏が外で動いている。確実にタイミングを合わせないと、全ての行動が無駄になるわ」


 凛は、黙り込んだ。

 納得したのか、それとも不満なのか、彼女の無表情な顔からは読み取れなかった。


 アタシは、小さな窓の外を見た。

 急速に日が傾いていく。

 東の空が、微かに赤く染まっていた。


 西側とは、全く違う色だ、とアタシは思った。

 同じ夕暮れのはずなのに、険しい山を一つ越えただけで、空の色まで完全に変わってしまうのだ。



 カルネへの帰り道は、来た時よりもずっと賑やかだった。


 賑やかだったというのは正確ではない。

 むしろ、静かな興奮とでも言うべき空気が一行を包んでいた。

 アルンでの出来事が、まだ誰の頭にも鮮明に残っていた。


 街道を歩いていると、向こうから村人が一人、小走りで近づいてくるのが見えた。

 カルネの村人だった。

 畑仕事の途中らしく、土のついた手をぶんぶんと振りながら、息を切らして叫んでいる。


「セルノ様! セルノ様!」

「どうしました」


 セルノが足を止めた。

 村人は、嬉しそうな顔で言った。


「ブレナン様が、戻ってこられるそうです! アウレリウス様と一緒に! 教会から知らせが来て、もうすぐだって!」


 一秒間。

 セルノの顔から、表情が消えた。


「……そうですか」


 彼は短く答えた。

 村人は気づいていないようだった。

 嬉しそうな顔のまま「よかったですよね!」と言い残し、また小走りで去っていく。


 オレは、セルノの横顔を見た。

 生真面目な青年は、前を向いたまま、ひどく静かに立ち尽くしていた。


「……セルノ?」

「少し、考えさせてください」


 歩き始めながら、セルノは低く言った。

 エヴァンとシオンが、顔を見合わせる。

 リーフが、大斧を担いだまま黙って歩く。

 ヴォルフが、腕を組みながら鋭く周囲を見渡していた。


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 オレは空を見上げた。

 夕暮れが近い。

 オレンジ色の光が、木々の間から長く伸びている。


 思ったよりも、遅くなってしまった。


 やがて、セルノが口を開いた。


「アルンで勇者の姿を見せよと、教会本部は私に命じました」


 独り言のような、静かな声だった。


「その命令の裏で」


 セルノは、ゆっくりと続ける。


「教会はすでに、ブレナン司祭の帰還を段取りしていた」


 エヴァンが「つまり」と慎重に問い返した。


「本来の司祭が戻ってくる。偽りの司祭である私が、カルネを明け渡す段取りが、もうできていたということです」


 重い沈黙が落ちた。

 セルノは止まらない。


「教会本部から見れば、私はカルネの村を守る繋ぎ役に過ぎなかった。アルンへの命令は、駆さんとの接点を持たせるための、あるいは私に現状を認識させるための、あるいはその両方のための、手際の良いやり方でした」

「つまり、セルノを引っ張り出すための名目だったってことか」


 ヴォルフが、鼻を鳴らしながら言った。


「そういうことです」


 セルノは短く認めた。

 それから、一度だけ深く息を吐く。


「だから、考えなければなりません」


 一行は歩きながら、セルノの言葉を待った。


「このままでは駆さんとヴォルフは処刑されます」


 沈黙が落ちた。

 そして、腑に落ちた。


 エルタがそうだったように、カルネも変わる。


「それに。ブレナン司祭が戻られるとはいえ、あの村には今、多くの人間が集まっている。すぐに全てを任せるわけにはいかない」


 エヴァンが「それは」と言いかけて、止まった。

 シオンが、静かに目を伏せた。


「エヴァンとシオン、あなたたちはカルネに残ってください」


 セルノが言った。

 優しく、しかし明確に。


「く……。なんで今更帰って来るんだよ……」

「カペーを鬱陶しく思ったのかも」


 エヴァンが、複雑な顔をした。

 シオンが「分かってる」と短く言った。


「カルネを守れるのは、あなたたちだけです。駆さんが戻ってくる場所を、守ってほしいのです」


 エヴァンは、しばらく黙り込んだ。

 それから、頭をガシガシと掻いた。


「……わかった。俺たちがやるべきことは、そっちだな」

「カペー。必ず、戻れ。こっちは任せろ」


 シオンは見たことがないくらい、険しい顔だった。

 その目が、少しだけ赤くなっていた気がした。


 だから、オレは何も言えなくなった。


 その時だった。


「私が、間に入ります」


 フィオナが、静かに前に出た。

 金色の髪が夕暮れの光を受けて、柔らかく輝いている。


「イルマ様の後ろ盾があれば、ブレナン司祭もアウレリウス司祭も、無碍にはできないはずです。私がカルネに残り、二人の間に入ります」


 セルノが、フィオナを見た。

 何か言いかけて、止まった。


「……頼めますか」

「勿論です」


 フィオナは、迷いなく言い切った。

 それから、オレを真っ直ぐに見た。


「駆様はヴェルナへ。イルマ様なら保護してくださると思います」


 オレは、金色の髪の修道女と目を合わせた。

 何か言おうとして、上手い言葉が見つからなかった。


「……わかった」


 結局、それだけだった。


 一行はまた歩き出した。

 誰も、余計なことを言わなかった。

 夕暮れの光が、どんどん赤みを増していく。


 その時、後ろの方から低く静かな声がした。


「リーフは」


 全員が振り返った。

 大斧を担いだ小柄な少女が、立ち止まっていた。

 薄い色の目が、真っ直ぐにオレを見つめている。


「リーフはアルンの人間。あの教会に属していない」


 短い言葉だった。

 でも、その意味は全員に伝わった。


「それに」


 リーフは、続けた。


「ロベールが、生きていたなら」


 誰も、何も言わなかった。

 言えなかった。


 リーフは、無言のまま歩き出した。

 オレの隣に並んで、前を向いた。

 大斧を担ぎ直す動作だけが、静かに夕暮れの空気の中に響いた。


「……そういうことか」


 ヴォルフが、短く言った。


「どういうことだよ」

「あの勇者らはレムスに行くって言ってたろ?」

「そういえば、そんなことを言ってた……」


 そこでオレも、流石のオレも気が付いた。


「つまりそれって」


 ヴォルフが頷く。捨て駒という意味を漸く理解した。


「勇者によって、ヴァルシア王国が解放される……」


 オレは、得体の知れない気持ち悪さを感じながら、ヴェルナへの道を急いだ。


 カルネへの道が、夕暮れと共に沈んでいく、そんな気がした。

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