第77話 勝負服をもう一度
道中はあまり覚えていない。
ぞろぞろとやってくる僧兵の目から逃げることばかりを考えていた。
ブレナンはレンとカルネ周辺、アウレリウスはカッセ周辺。
足の踏み場がないとはこのことだった。
「リーフ、大丈夫か?」
「リーフは大丈夫。駆こそ大丈夫ですか?」
「大丈夫、とは言いにくいな。足の踏み場も」
そこに偵察してきたヴォルフが戻ってきた。
「おい。大丈夫か、二人とも」
「リーフは大丈夫。駆がだいじょばない」
「いや。オレは大丈夫だって、ただ」
「駆の足の踏み場が酷い」
リーフの小さな手がオレの足に触れた。
オレも自分の足を見て、軽く目を剥いた。
「どんな足してんだよ。ほぼ、裸足じゃねぇか」
「どんなって逃げ足だ。だから、靴が直ぐにボロボロになるんだよ」
オレの靴は、すでに靴の体を成していなかった。
やはり、こっちへ来た時の装備が専用装備だったのだ。
カルネを出た頃は、ちゃんと新しい革の靴だったのに、もうボロボロ。
玲と剛との追いかけっこ辺りから、色々怪しかった。
「これじゃ、まともに走れねぇぞ」
ヴォルフが舌打ちをした。
「分かってる」
オレだって分かっている。
木立の向こうから、僧兵たちの足音と鎧の鳴る音が刻一刻と近づいてきていた。
完全に包囲されつつある。
「……仕方ねぇな」
ヴォルフが短く息を吐いた。
そして、森の隙間から街道を窺う。
少し先に、僧兵の騎馬隊が陣取っているのが見えた。
ヴォルフが指を鳴らした。
低く、獣のような口笛が鳴った。
野獣使いのスキルだ。
瞬間、街道の方から悲鳴のような嘶きが上がった。
「なっ、馬が!」
僧兵たちの怒号が響いた。
三頭の軍馬が、突如として狂乱した。
騎乗していた僧兵を容赦なく振り落とし、手綱を握る者を蹴散らして、一直線に森の中へ突っ込んでくる。
土煙を上げ、木々を縫うように走ってきた三頭は、ヴォルフの前でピタリと止まった。
大人しく、すり寄るように首を垂れる。
オレは唖然とした。
「お前……それ、絶対に見つかるだろ!」
馬を奪われた僧兵たちが、血眼になってこっちを探し始めている。
騒ぎは一気に大きくなった。
「馬鹿か」
ヴォルフが吐き捨てた。
「ここにいたって、どうせすぐ見つかる。同じことだ」
確かにそうだ。足の裏が潰れたオレを抱えて逃げ切れる状況じゃない。
「乗れ。さっさとズラかるぞ」
ヴォルフが素早く一頭に跨った。
オレも馬の横に立った。
立ったはいいが、どうすればいいのか分からなかった。
「……オレ、馬に乗ったことないんだけど」
「はあ!?」
ヴォルフが本気で呆れた声を出した。
「どうやって乗るつもりだ。腹這いか?」
「駆、後ろに」
横から声がした。
見ると、リーフがすでに自分の身の丈ほどある大斧を背負ったまま、馬の背にひょいと跨っていた。
身軽だった。妖精のように自然に手綱を握っている。
「リーフ、乗れるのか?」
「リーフはなんでもできる。駆、早く」
オレはためらっている暇はなかった。
僧兵の足音が、すぐそこまで迫っていた。
「そこだ! 森の中にいるぞ!」
オレは必死にリーフの後ろによじ登った。
小さな背中越しに腕を回し、しがみつく。
「振り落とされるなよ!」
ヴォルフが叫んだ。
「ヴェルナまで、一気に抜けるぞ!」
三頭の馬が、同時に地面を蹴った。
オレはリーフの小さな体に必死にしがみつきながら、目を閉じた。
風が頬を強く叩いた。
背後で僧兵たちの怒声が遠ざかっていく。
ボロボロになった靴のことは、今はもうどうでもよかった。
「っていうか。リーフって」
「駆。舌を噛むから、しっかり掴まって」
父親がいたんじゃなかったっけ。
まぁ、でも。
母親の仇討ちだ。
そのロベールって奴のせいで、栞たちも捕まったんだし。
非常に分かりやすい。
そして、この状況も非常に分かりやすい。
「行き先、絶対にバレてるって!」
イルマのいる港町ヴェルナを目指すしかない。
だけど、そっちもヴァルシア王国の開放により、司祭か司教かがやってくる。
馬泥棒はこの世界だと、何罪になるのか。
簒奪者より下だとは思うけれど、十億年は考えたい。
「駆、考えんな。……行けば分かる。なんとかなるんだよ」
◇
ヴォルフが指を鳴らした。
低く、獣のような口笛が鳴った。
馬たちは反応して、元来た道をのらりくらりと帰っていった。
「これで多少は時間が稼げるだろ」
「多少かよ。返したってことにならないのか」
「流石にバレてます。帝国人と駆。リーフはバレてないけど」
それはそう。
時間稼ぎにしかならない。
とは言え、ここ来れば、何とかなりそうな予感はあった。
だって、あのなぞなぞお婆ちゃんの家だ。
眼下にヴェルナの港が見える。
小規模な漁村と中規模な畑で、活気のある街だ。
「そして行き止まりでもあるんだけどっ!」
朝焼けが景色を美しく染める。
どうやら、夜通し走ったらしい。
道理で、馬泥棒罪が二つずつ増えていく訳だ。
古びた修道院の石造りの尖塔にオレは祈りをささげた。
どうか、見知らぬ異邦人のせいになりますように、と。
「イルマさまーイルマさまー」
修道院の重厚な木の扉を押し開ける。
すると、冷やりとした静寂が全身を包み込んだ。
奥へ進むと、院長であるイルマはいつもの定位置にいた。
分厚い木製の椅子に深く腰掛け、熱心に年季の入った書物を読み進めている。
やがて、老女はゆっくりと顔を上げ、オレの方を射抜くような鋭い目で見据えた。
「駆殿」
「は、はい」
ただ名前を呼ばれただけなのに、圧倒的な威厳に当てられる。
無意識に背筋がピンと伸びてしまう。
「待っておったぞ」
「え」
イルマは静かに立ち上がった。
杖をつきながら、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
さらに奥の薄暗い部屋へと向かっていく。
「オレたち、追われてるんですが……」
「良い良い。ついて来い」
「何が良いんだよ……」
埃っぽい匂いのする奥の部屋。
その無骨な机の上に、見慣れない箱がいくつか置かれていた。
黒ずんだ木製の箱だ。
イルマがその一つ。小さな木箱の蓋を開けた。
「え……どゆ……こと」
中に入っていたのは、一足の靴だった。
全体の作りはいたってシンプルで、丈夫な革でできているように見える。
でも、その表面の所々に、不可思議な鉱石が埋め込まれていた。
波の光を反射したように、青白く繊細に光る石だった。
「履いてみろ」
オレは言われるがままに靴を手に取った。見た目よりもずっと軽い。
足を通してみる。
「……これ、オレの足にピッタリだ」
「セルノに測らせたからの」
オレは、驚いて目の前の老人の顔を見た。
「もしかして、これってマジックアイテムですか?!」
イルマは微動だにせず、ただ冷徹に目を細めた。
「さての」
「はい?」
イルマは、表情を一切変えないままオレをじっと見つめる。
「魔法、そしてお主たちの言うスキルとやら」
「はい……?」
「よう分からん」
オレは、思考がピタリと止まった。
「は?」
「分からんものは分からんのじゃ」
イルマは、平然と言い放った。
「その仕組みが分かっておったら、国を挙げて態々異邦人などを召喚せぬじゃろう?」
オレは、自分の足元の靴を見つめ直した。
埋め込まれた青白い石が、まるで脈打つようにかすかに呼吸して光っている。
「これ、具体的な効果は何なんですか」
「分からん。それと……の。そっちも開けてみい」
分かりづらいがイルマの視線が動いた。
オレがそれにつられると、リーフが大きな箱を開けていた。
「駆。これ、服? 駆のとそっくり」
マジ……かよ
流石にメタ読み出来たけど。
それが確信に変わる瞬間だった。
「オレ……のパーカー。しかも、最強のグレイ!」
「気に入ってくれて良かったわい。わざわざ、マジッククローゼットに入った甲斐があったというものじゃ」
「イルマ様が着てたんかいっ!……って、そうか。オレが入らなくても。いや、そうか。後ろ盾……だもんな」
靴はずっと前に痛んでいて、擦り切れてしまっていた。
でも、パーカーとチノパンはシオンが繋ぎ止めてくれていた。
「オレの最強装備。勝負服……マジで嬉しい」
イルマはオレの目で分かるくらい、目を細めた。
「お主の宿したその理が、教会の聖典の記録に載っておらんのでな」
そのまま、淡々と言葉を続ける。
「普通の民が履く靴ではその過酷な動きに追いつかんかもしれん。そう思って靴の方は別に用意させた」
「何から何まで……。この靴、頑丈そう。履きやすいし!」
新しい靴を履いたまま、オレはその場で何度か足踏みをして立ち上がってみた。
歩いてみても一切の違和感がない。ピッタリだった。
オレの足の形や、歩き方の癖にまで馴染んでいた。
「イルマさん」
「なんじゃ」
「本当にありがとうございます」
イルマは、それには答えなかった。
再び、歩き出して、ゆっくりと、ゆっくりと自分の椅子に戻っていった。
それから深く座った後。
「あぁ、じゃがの」
オレは自然と、頭を深々と下げていた。
パーカーがフワリと頭に乗る。懐かしい感覚だった。
「はい。なんでしょうか。イルマ様」
「ワシにも直せぬ」
「いえ。ここまでしていただいて」
「いや。お主の罪の方じゃ」
背筋と腹筋がはちきれんばかりに仰け反った。
「そう……じゃん!」
「駆、準備できたぞ」
「へ? 道理でいないと……。その、マジでサンキュな」
「ユアウエルカムじゃ」
ゆっくりとしわがれた親指が立つ。
オレは最後は雑に頭を下げて、修道院を後にした。
◇
再び潮風の吹く港に赴く。
ヴォルフがどうやったのかは分からない。
小さな船が、波止場で待機していた。
とても小さな船だった。帆も何もない。
手漕ぎボート……
「は? いやいや。 だって海は」
背後から、灰色の外套を羽織った元帝国兵が、低く凄みのある声で促してくる。
「さっさと乗れ。文句あるか」
「海は巨大海獣が出るって! お前、教わらなかったのか?」
「教わったなぁ。で、同じくらいん時に——」
ヴォルフは波打つ海に向かって歩み寄り、自身の持つ猛獣を操る理を使った。
指を鳴らし、鋭い口笛と共に何かを強く呼ぶ。
「……猛獣を扱う技を磨いてた」
直後、静かだった海面が不自然に大きく波打った。
白と黒、海の猛獣の一種、巨大なシャチが姿を現した。
オレは感動する前に
「いやいや。序盤のルールを無視するなし!」
盛大にツッコんでいた。
その間に、一頭、二頭。
合計三体のシャチが顔を出していた。
白黒のコントラストが鮮やかな強靭な巨体が、港の沖合に整然と並び立つ。
そして、灰色の髪をぼりぼり掻きながら、男は息を吐いた。
「序盤のルールってなんだよ。アレか? 森の中に魔物が現れるってやつか?」
情報の非対称性がここにある。
序盤のカルディナ山脈の内側でも、魔物たちは蠢いていた。
魔物たちを操っていたのが帝国ならば、余りにも神出鬼没過ぎる。
「駆。行こ」
大斧を背負った少女、リーフが小さな船に乗り込んだ。
彼女は揺れる甲板の上でも、微動だにせず真っ直ぐに前を見据えている。
「つまり最初から、この方法で逃げるつもりだったのか」
繋がれた太いロープが、限界までピンと張り詰められた。
シャチが一斉に巨大な尾鰭を動かした。
船体がきしみ、次の瞬間、凄まじい勢いで前方へと引かれていった。
「王国で魔物がいなくなったのは」
ザザン、と大きな波が船首にぶつかり、白波が弾け飛ぶ。
「帝国兵が逃げたか、死んだかだ」
船体が大きく揺れ、オレは必死に甲板の手すりを掴んで身を支えた。
(第三章完)
ブックマークが0で、読者がいらっしゃらないので、心が折れました。三章が終わってキリが良いので、ここで完結します。
→読んで頂いて有難うございます。続き始めました。
勇者が十二人ならクソスキルはバレない2〜異世界召喚帝国編〜




