第75話 追放した者と追放された者の会議(下)
薄暗い石壁の部屋。
小さな窓が一つだけあり、そこから外の光が細く真っ直ぐに差し込んでいた。
十一人もの人間が同時に入ると、さすがに息苦しいほどの狭さだった。
ヴォルフが冷たい壁に背を預け、腕を組んだままオレを見た。
「でだ、駆」
「なんだよ」
「これはつまりそういう話だ。駆、お前がどうしたいか、だ」
オレは、少しだけ黙り込んだ。
どうしたいか。
理不尽に追放された。
あの魔獣蠢くカルディナ山を越えてきた。
カルネの村で九死に一生を得て、周辺の虐げられていた人々を解放した。
アルンの街へ辿り着き、奇妙な問いを投げかける老シスターにも出会った。
そして今またアルン。オレを追放した連中とここで再会している。
帝国の恐るべき選帝侯の血を引く者が二人も動いており、栞や誠司たちが捕らえられていると聞いた。
村田はさておき、全員がやる気だ。
最強の我が軍、プラス——サムライ・ディメンション。
あの、チーム・ドラグノフもいる。
こっちで知っただけだど
強い。余りにも強い。そして熱い。
そしてこれは、メタ的に見て、最終決戦の流れだ。
「色々あったけど、オレとしては助けたいかな……」
オレは、そう言った。
ひどく、打算的な顔だったと思う。
でも、はっきりと言った。
ヴォルフが、満足げに深くうなずく。
「そうか……なら」
男は、部屋に集まった面々をゆっくりと見回した。
「正規の勇者とやらは、もう帰っていいぞ」
場が、ピタリと止まった。
「どういうことよ!」
「どういうことだよ」
舞が、鋭い声で食ってかかる。
オレの声が掻き消えたくらい。
「やっぱり、僕たちを罠にはめるつもりにござるな」
すると村田が、警戒心を剥き出しにして吠えた。
ヴォルフは、やれやれと軽く息を吐く。
それから、シオン、リーフ、エヴァンという、オレの仲間たちを順番に見やった。
オレの声が聞こえてたからか、オレの方は見なかった。
「正規の勇者様たちの手札の感想は、どうだ」
三人が、顔を見合わせる。
エヴァンが、少し言いにくそうに頭を掻きながら口を開いた。
「つ、使いやすそうな……立派なスキル、だな」
「いいとこの坊っちゃんみたいな感想かよ。シオンはどうだ」
「聞いた範囲だけでの判断だけど」
金色の髪を揺らし、シオンは少しだけ考え込む。
「私たちでも、同じようなことはできそう。フィオナの治癒の加護もあるし」
「ちょ、それどういう意味よ」
舞が、ムッとして声を上げる。
「ありふれた、普通の力ってことだよ」
シオンは、悪びれもせずにあっさりと切り捨てた。
リーフが、背中の大斧を揺らしながらうんうんとうなずく。
いつものように無言だった。
でも、深くうなずいた。
それが、彼女の評価の全てだった。
舞たちのチームが、一様に微妙な顔つきになる。
「普通、か」
玲が、感情を完全に削ぎ落とした声でぽつりと言った。
「別に、悪い意味で言ったわけじゃないよ」
シオンが淡々と続ける。
「ちゃんと強い力だと思う。でも、あえてあなたたちがここにいる理由は、どこにもない」
ヴォルフが、黒法衣のセルノへと視線を向けた。
「教会の内部に帝国の内通者がいるなら、表向きの勇者様は、行儀よく安全な場所に引きこもっておくべきだろ」
セルノが「……なるほど」と呟く。
男の言葉を、頭の中でゆっくりと噛み砕いているようだった。
そして、オレは「なるほど?」と心の中で呟く。
ヴォルフの言葉に、コイツ考えてるなぁと感心してしまった。
「勇者が明確に動いた、という情報が真っ先に漏れる。それが確実に帝国へ届いてしまう。だから──」
「無駄に目立って動くな、ってことだ」
セルノは一秒だけ思考し、静かに頷いた。
「理屈は、完全に通っています」
「だろ」
ヴォルフは、再び舞たちへと視線を戻す。
やはり、オレは飛ばされた。
「お前たちが街で大人しくしていれば、帝国は勇者が動きを止めたと勘違いする。その隙を突いて、こっちが裏から動く」
「それで、こっちって一体誰のことよ」
舞が、不満げに眉を寄せる。
「駆と、駆が連れてきたこの連中だな」
舞は、悔しそうに一秒だけ黙り込んだ。
「……速水たちだけで、助けに行くってこと?」
「そうなるな」
舞の目が、剣呑に細くなった。
「ウチたちは?」
「果報は寝てろ」
「寝て待てってこと?」
「それが今、一番難しくて重要な仕事だ」
舞は、ヴォルフの顔を真っ直ぐに睨みつけた。
ヴォルフは、一切の冗談を排した真顔でそれを受け止める。
やがて、舞は長く重い息を吐き出した。
「……わかった」
「舞殿!」
村田が、焦ったように身を乗り出す。
「村田」
「でも──」
「村田」
舞は、静かな迫力で村田を見つめた。
「栞を取り戻したい。皆を取り戻したい。それだけでしょ」
村田が、ピタリと黙り込んだ。
悔しそうに俯き、そして、力なくうなずく。
「待つのは」
美咲が、震える声で口を開いた。
「わかってる」
舞が、優しく宥めるように言う。
「でも、ウチたちが不用意に動いたら、誠司さんも危なくなるかもしれない」
美咲は、青ざめた唇を強く噛み締めた。
それから、泣きそうな顔でうなずく。
小さく、でも確かに。
舞が、再びヴォルフへと向き直った。
「一つだけ聞かせて」
「なんだ」
「元か知らないけど、帝国軍人のあんたが──なんで、わざわざこんな危険なことをするのよ」
部屋が、水を打ったように静まり返った。
ヴォルフは、少しだけ黙り込む。
それから、突然オレの肩に太い腕を回してきた。
がっしりと、逃げられないように抱き込んでくる。
「俺は、捨て駒として処刑される運命だった」
ひどく静かな、本音の声だった。
「コイツに救われたんだよ。な、駆」
「ちょ、やめろって。オレは今、色々と」
オレは必死にヴォルフの腕を外そうと抵抗した。
しかし、元軍人の拘束はびくとも外れなかった。
「ってか。助けられたのは、お互いさまだろ!」
「そうか?」
「そうだよ! だからー」
ヴォルフは、面白そうに鼻を鳴らした。
でも、ゆっくりと腕を外してくれた。
「え……」
舞が、信じられないものを見るように声を失っていた。
何かを言おうとして、結局言葉が出てこないようだった。
一秒。
二秒。
やがて舞は、諦めたように息を吐き出す。
それから、静かに踵を返した。
すごすごと、重い足取りで扉に向かう。
それを見て、他のメンバーも無言で後に続いた。
「普通に勇者の役を演じていればいいってことでしょ」
「レムスの攻略だ」
玲が、それだけを冷たく言い残した。
振り返ることはなかった。
屈強な盾役である剛も、複雑な表情のまま無言で続く。
村田が出ていった。
すれ違う間、一度もオレの顔を見ようとはしなかった。
一度も、だ。
美咲が、扉の前で立ち止まった。
オレの方を向き、震える身体で深々と頭を下げる。
オレも何となく頭を下げた。
彼女の切実な思いを、何となく受け止めた。
日向が、遠慮がちにちょこんと礼をする。
「凜を、よろしくお願いします」
蚊の鳴くような、小さな声だった。
あんまり話したことないけど、そういう子なのかもしれない。
最後に、奏が残った。
リュートを背負ったまま、にやにやと面白そうに笑っている。
それから、大仰に──まるで舞台の上の演者が観客へ挨拶するように──優雅で深々とした礼をして見せた。
「よろしく、速水駆」
オレのフルネームを呼んだ。
ただそれだけを言い残し、飄々とした足取りで出ていく。
端から端まで怪しい。
でも、ここに来た七人の中で最も、冷静に効率的に動いていたのもアイツだった。
アルンでの聞き取りから始まり、途中の会話も、敵についての情報も。
会議がスムーズに運んだのは、彼が居たからだった。
「なんでフルネームなんだよ。ってか、え?」
重い木製の扉が、バタンと閉まった。
静かになった部屋に残ったのは、オレたちだけだった。
「なんか、色々あったんだな」
エヴァンが、重苦しい空気を振り払うように言った。
「色々ありすぎるだろ」
オレは、疲労感と共に同意する。
「精霊が、ひどく疲れたって言ってる」
シオンが、肩をすくめた。
リーフが、無言のまま背中の大斧を担ぎ直す。
ヴォルフが、獰猛な笑みを浮かべて前を向いた。
「さて、と」
オレは立ちくらみ寸前だった。
助けたいのは確かだ。
追放されたのにって思うかもしれない。
でも、当時のオレは逃げるが吉の使い方を知らなかった。
全員が何も考えずにパンを食べていたように、オレも同じだけパンを食べていた。
ざまぁ、なんて思う気分じゃなかった。
だから問題は、オレよりも優れた勇者たちを、オレが助けられるのかってこと。
ま。
ヴォルフが言ったように、オレにはオレが考えた最強パーティがいる。
彼らとなら、どうにかなるって考えた。
——これもまさか、フラグだったとは。
◇
馬車が、西へ向かっていた。
石畳の街道を、ゆっくりとガタゴト揺れながら進んでいる。
車内はひどく静かだった。
言葉数が極端に少ない。
もと来た街へ戻る道すがら、誰も多くを語ろうとはしなかった。
コスプレギャルの派手な装いを少し崩した舞は、窓の外をぼんやりと見ていた。
流れる景色が、来た道と同じだった。
同じだったが、決定的に違うところがあった。
どこにも魔物がいなかった。
肌で感じたおぞましい気配が、すっかり消え失せていた。
街道の両側に広がる深い森が、不気味なほど静かだった。
自分たちがまだ足を踏み入れていない場所まで、魔物の気配が完全に払われている。
舞は黙って、その事実を噛み締めるように見ていた。
洗練された衣服を着崩し、腕を組んだままの玲がぽつりと言った。
「使いやすいスキルが、実践で使えるに決まっている……」
誰へ宛てたわけでもない、独り言のようだった。
向かいの席で身を縮めている大柄な剛が、太い腕を組んだまま同調するように静かに頷く。
強固な盾役である屈強な青年もまた、己の力と異世界の過酷な現実について深く考え込んでいるようだった。
その横で、小さな体を縮こませた美咲が「でも」と言った。
「私たちは、戦いなんて知らない異世界の素人だし」
玲は答えなかった。
剛も何も言わない。
明確な否定もしなかった。
窓の外、馬上から澄んだリュートの音が聞こえてきた。
異国情緒のある和装を風に靡かせた奏が、馬車の横を並走していた。
護衛のためと言って馬に乗り、涼しい顔で時折弦を弾いている。
清楚な身なりをした日向が、窓からその姿をじっと眺めていた。
瞬きも忘れたように、ずっと眺めていた。
舞が、窓の外の景色を見たまま、大きくため息を吐いた。
あの修羅場から離れてから、ずっとこんな感じだ。
美咲はふと、舞の顔を覗き見た。
アルンを出てからずっと、舞は物憂げに窓の外を見ている。
「その……舞ちゃん」
「んー」
「もしかして」
美咲は少しだけ言葉を選び、意を決して言った。
「あの灰色狼の元軍人さんのこと、気になってる?」
舞が「んー」と気の抜けた返事をしかけて、ピタリと止まった。
「へ? ち、違うってば」
「無理に隠さなくてもいいのよ」
美咲は、年相応の穏やかな笑みを浮かべて言った。
「強そうで、頼りがいがありそうで、カッコよかったもんね」
途端に、舞が全力で両手を振った。
足もばたばたと動き、首がちぎれんばかりに顔を振る。
「だから、違うし! ウチはただ、あの二人、なんかいい感じだなって思っ……」
その瞬間だった。
日向の顔が、くるりとこちらへ回った。
つい先ほどまで窓の外の奏をうっとりと眺めていたはずの日向が、獲物を見つけた猛禽類のような速度で振り返ったのだ。
いつの間にか、彼女の顔には眼鏡がかけられていた。
フチありの、今まで一度も見たことのない知的な眼鏡だった。
「舞ちゃん」
日向が言った。
声のトーンが、いつもと決定的に違った。
「ようこそ、甘く腐った世界へ」
舞の頬が、カッと朱に染まった。
「ち、違うし! ウチはそっちのディープな世界には絶対行かない健全なギャルだし!」
「どっちが攻め?」
日向が、息もつかせぬ速度で聞いた。
ひどく静かで、有無を言わさぬ声だった。眼鏡の奥の瞳が、妖しくニヤリと光っている。
舞は、ピタリと黙った。
一秒。
二秒。
「……駆」
日向が、満足げにニヤリと笑った。
中指でクイッと眼鏡のブリッジを押し上げながら。
「改めて、ようこそ」
「だから違うって言ってるでしょ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ舞を見て、美咲が思わず吹き出して笑った。
小さく、でも確かに、心からの笑い声を上げた。
馬車が、ガタゴトと揺れた。
だが、車内で一人だけ、全く笑っていない青年がいた。
村田だった。
漆黒のパーカーを深く被り、窓の外を見つめている。舞たちとは反対側の窓を、暗い瞳でずっと見つめていた。
左手が、ひどく疼いていた。
袖口の焦げた布の下で、刻まれた魔力痕が禍々しく脈打っている。
和やかな笑い声が、馬車の中に響き続けていた。
それでも、村田は一度も笑わなかった。




