第72話 アルンでの再会
アルンの街は変わっていた。
変わっていたというより、色々と削り取られていた。
分厚い石造りの城壁の方は健在で、以前と同じように強固にそびえ立っている。
でも、その向こうに見える屋根の数が、記憶にある光景よりも明らかに少ない気がした。
ひしゃげて潰れたままの建物があった。
黒く煤けて、修復すらされていない壁があった。
人は、いた。
いたが、少なかった。
かつては剣呑とした兵士が、何処にも見当たらない。
「そっか。ここはカルネと交流持てなかったんだっけ」
十年以上も続いた、苛烈な重税。
生真面目な修道士セルノにそう聞かされてはいた。
単なる数字として耳にするのと、こうして自分の目で惨状を目の当たりにするのとでは、大きく違う。酷く違う。
街全体が、深く疲弊していた。
人が疲れると、建物が疲れる。
住んでいる人間たちが、底知れず疲弊しきっている。
「そうです。申し上げた通り、教会本部の管轄になりましたので」
ただ、オレが投獄された時よりは、少しだけ空気が違う気もした。
道の端で、痩せこけた子供が二人、しゃがみ込んで遊んでいる。
声はとても小さいが、それでも一応、笑い声に聞こえた。
荒れた市場には、僅かばかりだが土のついた野菜が並んでいる。
大破門されたという、あの傲慢な領主ロベールの接収。
それがこの街にどう作用したのか、詳しいことはオレにはわからない。
「だったら、もっと変わってもおかしくないんじゃないか?」
エヴァンが首を傾げた。
「……精霊も疲れてる」
「リーフがいたころから……畑が死んでました。あの時は当たり前だと思ってましたけど」
でも、ほんのわずかに。
街の表情が息を吹き返しつつあるように見えた。
素直に喜んでいいことなのか、それとも安堵するにはまだ早すぎるのか、今のオレには全く判断がつかなかった。
「皆さん。あちらに人が集まっているみたいです」
フィオナの澄んだ声が響いた。
子供たちの顔がすっと上がる。
人々がそちらに向かって歩いていく。
「どうやら、施しの時間のようですね」
セルノが低く言った。
「一応、やることはやってるって感じか」
因みに、オレの視線は終始泳いでいた。
城門をくぐった瞬間から、ずっと背中のあたりが痒くて仕方がない。
誰かに見られているような、見られていないような、そんな気がしていた。
しまった。変装して来れば良かった……
他国の女王の命とはいえ、大々的に指名手配されている人間が、真昼間にこうして堂々と歩いていいわけがない。
エルタはフィニスではないが、通報しろとか言ってた。
ヴァルシア王国教会が、オレを見つけたら通報と、義務付けている筈だ。
「一応だな。カルネとはちげぇ」
オレの前方を、屈強な元帝国兵の男が歩いていた。
ヴォルフは自分のことをスレイ人と何かの雑種と言っていた。
背が高く、肩幅があり、とにかく骨太で、有無を言わさぬ存在感を放っている。
あの帝国軍人の背中に隠れてしまえば、灰色の修道士服を着たオレの存在など、きっと誰も気に留めない。
オレは、静かにヴォルフの背中へと近づいた。
静かに、自然に、誰にも悟られないようさりげなく。
「何してるの」
シオンだった。
金色の髪を揺らす少女が、オレのフードの襟首をがっしりと掴んでいた。
「隠れてる」
「隠れてどうする。セルノさんが困ってる」
「困らせたくないからこそ、隠れてるんだよ」
「引きずるよ」
「わかった、わかったって」
容赦のないシオンに引きずられるようにして、オレはしぶしぶ前に出た。
前に出た途端、今度は背後からリーフに背中をグイと押される。
「リーフが背中を押します」
大斧を背負う少女の腕力はヤバい。
巨大な得物を担いだまま真っ直ぐに押してくるから、その圧迫感は半端ではなかった。
「わかってる、歩くよ」
リーフは、構わずにまた押してくる。
「歩いてるって!」
結局、押し出されたオレが落ち着いたのは、セルノの背後だった。
生真面目な修道士の青年は、オレよりも背が低い。
その後ろに隠れられるわけがなかった。
それでも、彼の背中の後ろにすっぽりと収まってみる。
黒い法衣を纏った修道士の後ろにいれば、同じく修道服のオレは、シマウマみたいに存在をごまかせる……ような気がした。
あくまで、気がしただけだった。
「駆さん」
セルノが、前を向いたまま呆れたように言った。
「見えてますよ」
「わかってる」
「私の後ろは完全に最前線ですよ」
「わかってる」
「あなたに宿るその逃避の理は、後退する時にこそ発揮されるものですよね」
「うるさいな」
弓使いのエヴァンが、隣で腹を抱えて笑っている。
「笑うな」
「笑うだろ」
オレは、深く長いため息を吐き出した。
アルンの質素な街並みが、延々と続いている。
ふと、無惨に崩れ落ちた砦の跡が見えた。
頑強だった一階部分が、完全に押し潰されている。
以前、オレが理不尽に投獄されていた、あの忌まわしい地下牢のあった砦だ。
リーフの放った常識外れの一撃によって、砦は崩れ落ちた。
今では、ただの無惨な瓦礫の山に成り果てていた。
「恐ろしいですね」
セルノが言った。
「恐ろしいよ。あいつら、めっちゃ強いんだぞ」
「そちらではないのですが……」
石の隙間からは、早くも青々とした草が生え始めている。
なんだか、ひどく不思議な感じがした。
あんなにも必死で、文字通り命がけで逃げ出した場所なのに、既に草が生えて、地下と外を繋いでいる。
「……ここに隠れようかな」
オレは、独り言のようにぽつりと呟いた。
「隠れないでください」
背中越しに、セルノが聞き返してくる。
「し、シミュレーションだってば」
オレは、静かに前を向いた。
セルノの背中が、すぐ目の前にあった。
その向こうに、大きな人だかりが見えた。
人が少なく見えたのは、アレのせいだった。
異様なほどの数、皆が施しと言っていた。
「施しって、教会の……?」
城門を入ってすぐの広い広場に、人だかりができている。
疲弊しきった街にしては、不思議なくらいに大勢の人間が集まっていた。
「教会ってことは、もしかして」
「あぁ……」
エヴァンが、警戒するように低く言った。
「サムラなんとかって、連中もいるんだろうな」
ヴォルフが、鼻を鳴らしながら言った。
「その為に私たちは来たんですから」
そうだった。
セルノは今、エレイン教会の正式な命令でここに来ている。
教会本部は、セルノに勇者たちの威光を見せるために。
同時に、民衆に希望を見せるために。
群衆が集まるのは、ごく当然のことだった。
「あ、改めて言うけど、オレ。要らないんじゃないかなぁ……」
速水駆を連れて来い、そんな命令があったのか。
でも、セルノは正直な男。真面目な男だ。
そんな大事な情報を隠すとは思えない。
オレはセルノの背中に身を隠したまま、その人だかりの様子を窺っていた。
すると、人だかりに変化が起きた。
パンを貰って嬉しそうではある。
でも、何かおかしかった。
嬉しさと悲しさが同居しているような顔。
そういうものかもしれないけれど。
「リーフがもっと背中を押しましょうか?」
波紋が広場全体に広がる。
ざわざわと波打っている。
無数の視線が、獲物を探すようにあちこちへと飛び交っていた。
そして、甲高い声がした。
「勇者さまー!」
知らない子供の大きな声。
それは、そうだ。
国を挙げての、十一人の異邦人にして勇者。
彼らはマジッククローゼットを使えるから、いつだって華やかだ。
向こう側、確か、リュテア側から。
王都からわざわざ、お越しになられたのだ。
でも、
それに続く声が、なんていうか
方向を間違っていた。
「勇者さま!」
「勇者さまだ!」
ざわめきが、一気に大きくなった。
うねるような人だかりが、一斉に動いた。
わらわらとした民の群れ。
波打って、翻る。表と裏が逆に変わっていく。
こっち側、オレたちの方へ表が向く。
「駆、前を向け」
エヴァンが鋭く言った。
「前って、わかって……え?」
気づいたときには、巨大な人だかりがオレの目の前に迫っていた。
いつの間にか、完全に包囲されていた。
顔、顔、顔。
疲労の滲む顔をした無数の人々が、オレを見つめている。
「不味い」
「不味くない」
オレは、反射的に後退しようとした。
だが、リーフが背後に立ちはだかっていた。
無言のまま、岩のようにピクリとも動かない。
隣には、シオンが立っている。
「逃げたら駄目ですよ」
「逃げるが吉なんだけど」
「今は絶対に駄目」
前は、アルンの人だかり。
後ろからは、退路を断つリーフとシオン。
完全に、詰んでいた。
「駆さん。……待ち合わせの時間です」
その時だった。
美しいリュートの音色が鳴り響いた。
熱狂する人だかりの、少し離れた場所から聞こえてきた。
一旋律が奏でられた。
その澄んだ音色だけで、広場を支配していた空気がスッと変わる。
人々のざわめきが、波が引くように静まった。
「か、奏」
和風。そう、ファンタジー風の和服。
街の奥に、最初からそこにいたかのように自然に立っていた。
リュートを優雅に構えたまま、オレたちを見つめている。
その目が、面白そうに笑っていた。
オレと、視線が合う。
奏は、群衆には決して聞こえないほどの小さな声で言った。
「やっぱり、そうなるよね」
そうなるよね?
「いつから、そこにいたんだよ。 奏っ!」
オレの言葉が合図だったかのように、セルノ以外の全員が身構えた。
あれが勇者? 聴いてはいたけど、なんて言ってる。
確かに。オレ以外の全員は、本物の勇者に会ったことがない。
勇者たちのルートにいないから、こっちにいる。
「しばらく前からいたよ」
奏の、たったそれだけの言葉。
状況の全てを、説明し切ったような顔をする。
あの顔は、情報を集めるアンテナなのかと、舌を巻く。
——そして
マジ……かよ
オレは体に震えを覚えていた。
正規の勇者は、別格だった。
レベルは間違いなく上がっている、だろう。
でも、天野奏だからか、視覚的に別物なのだ。
オレもあっちにいたら、そうなれたのかもしれない。
異邦人の装備は、オーラが違う。
「ルッキズムかよ……」
「それは、ボクに聞かないでよ」
奏はくすくすと笑い、またリュートを優雅に鳴らした。
群衆が、その音色に引かれるようにまた少し静まる。
そして彼、一人ではなかった。
リュートの音で、群衆に再び波が起こる。
向こう側に翻る。その向こう。
あれ、七人?
すでに姿を見せている奏。
そして残りの六人──舞、玲、剛、日向、美咲、村田。
奏と同様に、煌めく装備。変わらない、コミケ勝負服。
その全員が、こちらを見つめていた。
引き攣った、複雑な、何とも言えない顔をしていた。
正確に言えば、六人が何とも言えない顔。
そして、あの! 村田だけは少し違った。
玲の背中に少しはみ出しながら、必死に身を隠そうとしている。
先ほどのオレと、全く同じ滑稽な姿だった。
思わず、村田と目が合った。
村田が、気まずそうにさっと目を逸らす。
オレも、無言で視線を逸らした。
(やばい。どうしよう)
何を言ってやろうか、どんな罵声を浴びせようか、まで考えてなかった。
でも、あいつらはヴァルシア王国の都市の殆どを解放した、本物の勇者だ。
裏設定が帝国だったとは言え、表ミッションのヴァルシア王国解放は、ほぼコンプリート。
(下手な事を言ったら……、いや言わなくても!)
オレはもしかして、捕らえられる? あれ?
エヴァン、シオン、セルノ、リーフ、ヴォルフ、フィオナ……でオレ。
(同じ、7人! こっちの人数まで把握してんのか?)
ここはさりげなく挨拶? それとも全力土下座? そもそも逃げ……
オレが次の行動を考えた、その時だった。
「お母さん、あの人たち誰?」
「し……。教会の偉い人だから、そんな事言わないの」
奏のリュートの音に関係なく、群衆が再び波を打った。
また、翻る。ぱたぱたと表と裏が変わる。
「勇者様! お待ちしておりました!」
公式の勇者七人は、群衆の向こう側に立っている。
アルンの人達は、一度振り返って、偉い人を確認しただけ。
さっきの施しと同じように、興味を失った顔だった。
「勇者様! アルンを解放してくださって!」
「ありがとうございます!」
人々の熱を帯びた視線は、
リーフ、そしてオレに注がれていた。
「えと……、オレは」
玲が、無表情を保ったまま、ひどく微妙な顔つきになっている。
剛が、信じられないものを見、呆気にとられて固まっていた。
日向が「えっと」と言い淀み、そのまま黙り込んでしまう。
村田が、玲の背中にさらに深く身を隠した。
美咲は、酷く青い顔をしていた。
そして今日も輝く衣装の舞は、
引き攣った笑顔を顔に貼り付けたまま、オレに言った。
「あ、あれだね。すごい人気……じゃん」




