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勇者が十二人ならクソスキルはバレない〜そして、オレは追放された〜  作者: 綿木絹
第三章 十一人の勇者たちとたった一人の勇者

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第67話 溜め息の山2

 誇り高き令嬢の声が、わずかに震えていた。

 土の盛り上がりは、既に人の背丈を超えている。


「なん……です……の」


 太い木の根がへし折られ、無数の小石が滝のように転がり落ちた。

 巨大な土の塊が崩れ落ち、その中から──途方もない何かが、立ち上がる。


 それは、あまりにも大きかった。


 先ほどの野犬や猪のアンデッドとは、生き物としての格が違う。

 土と腐葉に半ば埋まった状態でも、その頭部は大木の枝に届かんばかりだった。

 振り上げられた腕は、大木そのもののように太く悍ましい。


「トロル……」


 栞が、無意識にその名を口にしていた。

 声がひどく平坦なのは、冷徹な頭脳が状況に追いついていない証拠だった。


 次の瞬間、左手側の枝が大きく揺れた。

 右手側からも。

 正面の木々の間にも、巨大な影が立っている。


「嘘……」


 そして、一体ではなかった。

 鬱蒼とした木立の間に、それぞれが静かに立っている。

 どれが木々の幹で、どれが巨怪なのか、一瞬では判断ができない。

 それほどまでに自然に、その途方もない巨体が森の中に溶け込んでいたのだ。


 二体。

 三体。


 四体──。


 絶望的な数を数えながら、栞の思考が極限の一点へと収束していく。

 発生源を断つどころの話ではない。

 完全に、囲まれていた。


 蹴鞠が、ひどく静かな声で言った。


「栞さま……」

「分かってる……」

「分かっていらっしゃるなら、次の手を」


 栞は、三秒だけ黙り込んだ。

 チームの全員が、指揮を執る彼女を見つめている。

 絶望的な巨怪を視界に収めながらも、彼女の指示を待っていた。


「──後退する」

「正面はどうする?」


 凛が、無機質に問う。


「一枚、割って出る。蹴鞠、正面の一体を弾いて。凛が隙間を作って、誠司が先頭で守りを固めて押し込む。奏は後ろの警戒を──」


 栞がまた止まった。

 さっきまで、少年がいた。


「えっと、ペトの逃げた方向はどっちだっけ?」


 奏の確認に、栞は即座に答える。


「北に、……まっすぐ」

「了解だよ」


 蹴鞠が、豪奢なドレスの裾をふわりと持ち上げた。

 深く、静かに息を吸い込む。

 栞は視線を上げ、正面に立ちはだかる絶望的な巨体を冷徹に見据えた。


 あまりにも、巨大すぎる。


 ──だが、この分厚い壁は割らなければ、生き残る道にならない。


「行くわよ」


 爆発的な跳躍。

 木を敢えて薙ぎ倒さずに、更に跳ねる。

 共に放たれた蹴鞠の一撃が、正面のトロルの肩口に炸裂した。

 恐ろしい衝撃波がドレスの裾から放たれ、巨怪の体が半歩だけよろめく。


 だが、半歩。


 ただ、それだけだった。

 倒れることもなく、弾き飛ぶこともない。

 ほんのわずかに、体勢を崩しただけだった。


「──崩れない」


 着地と同時に、蹴鞠が短く吐き捨てた。

 声に驚きの色はなかったが、続く言葉が出てこない。

 それが、彼女なりの精一杯の驚愕だった。


「蹴鞠、まだ行ける?」


 栞が鋭く問う。


「もう一度だけなら。でも、すぐに二体目が来ますわ」


 言葉の通り、左に控えていたトロルが動いた。

 丸太のような腕を持ち上げる動作はひどくゆっくりだっ。

 だからこそ途中で止める間が一切ない。

 大木が根こそぎ引き抜かれるような重い音が鳴り、地面が大きく揺らいだ。


「誠司、左カバー!」

「もう行ってるよっ」


 凛の警告より早く、誠司が盾を真横へと向けていた。

 味方を庇って盾を掲げたその瞬間、彼に宿る強固な守りの理が発動する。

 圧倒的な質量による衝撃が、トロルに叩きつけられたはず。

 その反動で、踏ん張った誠司の両足が、地面を深くえぐった。


「押し戻される……っ」


 強固なはずの盾が悲鳴を上げて歪む。

 増幅された防御力によって、彼の身体にダメージはない。

 だが、トロルはその場を退かなかった。


「──重いな」


 誠司もまた、短い感想を漏らす。


 すると右のトロルが、重々しく動き出した。

 背後のトロルも、隆起した土の中から悍ましい腕を引き抜いている。

 栞は、正面の壁を見据えた。


「どうする……」


 突破する隙間がない。

 蹴鞠の一撃でよろめいた一体目も、ゆっくりと立ち上がる。


 ここは……どこ……


 いつの間にか、神話の世界に迷い込んだのか。

 いつの間にか、悪夢を見ていたのか。


 四方に山のような人型のバケモノがいる。

 完全な包囲ではないが、あと数秒で完全に退路が断たれる。


「栞さま!」


 蹴鞠の声が響く。

 栞は口を噤んだ。


 どうすれば、この場を打開できる?


 恐るべき速度で、頭の中の情報を並べ替える。


 どうすれば、この状況を打破できる?


 味方の体力。


 どうすれば……戦える?


 残された時間。


 どうすれば……いい?


 取り得る選択肢が、一つに収束していく。


 どうすれば……


 逃げ……られる……の……?


 逃げる……スキル……?


 冷徹な計算がその結論を弾き出したとき。


 栞は初めて、仲間に告げるべき、次の言葉を失った。


 もう……ない


「アタシが……おい……だした……から」


 その時、だった。



 不意に、笑い声が聞こえた。


 地を這うような怪物の声ではない。

 山のような魔物の者でもない。

 だが、山の方から聞こえてくる。


 柔らかく、とても人間的で、それゆえにこの絶望的な戦場にはあまりにも場違いな響きだった。


「あらあらぁ」


 木々の奥から、楽しげな声が降ってくる。

 その瞬間、トロルたちの動きがピタリと止まった。


 四体の巨怪が、全て同時に停止した。


 まるで、見えない糸で操られていた人形が機能を停止したかのように。


 奏が、小さく息を呑む。

 凛の構えた短剣が止まる。

 誠司の足が、地面に根を張ったまま固まっていた。


 木立の深い影から、ゆっくりと人影が現れる。


 美しい、女だった。


 白金の髪が朝の光を受けて、くすんだ銀色に妖しく光っている。

 背が高く、その歩き方はひどくゆったりとしていた。

 急ぐことなどない。滑らかな動き。


 ただ事実を、完全に理解している者の歩き方だった。


 女はトロルの一体に近づくと、巨人は手を差し出した。


 ──その上に、ゆらりと歩く。


 そのまま上に上がり、怪物の巨大な肩に腰を下ろした。


 まるで上質な椅子にでも腰掛けるように。


「それでぇ……本当に勇者様なのかしらぁ」


 青灰色の瞳が、四人の顔を順番に眺め回す。

 値踏みするわけでもなく、ただ面白そうに見つめている。

 その瞳の奥は、どこまでも深く、底が見えなかった。


「……っ!」


 栞は乱れた息を整えようとしたが、できなかった。

 女から、一切の敵意が感じられない。


 それが、かえって得体の知れない恐怖を煽り立てた。


 また、考える。また、読み解く。


 どう対処すべきか。

 言葉を交わすか。

 それとも、この隙に走るか。


 必死に判断を下そうとした、──そのときだった。


「勇者様だよ」


 声は、背後から聞こえた。

 栞が、弾かれたように視線を向ける。


 ペトが、そこにいた。


 先ほど街道へ向けて走らせたはずの男の子が、女の隣に静かに立っている。

 泥で汚れた顔のまま、大きな目で栞たちを見つめていた。

 怯えの色は微塵もない。

 それどころか、どこか誇らしげな顔つきだった。


「おいら、ちゃんと確認したもん」


 誰も言葉を発することができなかった。


「ちゃんと魔物を倒してた。強かったよ。だから、勇者様だよ」

「まぁまあ、それは」


 女が、ゆったりとした相槌を打つ。

 驚いたような、そうでもないような、感情の読めない声だった。


「あなたが言うなら、きっとそうなのねぇ」


 青灰色の瞳が、再び五人へと戻ってくる。

 笑っていた。

 だが、その目だけは全く笑っていなかった。


 凜が、かすれるような声で漏らす。


「……なんで、ペトがここに」


 誰も、答えることはできなかった。

 街道まで走らせたはずだ。

 絶対に振り返るなと、固く命じたはずだ。

 それなのに──。


 決定的な違和感に、一番早く気づいたのは蹴鞠だった。


「……待ちなさい」


 彼女の声が、いつもとは決定的に違っていた。

 必死に抑え込んではいるが、その下には明らかな戦慄が張り付いている。


「その子、さっきから、全く息をしていませんわ」


 時間が凍りついた。

 全員の視線が、ペトという名の子供に突き刺さる。


 確かに、ピクリとも動いていない。

 でも、立っている。

 だが、目が開いている。

 しかし、胸の起伏が全くない。

 吹き抜ける風に、髪の毛一本揺れていなかった。


 やがて、ペトの輪郭が、ぐにゃりとぼやけた。

 ぼやけたのではない。

 崩れていた。

 頭から。

 肩から。

 腕から。

 乾いた泥が落ちるように、ぽろぽろと、ペトの形が崩れ始めた。


 土と腐葉、そして何か黒く悍ましいものが混ざり合った、ただの塊。

 それが、精巧な子供の形を模していただけだったのだ。


 崩れ落ちた土塊の向こうに、別の影が立っていた。

 とても、小柄だった。

 浅黒い肌に、艶やかな黒髪。

 幼さの残る無邪気な顔立ちをしている。


 だが、その両の目だけが、ひどく暗く据わっていた。


「えー、バレたぁ?」


 無邪気な、子供のような声だった。


「もうちょっと引っ張れると思ったのになぁ」


 ひどく残念そうだった。

 心底、残念がっている響きだった。

 そこには微塵の悪意もない。

 それが何よりも、絶望的にタチが悪かった。


 背後で、トロルの重い足音がした。

 左から、右から。

 正面に座る白金の髪の女は、全く動かない。

 ただ、怪物の巨大な肩の上で軽く手を組み、静かに座っている。


 栞は、ゆっくりと周囲の気配を確認した。

 木々の間に潜む、巨大な影。

 影の間に浮かび上がる、悍ましい輪郭。

 更に一体、二体、三体──。

 先ほど絶望の中で数え上げた数よりも、はるかに多かった。


「あら、そう?」


 女が、くすくすと笑いながら言った。


「本当に勇者様なのかしらぁ」


 もう一度、全く同じ言葉だった。

 先ほどと、声の温度が少しも変わっていない。


 最初から最後まで、この女にとっては何一つ変わっていないのだ。


 驚きもしない。

 焦りもしない。


 ただ、遊戯のように確認作業を楽しんでいただけ。


 蹴鞠が、栞の隣で静かに息を吐いた。


「……逃げ道が、ありませんわね」


 栞は、何も答えられなかった。


 逃げること……など

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