第59話 イルマからの依頼
外套の男は、丘の上に立っていた。
名もなき街道の分かれ道。
風が強く、外套の裾が激しく煽られる。
男はそれを気にする様子もなく、ただ南を睨みつけていた。
エルタ。
かつての教区の中心地。
今はエレイン教会本部が置かれ、大陸南部の信仰の要となっている街。
あそこに行くことは、もう出来ない。
大破門という、この上なく屈辱的な形で、教会から完全に切り捨てられた。
男はゆっくりと北へ視線を向けた。
北には、サムライ・ディメンションと名乗る異邦人たちが解放した街がある。
リュテア。セレーヌ。
かつてのヴァルシア王国の誇りだった都市が、今や勇者たちの拠点として活気を取り戻しつつある。
あそこも、もう無理だ。
女王ルシアの手の者が、隅々まで目を光らせているはずだった。
男は今度は真東を見た。
エレイナス山脈の稜線が、空を斜めに切り裂くように連なっている。
あの山脈の向こうに、神聖ドミナス帝国がある。
中央から越えることは、現実的ではなかった。
男は小さく首を振る。
残るは南だった。
南回りで山脈の端を迂回し、帝国の辺境伯家を頼る。
他に選択肢はなかった。
仕方なく、男は南へと足を向けた。
エルタを遠く横目に見ながら、舌打ちを一つ。
あの街を、こんな形で眺めることになるとは思っていなかった。
その時だった。
街道の向こう、木々の切れ間に、小さな人影が見えた。
五人組。
男は無意識に目を細めた。
灰色のパーカー。
この世界には存在しない、なめらかな合成繊維の生地。
瞬時に、血が逆流するような怒りが込み上げた。
速水駆。
アルンの砦を崩壊させた男。
領地を奪われる端緒を作った男。
自分からすべてを奪ったと言っても、過言ではない男。
男の足が、無意識に前へ出かけた。
だが、止まった。
一歩手前で、ピタリと止まった。
冷静に、考える。
追ったところで、何になる。
あの男には得体の知れない逃げ足がある。
捕まえたとして、女王への手土産にでもするのか。
だが今の自分には、女王に差し出せるような立場も伝手もない。
金にならない。
男はゆっくりと、前へ出かけた足を引いた。
そのまま、もう一度だけ遠ざかる人影を眺めた。
消えていく灰色のパーカーを、ただ静かに見送る。
やがて、口の端がゆっくりと持ち上がった。
北には、まだ十一人の異邦人がいる。
そして自分には、帝国という後ろ盾がある。
ニヤリ。
外套を翻し、男は南へ歩き出した。
その背中を、エルタの尖塔が遠く、冷たく見下ろしていた。
◇
ヴェルナは珍しく木の少ない地域だった。
ラトン人は最古の人種と言われる。
そんなラトンの村ならば、切り株も腐り落ち、畑へと変わるかもしれない。
では、何故ここが中心になれないかというと、壁のようにそそり立つエレイナス山脈の南端のせいだろう。
北部に比べるとかなり狭い。
そこにある、とても古い教会。
併設された修道院に足を運ぶ。
入って直ぐに彼女はいた。
セルノが慕う老婆も、特徴的に彫りが深いラトン系。
イルマは、小さな老婆。老婆だからか、彫りが際立って見える。
白髪を布で包んで、皺の深い顔に、鋭い目をしている。
部屋の奥の椅子に座って、オレたちを順番に流し見ていた。
フィオナが先ずは歩み寄る。
「イルマ様、セルノ兄様の文に書いてあった方々です」
と言うと、イルマは「分かっておる」と短く答えた。
品定めされている、と思った。
値踏みする目だった。
でも、嫌な感じはしなかった。
「なるほど。お前が駆か」
「そ、そうです」
「セルノから話は聞いておる」
イルマは言った。
「その姿、異邦人じゃな」
「……はい」
「異邦人が勇者と、……このヴァルシア王国では言われておるが」
老婆は読めない表情だった。
そして、続けた。
「さて、お前はどう思う」
——突然のなぞなぞタイムだ。
オレは周囲を警戒した。
選択肢は出ていない。
彼女はセルノが慕う義母だが、エレイン教の重鎮でもある。
後ろ盾にしたいと言っていたくらいだし。
オレは更に考えた。
気の利いたことは何も浮かばなかった。
この世界に来てから聞いた話をそのまま答えるなら——
「い……異邦人が勇者って、聞いたけど?」
するとイルマが、目を細めた。
「自動翻訳でそう聞こえた、と」
オレは目を剥いた。
だって、自動翻訳!
この世界に来た瞬間から、言葉が分かった。
誰も教えていないのに、全部聞き取れた。
文字も読み取れた。とっても不思議な機能。
でも確かに——勇者という言葉が、原語では別の何かかもしれない。
そもそも、オレの言葉ってちょいちょい無視されるし。
オレは固まった。
すると、イルマが柔和な笑みになった。
「冗談じゃよ」
シオンが小さく息を吐いた。
エヴァンが胸を撫で下ろした。
オレはまだ、少し固まっていた。
(なんだ、このなぞなぞ婆さん! よく、セルノが真面目に育ったなっ!)
だが、即座に真面目な顔に切り替わる。
存在感は半端ない。
只者ではないし、何かを知っている気配がビンビンだった。
「手紙をこちらに」
イルマが手を差し出した。
「え? 手紙? そういえば」
オレは鞄を探った。
セルノは手紙をと言った。
でも、彼から手紙を預かった記憶がなかった。
「手紙なら、こちらに」
シオンの声だった。
オレは振り返った。
シオンが、折り畳まれた紙をイルマに差し出していた。
「いつの間に! っていうか、俺が頼まれたんじゃないのかよ」
「カペーはすぐ走るから」
腰に巻いたポーチに手をかけて、シオンは首を傾げた。
「私に預けておいた方が安全」
「はぁ、どんなイメージだよ。斜め上方向のバグ取りアプデしたてなんだが」
ゆっくりと、イルマが目を上げた。
「それも自動翻訳とやらか。成程、面白い」
「ってか。アプデとか、どうやって伝わってるんだろ」
「俺様が教えてやろう。お前は、アプデと言っている」
「まんまじゃねぇか。っていうか、お前のせいでオレは走る羽目になったんだよ」
ヴォルフが面倒くさそうに肩をすくめる。
シオンはそんなヴォルフを半目で睨み、イルマに手紙を渡した。
イルマは受け取って、広げた。
そして、目を通さずに彼女は言った。
「読まずとも分かる。どうせ、後ろ盾になってくれとか、そういう泣き言じゃろう?」
「う……多分。そんな内容かと」
セルノが手のひらで転がった。
まぁ、考えれば分かることではある。
この地方は魔物の被害には遭っていなさそうだし。
オレ以外の誰も、やはり否定しなかった。
すると、イルマは小さく笑った。
「条件をクリアすれば、後ろ盾になってやってもよいぞ」
エヴァンが、一歩前に出た。
「条件……ですか?」
「ここまで来るのも追われたりで大変で」
とシオンが言った。
「その上、また何かを」
リーフが斧を持ち直した。
ヴォルフが腕を組んだ。
フィオナが困惑した顔でイルマを見つめた。
「なぞなぞ……。そして……」
周りが困惑している中で、オレは少し考えた。
この展開は、見たことがある。
街に着く。町人Aに話しかける。依頼を受ける。
クリアする。次の依頼が発生する。
ここに来るだけで、はいどうぞ、と伝説の盾を貰えるわけがない。
やはり、伝説の後ろ盾ともなれば、それなりのイベントもしくは戦いが用意される。
「当然じゃろう。のぉ、駆」
オレはスイッチを切り替えるように、頷いた。
「まぁな。定番の、お遣いミッションだし。そこに異論はないな」
「駆? 面倒くさがり屋のお前が……」
「オレだって、不便を楽しむっていう矜持くらいあるんだよ」
イルマが、小さく笑った。
「面白い子じゃな」
「全く……。駆が言うんじゃ仕方ない。で、条件とは何ですか」
エヴァンが肩をすくめて、聞いた。
「勇者殿の勇気を見せてもらいたい」
「勇気だってさ。みんなの出番だぞ」
「カペー?!」
シオンとエヴァンの声が重なった。
「なんで私たち」
「お前が言われてるんだぞ」
そんな気もする。
でも、違うじゃん。
「いいか。エヴァンはレンジャー。シオンは精霊術師。リーフはエインヘリヤル。ヴォルフは猛獣使い。 んで、オレは後退士!」
自分で言ってびっくりだ。
我が軍はびっくり箱か、と。
みんなも、やはりびっくりしている。
やっと気付いたのだ。
「今までもそう。カルネもレンの村もアルンも、全部そう。 ミッションがミッションを呼ぶ、連続ミッションだ」
シオンが何か言いかけた。
エヴァンが額に手を当てた。
ヴォルフが、少し遠くを見た。
その間に、イルマが静かにフィオナを見やった。
「南よりそびえる山脈の途中に、この子の忘れ物が残っておる」
フィオナが、顔を上げた。
「イルマ様?」
「それをとって来てもらいたい」
イルマは言った。
「それにの。先ほど、魔物を見た、という話が来た」
「魔物?」
「さての。今しがた入った話じゃから、真偽は不明じゃが」
「真偽不明かよ。ま、ありそうな話だな」
魔物という言葉にヴォルフは眉を寄せた。
「なんで? やはりスパイ」
「オレ達にはそういう命令が出てるからだよ」
「え? それって前にカペーが言ってた」
「老人だけの村が生き残っていた理由か。 でも、お前。それを言っていいのか?」
元・帝国人は鼻で笑った。
まるで、他人事のように。
「俺だって全部は知らねぇよ。でも、山脈の向こうが動くってことは、そういうことだろ?」
もう、魔物がどうとかの話ではなくなっている。
流石のオレにも分かってきた頃だ。
イルマも知っていたかのように、修道女を見て、目を細めた。
「フィオナ、道案内をしてきなさい」
その修道女が、固まった。
「魔物……ですよ」
「魔物はついでじゃ。あの、ほれ」
「でも、その話は……」
「分かっておる」
イルマは穏やかな声で言った。
「でも、もう行ってもいい頃じゃ」
フィオナは、しばらくイルマを見ていた。それから、俯いた。
「はい。……行ってみます。皆さん、こちらへ」




