第58話 レベルアップ!南西の村、ヴェルナ
イネスが追いかけてきた。
オレを本気で捕まえようしていた。
「カルディナで死ぬのは、一般人。 カルディナを越えるのは帝国人だと」
「ヴォルフが魔獣を操れる。知ってたら当然」
「うっせぇな」
そもそも、イネスは召喚の場にいなかった。
術を知っている風でもなかった。
だから、イネスは悪くないと思ったんだけど。
で、なんとなく思った。
「帝国のこと、最初から全部話したら、良かったのに」
「知ってたらカペーならどうした?」
「国と国との戦争に巻き込むなって思っただろうな……」
確かに
難しいことは、やっぱりよく分からない。
「えぇっと。じゃあ、行こうか。 また来られても困るし」
オレは立ち上がり、膝の土を払った。
「ヴェルナまで、あと半日くらいだろ」
「休憩したばかりじゃん」
シオンが抗議の声を上げる。
「お前らな。 簒奪者とか言われて、追いかけられるオレの身にもなれよ。ヴォルフごときが囮になりそうもないって分かったし」
「んだと? 帝国のスパイおよび簒奪者。俺よりも圧倒的に悪じゃねぇか」
「まだ足が笑ってます、リーフの」
「リーフ、何がツボに入った?」
「よし。行くか。 駆の恐怖も尤もだ。 アルンと違って、絶対に逃げられない牢獄に入れられるか、そのまま頭を刎ねられるか」
怖いことを言う。
アルンも、正直。誰もいなかったら、完全に詰んでいたし。
「リーフにおまかせあれ。その時はこの斧で一瞬で」
「ひ……」
「冗談です」
呆れながらも、エヴァンがゆっくりと立ち上がる。
リーフが、軽々と大斧を持ち直した。
ヴォルフは腕を組んだまま、無言で歩き出した。
南西の空に、赤黒い夕暮れの気配が近づいていた。
目的地であるヴェルナの地は、もうすぐそこまで迫っている。
◇
羊皮紙を最後に確認したのは、いつだったか。
ヴェルナへの道を歩きながら、オレは考えた。
カルネを出る前だったか。アルン砦の前だったか。
正直、自身の能力を確認するという習慣があまりなかった。
逃げるが吉。
ただそれだけ分かっていれば、この世界では十分だと思っていた。
「そういえば」
背後から、ヴォルフの低い声がした。
「なんだ」
「異邦人って、特別な羊皮紙を持っているんだろ。神の祝福が記録されるやつ」
「ん。よく知ってるな。一応、持ってるけど」
「見せてくれよ。 俺、座学でしか知らねぇんだ」
オレは少し考えた。
「えー。やだ。 どうせ、お前ら読めないじゃん」
元帝国兵が、ひどく微妙な顔をした。
エヴァンが「なら、俺のを確認するか」と冗談ぽく言う。
シオンが「エヴァンは現地民だから関係ない」と冷淡に答えた。
「ったく。分かったよ」
オレは立ち止まり、リュックの奥から丸まった羊皮紙を取り出した。
広げて、しばらくじっと見つめる。
「……あれ」
「なんだ」
「レベルが、また上がってる」
沈黙があった。
エヴァンが恐る恐る口を開く。
「いつの間に」
「分からない」
「分からないってなんだよ」
「だって、音がしないからっ!」
「音ってなんだよ」
「ファンファーレに決まってるだろ。それぞれのシリーズで違うけど」
ヴォルフが静かに腕を組む。
「だから馬より速かったのか」
「たぶんなー」
オレは羊皮紙の記述を追った。
そこに記された文字は、召喚時の自動翻訳の理によって、異邦人であるオレにしか読めないように変換されている。
現地民である彼らには、ただの不規則で幾何学的な模様にしか見えないはずだ。
『逃げるが吉』レベル4
逃げ速度+100%
斜め方向に移動する時のカクツキを更に軽減し、もっとスムーズにしました。
相変わらず……
「逃走時の速さが、やっと二倍。で、またアレが書いてる。アプデが入ってる」
「アプデってなに?」
「ほら、オレって、斜めに移動して角度変えてんじゃん。アレがやりやすくなってんじゃないかな」
エヴァンが、意味不明だというように繰り返した。
「それは、どういうことだ」
「内輪差と外輪差で、ほら。 右が遅くて、左が速いとこんな風に」
オレは首を傾けながら説明した。
四人が頷いたので、それで良しとした。
「行きましょう。リーフの斧が必要とされる前に」
リーフが、重そうな大斧をひょいと担ぎ直す。
「それ、冗談だよね? フラグとかじゃないよね?」
「冗談です。 リーフはみねうちも上手いのです」
「みねうちってなんだよ。立派な鈍器的殺人兵器だよっ!」
シオンが「また走るのかぁ」と疲れたように呟いた。
オレも「走らないために行くんだよ」と言った。
羊皮紙を丸めて鞄に戻す。
レベル4だった。
でも、何レベルが上限なのか分からない。
体感だと、これで十分に速い。
なんなら、あの後退りは最初から速い。
「レベル5が上限かな……」
「カペー。行くんでしょ」
「うん。お遣いをさっさと終わらせて、カルネに引き籠ろう」
「やる気ひくーい」
シオンが呆れたような声を上げた。
「レベル5が最高レベルってことは、もう終盤なんだよ」
◇
ヴェルナの地が見えたのは、夕暮れが近づいた頃だった。
なだらかな丘の上から見下ろすと、遠くに海が見えた。
西の空が深く赤く染まり、その鮮やかな光が波打つ海面へと広がっている。
村は小さかった。
カルネの村より、結構大きい。
質素な石造りの家々が並び、その中央には教会の尖塔が静かに聳えていた。
「あそこが、セルノの故郷か」
エヴァンが感慨深げに言った。
「そうらしい」
「いい場所だな」
確かに、オレもそう思った。
海が見える、穏やかな丘の上の村。
セルノは、ここで育ったのだろう。
「だから、あんな真面目なのか……」
するとシオンが首を振った。
「セルノ、孤児」
「え……そうなんだ」
「イルマって人が多分、拾ってくれた人。シスターで文字を教わってるって前に言ってた」
「かなり前の話だけどな。あの時から真面目だったから、最初かもしれないがな」
「そういや。俺にも帝国南部の状況を色々聞いて来てたな。ま、流石に話してないが」
「そこは話せ、帝国人。働かずに食うな」
いつものようなペースに戻り、オレたちはヴェルナに向かう。
村へと続く道は、細く曲がりくねっていた。
石を積み上げた低い壁が続き、その向こうには手入れされた畑が広がっている。
赤黒い夕暮れの中、誰かが畑仕事をしていた。
こちらの姿に気づいて、農具を握る手を止める。
特に声をかけることはしなかったし、向こうからも声はかからなかった。
教会の建物が近づいてきた。
その時、ふいに声が聞こえた。
歌が聞こえた。
とても澄んだ、若い女の声だ。
一人ではなく複数。と言っても、五人か六人。
教会の方角から響いてくる。
夕暮れの凪いだ風に乗って、紡がれる言葉がはっきりと耳に届いた。
オレは、思わず足を止める。
大地を包む母の腕よ 果ての地より勇者来たりて 闇を払いし御名を讃えよ エレインよ、導きたまえ
いい歌だな、と素直に思った。
されど聞けよ、旅人たちよ 臆病なる悪魔の子がいた 主の恵みを偽りて隠し さむらひの背中に影を落とした
オレは、不思議に思って首を傾げた。
灰色の衣をまとう者 フードの下に顔を隠して 逃げ足だけが取り柄の臆病者 騙されるなかれ、その甘い顔に
オレは、自身の服装を見下ろした。
異邦の地から着の身着のままでやってきた、グレーのパーカーだった。
背中には、フードがついている。
エヴァンが、じっとオレを見た。
シオンが、半目でオレを見た。
リーフが、瞬きもせずにオレを見た。
ヴォルフも同じ。
「……オレのこと?」
「たぶん」
エヴァンが同情するように言った。
「なんで讃美歌に」
「奏って人が作ったんじゃない? バードだし」
シオンがため息まじりに言った。
「エルタで歌が広まってたって、セルノさんが言ってました」
奏のやつが作った歌が讃美歌として定着し、はるか南西のヴェルナまで届いていたらしい。
しかもその歌の中に、オレが明確な悪役として登場している。
逃げ足だけが取り柄の臆病者。
まあ、確かにそうかもしれない。
そこは否定できなかった。
イネスといい、奏といい。
「オレが生きてて、そんなに困るのか?」
すると、歌が止まった。
教会の重たい扉が、ゆっくりと開く。
中から、若い修道女が出てきた。
「カペー」
「隠れ……」
真っ白な修道服に、漆黒のヴェールをかぶっている。
その手には、讃美歌が書き留められた紙が握られていた。
夕暮れの光の中で、彼女の目が、頭が振られる。
そして、低木の影に低く隠れていた、オレたちを捉えた。
「……」
「あの」
修道女が、弾かれたように後ずさる。
「ちょっと待って、オレ悪いやつじゃ」
「悪魔の子!」
悲鳴のような叫び声が、夕暮れのヴェルナに響き渡った。
オレは反射的に一歩後退する。
また、見えないゼンマイが巻かれるようなカチッという独特の音が鳴った。
「いや、違う、話を」
「逃げ足だけが取り柄の!」
「それは合ってるけど!」
エヴァンがたまらず噴き出した。
シオンが頭を抱えて額に手を当てる。
リーフが反射的に大斧を構えようとして、慌ててエヴァンに止められた。
ヴォルフは無言で腕を組んだまま、静かに一歩だけ後ろへ下がった。
修道女は教会の扉に背を張り付けたまま、オレを真っ直ぐに睨みつけていた。
ひどく怯えているのに、決して逃げ出そうとはしない。
その震える瞳の奥には、確かな芯の強さがあった。
「あなたが、速水駆ですか」
オレは少しだけ驚いた。
「……そうだけど」
「セルノ兄様から、手紙が来ていました」
今度は、オレがピタリと動きを止めた。
「セルノの、手紙?」
「はい」
修道女は、まだ強い警戒を解かないまま言葉を紡ぐ。
「いつか、灰色の衣をまとった異邦人が来るかもしれない。その者を、イルマ様のところへ連れて行ってほしいと」
オレは、隣のエヴァンを見た。
エヴァンは感心したように肩を竦める。
「セルノ、ちゃんと手を打ってたんだな」
「うん。そう言ってた」
シオンの言葉が、すとんとオレの腑に落ちた。
「いや、言えよ!」
修道女が、一つ大きな深呼吸をした。
「フィオナといいます。イルマ様のところへ、ご案内します」
名乗った直後、彼女の視線がふと横へと逸れた。
ヴォルフを見た。
その屈強な胸元に刻まれた、帝国の紋章を見た。
警戒に満ちていた彼女の瞳の色が、微かに、しかし確かな感情を伴って変わった。
オレは、何か言葉をかけようと口を開きかけた。
でも、フィオナはもう振り返り、教会の中へと歩き出していた。
夕暮れの濃い光の中で、教会の尖塔が長く暗い影を落としている。
風に乗って、かすかに潮の香りがした。




