第55話 ヴァルシア王国解放晩餐会
十一人の異邦人による、二つの都市の解放は国を沸かせた。
待っていたかのように、エレイン教会の僧兵と専属の建築士が街を埋め尽くした。
まさに何処からともなく現れた。
期間はたったの三日。
「もう、内装まで……」
無数の蝋燭の灯りが、豪奢なテーブルを暖かく照らし出していた。
真っ白なクロスの上には、磨き抜かれた銀の食器が整然と並んでいる。
「壁紙でごまかしているのでしょう」
注がれたワインの深い赤が、薄張りのグラスの中で妖しく揺らめいた。
天井の高い広間には、貴族たちの話し声と弾むような笑い声が重なり合う。
それは祝宴にふさわしい、貴族には心地よい喧騒を作り出していた。
「張りぼてという事ですか?」
騎士団長であるイネスは、広間の端に静かに佇み、その光景を見つめている。
フィニス王国の重鎮たちが集っていた。
旧ヴァルシア王国の貴族たちの姿も見える。
「うむ。ずっと用意をしておったのじゃろう」
エレイン教会からは、上位の聖職者が三人揃って顔を出していた。
そして広間の中央、最も光の集まる特等席に、異邦人たちが座している。
その数は、十一人。
サムライ・ディメンションというパーティだ。
「ワシは少し用がある」
「はっ!」
サムライとは、十一を指す言葉だと、あの中でひときわ輝く褐色の踊り子が教えてくれた。
女騎士イネスは、その数字を頭の中でそっと反芻した。
十二人ではなく、十一人。
しかも、十二人目は生きていた。
その事実が、胸の奥底に鋭い棘となって突き刺さる。
今はただ、その痛みから目を背けることしかできなかった。
リュテアとセレーヌが解放された。
それは紛れもない、彼らが成し遂げた確かな成果だった。
かつてのヴァルシア王国で最も栄華を誇った二つの都市が、魔物の暗い影から解き放たれたのだ。
いや、既に隠してはいない。
卑劣な帝国の影を、サムライ・ディメンションが一掃したのだ。
巣食っていた魔物は払われ、散り散りになっていた住民たちが戻り始めている。
死に絶えていた街路には、再び人々の活気が蘇っていた。
だからこそ、今夜は盛大に祝うべき夜なのだ。
彼女自身も、頭ではそう理解していた。
分かっていた、はずだった。
「イネス殿、今夜は随分と表情が固いですな」
ふと、隣に立った旧ヴァルシアの老貴族から声が掛かる。
白髪を丁寧に撫でつけた、気品のある老人だった。
「そうですか」
「騎士団長ともあろうお方が、このような華やかな席で壁際に押し黙っているとは」
「職業病です。広間では、端が一番落ち着く性分でして」
老貴族が、鷹揚な笑い声を上げる。
イネスもまた、微かに口角を上げてみせた。
テーブルの最上座には、女王ルシアが君臨している。
流れるような金髪と、透き通る翠の瞳。
身を包む純白のドレスが、蝋燭の光を反射して神々しく輝いていた。
その隣に控える宰相バルドが、身を乗り出して耳元で何かを囁いている。
女王は表情を変えることなく、ただ静かに頷きを返していた。
「素晴らしい日ですね。栞様」
その斜め向かいの席に、如月栞が座っている。
青みがかった髪が、揺れる光の中で独特の艶を放っていた。
「……はい」
瞳孔を流れる幾何学的な光の帯が、テーブルの炎を冷たく反射している。
深く、思考に沈んでいる顔だった。
イネスは、その横顔をじっと見つめる。
召喚された直後から、この少女はずっと考え続けてきた。
烏合の衆だったチームをまとめ上げ、緻密な作戦を立案し、皆を前へと進ませてきた。
教育係として近くで見守ってきたからこそ、その重圧は痛いほど理解している。
だが今、彼女の脳裏を何が占めているのか。
普通に考えれば、追放した彼だ。
だが、それを推し量ることはできなかった。
「このリュート。貰っちゃった……。ボクに審美眼はないけれど」
不意に、天野奏が愛用のリュートを手にして立ち上がる。
広間が小さくざわめき、貴族たちの視線が一斉に集まった。
和装の少年は優雅に一礼すると、細い指先で弦を弾く。
澄んだ音が、豪奢な空間いっぱいに広がっていった。
「まぁ、素敵ですわね」
紡がれる旋律はどこまでも明るく、祝いの席に華を添える軽やかな曲調だった。
貴族たちの顔に微笑みが浮かぶ。
空になったグラスに新たなワインが注がれ、途切れていた歓談が再び熱を帯び始めた。
女騎士は、ただ静かに奏の手元を見つめていた。
軽快に演奏を続けながら、青い瞳が一瞬だけ、窓の外へと向けられる。
その視線の先にあるのは、女王ルシアの方角だった。
イネスは、逃げるように視線を足元へ落とす。
「食っていいのか」
「今日は食っていいぞ」
「おかわりもあるでござる」
次々と、豪勢な料理が運ばれてきた。
純白の皿には、美しく飾られた肉と色鮮やかな野菜が盛られている。
焼き立てのパンは白く、注がれるワインは血のように深い赤だった。
異邦人たちのテーブルは、ひときわ賑わいを見せている。
「そのネタ知ってる! めっちゃうける!」
水瀬舞が冗談を飛ばし、周囲の者たちがドッと吹き出した。
神宮寺玲は腕を組んで澄ました態度を崩さないが、その口元は微かに緩んでいる。
大石剛が行儀悪くパンを頬張るのを、岸本美咲が呆れたように窘めていた。
そのやり取りに相沢誠司が苦笑を漏らし、柊日向が柔らかく微笑む。
「美咲、上手く行ってるか?」
「……うーん」
村田雄大は、左腕の袖口を無意識に押さえながら、グラスを傾けていた。
九条蹴鞠は背筋を伸ばし、貴族も顔負けの完璧な所作で食事を進めている。
黒瀬凛は少し退屈そうにしながらも、油断のない鋭い眼差しで広間の動向を観察していた。
「……うん」
そのありふれた光景に、イネスは密かに胸を撫で下ろす。
良かった、と。
心底からの安堵が漏れた。
この子たちが、今ここで笑い合っている。
ただそれだけで、救われる思いがした。
(上手く行っている……)
召喚直後の、あの大混乱の日々。
何度この子たちの無垢な笑顔を守り切れるかと、独り思い悩んだことか。
教育係として剣の握り方を教えながら、過酷な現実に何度心が折れそうになったことか。
それでも、彼らは生き残り、今夜こうして笑っている。
それだけで、十分すぎるほどだった。
十一人が、と。
再び脳裏をよぎった数字を、無理やり奥歯で噛み潰す。
(あとはバルド様次第……か)
宴が最高潮に達した頃、エレイン教会の上位聖職者の一人が静かに立ち上がった。
白地に豪奢な金の刺繍が施された法衣を纏う、年配の男。
エルタの大教会を取り仕切る、この地方で最も権力を持つ神の代弁者だった。
「本日は、異邦人たる勇者の皆様方の偉業を称え、エレイン主の御名の下に深く感謝を捧げます」
よく通る声に、広間が水を打ったように静まり返る。
厳かな祝辞が始まった。
二つの都市の解放を手放しで讃え、異邦人たちへ最大限の賛辞を贈り、今後の帝国打倒への期待を声高に語り上げる。
貴族たちは満足げに頷き、当の異邦人たちは大仰な物言いに居心地悪そうに身を縮めていた。
やがて聖職者は、恭しく手元の書簡を持ち上げる。
「本日、皆様に一つご報告がございます。教会本部より、巡回修道士セルノへの問い合わせに対する返書が届いております。この喜ばしき席で、皆様にご共有したく」
イネスは、わずかに眉を寄せた。
——セルノ。
辺境を歩き回る、あの生真面目な青年の顔が浮かぶ。
遠縁にあたるが、本人と個人的な会話をしたことはない。
今は、どこで何をしているのか。南にまだいるのだろうか。
「問い合わせの内容は、彼が各地で触れ回ったとされる発言についてでございます。大都市を優先的に保護するのは教義に反するという、あの不届きな文言です」
貴族たちの間に、嘲笑を含んだざわめきが広がる。
「それに対する彼の返書が、こちらです」
聖職者は、芝居がかった動作で書簡を開いた。
「『勇者とはどのような人間ですか。主はどのようにお考えでしょうか』」
一瞬の沈黙。
直後、広間からどっと大きな笑い声が弾けた。
「あの真面目坊主め、教会の権威に上げ足を取っているつもりか」
「神話の時代からとうに答えの出ていることを、今更問うとはな」
「アレの聖書は、読み過ぎてとうに穴が空いているというのに」
「勇者様とは皆様方のことでしょう。異邦の地よりお越しになられた、主の力を携えし御方たち。何を今更、迷う必要がありましょうか」
嘲りの混じった笑いが、波のように広がっていく。
読み上げた聖職者自身も、呆れたような苦笑を浮かべていた。
融通の利かない修道士が、聖典の言葉を盾に的外れな問いを投げ返してきた。
その滑稽さが、美酒に酔った者たちの格好の肴になっていた。
だが、イネスは笑えなかった。
微塵も、顔の筋肉を動かすことができなかった。
勇者とは、どのような人間ですか。
その純粋すぎる問いかけが、呪いのように頭の中でリフレインする。
彼は聖書の文脈で問うたのか。
それとも、血の通った一人の人間として、純粋な疑問をぶつけてきたのか。
敷かれたレールの上を、ただ盲目的に進むだけの異邦人は、果たして勇敢と呼べるのだろうか。
理不尽に召喚され、押し付けられたスキルを振るい、帝国打倒という目標の駒として動く者たち。
彼らを、手放しで勇者と呼んでしまって本当にいいのか。
イネスは、テーブルを囲む十一人を見た。
共に笑う者がいる。
黙り込み、深く沈思する者がいる。
遠く、窓の外の闇を見つめる者がいる。
そしてそこには、十二人目の姿がなかった。
小さく、しかし力強く首を振る。
やめろ、と自身を厳しく戒めた。
自分は彼らの教育係だ。
この不条理な世界で、あの子たちを守り抜くことだけが己の存在意義なのだ。
あの不器用な修道士の青臭い問いに引きずられて、余計な感傷に浸っている場合ではない。
勇者は、勇者だ。
あの子たちが血を流して戦い、都市を解放し、勝利の旗を掲げた。
その揺るぎない事実だけが、今の全てなのだから。
乾いた喉を潤すように、ワインを一口あおる。
広間を満たす無責任な笑い声は、まだ収まる気配がなかった。
ふと、背後に気配が滲んだ。
イネスは体勢を崩さず、視線だけを鋭く巡らせる。
バルドだった。
白髪の老宰相が、まるで影のように音もなく女王の傍らへ歩み寄っていた。
「陛下」
かすれるような、微かな囁き。
女王がわずかに首を傾げ、老人がその耳元へ言葉を落とす。
玉座の主は、一切の表情を崩さなかった。
ただ、氷のように冷たい翠の瞳が、ほんの一瞬だけイネスを射抜いた。
同時に、バルドの濁った目もこちらを捉える。
言葉は、何一つ交わされなかった。
ただ、その老猾な視線が明確な命令を告げていた。
見張れ、と。
イネスは静かに呼吸を整え、僅かに立ち位置を変える。
壁際に背を預けたまま、広間の全てを視界に収める形へ。
華やかな宴を楽しむ客から、感情を持たぬ監視者へ。
ほんの僅かな、形だけの変化だった。
気づけば、バルドが音を立てずに隣へと並んでいた。
「ロベールの件、どうなりました」
女王ルシアは前を見据えたまま、唇だけを動かして問う。
「大破門の準備は、すでに整っているとのことです」
ルシアは眉一つ動かさず、何もなかったかのように素敵な笑顔を振りまき続けた。
問題なく、処理された。それで十分だった。
イネスは再び、広間の中央へと視線を戻した。
和装の彼の指先が、再びリュートの弦を弾き始めている。
底抜けに明るい旋律が、揺らめく蝋燭の光に溶け込むように広がっていった。
着飾った貴族たちが笑い合い、異邦人たちが束の間の安らぎを分かち合っている。
グラスの赤が、美しく揺れていた。
欺瞞に満ちた華やかな音楽が、再び女騎士の耳を満たしていった。




