第51話 通報から
フィニス王国の謁見の間は、ただ白かった。
石灰岩を積み上げた壁には、精緻な青いタイルの装飾が連なっている。
アーチ型の窓から差し込む光が、磨き抜かれた床で反射した。
室内全体を、ほのかな輝きが満たしていく。
それは大陸の果てに位置するこの国特有の、海の光を思わせた。
その白い空間の奥底で、玉座に女王ルシアが腰を下ろしている。
眩い金髪に、透き通るような翠の眼。
抜けるように白い肌。
王族の血脈を色濃く残すその貌は、南国めいたこの国の建築とはどこか不釣り合いだった。
だが、だからこそ彼女は、王の座に就く者として異様なほどの存在感を放っている。
玉座の傍らには、宰相バルドが控えていた。
白髪の老人は、今日も口を開かない。
彫像のように、ただ静かにそこに在り続けた。
彼らの斜め後ろの少し離れた位置に、三人の異邦人が並んでいる。
色素の薄い長髪を揺らし、青い瞳を向けるのは天野奏。
異国情緒の漂う和装の裾が、わずかな風に揺れる。
この純白の空間にあっては場違いなはずのその姿は、不思議なほど一枚の絵として成立していた。
その隣には、如月栞が立っている。
青みがかった髪の下で、特異な光の帯が瞳孔を流れていく。
腕を組み、やや前傾姿勢をとる彼女の全身からは、静かな苛立ちが滲んでいた。
そして、相沢誠司。
飾り気のない整った出で立ちが、なぜかこの荘厳な場に妙に馴染んでしまっている。
おそらく、誰よりも彼自身がその事実に一番困惑しているはずだった。
彼らの視線の先。
謁見の間の中央には、ロベール・ド・アルンが立っていた。
男は、床に膝をついていない。
深く腰を折って礼の形をとりながらも、決して跪こうとはしない。
辺境の小国にして、この大陸でしか認められていない女王への、これが彼なりの敬意の示し方だった。
あるいは、それが彼の底浅い敬意の限界だったのかもしれない。
玉座の主は、何も言わなかった。
沈黙を肯定と受け取ったのか、ロベールがゆっくりと顔を上げる。
「事実のみを申し上げます」
ひどく静かな声だった。
怒りも、嘆きも、そこには一切込められていない。
ただ事実という名の刃だけが、そこにあった。
「陛下が勇者様方の為にご用意された領地が、踏み荒らされました」
室内を満たす者たちは、誰も動かない。
「数百年の歴史を持つ教会兼砦が、崩落いたしました」
和装の少年の指先が、僅かにピクリと動いた。
「帝国軍人の捕虜が解放されただけでなく、その者と徒党が組まれておりました」
告発者は、そこでわざとらしく一拍を置く。
「これらは全て、速水駆なる異邦人の行いです」
重苦しい沈黙が落ちた。
だが、男は言葉を選ぶ様子も見せず、ただ淡々と口を動かし続ける。
「あれは陛下が召喚されたというのは、誠ですか」
支配者は答えない。
だが、その沈黙こそが明確な答えであることを、この場の全員が理解していた。
「帝国のスパイだったという噂も耳にしましたが」
青みがかった少女の瞳の奥で、幾何学的な光が微かに揺らめいた。
「いえいえ、失礼。そもそも陛下は追放処分をされたのでしたな」
耳障りな声に、歪んだ笑みの気配が混じる。
その口元は一切動いていないというのに。
「それにしても追放……ですか」
底意地の悪い間が、わざとらしく落とされる。
「こう見えても仕方ありませんな。態と解き放った、と」
誠司がごくりと息を呑む気配が、張り詰めた空気を震わせた。
「ただ和平の為と謳い、諸侯から巻き上げた税。よもや御自身の野心の為に……」
これ以上は踏み込ませまいと、絶対者が初めて口を開く。
「続きは」
氷のように冷たい、たった三文字の拒絶だった。
だが、饒舌だった男の言葉がそこでぴたりと止まる。
翠の瞳が、射抜くように足元の男を見下ろしていた。
一切の動揺はない。
少なくとも、表面上は一片の感情すら読み取らせなかった。
冷や汗を隠すように、男は再び深く腰を折る。
「砦の賠償の話は……今はしないでおきましょう。くれぐれもお気をつけを。では」
◇
退出していく嫌味な足音が、石灰岩の床にカンカンと響き渡る。
やがてアーチの回廊の奥へと消え、完全に聞こえなくなった。
再び、謁見の間は重苦しい静寂に包まれる。
和装の少年が、探るように玉座へと視線を向けた。
女主人は背筋を伸ばし、ただ真っ直ぐに前を見据えている。
二人の視線が交錯した。
ほんの一瞬だけ。
だが、玉座の主はすぐに目を伏せ、冷たく視線を逸らしてしまう。
宰相は、相変わらず何も語らない。
ただ、その白髪の老人の頭の奥底で、密かに盤上の駒が動いていた。
大陸の北の端。
カルネという名の、小さな辺境の村。
その事実だけを、誰にも悟らせることなく、老人は深く胸の奥底へと仕舞い込む。
やがて、耐えきれなくなったように少女が低い声を漏らした。
「……やはり生きていた。それに……どうやって」




