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勇者が十二人ならクソスキルはバレない〜そして、オレは追放された〜  作者: 綿木絹
第二章 追放された異邦人

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第48話 牢獄で鳴り響くのは

 分厚い石造りの牢は、思ったよりは寒くなかった。

 完全に地下の底というわけではなく、どうやら半分だけ地下にあるらしい。

 採光のための細い横長の窓が、高い位置に一つだけ開いていた。

 外は夜の闇に沈んでいる。

 わずかな月光を散らして、牢の中は薄ぼんやりと明るかった。


 向かいの檻に、ヴォルフが座っていた。


 腕を組み、冷たい壁に背を預け、こっちを見ていない素振りをしている。

 でも、その鋭い視線が常にオレを探っているのははっきりと分かった。


「……で」


 先に口を開いたのは、ヴォルフの方だった。


「てめぇのその異能は、なんだ」


 ひどく嫌そうな声だった。

 本気で訊きたくないけど、気になって訊かずにはいられない、という苛立ちが混じっていた。


(あー、オレはこのタイプ知ってる。完全なツンツン系だ。でも好奇心は全然隠しきれてない)


「さっきも言ったぞ。逃げるが吉だよ」

「……あ?」

「オレのスキルの名前。『逃げるが吉』」


 ヴォルフが、訝しげに深く眉をひそめた。


「逃げる、専門の能力か? で、捕まったと」

「そうだよ。だからオレは、王都で勇者パーティからトロール行為だって判定されて追放されたんだ」

「……」


 ヴォルフが黙った。

 三秒ほど、完全に沈黙した。


 それから、ガタッと向かいの牢で大きな音がした。

 彼が弾かれたように立ち上がりかけて、またドンと床に座り直した。

 でも、その体は鉄格子に張り付くように前のめりになっていた。


「てめぇ、それ……今ここからでも逃げられるってことじゃねえか」


 声が、さっきよりも一段と低く、熱を帯びていた。


「いや、でも。足が動かないことが、オレのスキルにとっては致命的だろうが」


 言いながら、オレは自分の両足にはめられた重い枷をちらと見た。

 一瞬だけ見て、すぐに視線をヴォルフに戻した。


「あー」


 オレは諦めたように、牢の壁に背中を預けた。

 石の感触が、背中越しにひどく冷たかった。


「そうだな。だから、このクソ重い足枷か」


 自分で言ってから、ふと別の違和感が強く引っかかった。


 足枷。オレの逃走スキルの正確な把握。それに対する徹底的な警戒。


「……ってか、よく考えたら妙だな」

「何がだ」

「手と足、どちらも拘束してる」

「そりゃ、異邦人だからな」

「そこがおかしいんだよ。オレは異邦人ではないとして、偽物を騙ったとして、お触れが出されてる」

「でも、異邦人なんだろ? それで」

「いや。実はそうでもない。異邦人と思わない人間だっていた……」


 組み上がったパズルがそう言っている。

 捕まえた隊長は、オレが描かれた絵を見て、オレを拘束した。


「オレが勇者の偽物どころか、帝国のスパイでもないって、そのロベールって奴は知ってる。だから、これだけの拘束をするように命令したんだ」


 ヴォルフが、スッと口を閉じた。

 彼が何かを考えようとした、その時だった。


 もごもご、と情けない音がした。


 オレだった。

 冷たい壁に背中をぴたりとつけたまま、尺取り虫みたいに必死に腰をずらして、重い足をずらして、どうにかして立ち上がろうともがいていた。


 ヴォルフが、呆れたように深々と溜め息を吐いた。


「……なーに間抜けなことやってんだよ」

「何って……見てわかんないか……。どう……にかして……立とうと……してるんだよ……」

「立ったところで、足がその重さじゃ何もできねえだろ」

「やってみないとわからないだろ!」


 ヴォルフは、バカを見るような目で一瞬黙った。

 それから、ふっとあっさりと言った。


「……まあ、そうだな」


 向かいの檻で、ヴォルフが動いた。

 彼には枷はない。

 それでも普通に立ち上がるのではなく、わざわざ床に転がった。

 ごろりと無様に横になって、そのまま壁際まで這って移動する。

 そこで仰向けになったまま、オレと同じように背中を冷たい壁にぴったりと押しつけた。

 それから、ゆっくりと上半身を起こし始めた。壁の摩擦を上手く使って、少しずつ、少しずつ。


「……お前、なんでわざわざオレの真似を」

「見てわかんねえのか。背中の筋肉に力を入れろ。絶対に壁から離すな」

「オレだって必死にやってるっつーの!」

「全然できてねえよ」


 悪態を吐きながら、ヴォルフはオレの手順を実演し、あっさりと立ち上がった。

 さも当然のような顔で、鉄格子の前で腕を組んで見下ろしてくる。


「で、これで何が出来るってんだよ」


 オレは答えなかった。

 考えていて、答えられなかった。


 ヴォルフの教え通りに壁に背をつけたまま、両足にのしかかる枷の重さを全身で感じながら、ゆっくりと立ち上がった。

 石の冷たさが背中を伝う。足が鉛のように重かった。

 鉄の塊が、床からオレを強烈に引っ張る。


 でも、立てた。


 ヴォルフが、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「おい、後ろに歩いてどうすんだよ。出口は前だ、前」


 オレは無視した。

 壁沿いに、じりりと後ろへ下がる。一歩。


「……って、仮に歩けたところで、その重さじゃ五センチくらいしか進んでねえけどな」

「頼むから今は集中させてくれ。少しでもコケたら、また最初からやり直しになるかもしれないだろ」

「あ?」


 ヴォルフの声が、微妙に変わった。

 からかうような響きが、すっと引いた。


 オレは、壁沿いをひたすら後ろへ歩き続けた。

 重い足枷が、石の床を嫌な音で擦る音だけが牢に響いた。

 一歩、また一歩。

 時折バランスを崩しかけて、慌てて壁に体重を預けて体勢を立て直し、またじりじりと後退する。


 ヴォルフは、それ以上何も言わずにオレの奇行を見ていた。


 五分ほど経った頃だった。


 カチッ。


 音がした。

 オレの胸の奥の、どこか深いところで。


「おい、今の……なんだ?」


 ヴォルフの声が、微かな警戒を含んで低くなった。


「駄目だ。これじゃまだ全然足りない」


 オレはそのまま後退を続けた。

 壁沿いに、ひたすら後ろへ。足枷が重い。石の床が氷のように冷たい。


 カチッ。


 もう一度、鳴った。


 その重い音を聞いた瞬間、鉄扉の向こうの廊下から複数の足音が近づいてきた。

 巡回の兵士だった。


(まずい、見られる)


 オレがビクッとして身を固めた時、向かいの檻から盛大な舌打ちが聞こえた。


「あーあ、クソうっせーな!」


 ヴォルフだった。


「この街の牢屋は、貧乏ゆすりすらまともにできねえのかよ!」

「おい、いくらなんでも貧乏ゆすりの音じゃないだろ」

「オレの貧乏ゆすりは、こうだよ!」


 ガチンッ!!


 ヴォルフが、鉄格子を思い切り蹴りつける轟音が牢に響いた。


「とっととここを開けてくれたら、すぐにやめてやってもいいぞ!」

「チッ、そんな無駄な真似をしても出られんぞ、野良犬が」


 兵士の足音が、呆れたように遠ざかっていった。


 オレは、目を丸くして向かいの牢を見た。

 ヴォルフは気まずそうに目を逸らした。

 壁の方を向いて、再び腕を組む。


「勘違いすんなよ。オレはただ、てめぇのその間抜けなスキルを見てえだけだ」

「お前……」


 オレはもう一度、壁に背をつけた。


 カチッ。


 三回目。

 溜まった。


 オレは、思い切り前に踏み出した。


 ドンッ、と鈍い衝撃音が牢の中に響いた。

 足枷が床を激しく叩いた。壁が微かに震えた気がした。

 でも、鉄の扉はビクともしなかった。


「くそっ……、やっぱり駄目か」


 オレは荒い息を吐いた。無理な力を入れて、膝がガクガクと笑っていた。


「おい、今の、なんだ」


 ヴォルフの声が完全に変わっていた。

 からかいの色が完全に消え失せていた。


「今、てめぇの周りの空気が揺れたぞ」

「オレのもう一つの力……。勝手に『ゼンマイ』って呼んでる」

「ゼンマイ?」

「後ろに後退するたびに力が奥に溜まって、前に踏み込んだ時に一気に放出されるんだ。でも、この重い足枷があると……助走が足りない」


 また、廊下から慌ただしい足音が来た。

 今度は二人や三人じゃない、複数だった。


 オレが息を詰めた瞬間、向かいの檻から怒号が飛んだ。


「おいコラ! オレを出せっつってんだろが!」


 ヴォルフが鉄格子を両手で強く掴んで、思い切り乱暴に揺らした。

 がしゃがしゃと、耳をつんざくような轟音が響いた。


「おい、やるか!? オレがこええのか!? 開けてみろよ、全員相手してやるからよ!」


 兵士たちの声が重なった。怒鳴り声。鉄格子越しの激しい押し問答。

 そのひどい騒ぎの中で、ヴォルフの目だけが、静かにオレの方を向いた。


 ひどく静かな、確信に満ちた目だった。

 もう一度やれ、と無言で言っていた。


 オレは、無言で壁に背をつけた。


「速水」


 騒ぎが続く中、兵士の隙を突いてヴォルフの声が低く飛んできた。


「外にいるのは、お前の仲間か」

「は?」

「外が異常に騒がしい。それに、さっきから窓の外の霧が生き物みたいに動いてる」


 霧。

 オレは高い窓を見上げた。

 薄ぼんやりとした光が、さっきよりもはっきりと白く濃くなっていた。


「急げ。もっと距離を下がれば、壁ごとイケるんだろ」


 オレは、壁に背をつけたまま言った。


「帝国軍か魔物が攻めてきたのかもしれないだろ。お前も今のうちに騒ぎに乗じて逃げろよ……」

「馬鹿言え。オレを助けに来る奴なんか、この世界のどこにもいねえよ」


 ヴォルフが、ひどく静かに言った。

 からかいも、煽りも、自嘲すらもなかった。

 ただ、それが自分に課せられた当然の事実だ、という空っぽの声だった。


 オレは、何も言えなかった。


(このヴォルフって奴は、ずっと一人で戦ってきたんだ)


「おい、勝手にしんみりすんな」


 ヴォルフが、忌々しそうに舌を打った。


「今、地下の兵士も外の騒ぎに向かってる。音を気にせずに続けろ。今がてめぇのチャンスだ」


 オレは、決意を込めて壁に背をつけた。


 カチッ。

 一回。


 カチッ。

 二回。


 足枷がひどく重い。石の床が足の裏から体温を奪う。

 壁の粗い表面が、動くたびに背中をゴリゴリと削る。

 それでも、歯を食いしばって後退する。一歩、また一歩。


 カチッ、カチッ、カチッ。

 五回。


 外の騒ぎが、さらに大きくなっていた。

 誰かの怒鳴り声。剣がぶつかる金属の音。

 白い霧の向こうで、何かが激しく動いている。


 カチッ、カチッ、カチッ。

 八回。


(念のためだ、もう少しいける)


 カチッ。

 カチッ。


 十回。


 胸の奥が、焼け付くように熱かった。

 溜まった。オレの許容量の限界まで、ゼンマイの力が溜まった。


 オレは、正面を真っ直ぐに見据えた。

 オレを閉じ込める分厚い鉄の棒が、目の前にあった。


 大きく、踏み出した。


 バキィッ!!


 爆発的な音が、牢の中に響き渡った。


 両手を拘束していた木と鉄の枷が、耐えきれずに粉砕した。

 両足の重い枷が、木端微塵に砕け散った。

 オレの体が弾丸のように飛び出し、目の前の鉄の棒がぐにゃりと歪んだ。


 そのまま、オレの突進は止まらなかった。

 牢を突き破り、向こう正面の檻の鉄の棒まで、体が完全に突き抜けた。

 二本目の鉄格子が、嫌な音を立てて軋み、へし折れた。


 そして完全な静寂と自由が、地下牢に訪れた。


 オレは、自分の両手を見た。

 手枷の細かい欠片が、石の床に無惨に散らばっていた。

 足が、羽が生えたように軽かった。


「……マジ……かよ」


 ヴォルフの掠れた声がした。

 すぐ向かいの檻から、彼が信じられないものを見るように息を呑む気配がした。


「おい、てめぇ……いくらなんでも溜めすぎてんじゃねえか」


 オレは、ゆっくりと振り返った。


 ヴォルフが、へし折れた鉄格子の前に立っていた。

 腕を組んで強がっていたが、その目は今までで一番真剣だった。


(そういえば、こいつに最初言われたな)


 前に。

 国がどうとか知らない、気安く帝国人呼びするなと、吐き捨てるように言った男がいた。


「オレは、この世界の国がどうとか全く知らない」


 オレは、ヴォルフの目を真っ直ぐに見て言った。


「だから、お前が帝国人とか、そんなの全く関係ない」


 ヴォルフが、ハッとして目を細めた。


 オレは、彼を閉じ込めている向かいの鉄の棒に向かって、もう一度強く踏み込んだ。


 バキィッ!


 残っていた鉄格子が、根本から吹き飛んだ。


「けっ……。ちげえねえ」


 そして、灰色の髪の男は、差し出されたオレの手を力強く掴んで、檻の中から立ち上がった。

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