第47話 メタ的に牢獄との出会いを考える
連行された牢獄は、冷たい地下の底にあった。
「ロベール様に報告するまでちょっと待ってろ」
幾重にも重なる薄暗い石段を、無理やり降ろされた。
壁に突き刺さった、たった一本の松明の明かりだけ辺りを照らす。
湿った地下の空気を赤く照らしている。
天井は圧迫感があるほど低く、周囲の石壁は地上とは比べものにならないほど分厚い。
さっきまで聞こえていた地上のシュプレヒコールの声は、聞こえない。
「やばい……やばい……やばい……」
最奥の、ひときわ頑丈な鉄格子の牢に乱暴に押し込まれた。
兵士が二人がかりでオレを押さえつけ、両手に重い枷をはめた。
見た目はただの木製だった。
でも、信じられないほど重かった。
おそらく、中に特殊な金属が仕込まれているのだろう。
そして、両足の足首にも、全く同じ重い枷をはめられた。
「嘘だから。オレがそんな凄いやつなわけないだろ」
「馬鹿を言え。こんなにも特徴揃ってんだぞ」
ガチャン、と重い鉄の扉が閉まり、鍵がガチガチと回る冷たい音が響いた。
「ロベール様の機嫌がいいことを祈るんだなぁ」
オレが大人しくしていたからか、手枷足枷以外は乱暴には扱われなかった。
オレの力を気にしていたか、ロベールとやらの判断がないと動けないのか。
他の理由かもしれないが、とにかく無事。
そして、兵士たちの足音が遠ざかっていく。
オレは、力なく冷たい石の床に座り込んだ。
重い枷が、オレが少し身動きをするたびに、ジャラジャラと情けない音を立てて鳴った。
「完全に、詰んだ──」
オレのスキルは『逃げるが吉』だ。
でも、両手両足にこれほど重い枷をはめられては、地面を蹴ることすらままならない。
おまけにここは、強固な石壁に囲まれた地下の底。
地上の音すら届かない完全な閉鎖空間だ。
「誰か助けを……逃げる専門家とか……」
十一勇者の進む効率的な北ルートは、東側の主要都市を結ぶ大街道だ。
この辺境のアルンは、あいつらのルートから完全に外れている。
栞たち十一人は、絶対にここには来ない。
頼りになるセルノは、遠いカルネの村に置いてきてしまった。
エヴァンとシオン、そしてリーフは外にいるが、ここは領主の兵士たちが固める要塞だ。
「逃げる専門家って……どっかで聞いた……」
「あー、新客が誰かと思ってみたら……てめぇ、噂のフィニスの異邦人だな?」
「ひ……」
牢の薄暗い隅から、不意に低い声が聞こえた。
松明の微かな明かりの端に、先客の男が一人座っていた。
冷たい壁に背中を預け、長い足をだらしなく投げ出した、品のない座り方。
でも、こちらを射抜く瞳だけは、尋常じゃなく鋭かった。
「い……異邦人……じゃない……ですよ」
ボサボサに伸びた灰色の髪。
それは、あの夜に見たスヴァントウルフの毛並みと、全く同じ不気味な色をしていた。
「あ? あぁ、例の簒奪者だったか?」
無駄な抵抗すぎた。
絵が上手すぎた。
「お……お前、だ……」
「ヴォルフだ」
男は、先手を打って傲慢に名乗った。
オレは戸惑った。
聞いたところで、意味がない。
でも、アレじゃん。こういう所にいる奴ってアレじゃん。
「オ、オレは、速水駆だ」
「はやみかける? 駆か」
ヴォルフは、顎に手を当てて少しだけ考えるような間を置いた。
「確かに。異邦人を騙っただったか。大衆の富を盗んだ『簒奪者』。それとも、ドミナス帝国の犬の『スパイ』だったか」
「う……。そうです。違いますけど」
「なるほどなぁ」
「違いますけど……」
「てめぇの噂は、今この辺りで二種類流れてんだよ。フィニス王国の側じゃ大罪人の簒奪者。帝国寄りのお偉方の間じゃ、フィニスの情報を探るスパイ、だ」
「オレって、そんな大物になってんだ……」
ヴォルフは鼻を鳴らし、鉄格子の外の通路へ視線を投げた。
「チッ……。それにしても、なんであの見捨てられたアルンの村が急に活気を取り戻してやがる。帝国の諜報員どもは、一体何をしやがっているんだ」
「ん? お前……ドミナス帝国の人間なのか?」
「ヴォルフだって言っただろ。上が勝手に決めた国境の線なんて知らねえよ。気安く帝国人呼びするんじゃねえ」
そうらしい。
「じゃあ、なんて呼べばいいんですか」
「ヴォルフだっつってんだろ。あと、その喋り方をやめろ。俺たちゃ囚人同士だぜ?」
「う……確かに」
「で。てめぇ、さっきから人の話を聞いてんのか?」
「聞いてたけど……」
重苦しい沈黙が、地下牢の底に落ちた。
「帝国のスパイじゃあねぇな。こりゃ。だったらただの簒奪。嘘つきかよ」
「まだ、分かんねぇだろ。帝国のスパイかもしれないし」
「あ?」
「いや、それはないけど。……ってか、あれ?」
オレは、ヴォルフのその特徴的な灰色の髪をじっと見つめた。
「なんとなくだけど。もしかして、あの森にいたスヴァントウルフの群れ──お前が裏で操ってたのか?」
ヴォルフが、少しだけ目を細めてオレを見た。
「ま。隠すことねぇか。その一人だよ」
「その一人……。そうか」
「俺もてめぇのことぁ言えねえな。ただの雑魚だからな」
銀狼を思わせる男。
なんていうか、オレに似ていた。
見た目ではなく、なんとなく。
ただそれよりも早く、オレの中の考察班が動いていた。
「スヴァントウルフの統率は異常だった。でも、ここへ来る道中で一頭だけ違った。いつもより、明らかに動きが鈍かったんだ」
「……そりゃそうだろ。操り手がここで捕まって、術の連動が切れてたんだからな」
だからリーフの斧で倒し切れたのだ。
勿論、あの子も相当強いけれど、コレって何?
最初から帝国が仕掛けてたってこと……
胸の奥でずっと引っかかっていた違和感のパズルが、牢獄の中で繋がっていく。
「ってか、よ」
ヴォルフが、改めてオレの手足の枷を凝視した。
その灰色の瞳はその後、オレの体を舐めるように見始めた。
気持ち悪いんじゃなくて、男は突然言った。
「異邦人と偽った? 違うだろ。本物の異邦人だろ」
「え……?」
余りにも当たり前のことだけれど、当たり前すぎてオレは目を剥いた。
公式には、異邦人を偽ったとされている。
だけど、見た目はどう考えたって、異邦人だ。
カルネが情報が遅れていただけで、これが普通の反応なのだ。
あのお触れは、そもそも意味がない。
「マジでカルディナ山脈で死んだと思われてるのか。マジで殺すつもりだったのか」
分かっていたことだ。
でも、改めて考えると腹が立った。
何が十一人の勇者だ。オレを殺しておいて
「で、なんで神様みたいに強いはずの異邦人が、こんな薄汚い牢に捕まってやがるんだ? お前、まさか凄い能力を隠し持ってる戦闘狂とかか?」
「オレは、簒奪者でも戦闘狂でもない」
変に隠しても意味はない。
だってオレは既に死んでるんだ。
「じゃあ、なんで捕まったんだよ」
「逃げ足が速すぎて、自分の速度に制御が追いつかなくて袋小路に突っ込んだ」
数秒間の、完璧な沈黙。
「……は?」
「だから、オレは逃げることしかできないスキル持ちなんだって」
ヴォルフは、またしばらく唖然と沈黙した。
それから、自分の前髪を乱暴にかき上げた。
「逃げスキル。選ばれし異邦人が、ただ逃げ回って壁にぶつかって捕まった、だと?」
「そうだよ、悪いかよ」
「……クッ、ははっ!」
ヴォルフが、急に声を上げて笑い出した。
乱暴で、ひどく品のない笑い方だった。
でも、心の底からおかしそうに笑っていた。
「最高にダサいな、てめぇ!」
「分かってるよ……」
ひとしきり笑い終えて、ヴォルフは再び冷たい壁に頭を預けた。
そして、恐ろしく残酷なことを言った。
「どうせ、オレたちはここで殺される。……帝国の不届きなスパイとしてな」
もう、社会的にも物理的にも殺されたオレがまた、殺される。
オレは、その不穏な言葉に体を強張らせた。
「嘘だろ……。裁判とかはないのか?」
「はっ、あるわけねえだろ。ここの領主のロベールって男は、典型的なコウモリ野郎だ」
「コウモリ?」
「フィニス王国が優勢になれば、教会の歓心を買うために俺とてめぇの首を簒奪者として差し出す。帝国が優勢になれば、お前のような希少な異邦人の首だけを、手土産として皇帝に献上する。捨て駒の俺の首はその辺に捨てられるか」
ヴォルフは、冷淡に言った。
「要するに、どっちに転んでも、俺たちの首はだんっ! と斧で叩き落とされておしまいだ」
何でもない日常の会話のように、彼は言った。
その淡々とした口調が、余計に現実の重さとなってオレの首筋に冷たくのしかかる。
「確実に死ぬじゃん」
「あぁ、確実だな。今のところ、首と胴が繋がって生きてるやつは見たことがねぇ」
首を刎ねられるが吉
どう考えても大凶だが、そんなスキルだったなら。
オレは、牢獄の分厚い石壁を見つめた。
完全に詰んだ、と本気で思った。
でも、外にはエヴァンとシオン、そしてリーフがいる。
あいつらなら、オレが捕まったと知れば、絶対に何か次の手を考えてくれているはずだ。
だけど、無茶をされても困る。
ここは逃げるが吉のオレが捕まった砦だ。
だったら……
オレのメタ作戦をやってみよう。
こういう牢獄の出会いは、絶対に何かがある。
「……なぁ、ヴォルフ。オレたちで、脱獄の隙を探さないか」
「ああ? オレがてめぇのようなダサい異邦人と組む理由が、どこにある」
「ここで無駄に首を落とされるよりは、一か八か逃げ出した方がマシだろ」
ヴォルフは、忌々しそうにちっと激しく舌打ちした。
「……うるせえよ」
口では拒絶していたが、彼はそれ以上、オレの提案を否定しなかった。
◇
同じ頃、アルンの街の外れ。
高い防壁が作る、日の当たらない薄暗い路地の影に、三人の影が身を寄せていた。
「今度の敵は、魔物じゃない。それが厄介だな」
エヴァンが、声を潜めて厳しい顔で言った。
「そう。武器を持った、生身の人間」
シオンが、静かに後に続いた。
これまでの戦いは、すべて明確な悪意を持つ魔物が相手だった。
カルネも、レンも、カッセも、ヴェラも。
でも、今回は違う。
相手はこの街を支配する領主と、その命令で動く無数の兵士たちだ。
ただ力任せに殴って解決できる問題ではなかった。
「王都の異邦人の本隊に、話を直接通して助けてもらう方法は?」
エヴァンが問うと、シオンが小さく首を振った。
「駄目。お触れを出したのは、あっちだから」
三人の間に、重苦しい沈黙が落ちた。
街の息苦しい空気のなかで、考えが完全に煮詰まってきた頃、
「ごめん……なさい」
リーフが意を決したように口を開いた。
「あたしのせい」
エヴァンとシオンは何も言えなかった。
リーフのせいと思ったわけでもない。
自分で逃げタンクと言う、駆のやり方に他ならないし、今までの戦いも駆が逃げるところから始まっている。
「だったら……あたしが、街の広場で大きな騒ぎを起こす。兵士たちの目がそっちに向いている隙に、二人が駆を助けに行く。それじゃ、駄目?」
エヴァンとシオンが、弾かれたように顔を見合わせた。
「騒ぎって、お前、一体何をする気だ」
「駄目だよ」
「領主の館に、火をかける」
「待て待て、それは流石に過激すぎる!」
エヴァンが、慌ててリーフの肩を掴んで止めた。
「もっと単純な嘘でいい。魔物が出たぞ、と叫ぶだけで十分だ。現地の兵士は、何より魔物の襲撃を一番恐れているからな」
リーフは、大きな大盾を抱えたまま少しだけ考え込んだ。
「……本当に、それだけの言葉で兵士たちが動くの?」
「確実に動く。でも──」
エヴァンとシオンが、もう一度だけ顔を見合わせた。
その表情には、暗い懸念が浮かんでいた。
「ここの豊かな畑は、王都の勇者様たちへ献上するための大事な物資拠点だろ」
リーフの動きが、ピタリと静かになった。
「だから、もしそこに魔物が出たとなれば、兵士たちは死に物狂いで、全戦力で守りに来るはず」
シオンが、静かに言葉を重ねた。
リーフが、ゆっくりと街の中央にある広大な畑の方角を見つめた。
「……多分、あの畑は、本当は帝国のための畑だった」
ひどく静かな、掠れた声だった。
「あの畑のせいで、お母さんが過酷な労働で死んで、お父さんがわたしを連れて、命懸けでヴェラの森に逃げたの」
エヴァンとシオンは、言葉を失って黙り込んだ。
この小さな少女が、大盾を抱えて一人で森を生きてきた理由。
その過酷すぎる過去に、言葉をかけることが出来なかった。
しばらくして、リーフが二人に向かって毅然と顔を上げた。
「もし作戦が失敗して見つかるなら、リーフ一人だけの方がいい。あなたたちまで捕まったら──」
「その後のことも多分、大丈夫だ」
エヴァンが、不敵な笑みを浮かべて彼女の言葉を遮った。
「かなり不確定な『多分』で悪いんだけど」
シオンも、つられてふわっと微笑んだ。
「あいつのスキルは『逃げるが吉』だ。逃げること、その一点に関してだけは、俺たちの想像なんて遥か上に優に超えてくれる」
「……筈。でも、私はあのキモい逃げ足に期待する。それに、リーフちゃんにだけ、そんな危ない思いは絶対にさせない。私も精霊術の霧を使って、街の混乱を全力で手伝うから」
リーフが、二人の顔を順番に見た。
硝子玉のような薄い目に、初めて、血の通った温かい感情が宿った。
「……分かった」
「だから、夜まで待つぞ」
「魔物と言えば、夜だもんね」




