第37話 勇者に解放された街
丘の上に立った時、思わず息を呑んだ。
石の街だった。綺麗な石の国だった。
カルネの質素な木造の家々とも、レンの泥壁の小屋ともまったく違った。
分厚い石を積み上げた強固な壁が、街全体をぐるりと囲っている。
城壁というより、街そのものが巨大な石の塊で出来ているようだった。
何百年もかけて積み上げられた歴史の重さが、遠目からでもはっきりと伝わってきた。
何より、フィニス王国よりも美しかった。
「あれが、エルタです」
セルノが言っていた通り以上の街だった。
中心に、高い塔が見えた。
古く、そして伝統のある教会の塔だろう。
鋭い尖塔が、赤く染まる夕暮れの空に突き刺さる。
刺々しいが、気品を孕んで、高くそびえ立っている。
その周りには、同じような石造りの建物が隙間なく密集している。
森の中に石の森がある。そんな印象だ。
そして、更に外周に行くと無骨に変わる。
窓は極端に小さく、壁はとても厚い。
外からのあらゆるものを強固に拒絶するように、その街は固く閉じていた。
「エルタ……な。ってかここ」
カルネやレン、それから小さな三つの集落とは違う。
ここには、息づく人の気配があった。
そして遠くから、風に乗って声が聞こえた。
複数の声が重なり合っている。歌だった。
「普通に街じゃん。 結構、都会?」
丘を吹き抜ける風に乗って、断片的なメロディーだけが届いた。
距離があって、言葉までは聞き取れない。
でも、ここが素晴らしく、とても明るいことは伝わる。
熱狂する祝祭のような、苦難から解放されたような、底抜けの明るさだった。
ふと見ると、案内役のセルノが固まっていた。
オレの隣で、まるで石像のようにピタリと動かなくなっていた。
眼前の街をじっと見つめている。
目を細め、その異様な活気を測るように観察していた。
「セルノ……。えっと修道士様?」
返事がなかった。
「セルノさん?」
「……あの歌は」
修道士が、ぽつりと呟いた。
こちらに向けたものではない、独り言のような虚ろな声だった。
「知ってる歌ですか」
「知りません。でも──」
セルノが、さらに鋭く目を細めた。
「二ヶ月以上は、優に経っています」
「何がですか」
「間違いなく、二か月は経ってます。エルタの街が解放されてから」
オレはハッとした。
「あっ! そうだよ。 ここまで来て言う事じゃないけど、エルタには行かなくていいんだよ」
流されて、ここまで来たが、ずっと二人に物申したかったのだ。
途中から、セルノが行くというから従ったけれど。
エヴァンとシオンは目を瞬かせた。
そして、シオンは街を見つめて、動かなくなった。
「どういう意味?」
「あの街並みを見てください。石壁に生々しい焦げた跡がない。崩れた瓦礫も綺麗に片付いている。小さな窓には生活の証である布が掛かっている。人が、完全に日常に戻っている」
セルノの平坦だった声が、少しずつ、ごつごつした岩のように硬くなる。
「私がレンに行く前……。私がエルタの周辺を巡回した時。あの街は完全に魔物に占拠されていました。信仰の中心である教会も固く閉じていた。それが、今は」
風が吹いた。香ばしい香りが吹いた。
軽快な歌の断片が、またオレたちの耳に届いた。
「……誰かが、解放した……んです」
セルノが、重い事実を噛み砕くように呟いた。
それから、突然弾かれたように駆け出した。
「あのさ。それ──」
「あなた方は、ここで待っていてください」
「待てって」
セルノは振り返ることもなく、行ってしまった。
修道士の質素な灰色の背中が、転がるように丘を下り、石造りの巨大な街、その城壁の中へと吸い込まれていった。
オレたち三人は、その場に残された。
「どういうことだ」
「どういうことも何も。お前の頭の中にはカーナビ入ってるだろ」
「かーなび?」
丘の上には、冷たい風だけが吹き抜けていた。
眼下のエルタの街からは、相変わらず祝祭の歌が聞こえていた。
言葉は聞き取れない。
でも、そのメロディーの持つ、祝福の熱はしっかりと届いた。
軽快で、偉大な英雄譚を褒め称えるような調子だった。
オレは、力なく草の上に座り込んだ。
エヴァンも無言で腰を下ろした。
シオンも、オレたちに倣って静かに座った。
「カルディナ山脈に狼煙が上がった。で、ここだ」
しばらく、二人は何も言わなかった。
遠い街からの歌だけが、途切れることなく続いていた。
「……つまり駆の元・仲間。吟遊詩人の……歌か」
エヴァンが、ぽつりと言った。
星空の下で話した名前を、彼は正確に覚えていた。
「精霊たちは騒がしかった」
「オレ一人で、騒ぐ精霊だからな」
「つまり……」
オレは軽く頭を抱えていた。
オレ自身が割り切る前に、オレはあいつらの話をした。
だから、エヴァンとシオンが、英雄たちを嫌ってしまっている。
「カペーを追い出した酷い人」
「じゃなくて。その時のオレはマジで無能。今だって」
いや、訂正する。オレは割り切っているつもりだった。
明るいメロディーが風に乗って届くたびに、オレの胸の奥で鈍く痛んだ。
痛いのと、もう一つ。ひどく重かった。
(あいつら、流石にここは解放するよな……)
エルタの街を、鮮やかに解放した。
街の人間たちが、彼らを讃えて歌っている。
それも二ヶ月以上前に、オレたちが来るずっと前に終わらせていたのだ。
(オレがヴァルシアの端っこに行って、そこで色々あって。その間も、フィニス王国で作戦練って、効率的に)
当たり前だ。
無能なオレが一人いなくなっても、世界は普通に回って動く。
勇者パーティが十二人から十一人に減っただけ。
そもそも、トロールがいなくなったのだから、より一層。
彼らの輝かしい任務は花開いた。
分かっていた。
そんなことは、痛いほど分かっていたけど。
「カペー」
シオンが、静かに呼んだ。
「なに」
「怒ってる?」
オレは少しだけ考えた。
怒っていないのは分かっているけれど、言葉が見つからなかった。
「……自分だけ置いていかれて悔しいとか、そういうのもない」
シオンが、両腕でぎゅっと膝を抱えた。
「そう」
エヴァンが、足元の草を一本引き抜いた。
手持ち無沙汰に、指先でくるくると回している。
「なあ、カペー」
「なんだよ。カペーってお前は言わな……あぁ、そうか」
「カペーはそのままでいいのか?」
「当然だろ。 オレは戻れない。追放だしな」
赤い夕暮れが、もう完全に終わりかけていた。
空の端から、夜の暗闇がじわじわと侵食し始めている。
突き刺さるようなエルタの塔が、黒いシルエットに変わっていた。
「ずっと隠してた。黙っていた。それだけの理由で、死の森に追放されるか?」
「そういう空気だった。ほら、オレって、偶に分からないこと言うだろ? それに……。判断が甘かったのは確かだ。 オレも、あいつらも」
エヴァンは項垂れた。
「でも、今は違うだろ?」
「アイツらも、多分。 色々変わったと思う。そもそも、アイツらは有能だ」
後退士が、あとずさりしだったとして、も。
刀剣士、刺剣士、大盾士それから賢者などなど。
実に分かりやすく、戦略を組み立てやすい。
「カペーも有能」
歌が、また風に乗って届いた。
今度はさっきよりも少し、輪郭がはっきりと聞こえた。
独特な言い回しだから、言葉の正確な意味は分からない。
でも、自分たちを救ってくれた英雄の名前を、一人ずつ高らかに呼んでいるのは、ちゃんと伝わった。
ちゃんと、十一人。
オレの名前は、当然ながらそこにはなかった。
「オレは、正直、あの時は頭が真っ白で何も考えてなかったぞ」
「後悔はしてるか」
「そりゃ、ifストーリーくらいは考える。でも──」
オレが、最初から「あとずさりし」と名乗っていたら。
は?
「ないわ。絶対にないわ……」
丘の下に、堅牢な石造りの街がある。
そのさらに向こうには、深く暗い森があった。
「なんだよ、突然」
「カペー、笑ってる?」
なんか、笑えてきた。
どう考えても、おかしい。
「オレがあそこで活躍できたか。答えはノーだ。 絶対に埋もれる」
「そんなことは——」
「セルノも言ってたろ。 尖ってるんだよ。 で、ばーんと赤い光で切ったり、刺せたり、木々を飛び回ったり、体の周りに光の窓を出せたり……。緑に輝く体だったり」
エヴァンが、軽く目を剥く。
シオンもふっと顔を上げた。
「なんだ、それ」
「気持ち悪い……」
「そ。そんな中で、活躍しろとか」
膝を抱えていたシオンが、ゆっくりとオレを見た。
「なら、良かった」
「ん?」
「カルネの村にカペーが来て良かった。キモくない」
「いつもキモい言ってるだろ」
沈黙が、丘の上に落ちた。
エヴァンが、少しバツが悪そうにガシガシと頭を掻いた。
「そうだな」
「言ってないもん」
◇
街へ降りたセルノが戻ってきたのは、空が完全に暗黒に沈んでからだった。
揺れる松明の光が、丘の斜面を登ってくるのが見えた。
オレたち三人は揃って立ち上がり、彼を出迎えた。
炎の光の中に、セルノの顔が浮かび上がる。
ひどく真面目な顔だった。
でも
何かを覚悟した、強い顔だった。
「聞いてください」
セルノが、勢いのままに言った。
「エルタの街は、やはりかなり前に解放されています。十一人の異邦人、十一勇者たちによって」
「知ってる」
「街の人々は、彼ら英雄の名を一人ずつ呼んで歌っています。専属のバードが作った、真新しい英雄譚の歌を」
「それも知ってる」
セルノが、暗闇の中で深く一息をついた。
「そして──フィニス女王陛下の絶対の御名において、街の広場に『お触れ』が出ています」
「ん?」
丘を吹いていた風が、不気味にピタリと止んだ。
「速水駆という男を見たら、直ちに教会か兵所に通報せよ、と」
「はい?」
誰も動けなかった。
エヴァンの両手が、ギリッと音を立てて固い拳に変わった。
シオンの顔から、一切の表情がすっと抜け落ちた。
「……因みに、罪状は」
オレが聞いた。
自分でも驚くくらい、感情のブレがない平らな声だった。
「選ばれし勇者たる異邦人と偽り、国の血税による食事と宿を長きに渡って詐取した大罪。無知な民からの、悪逆非道な『簒奪』、と」
簒奪。
そのおどろおどろしい言葉が、冷たい夜の空気の中に重く落ちた。
エヴァンが激昂して口を開きかけた。
オレは無言で片手を上げ、彼を制止した。
「その通りだ。オレには反論ができない」
「カペー、お前──!」
「国庫のお金で豪勢な飯を食って、安全な城で寝起きして、スキルがないのを隠してた。簒奪って言われても、実際にそうだったから」
エヴァンが、悔しそうに唇を噛んで黙った。
シオンも、俯いて沈黙した。
セルノが、松明の明かり越しにオレを見た。
ブレのない、真っ直ぐな修道士の目だった。
「私からも一つ、言わせてください」
「どうぞ」
「私は今日、あなた方と共に集落を三つ通りました。どれも、あなたの手によって鮮やかに解放されていた」
「いや……そうかな」
一瞬、セルノがオレを睨んだ。
でも、仕方ない。
キル数なら、圧倒的にエヴァン。アシスト数なら、圧倒的にシオンだ。
だが、彼は首を振る。
「エルタを解放した栄光の異邦人グループは、確実にこの周辺を通過しています。十一人もいて──その小さな集落には、誰一人として寄っていなかった」
エヴァンの目が大きく剥かれた。
草原がサワサワと揺れた。
「私は街へ降りた際、エルタの修道院に寄りました。なぜ彼らは周辺の貧しい集落に手を入れなかったのか、と司祭に聞きました。答えは──『帝国打倒の火急故に、辺境の犠牲は仕方がない』、でした」
セルノの声が、怒りを秘めて静かに続いた。
「私は、その答えがひどくおかしいと思った。真の救済ではないと思った。だから、あなた方の元へ戻ってきました」
オレは顔を上げ、セルノを睨み返した。
でも、セルノは止まらない。
「女王の名で大罪人としてお触れが出ている男が、見捨てられた辺境の集落を自らの危険を顧みず解放していた」
セルノが、祈るような力強さで真っ直ぐに言った。
「私の目には、あなたは決して簒奪者などには映っていません」
深い沈黙があった。
言葉の重みを噛み締めるような、長い長い沈黙だった。
やがて、張り詰めていたエヴァンが大きく息を吐いた。
シオンも、こわばっていた膝の力をすっと抜いた。
うーん……
オレは、丘の下のエルタの街を見た。
堅牢な石造りの街が、冷たい夜の闇の中に完全に沈んでいた。
教会の塔のシルエットだけが、満天の星空に黒々と浮かび上がっている。
……ムズすぎる。オレにどうしろ、と?




