第34話 勇者様ではないんだけど
レンの村は、小さかった。
カルネの村よりも、ずっと小さかった。
数えても、十軒ない。
黒ずんだ石造りの家々が、迫り来る深い森に完全に呑み込まれるようにして建ち並んでいる。
畑らしき区画はあったが、土は白く痩せ細っていた。
共同井戸もあったが、石組みには不気味なほど黒く変色した苔がびっしりと張り付いている。
「よく持ちこたえていたな」
「確かにな」
オレの独り言にエヴァンが答えた。
オレは首を傾げる。
「カルネもそうだろ」
「あそこはまだ、マシだ。守る方向が限られている。それに恐らく……」
「あ……そうか。フィニス王国にターゲットが向いてたから。でも、そうなるとやっぱりなんだけど」
「カペー。話は後。誰か出てきた」
シオンは精霊に聞いたのか、その数秒後。
家の中から人が出てきた。
最初は一人だった。
白髪で、腰が大きく曲がった老人だった。
カルネの長老であるドワンにどこか似ていた。
でも、ドワンよりもずっと、頬がこけて酷くやつれていた。
老人が、オレを見つけるや否や、奇妙な顔をした。
間違いなく、オレの着ている合成繊維の服を見ていた。
この世界には存在しない、なめらかなパーカーの生地を見た。
濁っていた老人の目が、見開かれた。
「……まさか」
ひどく震える声だった。
オレは修道士様、と言われるとばかり思った。
だが、
「勇者様、でございますか」
オレは慌てて、口を開いた。
「いや、あの──」
「勇者様が来てくださったぞ!」
老人が、枯れた声で背後を振り返って叫んだ。
途端に、閉ざされていた家々から次々と人が這い出てきた。
「エヴァン……」
「知るか。 前までは森に入るのだって大変だったんだ」
「私たちのせいじゃないし」
十人、二十人。
おそらく、村の全員が出てきたのだと思う。
大人も子供も、皆一様に土気色をしたやつれた顔だった。
でも──彼らの目は、すがるような狂気じみた光で輝いていた。
「勇者様!」
「フィニス王国から、我々を救いに来てくださった!」
「言い伝えの通りだ!」
あっという間に、オレは熱狂する人垣に囲まれてしまった。
(なんでだ? っていうか、違うんだけど!)
エヴァンも、シオンも、パーカー修道会が助けに来たぞ、という予定だった。
カルネで間違えられたんだから、もっと森に囲まれたレンなら、絶対に通用する。
(でも……)
頭の中で、お決まりの天使と悪魔が戦い始めた。
天使が言った。
『オレは勇者じゃない。正直に言え。フィニス王国とはもう無関係だ』
悪魔が囁いた。
早口でまくし立てるように。
『でもさ。ここで否定したら、アイツらの手柄になるんじゃないか? それにアイツら、絶対にここに来ないぞ。 リモートでアイツらの手柄とか、マジダサい』
脳裏に、栞の冷たい顔が浮かんだ。
雄大の「知らないでござる」という顔が浮かんだ。
あの居心地の悪い王都の食堂が浮かんだ。
(うーん……)
どうにも、モヤモヤする。
すると老人が、地面に這いつくばるようにしてオレの手を取った。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……」
ガタガタと震えていた。
握られた手が、あまりにも細かった。
皮膚の下の骨が、生々しく浮き出ている。
(木の皮とか、泥とか食ってるかもしれない)
エヴァンの言っていた言葉が、頭の中に蘇ってきた。
(前までのオレたちと、同じ)
シオンの言葉が、それに重なった。
悪魔は引っ込み、天使が勝った。
「勇者では、ないです」
老人が、弾かれたように顔を上げた。
「でも──異邦人です」
村人たちが、一斉にざわめいた。
「異邦人様!」
「やはり勇者様ではないか!」
エヴァンは半日あれば行けると言った。
確かにまだ日が暮れる前。
その距離しか離れていないのに、カルネと違う。
「伝承通りだ! 異邦人様が救いに来てくださったぞ!」
「うーん……」
オレは低く唸った。
結局、どう訂正しても彼らの耳には届かなかった。
エヴァンが、隣に寄ってきてこっそりと耳打ちした。
「勇者様、どうぞ」
「オレは勇者じゃないって言ったろ」
「村人がそう思って希望を持ってるんだから、いいじゃないか」
「よくない」
シオンが、反対側からふわっと言った。
「精霊もいいって言ってるよ」
「朝令暮改の精霊もいたもんだなっ!」
「またキモいって言ってる」
「今は関係ないだろ!」
結局、悪魔が勝ったのか、天使が勝ったのかは分からない。
そもそも異世界。どっちが天使とか、関係ないのかもしれないが。
◇
オレたちは村の中で一番大きな家へと通された。
一番大きいとはいえ、中は薄暗く質素な作りだった。
「異邦人を呼ぶのは禁忌……」
「駆。止せ」
歪な木製のテーブルに、食事が並べられた。
木の実をすり潰したようなスープと、硬いパンの切れ端。
量は本当に少なかった。
でも、彼らにとっては、村の備蓄をすべて出してくれたような、最大限の歓待なのだとわかった。
老人が、オレの向かいに座った。
「フィニス王都から、遠路はるばるこのような辺境へ──」
「あ、じゃなくて。オレはカルネの村から来ました」
老人が、驚いたように目を丸くした。
「カルネから? 成程。 北を抜ける峠を」
「そ、そうです。 で、北西にある村です」
「あの……恐ろしい魔物の森に囲まれた」
「ここもそうだったような……」
老人が、信じられないものを見るようにしばらく黙った。
「カルネから、この森を抜けていらっしゃったと」
「はい……」
「……なぜ」
オレは少し考えた。
「エヴァンから、レンの村が困っていると聞いたので」
横に座っていたエヴァンが、静かに頷いた。
老人が、また黙り込んだ。
それから、絞り出すように静かに言った。
「フィニスの勇者様たちは、確かに。リュデアに向かう予定とか……」
「リュデア?」
「東の方の街です。 ヴァルシア王国の王都です」
「あぁ……成程。それなら、そうみたいですね」
「それでは、この村には……来ない。ですから、別動隊ということでしょうか」
オレは、頭の中に地図を思い浮かべた。
王都の座学で叩き込まれた、大陸の地図だった。
栞はどう動く……?
当初の予定はヴァルシア王国の解放。
そうしなければ、帝国に行けない、だった。
でも、栞の詰問により、帝国は敵だと分かった。
帝国とは、神聖ドミナス帝国のこと。
どこからでも見える白い山、エレイナス山脈の東にある。
フィニス王国の進行方向は東。
王国解放を優先するか、それとも帝国との戦いを優先するか。
どっちにしても、とりあえずヴァルシアの王都の解放。
レンの村は、完全にそのルートの線上にない。
(効率プレイだからな)
いや、違う。ここはゲーム世界じゃない。
だとしても、効率的に動くのは間違っていない。
女王の本当の狙いは、オレ達が呼び出されたのは、「帝国の打倒」の為だった。
であれば、旧王国領の辺境の村を一つ残らず解放して回れ、とはならない。
もしかしなくても、ここには来ない。
別動隊とか言って、期待をさせるのは——
(いやいや。オレよ。オレ氏よ。何を言ってる)
「あ、違います。 オレ、別動隊じゃないっす」
老人が、目を見開いた。
だが、小さく頷いた。
「そ、そうですか」
ただ、諦めた顔じゃなかった。
最初から、薄々わかっていたという顔だった。
魔物に囲まれた小さな村には、救いは来ないと知っていた顔だった。
(ん? オレの中の天使と悪魔って同じこと言ってなかった?)
◇
食事の後、外に出た。
エヴァンとシオンと三人で、村の端に立った。
鬱蒼とした森が、すぐそこまで迫っていた。
「なんか、複雑だなぁ」
オレはポツリと呟いた。
「何がだよ」
「ここだと、勇者様だってさ」
エヴァンが、真顔で言った。
「勇者なんだから、もっと堂々と胸を張るべきだろ」
オレは、エヴァンの横顔を見た。
「……あれ?」
「なんだ」
「オレ、言ってなかったっけ」
「何を」
オレは少し考えた。
王都を追い出されたこと、全部話したつもりだった。
でも──
「……ちゃんと、言ってなかったっぽいな」
「だから何をだよ」
「ドワンさん的には、異邦人は禁忌の存在だってさ。お前らをガッカリさせて悪いんだけど──」
オレは言葉を切った。
「どういうことだ?」
エヴァンが、怪訝な顔で前のめりになった。
「駆を、追放した?」
シオンが、オレの言葉の先を促すように静かに言った。
オレは重い口を開いた。
「あ、違う! そうじゃなくて。オレは無能だからクビになっての話はさておいて」
「駆はだって」
エヴァンが、オレの言葉を遮った。
「たった一人で、カルネを救った。 禁忌とか関係ないだろう」
エヴァンの顔が本気で怒っていた。
オレに対する怒りじゃなかった。
オレは閉口した。
「追放ってのも意味が分からないしな」
シオンが、オレを見つめた。
静かで、冷たい目だった。
「カルネの村をあんなふうに救った人を」
会話がかみ合っていない。
二人にとって禁忌とか関係ない。
オレが考えているのは、ずっとメタ目線。
「あ、いや」
「王国の連中が追放したの?」
「オレが嘘ついてたとか、色々あって。 まぁ、その話はもう良くて」
「良くないだろ。色々ってなんだよ」
エヴァンのギリッという奥歯の音がなる。
オレは切り替えた。
情報が余りにも非対称だからだ。
「カルネに来る前の話か」
「全部話したと思うぞ。 オレの力はまだ分かんなかったんだ」
「追放されたとは、明確に聞いてないぞ」
オレは、二人を交互に見た。
その結果、オレが選んだのはやはり、逃げ。
「カルネを救ったほどの力を持つ人間を、追放するって」
「カペーは精霊も喜んでるのに」
「その勇者ってのは、どんなイカれた連中なんだ」
「オレもその一人だしなぁ。 ま、変わった連中であることは否定しない」
エヴァンが、忌々しそうに森を睨んだ。
ただ、シオンはオレの感情を気取ったふうに、息を吐いた。
「カペーがいいなら、それでいいよー」
「シオン!」
「私たちは今、パーカー修道会だし?」
そう、オレは考えないという逃げをした。
「ま。今生きてる。ソレで十分だろ」
「駆まで。まぁ、駆がそういうなら、俺が怒るのは違うか」
こんなにも味方がいる。
追放の恐れもない。
なら、のんのんと行こう。
勇者様には、勝手に戦争を終わらせてもらおう。




