第33話 地元民が普通に強い件
ホブゴブリンとその群れを散らした後、更に森に入った。
そこにはワーグという大きな魔物がいた。
一頭だけだったが、茂みから飛び出してきたその巨体は、あの夜のスヴァントウルフよりも明らかに大きかった。
漆黒の毛並み。血のように赤い目。
完全に、こちらを獲物として狙い定めている。
「うわっ」
オレはわざと声を上げ、ワーグの視界のど真ん中に出るように横へ動いた。
ゴブリン戦で得た教訓だ。まずはオレがヘイトを買う。
赤い目が、即座にオレを捉えた。
太い四肢が地面を蹴り、ワーグが弾丸のように飛びかかってくる。
(来い!)
鋭い牙が迫る瞬間、オレはただ逃げる。
カチッと音をさせた後だから、初速が違う。
風景が、一瞬で後ろへ吹き飛ぶ。
ワーグの巨大な顎が、オレの顔面があった空間を空しく噛み砕き、カァンと鋭い牙の音だけが響いた。
「シオン!」
「右に避けて、エヴァン!」
シオンの澄んだ声が飛ぶ。
ワーグが着地の勢いのまま体勢を立て直し、オレを追おうとしたその瞬間だった。
ヒュッ!
エヴァンの放った矢が、ワーグの右肩に深く突き刺さった。
シオンの探知とエヴァンの弓の完璧な連携。
オレが稼いだ隙に、一番効果的な死角から撃ち抜いている。
ワーグが苦痛の咆哮を上げ、一瞬だけ動きを止めた。
その隙に、シオンが目を閉じて小さく何かを呟いた。
スゥッ、と。
不自然な風が、ワーグの鼻先だけを狙うようにピンポイントで吹き抜けた。
「……グルァッ!?」
ワーグが、まるで火を押し当てられたようにビクンと痙攣し、激しく後退した。
尻尾を完全に股の間に巻き込んでいる。
エヴァンが容赦なく二の矢を放つと、ワーグは悲鳴のような鳴き声を上げ、パニックを起こしたように森の奥へと逃げ去っていった。
「一頭だけだったな」
エヴァンが、静かに弓を下ろした。
「……うーん?」
オレは、ワーグが消えた暗い森の奥を見た。
「終わりか」
「終わりだけど。深追いする必要はないだろ」
「いや、そうじゃなくて」
「カペー。言い方がいつも気持ち悪い」
「余計なお世話だよ」
「私じゃなくて、精霊が言ってる」
「精霊にも、伝えてくれ。 気持ち悪い喋りに慣れろって」
シオンが、歩み寄りながらふわっと言った。
「精霊さん。 って言ってるよ」
「っていうか。シオン、さっきの風で精霊に何頼んだんだ?」
「においを変えてもらったの」
「においを?」
「天敵のにおい。ワーグが一番嫌いなやつのにおいを、鼻先に濃縮して」
オレは、まじまじとシオンを見た。
「さっきもそうだけど。控えめに言って能力えぐくない?」
「そう?」
「そうだよ」
シオンが、悪びれもせずに笑った。
オレたちは隊列を組み直し、また歩き出した。
その後、しばらく歩く間にワーグと二度遭遇した。
だが、どちらも結果は同じだった。
オレが前に出てワーグの突進を空振らせ、エヴァンが的確に牽制の矢を射込み、シオンが天敵の匂いで精神をへし折って追い払う。
「ん-ん」
「また、気持ち悪い」
あっという間だった。
オレは本当に、ただ前に出て後ろに逃げただけだ。
森が少し開けた場所に出た。
苔むした手頃な岩がいくつか転がっていたので、三人で腰を下ろした。
水筒を回し飲みして、息をつく。
エヴァンが、木々の隙間から見える空の高さを確認しながら言った。
「レンの村まで、あと少しだな」
「あと少し……って」
「日が暮れる前には確実につける」
オレは水筒の蓋を閉め、膝に置いた。
「いや、分からんだろっ!」
「なにがだよ」
「ずっと同じ景色! しかも途中で戦ってる! 頭、カーナビかっ」
森に入った時から感じていたのは、気のせいでも何でもない。
「お前ら、普通に強くない?」
エヴァンが、意外そうな顔で振り返った。
「は?」
「いや、さっきのワーグ戦とか。エヴァンの弓、ノーコンなしで正確すぎだろ。シオンの目くらましとか、におい作戦も!」
「……」
エヴァンが少し黙り、それから鼻で小さく笑った。
「お前に言われるとは、本気で思わなかったな」
「なんでだよ」
「今日、お前が何したか自分でわかってるか」
「俺は逃げるが吉。だから、逃げた」
「それだけか?」
「あー、おもちゃみたいなのもあるけど。 95%はそれだ」
エヴァンが、心底呆れたような顔でオレを見た。
「あのホブゴブリンが統率してるアーチャーの群れに、単独で飛び込んだんだぞ、お前」
「だから、ただ逃げただけだって」
「逃げながら敵の伏兵を全部あぶり出して、俺の射線に誘導したんだろ」
「それはまあ、結果的に」
「しかも、あの矢の雨が一本も当たらなかった」
「いや、当たってたろ。致命傷で済んだとかいう脳筋か?」
「なんであんな理不尽に速かったんだよ」
「だから、それが異邦人のスキルの仕様で──」
「それが『異邦人の力』の異常さだろ」
するとシオンが、横から口を挟んだ。
「精霊がね」
「うん?」
「言ってた」
「精霊が言う……なんて?」
シオンが、無垢な瞳で一拍置いた。
「やっぱり、あの人キモい、って」
「キモいのかよっ!」
エヴァンが、たまらず吹き出した。
「確かに、あれはキモいな」
「キモくない!」
「いや、そうじゃなくて」
エヴァンが、腹を抱えて笑いながら続けた。
「俺たちとは違う。戦い方も、動き方も、考え方も。精霊からしてみたら、今まで森で見たこともない動きだったんだろ」
「……それが、キモいって表現になるのか」
「精霊的には、そうなんじゃないか」
シオンが、深く頷いた。
「うん。精霊にとって『キモい』は、最上級の褒め言葉だと思う」
「絶対に思わないから!」
「精霊的には」
「精霊的にもならないから!」
エヴァンが、また声を出して笑った。
村では見せなかった、年相応の屈託のない笑い方だった。
「でも、本当にそうなんだよ、駆」
「何が」
「俺たちだけじゃ絶対にできない。あんなデタラメな陽動」
エヴァンが、岩の上で真剣な顔つきに戻って腕を組んだ。
「ホブゴブリンクラスが森に出た時、俺たち猟師は戦う前に撤退してた」
「撤退? その傷は修羅の国のソレだろ?」
古傷の男が笑う。
肩で笑う。
「あのレベルなら、普通に死ぬ。あっという間にハリネズミだな」
「ま?」
「ま、だ。 あそこまで統制されたゴブリンアーチャーとはやりあってない」
数秒の空白。
「だったら、あの突撃しそうな雰囲気はなんだったんだよ」
「囮になろうと思った。 駆が辿り着けたら、と思った」
「なんでだよ。オレは別に」
「かと言って、レンを放っておけない。シオンがそろそろ限界と言ったんだ」
オレは黙り込んだ。
エヴァンが、真っ直ぐにオレを見て続けた。
「オレたちだけが、恵まれていい……なんてことはないだろ?」
「うん。私たちだけ、ズルい」
クリアリングも無し、リスポーンも無し。
やっぱ、凄くないか?
「だから驚いたんだ。お前が一人で飛び込んでいった時」
「いやいやいや……」
「俺たちには絶対にできない」
シオンが、また空気を読まずに言った。
「精霊も……ううん。私も言ってた」
「私も言ってたって何だよ」
「キモいって」
「結局、悪口っ!」
シオンが、悪戯っぽくふわっと笑った。
エヴァンもつられて笑った。
「でもさ」
「でも?」
「エヴァンの弓がなかったら、あぶり出してもオレが逃げ疲れて終わってたぞ」
エヴァンが、少し黙った。
「シオンの感知がなかったら、どこに伏兵がいるか分からなくて蜂の巣だった」
「……それは」
「コイツラだけで何とかなったんじゃねーか、ってオレは正直思ったぞ」
エヴァンが、照れ隠しのように苦笑いした。
「なってないよ」
「そうか?」
「なってない。お前がいなかったら、俺たちは死んだか、撤退してた」
シオンが、強く頷いた。
「うん。絶対」
「でも、お前らが強いのは本当だろ」
「駆が規格外の異邦人なのも本当だろ」
オレは、頭を掻きながら少し考えた。
シオンが、ふわっと空を見上げて言った。
「精霊も笑ってるよ」
「今度は笑ってるのか」
エヴァンが、また盛大に吹き出した。
「お前ら、ずっとこんな感じだったのか」
シオンが、不思議そうに首を傾げた。
「こんな感じって?」
「キモいとか笑ってるとか、精霊が何でも言ってくるやつ」
「小さい頃からずっと、な」
エヴァンが、肩をすくめて苦笑いした。
「俺はもう慣れたけど」
「慣れてるのか」
「慣れた。でも最初はすげえ驚いた」
シオンが、エヴァンを指差してふわっと言った。
「エヴァンこそ、小さい頃から森で弓ばっかり引いてたじゃんー」
「それの何が悪いんだよ。 生きる為だ」
「悪くないよ。だから今日、すごく助かったんだから」
エヴァンが、また気恥ずかしそうに顔を逸らした。
オレはそんな二人を見ていた。
幼馴染。ずっと一緒に、この過酷な土地で生き抜いてきた二人だった。
——雄大、中学からずっと
一瞬、王都のパーティの顔が頭をよぎった。
オレはすぐに首を振り、その記憶を遠ざけた。
エヴァンが、パンと膝を叩いて立ち上がった。
「行くか」
「行こう」
三人で、また歩き出した。
◇
しばらくして。
歩いていたシオンが、ふいに足を止めた。
「どうした」
「……においがする」
「魔物か?」
「違う」
シオンが目を閉じ、風が吹いてくる方向を向いた。
「煙と、土と」
一拍、間を置く。
「人のにおい」
エヴァンが、鋭い視線で前を向いた。
「もうすぐだな」
オレも、前を見た。確かに見えた。
鬱蒼とした木々の向こうに、薄く白い煙が上がっているのが見えた。
三人で、無言のまま顔を見合わせた。
シオンが、少しだけ緊張した声で言った。
「精霊が、緊張してるかも」
「なんで?」
「えっと。多分、新しい? カペーを知らないから?」
「人見知りの精霊もいたもんだな」
「……異邦人だから?」
オレは何となく納得した。
木々の向こうに、生活の証である煙が細く上がっている。
この辺の信仰は地母神と、万物の神々の信仰だ。
万物の神々にとって、異世界人は未知の存在。
「でもさ。 オレは特別じゃないから」
シオンが探知して、エヴァンが戦って、オレが逃げる。
「そんなに緊張しなくても、いいのにな」
「カペー。まだ分かってない」
「分かってるって」
「駆。多分、お前。 相当な勘違いをしてるぞ」
その奇妙な連携の先に辿り着いたのは、深い森に完全に囲まれた村、レンだった。
「勘違い? どんな?」
「教えない」
「シオンがそういうんじゃ、俺も教えない、だな」
「なんだよ、それ」




