第31話 待望のレベルアップと難敵
カルネの朝は、いつも通りの平和な朝だった。
でも、今日のオレの背中にはリュックがあった。
「レンという村に行ってみます」
長老は、少し目を細めた。
「知っております」
「あ、エヴァンから?」
「深い森の向こうに、小さな村がある。最近は魔物が増えていると、猟師たちから聞いておりました」
ドワンが、しばらく黙った。
「カペー殿が、修道士である以上」
「だから修道士じゃないんですが」
「各地の迷える民を回るのは、仕方のないことです」
「ですから、修道士じゃ──」
「御心配なさらずとも、主エレインに誓って──」
「全然、聞いてなくない?!」
飢える限界の村を支え続けた老爺だ。
彼こそ、のんのんと暮らすべき。
彼の前では修道士ということにしておこう。
◇
エラたちに気づかれたのは、朝の身支度と荷物をまとめている時だった。
部屋の扉を開けたら、三人が並んで立っていた。
「カペー」
エラが言った。
いつもよりずっと低い声だった。
「どこ行くの」
「ちょっと、近くの村まで」
「帰ってくる?」
エラの丸い目が、一点の曇りもなくこちらを真っ直ぐ見ていた。
ガウが、不安そうに下唇を強く噛んでいた。
ルンが、オレのパーカーの袖をぎゅっと掴んでいた。
「それは」
オレは、できるだけ軽い調子で言った。
「オレの、一番の得意分野だ」
「本当に?」
「逃げるが吉って言うだろ」
「カペーのスキル!」
「そうだ。逃げて、生きて、帰ってくる。実は、巷で噂の勇者様より、オレの方が得意なんだぞ」
ガウが、こらえきれずにぷっと吹き出した。
「なにそれ」
「事実だ。実際、狼煙上げる前に、オレってここに来てんだよな……」
ルンが、掴んでいた袖を一度離した。
でも、もう一度、今度はもっと強く掴み直した。
「カペー。絶対、帰ってきてね」
「心配し過ぎだって。オレが戦うわけじゃないし」
そもそも。
戦いであのスキルをどう活かすのか、オレにも見当がつかないのだ。
◇
村の入り口で、パーカー修道会実働部隊──エヴァンとシオンと合流した。
エヴァンが重そうな荷物を背負い、腰に鉈と弓矢を下げていた。
シオンは軽装で、水筒と薬草の袋を持っていた。
「なんか、本格的だな」
カルネの石畳を抜け、緑の丘を下る。
森の入り口まで来た時、オレは一度だけ振り返った。
ノワルヴァルト。本当に、森ばかりの大陸だった。
「俺達から見ると、お前の姿の方が本格的だけどな」
「リュックは基本だ。それにパーカーは着易さランキング、常に上位。こうやってフード被れば、ほら。目線を隠せるし」
「精霊が、変質者って言ってる」
「それは否定しないけど。 コミケにおける戦闘服とは言える」
因みに今回の隊列は、エヴァン、シオン、オレ。
相変わらず、前のを繰り返している。
不気味なほど、静かな森。
エヴァンが慣れた足さばきで、前を行く。
シオンは時折、木に手を当てて、何かを感じている。
まるで、エルフだった。
「視野を狭くしてどうするんだ? 音も拾えないだろ」
「素肌の方が精霊も馴染むよ」
クリアニングを繰り返す、黒焔の剣の戦い方ではない。
地元民の感覚で、安全そうな獣道を歩く。
エヴァンの野生の勘と、シオンの肌の感覚。
「ときどき悪戯するけど」
「その精霊は、絶対におっさんだな」
「何、言ってるの?」
変な妄想をしてしまった。
本当に、何を言ってるんだ、オレ——じゃなくてコイツらだ。
暁光と銀弦、そっちには入ったことないけれど、黒焔の時とは違うが、安心感が似ていた。
オレが視線を切って、態々リュックを前に持ってきて、なんとなく持ち物確認をする余裕さえあった。
「あ……忘れてた……」
数々のコミケの戦利品のアクスタ。
絶対にエヴァンとシオンには見られたくない同人誌。
数々のオタクグッズをサルベージして、引き上げられたのは西洋史でもプラスチックでもない、有機性の紙。
四つ折りにされたまま、シャッフルされたから、底まで沈んでいた。
「あ? 忘れ物か?」
「どうした? カペー」
「前に言ったろ。 おみくじ」
二人の足が止まった。
森の中だけれど、明るくなったと思うくらい、目を輝かせていた。
「おみくじ!」
「おお! あるのかよ。 証拠だろ、それ。疑っていたわけじゃないが」
「疑ってたのかよっ! ま、気持ちは分からんでも」
「疑ってないって。 異邦人だろうが、そうじゃなかろうが、俺たちはお前の家来になったんだぞ」
「うーむ。釈然としないし、家来にしたつもりはないが。……ほらよ」
数か月もリュック底に沈んでいた。
断捨離勢なら、間違いなく捨てている。
オレは中身を見たくないから、放り投げた。
丸まっていたから、ボールのように投げやすかった。
エヴァンが受け取り、シオンが開こうとして、エヴァンに戻す。
エヴァンはテンションを上げて、指先でこじ開ける。
「おおおおおおおお。 マジじゃねぇか!」
「おお。精霊も感激してる」
嬉しいような、嬉しくないような。
オレが約二か月、あの巨大山脈エレイナスより高くはないが、苦しめられたカルディス山脈の向こうで苦労させられた、苦い思い出の紙。
トラウマだったおみくじの中身
だが、二人の反応はある意味で違っていた。
「マジで異邦人なんだな」
「うんうん。 知らない文字が並んでる」
「全然読めないな。象形文字みたいなのと、ぐにゃぐにゃした文字。まさに異世界だ」
「へ……?」
オレも気になって覗き込む。『負けるが吉』
半眼になって、二人を睨む。
「いやいや。 ちゃんと読め……。あ、そういうことか」
何も考えていなかった。
あの時は熱くなっていて……
そもそも、羊皮紙を誰かに見せようとも思っていなかった。
そもそも、ギルド登録の時に気付けた筈だ。
この魔法の羊皮紙は、オレ達が手に持った後に魔法陣が反応した。
街中で見る文字とは、違っていてもおかしくない。
(そうか。 オレが羊皮紙を見せなかったことも、オレへの不信になっていたのか)
女王と宰相が、判断出来ないと言ったのも、これが理由。
「栞は絶対に気付いてた。 帝国が敵であること。そして羊皮紙を頑なに見せないオレ……か」
「カペー」
「あ、悪い。えっと読み上げるぞ。耳の穴をかっぽじって、聞け。 オレのおみくじは負けるが吉 レベル……え? レベル……2……」
そこに記されている文字が、以前とは明らかに違っていた。
「なんでお前が驚いてるんだ」
「カペーも読めない暗号」
「じゃ……なくて」
【逃げるが吉 Lv.2 後退士】
「上がってる……」
王都を追放された時は、レベル1のままだった。
見ていないけど、言い切れる。何もしていないから。
カルネの村で魔物の群れを相手にしたあの夜に、多分上がった。
しかも
【逃げ速度+50%】
「おもちゃのレベルが上がってる!」
「駆。逃げ足が1.5倍ってすげぇな」
「カペー。逃げるの上手い」
「褒められてない!……あれ。 まだ、書いてある……?」
その下にもう一文、見慣れない項目が追加されていた。
【斜め移動時のラグを軽減しました】
は?
「斜め移動ってなんだよ。アップデートのパッチノートか!」
地面に叩きつけたくなった。
その代わりにリュックに投げ入れた。
「斜め移動は斜め移動だろ」
「エヴァン、分かるのか?」
「当たり前だ。 ほら、こうやって」
「こうやって……」
「そう。軸足を意識して」
「軸足を意識して……」
「もう片方の足を斜め前に」
「もう片方の足を斜め前に……」
「重心ごと、出した足の方向に移動」
「重心ごと、出した足の方向に移動……」
「簡単だろ?」
「なるほど、簡単。って! ただの斜め移動!」
エヴァンが、鼻で小さく笑った。
シオンが、歩きながらふわっと笑った。
「駆は斜めに動けなかったのか」
「カペーは前と横にしか動けなかったのだ」
「なわけねぇだろっ! 二足歩行くらいは出来てるわ!」
結局、逃げ足が速くなったことしか分からなかった。
何となく思ったのは、足がもつれにくくなった……とか
これもまた、自動翻訳の弊害だろう。
◇
どのくらい歩いたか。
先頭のエヴァンが、急にピタリと立ち止まった。
オレとシオンも、息を殺して即座に止まった。
(玲みたいなことするな……。オレにはやっぱり全然分からない)
エヴァンが、前方の暗がりを顎で示した。
すると太い木々の向こうに、影が見えた。
(木洩れ日とも言う……。あれ? なんか……)
保護色、迷彩色。
見れば見るほど、思わず仰け反る。
小さな緑色の影が、たくさん動いていた。
その群れの中央に、一回り大きい屈強な影が一つ立っていた。
「気持ち悪っ! 集合体恐怖症なら卒倒だぞ」
「駆。煩い」
オレは二人に謝りながらも、深く深く安堵していた。
あることに気付いて、胸を撫でおろしていた。
カルネ村から歩いて半日ということは、まだカルディナ山脈の北側ということは
(こっちに来たら、絶対に死んでた)
レンという村から、人が出られない理由が正にソレだ。
その蠢く集合体に粗末な弓矢が見える。
ゴブリン、それもアーチャーの群れだった。
それからスヴァントウルフより強いと聞いた魔物の姿もあった。
巨体のホブゴブリンが、中央でふんぞり返っていた。
でも一番の恐怖は、ゴブリンアーチャーの数だ。
「ムリ」
即座に呟いた。
エヴァンが振り返った。
「カペー?」
「ムリムリ」
「おい」
「絶対に無理」
「ちょっと待て」
「あの弓兵の数は無理だ。こっちの攻撃が届く前に近づけない。矢が雨みたいに降ってくる。死ぬ。オレたち絶対に死ぬ」
「落ち着け」
「落ち着いてるよ。極めて冷静に、栞ばりに分析してるって!」
するとシオン。
「精霊も、気をつけてって」
「だよな! 気をつけて逃げるっ」
オレたちは音を立てないように、三人で静かに後退した。
そして、太い木々の影に身を隠した。
エヴァンが、俯いて言う。
「で、どうする」
「どうするって言われても」
オレは木々の向こうをそっと覗き見た。
ホブゴブリンが、ゴブリンアーチャーたちに的確に何かを指示している。
統率が完全に取れている。
スヴァントウルフの獣なりの合図とは異なり、人の形をしているし、大きいから分かりやすい。
だが、やはり厄介だ。
「迂回ルートはある。でもかなり遠回りになる。半日の道のりが、一日に延びる」
「そもそも見つかってるだろ。一日どころか……」
「待って。精霊の声。 もう待てないって。レンの人達が、困ってるって」
シオンが感じている。
それでも無理。木乃伊取りが木乃伊になるに決まっている。
「どうすんだってばよ!」
「駆は異邦人なんだろ?」
「オレのスキル言ったろ? ジョブも言ったろ? 後退士!」
エヴァンが、忌々しそうに腕を組む。
シオンが、目を閉じたまま言った。
「精霊が、右の方に導いてる」
「右?」
「右に回れってことかな」
エヴァンが、右の深い茂みの方を見た。
「……確かに、抜け道になりそうな獣道がある。かなり狭いけどな」
「なんで強行する流れになってんだよ。 オレの声、翻訳されてない?」
「通れる。でも、確実にホブゴブリンの視界に入る」
「駄目だ。 全然聞いてない」
「一気に突破するか? 俺、約束しちまったし」
エヴァンは何故か、オレの方を見た。
整った顔立ちに、古傷が良く似合う。
「え……マジ? ほ、他に選択肢は」
「シオンの精霊は嘘をつかない。もう時間がない」
無数の古傷の男がオレを見た。
その古傷、何処から?
「このゴブリンの矢衾を潜り抜ける風習でもあんのかよ」
「行くしかないだろ」
「修羅すぎる! アイツらならどうするんだ? 剛がタンクで前を行って、玲が身を翻して、同じくヘイトを買って、蹴鞠が木々を飛び移って、死角からボスを攻撃。で、オレは後ろで見てる……見てるんかい!」
「カペー。何、ぶつぶつ言ってる?」
シオンが、大真面目な顔で言った。
「私たちだけ助かるのは、ズルい」
エヴァンが、シオンを見た。
「あぁ。そうだな」
昔からの幼馴染を見る目。
「エヴァン。私たちも、なんかバーンって行こ」
ひどく呆れた目だった。
「なんかバーンってなんだよ。ま、分かるけど」
シオンが、優しく笑った。
エヴァンが決意した目で、再びオレを見た。
オレに期待している。オレに視線で右のルートを行けと言ってる。
エヴァンは、助けて欲しいと言って死んだ男を知っている。
「分かった……」
オレは呟いた。
「どうした」
「逃げ……る」
「レンの村を助けないと」
オレは木々の向こう、ホブゴブリンの群れの方を眺めた。
真っ直ぐに、正面に見据えた。
そして、難しいことを考えるのを放棄した。
「駆」
「エヴァン、囮は駄目だ」
「な? 誰かが気を逸らさないと、矢襖に」
エヴァンが、図星を突かれたように一瞬固まった。
「危ないからやめろ。お前はシオンを守っててくれ」
エヴァンが、目を丸くした。
修羅界ではそうかもしれない。
でも、二人を知ってしまった以上、古傷を増やしたくなかった。
「はぁ? でも、さっき真っ先に『無理』って言ったのはそっちだろ?」
だから後ろに、ゆっくりと一歩下がった。
カチッ。
「あぁ、無理」
「なら」
「でもさ、どう考えても。その役──」
──オレにしかできない。




