第30話 勇者は何故来ない。
カルネの村には平和な時間が流れて始めた。
畑からはあの救荒作物がドカドカと収穫され、村人たちの顔色は見違えるように良くなった。
海から吹き上げる風は日ごとに冷たさを増していたが、浅瀬では漁が出来るらしく、最近は魚までが食卓に上がるようになった。
村の中はさらに活気と温かさに増えている。
「カペー!」
「カペー、肩車して!」
「オレが先ー!」
昼下がりの広場で、オレはエラたちに完全に包囲されていた。
ガウが背中に飛び乗り、ルンが右足にしがみつき、エラがオレのパーカーのフードを引っ張っている。
体力のない後方担当としてはなかなかの重労働だが、決して悪い気はしなかった。
広場の隅では、大人たちが網の修繕や冬支度をしながら、こちらを見て目を細めている。
「カペー様は、本当に慈悲深いお方だ」
「あんなに子供たちの相手をしてくださるなんて」
「地母神様の御遣いに違いない」
ヒソヒソという敬虔な囁きが、冷たい海風に乗ってオレの耳にもしっかり届いていた。
(村人の死という暗い気持から、どうにか切り替えたけど)
オレはガウを背負い直しながら、内心で深く頷いた。
王都の第一隊にいた頃の、あのヒリヒリとしたプレッシャーはもうない。
毎朝鳥の声で目覚め、温かくて美味しいスープを飲み、子供たちと適度に遊び、適当に現代の知識を披露して感心される。
勇者たちが世界を救ってくれるまで、ここでスローライフを満喫する。完璧な作戦だ。
だが。
あの事実に気付いてから、オレの胃のあたりがチクチクと痛む。
(オレは修道士じゃないし。何ならパーカー修道会も存在しない。あったとしても偽物……)
良心の呵責ではない。
これは一種のトラウマだ。
「やばい。やばい……」
この村の人々は、オレが着ているこの合成繊維のパーカーを「高貴な修道服」だと勘違いしたまま、どんどん話を大きくしている。
今はまだ、辺境の小さな村の噂で済んでいる。
しかし、もしこの地に、かつてこの土地を治めていた旧ヴァルシア王国の貴族や、本物の教会の司祭様が戻ってきたらどうなるか。
『貴様、どこの修道会の者だ!』
『えっと、パーカー修道会……』
『異端なり! 詐称なり! 捕らえよ!』
頭の中で、最悪のシミュレーションが簡単に組み上がった。
フィニス王国で密偵扱いされて追放された悪夢が、鮮やかに蘇る。
この世界の中世レベルの宗教観を舐めてはいけない。身分詐称は、追放どころか確実に火あぶり案件だ。
(駄目だ。絶対に駄目だ)
オレは額に滲んだ冷や汗を拭った。
このまま「謙虚なカペー様」として祭り上げられるのは、リスクが高すぎる。
どこかでハッキリと、「オレは修道士でもなんでもない、ただの迷い人です」と宣言しておくべきだ。
いざという時の保険として、「オレはずっと違うって言ってましたよね?」という既成事実を作らなければならない。
だが、長老のドワンに話しても「なんと謙虚な……」のループに入るのは目に見えている。
他の大人たちも、すでにオレを完全に神聖視してしまっている。
オレは広場を見渡した。
少し離れた日陰で、エヴァンが汗を拭いながら斧の手入れをしている。
その隣には、いつの間にかシオンが座って、何もない空間に向かってぼんやりと微笑んでいた。精霊と会話でもしているのだろう。
「先ずはあの二人だ」
エヴァンは頭が回るし、オレのことを「カペー」と呼び捨てにするフラットな距離感を持っている。
シオンは得体が知れないが、精霊の声が聞こえるなら、オレがただの一般人だということくらい薄々気づいているかもしれない。
とりあえず、一番身近なあの二人にだけは、オレの本当の立場を話しておこう。
オレは足にしがみつく子供たちを優しく引き剥がし、覚悟を決めて二人の方へと歩き出した。
◇
星明かりが静かに降り注ぐ、夜だった。
石造りのエヴァンの家の前で、オレたち三人は並んで座っていた。
ひんやりとした壁に背をもたせ、ただ夜空を見上げていた。
遠くで、暗い海が月明かりを反射して細かく光っている。
オレは、静かに口を開いた。
最初から、全部話した。
現代日本のこと。コミケに向かっていたこと。亜空間に飲み込まれたこと。見知らぬ十二人で召喚されたこと。
無能なスキルを隠したこと。
後方担当だと偽ったこと。
作戦が失敗し、陣形が崩壊したこと。
栞の「一度も、です」という冷徹な声のこと。
雄大の「知らないでござる」という裏切りの言葉のこと。
パーカー男、という単語が出たこと。
追放されたこと。
森を一人で歩いたこと。
スヴァントウルフに見つかり、無様に逃げ惑ったこと。
行き倒れた先で、エラに「カペー、起きた?」と覗き込まれたこと。
隠すことなく、すべて話した。
エヴァンは黙って聞いていた。
シオンも、相槌を打つことなく静かに聞いていた。
途中で笑えるところもあった。
合成繊維のパーカーを着ていただけで高貴な修道士に間違えられた話では、エヴァンがたまらず吹き出した。
「それで、ずっと謙虚な方だって言われてたのか」
「そう」
「そりゃ災難だな」
全部、話し終わった。
冷たい夜風が通り抜けた。
しばらく、誰も喋らなかった。
やがてエヴァンが、星を見たままぽつりと言った。
「駆ってのが名前だっけ」
「そ。カペーじゃない。カケルだ」
「その仲間、酷くないか?」
オレは少し考えた。
「酷くはない。オレがスキルを使えなかったのは事実だ」
「でも」
「オレがずっと嘘をついていたのも事実だし」
「でもさ」
「カルネの村で快く迎え入れてもらえたのだって、オレを修道士と見間違えたらからだし」
「それは──」
「だから、オレは修道士じゃない。パーカー修道会も一時閉鎖だ」
エヴァンが、納得いかないように腕を組んだ。
「難しいな」
一拍の、間。
「異世界の人間の価値観は、私にはわからないけど」
シオンが、静かな声で言った。
「そのお陰で、カルネが救われたなら」
彼女が、色素の薄い瞳をこちらに向けた。
「私としては、満足」
オレは二人を見た。
彼らはオレを責めていなかった。
かといって、無責任に庇ってもいなかった。
ありのままのオレを認めて、そこにいてくれた。
「……ありがとう」
エヴァンが、照れ隠しのように肩をすくめた。
「礼を言われるようなことは何もしてないけどな」
「この先の話だ。 勇者たちが解放していく。ヴァルシアは再興する。その先で」
「その先で?」
「その勇者さまはこっちに向かってる?」
時が止まった気がした。
オレの記憶の中でだけ逆行する。
狼煙を見たのはいつだっけ。結構前。
「そ、そのうち来るんじゃないかなぁ……。で、その時に」
「だったら、当分先の話?」
「そ……そうかも? じゃあなくて……なんだっけ」
まだ、はっきりとはわからなかった。
でも、わからないということが、わかった。
今はそれだけで、胸の奥が少しだけ楽だった。
しばらくして、エヴァンが思い出したように言った。
「あ……そういえば」
寒気が走った。
「え……なに?」
「この近くに、もう一つ村があるんだ」
「そういえばもおかしいな。駆の話だと、もうすぐ勇者ってのが解放してくれるんだよな」
エヴァンは肩をすくめた。
そして、オレは顔を引き攣らせた。
ヤバい。なんかヤバい。
タイムラグがあるとはいえ、エヴァンはかなり行動派だ。
「えっと……。困ってるって?」
「深い森に囲まれててさ」
「う……ん」
「こっちに逃げたくても、素人じゃ魔物が怖くて逃げられないんだよ」
森の間を人間が暮らす国。
昔は魔物なんていなかったらしいが。
それだってドワンの若かったころだ。
魔物が現れたら、本当に閉じ込められてしまう。
「どのくらい近いんだ」
「大人の足なら、半日も歩けば着く」
「あのさ、エヴァンはその情報はどうやって」
「どうやってって。カルネが襲われる日の昼間。東の森の畑に行ってた時に聞いた」
オレの中の早鐘が小さくなっていく。
エヴァンが直接聞いた。
なら、大したこと——
「助けられなかったけどな。 でも、命を懸けて教えてくれたんだ。子供たちを逃がして欲しいって頼まれた」
——だった。
命を賭して守る。
カルネが襲われた時もそうだった。
命を落としたのは大人たち。怪我をしたのだって。
「こっちもヤバかったし、復旧もあったから……。悪いことをした。でも、大丈夫なんだな。 勇者様が」
オレには確信があった。
絶対にこっちには来ていない。
これはただの推測だ。
オレが、北に追放されたのも意味があるとしたら。
例えば、こっちには大した街がなくて——実際に捨てられた村だったわけだし。
「い、一応話を聞こうかな。……森を抜けて、半日?」
「ああ、森を抜けて」
(勇者の仕事だ。 オレはカルネで異世界ライフ。ヴァルシアが戻った時に、うやむやにする方法を考え中だ。でも、その村の子供たち、いやその親だって、森に囲まれてて、逃げられない)
頭の中で、うっすらとマップが浮かぶ。
なんか、確か。 東側に大きな街があったような。
あれ。すこし下だっけ。南東に大きな街が……
栞たちならば……
「カルネみたいな村?」
「規模はここよりかなり小さい。でも──」
エヴァンが、少しだけ間を置いた。
「ここが襲われたくらいだ。あっちがどうなっているか」
シオンが、それに同調するようにふわっと言った。
「精霊の声がね、あっちの方から聞こえてくることがあるの」
「えっと……怖い感じ?」
「すごく、静かなだから怖い」
オレは、ハッとしてシオンを見た。
精霊が怖い時、気配を消して静かになる。
カルネが襲われた時がそうだった。
あの夜、まったく鳥の声がしなかった、不気味な夜。
「因みに、その精霊って。なんか、こう。 助けが来たぞーみたいな」
首を振るシオン。
オレの顔がやはり引き攣る。
「村の名前は」
「レン、という村だ」
エヴァンが、顔を向けて初めてオレを見た。
いつもは好奇心旺盛な目だった。
でも今夜は──少しだけ、オレの反応を探るような、真剣な目だった。
「なあ、駆」
「ええ……っと」
「本当に勇者は来るのか?」
オレは黙って星を見た。
(最悪だ。 なんで勇者はこっちに来ない。オレがいるからか?)
答えは明白だ。こっちに来るのは効率的ではない。
確か、エルタとかいう街を目指す……みたいなマップ
ここは大陸の端だし、帝国との距離も詰まってないし、移動しにくいし、目だって大きな街もないし
「あっちの連中、飢えてると思う」
「……そうか」
「木の皮とか、泥とか食ってるかもしれない」
シオンも真剣な顔で言った。
「前までの私たちと、同じだよ」
(前までのオレたちと、同じ)
カルネの村に辿り着いた時のことを思い出した。
頬がこけ、痩せ細った顔で集まってくる難民たちがいた。
土気色をした顔の人間がいっぱいいた。
長老のドワンが言っていた。冬になると決まって体を壊す人間が多かった、と。
エヴァンが言っていた。前は保存食なんて少なくて、飢えを凌ぐのが精一杯だった、と。
シオンが言っていた。精霊の声がいつも静かだった、と。
(待て、オレ。 のんびり生活は……)
深い森に囲まれて。
逃げたくても、逃げられなくて。
酷く飢えていて。
木の皮を食べているかもしれなくて。
助けを待っても、誰も来なくて。
「あーーーー! もうっ! 助けに行くぞ!」
すると、二人は待ってましたとばかりに頷いた。




