第3話 お約束の異世界チートスキル
それは不思議な紙だった。
ただの落書きにも見える魔法陣が描かれている。
触りなれない羊皮紙を渡され、オレたちは奥の広間へと案内された。
決して巨大というわけではないが、見上げるほど天井が高く、丸いアーチが連なる分厚い石壁が空間を厳かに区切っている。
「ロマネスク建築に見えますわね」
「すっごーい。蹴鞠、分かるの?」
穿たれた小さな窓から差し込む光は乏しい。
等間隔で壁に並べられたたいまつの炎でも、広間の隅には濃い影が落ちていた。
「アタシも見たことある」
「栞も? 凄いな」
「ゲームで。洋ゲー」
「あぁ、それなら俺も分かるな」
ただ、石造りの壁には何も掛かっていない。
飾りのタペストリーも、王家の紋章も、歴史を伝える絵画もない。
ただ、かつてそこにあったであろう調度品の跡だけが、色褪せた壁紙の不自然な余白として残されている。
床に視線を落とせば、重い家具を乱暴に運び出したような引きずり傷が幾筋も刻まれていた。
人が長く使っている生活の匂いではなく、人が何かを奪うように去っていった後の、埃っぽく寂れた匂いがした。
ただ一つ。
広間の最奥に、ぽつんと玉座だけが残されていた。
決して華美な装飾ではないが、作りは堅牢だ。
肘掛けの布地は擦り切れているものの、丁寧に手入れされてきた愛情の跡が窺える。
「スローンなんとかってゲームだっけ」
この巨大な空洞のような広間で、誰かが最後まで手放さなかった唯一の矜持のように見えた。
アーチの要石には、幾何学的な文様の中に、花や植物を思わせる有機的な意匠が絡み合うように刻まれている。
歴史の教科書で見たケルトの文様に似た、土着の信仰を感じさせる不思議なデザインだった。
「改めて、皆様をお迎えできたことを、心より感謝申し上げます」
白髪の老宰相バルドが一歩前に進み出ると、深々と頭を下げた。
ひどくやつれた老人が、それでも必死に礼を尽くそうとする。
その姿に、なんとなく居心地の悪い申し訳なさを覚える。
「いや、ゲームではないだろ……」
根こそぎ奪われたようなこの広間の惨状を見た後では、なおさらだ。
「そして──」
老人が顔を上げ、背後の玉座へと視線を向けた。
玉座の影から、一人の人影が静かに立ち上がる。
透き通るような白い肌に、流れるような金の髪と翠色の瞳。
質素なドレスを身に纏い、きらびやかに着飾った様子は一切ない。
だが、凜と伸びた真っ直ぐな背筋と、一切の揺らぎがない静謐な視線が、かえって彼女の存在を強烈に印象づけていた。
若い。おそらく、オレたちとそう変わらない年齢の少女だった。
「フィニス王国、女王ルシアです」
静かな声だった。
高く澄んだ音が、ひんやりとした広間の空気をすっと通り抜けていく。
「皆様を、このような形でこの地に招いてしまったこと──まずは、深くお詫びを申し上げます」
一言で表すと薄幸の美女。
更には女王。彼女が謝った。
オレは少しだけ目を丸くした。
王様が「よくぞ参った選ばれし勇者よ」とふんぞり返るのが、ゲームのお決まり。
いきなり謝罪から入る王は、異世界召喚のお決まり。
どっちでも、ない。
オレが驚いたのは、言葉が分かることだった。
「皆様には、望まぬ形でこの世界に来ていただきました。切迫した事情につきましては、追って説明いたします。ただ──」
彼女は一度言葉を切り、翠色の瞳で十二人の顔を順番に見つめた。
「皆様のお力を、どうか、私たちにお貸しください」
女王ルシアは、もう一度深く頭を下げた。
広間が、水を打ったように静まり返る。
オレ以外の十一人も、僅かに首を傾げた。
「……なんか、ウチらが思ってたのと違うね」
「そうみたいだねぇ」
「もっと王族は華やかであるべきですわね」
コスプレイヤーたち。
コミケ会場で、偶然近くに居た彼、彼女ら。
ゲームオタクではないらしい。
沈んだ空気を打ち消すように、アラビアンナイト風の衣装を着た踊り子が小声で呟く。
コスプレイヤーたちは頷くが、半分だけ青い髪の女が否定した。
「アタシたちの言葉、通じてるでしょ。最初から」
「翻訳MODでも入っているのか」
「MODとか、言うな。チーターは断固反対だ」
「確かにな。で、俺のゲーマー語録も通じるわけだ」
「それは通じなくていい」
一方、こっち。
何となく分かる。Eが付くスポーツ選手の気配。
エナジードリンクの臭いが漂ってきそうな連中だった。
プロゲーマーだからか、ルール理解を始めている。
その通りだ。バルドも女王も、ごく自然な日本語を話していた。
いや、向こうの言葉がオレたちの脳内で自動的に日本語に変換されているのか。
どちらにせよ、意思疎通に問題はないらしい。
「じゃあ、さっそくステータス確認しようぜ」
ゲーマーの巨漢の男が無駄のない動きを見せた。
と言っても、この羊皮紙は解読不明。
カタ……カタカタカタカタ…………
は?
「あれ? さっきまでグルグルだったよな」
「うん。 でも、これって」
オレだけではないらしい。
普通におしゃれな装いの二人。
なんで、コミケに来ていたのかはさておき、普通過ぎる故に逆に浮いている。
「わたしのも」
「うん。これってどういう」
そして、もう二人。
一人はふんわりとした眼鏡女子。
もう一人はゴスロリと言い切って構わない服装の女子。
だが、オレと雄大の、ある意味で相似形。
鞄にびっしりと張られた、推し活の缶バッチが物語る。
「何を驚いてるの。異世界と言ったらステータスでしょ」
「そうだな。そこの男も言っていただろう」
そう。いち早く、俺のツレ、雄大が言ったことが、本当に起きた。
ゲーマーたちが羊皮紙を広げたのを合図に、周囲のオレを含めたオタクたちが、一斉に手元の紙へと視線を落とす。
オレも手渡されていた羊皮紙を握りしめた。
「魔法陣が動いている。……それにこれって」
直前までは、複雑な幾何学模様の魔法陣が描かれているだけだった。
だが、数秒と経たないうちにその模様が生き物のように蠢く。
溶けるように形を変えていく。
「ん? 思っていたのとは違うが」
やがて、見慣れたゲームのステータス画面を思わせる表が現れる。
だが、そこにステータスなんてものはなかった。
あるのは自分の名前と、——スキルの欄と職業だった。
そして、最初に確認したやつらが、先ずは叫んだ。
「だが、分かりやすい。俺は『切り裂くが吉』、そしてソードマスター。悪くないな」
「数字はレベルだけか。レベルは1。『突き返すが吉』、タンカー。異世界まで来てタンクか」
「分かりやすくていいでしょ。アタシは『読み解くが吉』。へぇ、ソーサラー」
ゲーマーたちだ。確かに、分かりやすい職業だ。
そして、オレは目を疑った。
文字にするや、彼らの何かが変わったのだ。
「ふむ。『囀るが吉』……バードって、吟遊詩人かな。ボクって歌ってみたとかはしないんだけど」
「『踊るが吉』で踊り子! って、絶対に適当じゃん。ウチ、踊り子衣装は今回が初めてだよ?」
「『跳ねるが吉』、モンクとはどういうことかしら。わたくしはクレーマーではないのですが」
ある意味でもっとも異世界に馴染んでいる三人。
でも、やはり何かが変わった。
「俺は『清く守るが吉』だと、ナイトだってさ、美咲」
「誠ちゃんっぽい!私は『清く叩くが吉』、クレリック……ってなんだっけ」
真逆を行く、普通な二人。
だからこそ、確信に変わる。
さっきまでは普通のカップルだった。
でも、今はオーラを持つリア充。
リア充に爆発城だとか、可哀そうに……なんて思う暇なんてない。
「凜ちゃん。わたしは『祈るが吉』ですって。しょくぎょうはヒーラーです」
「癒し系の日向っぽいね。で、私は『突き刺すが吉』。アタッカーって、そうでもないんだけど?!」
推し活女子も気配が変わる。
凜と呼ばれた女の言葉はさて置き、確かに法則性があるように思えた。
残すは二人。
なら、オレは——
「くっくっくっく……」
乾いた笑いが響く。
オレの……方から響いた。
「左腕が疼いて仕方なかったんだ。こういうことか。『唱えるが吉』、魔法使い。僕は魔法使いだったんだ。 言った通りだろ、駆っ」
「煩い。わかったから声量下げろ」
村田雄大。
オレの隣からの声。
最後まで残ってしまった。
残り物、そんな考えはなかった。
だって、みんなそれぞれ。それっぽいし。
雄大が言ったように、ゲーマーたちが確信したように、異世界なんだ。
左手を疼かせていた男が、本当に左手に疼きを感じる。
魔導を左手に宿しているのか、紫の輝きを放っている。
オレは満を持して、手の中の羊皮紙を広げた。
【逃げるが吉 Lv.1 後退士】
小一時間。
いや正確には三秒、見つめた。
「なんとなく、読めていたけれどっ!こう……何士? っていうか、吉、吉、吉って、おみくじかっ!」




