第28話 後退士とかいうスキル
村からの叫び声が、一気に大きくなった。
「カペーを探せ!」
「カペー様はどこだ!」
炎があちこちに灯る。
居住区の暗闇の中で、慌ただしく動く影が、照らされて激しく揺れていた。
「なんだよ、それ。 自分に嘘を吐いてまで、ここに来たんだぞ! このオレが! 逃げるが吉の情けないオレがっ!」
フィニス王国を追放され、逃げて辿り着いたカルネ村。
逃げる前は、役立たずで、最終的にトロール行為で通報された。
だとしても、オレは異邦人だ。
「普通、オレと戦うだろっ! 一度は、国民の前で勇者と呼ばれたんだぞ!」
異世界から呼ばれ、訳の分からないスキルをおみくじで引いた。
仲間たちは今も戦っている。
人民の希望を集めて、戦っている。
同じ条件の筈なのに、魔物にさえ相手にされない。
オレは確かに、ただのカペーだ。
修道士でも勇者でも、フィニス王国に言わせたら、本物の異邦人でもない。
魔物が真っ先に狙う価値なんかない。
「オレは戦えない……」
ただ、村から目が離せなかった。
炎が揺れる様子が、逃げ惑う人々の影が、脳に焼き付くようにはっきりと見えていた。
助けを求める声も、痛いほど聞こえていた。
でも、既に燃え尽きた勇気だった。
圧倒的な恐怖で体が強張っていた。
視線を村の暗闇に固定したまま、オレの足は無意識に土を擦った。
村を向いたまま、ジリッと後ろへ下がった。
逃げ……ろ……
一歩、後退りをした。
カチッ。
「無理だよ。ビームも出せない、スマホも飛ばせない。 清く守ることもできない」
逃げ……ろ……
オレはもう一歩、足を後ろに運んだ。
カチッ。
村の悲鳴が、さらに大きくなった。
そこに、あの生臭い獣の唸り声が混じった。
誰かが絶望的な叫び声を上げた。
松明の明かりが、また一つ闇に飲まれて消えた。
「左手だって、疼いたりしないんだっ!」
全部、見えていた。全部、聞こえていた。
それでも体は、恐怖に支配されていた。
オレのスキルは『逃げるが吉』だぞ
「そうだよ!」
オレの生き残る道はそれしかない。
戦場から、逃げることだ。
戦いから、逃げていい。
「間違いなく、逃げるべきなんだよ!」
村のどこかで、金属と何かが硬く、ぶつかる音がした。
エヴァンたち村の猟師の斧かもしれない。
オレは気づかないフリをして、村の惨状を睨みつけたまま、再び後ろへ足を滑らせた。
三歩目の、後退り。
カチッ。
「カペー!」
「聞こえてるんだ……。でも、オレ」
四歩目、足が後ろに流れる。
後退りする。
遠くで、エラの声がした。
高くて、必死な、泣き出しそうな声だった。
「カペー様を探せ! カペー様さえいれば!」
ドワンのしゃがれた声だった。
目線は村を、でも体は後ろに。
村が離れていく。
「違う。オレは戦えないんだ……。後退士なんだよ……」
「カペーはどこ?」
今度は、シオンの声だった。
見えやしない。
でも、自分を呼ぶその声だけが、風に乗る。
オレの耳に、小さく届いた。
でも……
景色は、スッと遠くなった。
スヴァントウルフの唸りも。
金属が砕ける音も。
誰かの断末魔のような叫びも。
全部、遠くなった。
カペー。
カペー。
カペー。
オレを頼るその声だけが、ひどく近かった。
その後退りをしようとしていた足が、ピタリと止まった。
カチッ……
その場で、土を強く踏みしめた。
「くそ……」
村を睨みつけた。
松明はまだ、激しく揺れていた。
逃げ惑う村人たちの影が走っていた。
スヴァントウルフの残酷な黄色い目が、暗闇の中でいくつも光っていた。
「オレは最低……かよ」
のんのん、追放ライフがどうしたって?
自分で自分が嫌になった。
逃げ……ろ……
「違うんだよ! オレは後衛担当じゃないんだよ。後ろで戦えないんだよ。でも、だったらさ。 オレは何なんだよっ!」
栞の冷徹な顔が浮かんだ。
保身で目を逸らした雄大の顔が浮かんだ。
オレを見下ろした玲の顔が浮かんだ。
ただ──
結構前に、狼煙が上がっていた。
彼らは彼らなりに、この世界で必死に戦おうとしていただけだ。
「も、一回。頼むよ、オレ。……どうせ、行く当てなんかないんだからさっ」
強く、奥歯を噛み締めた。
「チーム・ドラグノフも言ってたろ? ゼロデスがどうとかって。デス数があるってことは、リスポーンかなんかさ。 してくれるかもしれないだろ? ゲームみたいな世界じゃなくて、ゲームなんだろ?」
だったら——
震える手で、腰の短剣を握り直した。
「オレはっ!」
これ以上、後退りしない。
オレは、村を見つめたまま。
「ハッピーバッドエンドでいい。戦って、死んでやるっ!」
オレは村の暗闇に向かって、
全力で一歩を前へ踏み出した。
──その瞬間だった。
オレの足から、何かが爆発的に弾けた。
弾けた、というより、何かが解き放たれた。
「ひ……」
視界が、ぐにゃりと流れた。
地面が、恐ろしい速度で後ろへ飛び去っていく。
暴風が顔を激しく叩いた。
気づいた時には、村を襲っていたスヴァントウルフの巨体が目の前にあった。
しかも、爆発的な速度で。
圧倒的な運動量を保ったまま、
安物短剣付きの、ただの体当たり。
いや
ドゴォォォン!!
特大の体当たりで、巨狼の横っ腹に直撃していた。
鈍い衝撃音と共に、スヴァントウルフの巨体がボールのように吹き飛んだ。
「あ……れ」
地面を何度もバウンドして転がった。
泥にまみれてそのまま二度と起き上がらなかった。
「何……?」
オレは、巨狼がいた場所に立っていた。
息が激しく切れていた。
短剣を握る手が、違う意味で震えていた。
でも確かに、両の足で立っていた。
「今の……」
分からない。
全力で、分からなかった。
オレがやったのに。
自分でも、何が起きたのか全く分からなかった。
残りのスヴァントウルフたちが、一斉にオレを見た。
さっきの、オレを無視したとは、明らかに違う目だった。
オレのことなど歯牙にもかけていなかった。
でも、今は違う。
完全に、オレを『強大な脅威』として見ていた。
濁った黄色い目が、確かな警戒心を宿してオレを睨みつけている。
松明の光の中で、誰かが叫んだ。
「カペー様!」
ドワンの声だった。
オレは短剣を顔の前に構え直した。
手が、まだブルブルと震えていた。
◇
村を外で見ていた。
気付いたら、村の中にいた。
思い切りぶつかって、弾き飛ばした。
飛ばしたのとは別の一頭が目の前にいる。
低く唸りながら、オレに牙を剥いた。
「違うっ! オレじゃない! なんか、勝手に吹き飛んだんだって! やっぱ、怖いって!」
短剣を構え、重心を落とす。
よく分からないけれど、ここにいる。
結果オッケーだが、思考的にはアウトだ。
スヴァントウルフと戦えるわけがない。
「いや、オレかな? でも! い、一旦落ち着かない? ほら、さっきは見逃してくれたじゃん……」
すると、村の奥。
暗い森の境界から別の音がした。
もっと軽く、カサカサとした。
複数の不快な足音だった。
「カペー様!」
ドワンがもう一度、悲鳴のように叫んだ。
「森から、別の魔物が!」
オレは弾かれたように振り返った。
暗闇の中から、無数の黒い影が這い出してきていた。
五つ、六つ、七つ──分からない。
松明の光に照らされたそれは、人間の子供ほどの大きさの、醜い小鬼の群れだった。
違うぞ、オレ。オレは知っていた筈だ。
王都での作戦会議が、頭をよぎった。
「スヴァントウルフは、部下を使う。使役する。そっちの魔物の方もいるのかよ……」
この小鬼たちは、スヴァントウルフが使役している雑兵だ。
影たちが、一斉に無防備な村人に向かって走り出した。
エラが、ガウが、ルンが、その先にいた。
「どう……する?」
オレは短剣を強く握り直した。
一対多だ。普通に戦えば、絶対に無理だ。
「逃げるが…吉って、だから何?」
オレは無意識に、一歩、後ろに引いていた。
カチッ。
「……あれ?」
オレは、ここで気付いた。
足元で、確かに音がした。
さっきも、そう言えば……
こんな似つかわしくない音が、
カチッ……
——してたかもしれない。
「ドワンさんは下がって。オレも下がるけど」
「下がるとは? 村の子の命ですじゃ。このおいぼれなど」
「そういうんじゃないって!」
カチッ
「まただ。これって……」
もう一度、足を後ろに引いた。
その時に、オレの体の中で何かのギアが噛み合うような音がした。
「カペー様。この老いぼれを囮に使ってくだされ」
「なんかさ! さっきも同じ音を聞いたんだよっ!」
「はぃ?」
「あっち、エラたちの方っ!」
──そのまま前へ踏み出した。
オレの体が、再び弾丸のように飛び出した。
さっきほどの威力はなかった。
ドンッ!
先頭を走っていた小鬼の一体に体当たりした。
でも、これは
人間の普通の走り出しの速度じゃなかった。
小鬼どもが、悲鳴を上げて吹き飛んだ。
その勢いのまま滑り込み、オレはエラたちの前に盾のように立ち塞がった。
「カペー!」
エラが、涙目でオレを見上げた。
ガウもルンも無事だった。
「オレの後ろに! 文字通り、下がって!」
エラが、ガウとルンを連れてコクコクと頷いた。
でも──影たちは、まだ無数にいた。
オレには、多すぎた。
こんな安物の短剣で一体ずつ相手にしていたら、確実に押し切られる。
「栞みたいな俯瞰はできないけど……。どうする? っていうか、この力はどんなだよっ?」
「カペー?」
「オレと一緒に、あとずさって……」
オレは、敵との距離を取るために後ろに下がった。
一歩、カチッ。
「あとずさり?」
二歩、カチッ。
「そう。後退り!」
三歩、カチッ。
「あとずさり?」
「後退り……し?」
四歩、五歩、六歩、七歩。
カチカチカチカチカチ──。
「この音、聞き覚えが。えっと……」
オレは間の抜けた声で呟いた。
小鬼たちは、獲物が弱気と見て、一斉に飛びかかる。
背後で、村人たちが悲鳴を上げた。
でも──オレの頭の中では、まったく別の情景がフラッシュバックしていた。
異世界、前の世界、現世、その昔。むかーしむかし
オレは子供の頃に、車をつかんで……
床に押し付けて、後ろに引いて、手を離すと、猛スピードで走り出す。
後ろに引けば引くほど、中のゼンマイが巻かれて速く走る。
「──子供向け玩具っ!」
小鬼の群れが、目の前まで迫っていた。
オレは短剣を構え、大きく息を吸い込んだ。
「待って待って待って待って!」
足の裏で地面を強く蹴り、前へ踏み出した。
パァァァンッ!!
オレの体が、文字通り空気を裂いて弾けた。
「逃げるが吉……」
七歩分後退して溜め込まれた『力』が、一気に推進力となって解き放たれたのだ。
視界が光の筋のように流れた。
オレは真っ直ぐではなく、右に大きく弧を描いた。
ゼンマイが目いっぱい巻かれて、飛び出した後のミニカーを想像する。
手を離したって、そのミニカーがオレなんだから、直進に拘らなくていい。
三日月を描くような凄まじい遠心力で、小鬼たちの群れのど真ん中を竜巻のように駆け抜けた。
「後退士って、そゆこと?!」
短剣が、空気を切り裂く。
加速の乗った体当たりが、小鬼たちを次々とボウリングのピンのように撥ね飛ばしていく。
弧を描ききった端まで来た時──ピタッと推進力が消えた。
ズザァァァッ、と土煙を上げて地面に止まる。
振り返ると、地面には無数の小鬼たちが白目を剥いて転がっていた。
「あとずさりし……かよ」
立っているものは、もう一体もいなかった。
残っていたスヴァントウルフも退く。
賢い狼だから、デタラメな光景を不快なものと判断する。
完全に戦意を喪失し、森の奥へと消えていった。
「カペー! 凄い!」
オレはゆっくりと短剣を下ろした。
息がゼエゼエと切れていた。
手が痺れるように震え、膝がガクガクと笑っていた。
でも──。
カチッというあのギアの音が、余りにも間抜け過ぎる。
膝がけらけらと笑っているとしか思えなかった。
「逃げることが得意なんじゃなかったのか?」
エヴァンが斧を持ったまま呆然と立っていた。
その隣に、シオンが立っていた。
「知るかよ。後退士ってこうたいしだろ。 訓読みとかっ!」
村の全員が、オレを見ていた。
シオンが、月明かりの下で柔らかく笑った。
「ね」
「なにが『ね』だ。こっちは頭を抱えて」
「精霊、すっごく喜んでる。やっと気付いたって笑ってる」
ドワンが、よろよろと歩み寄り、深々と頭を下げた。
「地母神様の御加護に、ただただ感謝を」
「だから本物の修道士じゃないって」
「なんと謙虚な方だ……」
エラが、泣きながらオレの足に抱きついた。
ガウが、オレの腰にぶら下がった。
ルンが、オレのパーカーの袖をぎゅっと掴んだ。
「カペー!」「カペー!」「カペー!」
三人が順番に、しゃくりあげながら叫んだ。
オレは三人の頭を順番に撫でてやりながら、短剣を腰の鞘に差した。
「ていうかさ」
何か月、彷徨っていたと思っている?
「こんなん、ノーヒントで気付くかっ! 商品名を出さないとかいう、謎コンプラもっ!」
ちゃんと、ルビを振っとけよ!——後退士 !




