第25話 一人だからこそのノンノンライフ
この地はカルネというらしい。
そして先祖代々の土地らしい。
ただ、領主はこの地の人間ではなく、教会の人間もこの地の人間ではないらしい。
(フィニス王国と同じ……か)
この地を治めていた領主は、魔物の出現と共にいなくなった。
教会も同じだった。そして、農業の指示をくれる人間がいなくなった。
村人たちだけでなんとか工夫してきたが、年々、畑の麦の実りが減っている。
土が疲れているのかもしれない。
このままでは冬を越せなくなる。
(土が疲れる……って)
オレは黙って聞きながら、頭の中で何かが引っかかっていた。
(そういえば、美咲さんが言ってたな)
王都の食堂での声が蘇った。
『中世。——農業革命が起きていません』
さらりと言っていた。
でも確かにそう言っていた。
(農業革命と言えば、ノーフォーク農法だっけ)
中学の歴史の授業で習った。四圃式農業。
土地を休ませる。違う作物を順番に使う。
でも──。
(具体的な作物なんて、この世界で何があるか知らないしな)
老人の話が一段落した。
オレはゆっくりと口を開いた。
「一つ聞いていいですか。畑、今どうやって使ってますか」
老人が説明してくれた。
狭い同じ土地に、毎年同じ麦ばかりを植え続けていた。
「やっぱり」
老人が、すがるような目でオレを見た。
「やっぱり、とは」
「土って、同じものを作り続けると疲れるんです。人間と同じで」
老人が、身を乗り出してじっとオレを見た。
「畑を、いくつかに分けて──」
オレは続けた。
ノーフォーク農法とか、四圃式とか、そういう小難しい言葉は使わなかった。
だって、ボロが出るし。
しかも、この地にクローバーがあるかも分からない。
カブがあるかも分からない。
だから、根本の考え方だけを話した。
「土地を分ける。順番に違うものを植える……」
「なるほど。 少々お待ちいただけますかな」
すると老爺は慌てて何処かへ行った。
暫くすると、農夫やら女やらを連れてきた。
「続けて頂けますかな」
「あ……。どうしよ。えっと、確か。土に栄養を戻す時期を作る。土を休ませる時期を作る。その組み合わせのサイクルが大事だとか」
全員が、完全に前のめりになっていた。
「栄養を戻す、というのは」
「土を肥やしてくれるような植物が、どこかにあるはずなんです。豆とか、深く根を張る草とか。それを植える時期を挟むと、土が回復するだっけ……」
大人たちが、しばらく黙り込んだ。
それから、記憶を掘り起こすようにゆっくりと言った。
「……もしや、あの草のことでしょうか」
「どんな草ですか」
「昔からこの辺の荒れ地に生えております。根が深くて、花が紫で。いつも邪魔な雑草として刈って捨てておりましたが」
オレには、その草の名前も見た目もわからなかった。
「根が深い草って、土の中に栄養を残してくれることが多いんです。もしかしたら、それかもしれない」
大人たちの目が、はっきりと変わった。
若々しい目が、さらに力強く輝いた。
「では、麦の収穫の後にその草を──」
「一部の畑に植えてみて、翌年どうなるか確かめてみるのが一番だと思います。オレの言ったことが正しいかどうかなんて、わからないので」
老人が、深く、何度も頷いた。
他の大人たちもソレに倣った。
それから大人たちは出て行き、オレと老爺二人きりになった。
しばらく、二人で黙った。
老人が、独り言のように噛み締めるように言った。
「考え方、ですな」
「え」
「皆、考え始めました。あなたが教えてくださったのは、答えではなく考え方だ。上からではなく、我々に考えよと。そうですじゃ。我々が、この土地のことを一番よく知っている──」
物凄い勘違いをしている。
魚をやるより、魚の釣り方を教えたとか思ってそう。
教科書の知識しかなく、この地に生えている植物を知らないだけなのに。
ブレイクスルーとは、努力の積み重ねの後に起こる。
この土地に根付く人々ならば、努力をしていたわけで、オレが教えなくても、きっと辿り着いた。
——そういうことにしておこう。
「ありがとうございます、カペー殿」
「いや、オレは大したことは何も──」
「地母神様がお遣わしになっただけのことはある」
「地母神……。えっと違います」
「なんと謙虚な方だ」
召喚されたときのように、またボロが出るかもしれない。
——だったらまた、逃げれば良いだけだ。
扉が閉まり、部屋に一人になった。
窓の外に、綺麗な星が出ていた。
「考え方、か。そういうの、異世界に来てから放棄してたな、オレ」
老人が言った言葉が、頭の奥に残っていた。
オレは具体的な答えなんて、何も持っていなかった。
ただ、遠い記憶にある中学で習った仕組みの話をしただけだった。
でも老人は、その話の中から、自分たちの土地と経験に合うものを確実に見つけ出していた。
「ゲーマーたちが考えてるのを良いことに、ただ陰に隠れてただけ。考えるを放棄してたな」
ここには強力な魔法も、神速の剣もない。
でも、中学の歴史の教科書は必要だった。
「美咲さんのお陰だな。あの二人はよく話をしてくれたし。恨みっこなし」
ふと、思った。
それから──王都の食堂での顔が、全部浮かんだ。
冷徹な栞の顔。
目を逸らした雄大の顔。
オレを見下ろした玲の顔。
オレは、すぐに星空へ視線を戻した。
「結果。逃げるが吉か。最初から最後まで、ずっと」
夜空に向かって呟いた。
自分で言って、少しだけ笑えた。
◇
ここは、フィニス王国ではない。
そしてあの老爺はドワンというらしい。
この地「カルネ」は、かつてヴァルシア王国だった場所の一部らしい。
「領主の居ぬ間に若しくは、司祭の居ぬ間にか。司祭が来るのは年に数回とかだったらしいし。どっちみちか」
それに、ひどく言いにくそうに教えてくれた。
エレイン教とドミナス教の教義の違いで、何が正しいのかも分からない状況だった、と。
だからこそ、ノーフォーク農法を考える下地自体は備わっていた。
右と左の意見が違い過ぎて、前に踏み出すことが出来なかった。
「今はある意味で無政府状態か」
それなら、オレが速水駆という本名を名乗っても問題はなかったかもしれない。
だが、フィニス王国の国境からそこまで離れているわけでもない。
変な噂が広まるリスクを考え、なんとなく本名を明かすのはやめておいた。
オレはただの異国の修道士『カペー』として、この村で生きることにしたのだ。
そんなある日のこと。
エヴァンという青年と知り合いになった。
エヴァンは、色素の薄い瞳や顔立ちをしているのに、太陽の下でよく日に焼けている。
たくましい腕や首筋のあちこちに残る古い傷跡が、彼がこの過酷な土地で体を張ったことを物語っていた。
この地が魔物の中でも生きていたのは、あんな勇敢な若者がいたからだった。
「狩り……とか危なくない?」
「危なくない狩りがあるのか?」
そしてエヴァンは珍しく、ため口だった。
修道士さまと敬われるオレの質問に、質問で返すような奴だ。
だからこそ、話しやすかった。
「カペーだって、魔物の森を越えてきたんだろ?」
「越えたっていうか、無我夢中で逃げてきたんだよ」
「それで行き倒れてたのかよ。で、仲間は」
バレてはいけないかは分からない。
それでも、質問をされたら答えられる範囲なら、ちゃんと答えた。
多分、あの日々の反動だった。
「仲間はいない」
「は? マジかよ」
「悪いかよ」
聞いておいて、エヴァンは頭を抱えた。
茶色い髪をくしゃくしゃと掻いた。
「悪いって言うか。一人で森の中を魔物に追われて逃げたって、やばいだろ」
「逃げ足だけは速いんだよ」
「ふ……。自慢することか?」
「自慢することだよ。 オレは逃げるが吉だからな」
自分のスキルを言えるって素晴らしい。
どんな才能でも、才能は才能なのだ。
「じゃ、俺は言ってくる」
「気をつけろよ。オレは逃げるのしかうまくないんだから」
徒然なるままに歩く。
エヴァンと村のギリギリまで喋っていた。
その時だった。
オレの目は奇妙なものを捉えていた。
「あれ……」
「なんだよ。怖がらせるつもりか」
「じゃ……なくて」
足元を見て軽く目を剥いた。
「これって、さ」
過去に魔物たちに踏み荒らされ、放置されたままになっていた荒れ地。
「俺は行くぞ。少しでも子供たちに食べ物を」
「待った。その狩り中止!」
「はぁ?」
その土の表面から、見覚えのある丸みを帯びた薄茶色の塊がいくつも顔を覗かせていたのだ。
「いや。食べ物が」
「いや! だってさ。どうしてこれ、食べないんだ?」
オレが指差すと、エヴァンは不思議そうに首を傾げた。
「なんでって言われても、知らないな」
「だったら、やっぱり狩りは中止。今すぐ掘り出して、ドワン爺さんに聞きにいくぞ」
オレ自身も首を傾げていた。
こういう時は長老に聞くのが大事。
それをノーフォーク農法で学んだばかりだった。
「だけど、俺は」
「エヴァンは子供たちに頼られている。他の大人たちからも」
「急にどうした」
「狩りは危ない。極力減らすべきだ」
「だから」
「食べられるかもしれない。いいから、掘るのを手伝ってくれ」
因みにオレは、この時は大して考えていなかった。
ネットとゲームがオレを育てた。
ただ、それだけ。
そして、エヴァンは渋々顔でソレを掘り起こした。
狩りを中止し、村の端から遠ざかる。
それを長老ドワンに見せると、懐かしそうな顔をした。
「何年前だったか。最後に王都から司祭様が来られたのは……」
「おじいちゃん、カペーの質問だよ」
傍にいた子供のエラが、ドワンの服の裾を引く。
ドワンが、ああと頷いた。
「いや、何十年前じゃったかのぉ」
「おじいちゃん、カペーの質問だよ」
エラが困った顔で、ドワンの服の裾を引く。
ドワンがまた、ああと頷いた。
「そうでしたな。これは十年か二十年か……。エラ、そんなに小突く出ない。……あ、あの土に埋まっている実は、形が歪で悪魔の姿に似ているから、決して食べてはいけないと教えられておりまして」
何回もエラに小突かれたことによって、ドワンの記憶の扉がこじ開けられた。
オレはその言葉を待っていた。
重要なのは、宗教的な理由だったこと。
現代の知識を持つオレから見れば、それはただの栄養価の高い立派な作物だった。
痩せた土地でも育つ、最強のチート救荒作物だ。
「神様がそういうんじゃ、な」
エヴァンは言った。
そこで、オレは少し考えた。
この村の大人たちは、合成繊維のパーカーを着た怪しい男を、高貴な修道士様だと見間違える。
それほど、日々の暮らしの中で誰かの助けや導きを求めている。
それを利用する。
「最新の教義が変わったんだ」
すると、ドワンとエヴァンが、驚いたようにオレを見る。
「それは、こんな時だからこそと、地母神エレイン様がお零しになられたんだ」
「なな、なんと!」
やはり——
だから、それっぽく続ける。
「エレイン様が、湯あみをした時に生まれた作物っていう新たな研究が出た。よって! 丁寧に畑を耕して、それを全部掘り出すように!」




