第21話 トライアングル作戦
全員が食堂に揃ったところで、オレは静かに手を挙げた。
スッと。なるべく自然に。
昨夜考えた完璧な策を、今から堂々と発表する男の顔だ。
「スヴァントウルフは複数いる。 なら、全員で突破すればいい」
食堂に、短い間が落ちた。
剛が、無表情のまま一言だけ言った。
「あぁ。効率的だ」
玲が小さく頷いた。
オレはガッツポーズを懸命に我慢した。
これぞ後衛、これぞ後衛士。後退士では断じてないし、逃げるが吉でもない。
ウィットな考えで状況を打破する。
異世界はこうでなくては。
だが、現実は。
第二隊「暁光の槍」の誰かが、苦笑いしながら言った。
「それ、普通に俺たちも全員考えてたぞ」
「え……?」
「そうでござる。どこに狼煙を上げろとは言われておらぬ故に」
オレの中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
大発見じゃないし、ウィットでもない。
夜に書いた手紙は、次の日の朝に読み直せ。
そのまんまだった。
でも、まあとオレは切り替える。
方向性は合っている。
合っているならそれでいい。
このままオレの案として押し切れば──
だが、ここでも現実が待っている。
「アタシは反対ね」
オレへの目付きが変わった栞だった。
そして食堂の空気が、一瞬で引き締まった。
「えー。いいじゃん。ねー、雄くん」
「そうでござる。多くのタンクがいれば、拙者の大魔法が炸裂するでござる」
全員の視線が、第三隊「銀弦の星」のリーダーへと集まる。
「いい?」
栞は特に表情を変えなかった。
パンを手に持ったまま、静かに、論理的に続けた。
「アタシも一か所を狙うのは賛成よ」
「だったら」
「ただし、全員がかりは悪手よ」
チーズを乗せて、栞は首を傾げた。
「バランスが大事。……期限は三日。短い期間で、一度も連携したことのない十二人。新しい大掛かりな戦法を試すのは悪手」
オレは慌てて口を開いた。
「でも──」
「動きが悪い黒焔が、暁光と銀弦のサポートに回ればいいだけよ。シンプルが一番確実。 それに黒焔には……ね」
言葉が、喉の奥で詰まった。
栞の言っていることは、全部合っている。
でも、それでは。
「気持ちはわかるが、正論だ」
そこで玲だった。
「直前で作戦をいじって自滅したチームを、俺はいくつも知っている」
剛が続けた。
感情のない、過去の敗北データを読み上げるような声だった。
「でもそれは。……ゲームの話だろ」
オレは言った。思わず、言ってしまった。
蹴鞠が、カチャリと紅茶のカップをソーサーに置いた。
「直前で変更して失敗。 現実でも同じでしょ?」
落ち着いた、上品な声だった。
でも中身は、オレの逃げ道を塞ぐ一刀両断のド正論だった。
舞が、場の空気を軽くするように明るく続けた。
「大丈夫だって。ウチたちならやれるし! なんたって、速水駆くんって、後衛士でしょ?」
「……そう……だけど」
全員が自信満々だった。
そして、オレを貶めようとする悪意はなかった。
昨日みたいに、「何を熱くなっている?」という言葉もない。
だからこそ、反論できなかった。
その時、玲がオレを見て言った。
「後ろの守りは任せろ」
剛が横から続けた。
「俺たちには、優秀な後方担当もいるしな」
疎外感を感じているだろうオレを気遣っている顔だった。
お前にもちゃんと大事な出番があるぞ、という意味の、純度百パーセントの善意だった。
後方担当は、後衛士だから。
その言葉が、頭の中でぐわんぐわんと響いて回った。
逃げるだけの、ただの後退士。
それが第一隊「黒焔の剣」における後衛士と、完全に誤認されている。
彼らの言うことが戦術的に正しいから。そして、善意だから。
「う……す」
そして、作戦会議が次の段階へ進もうとした時。
雄大が、にっと頼もしく笑った。
「さて。いよいよ拙者たちの完璧なコンビネーションを見せる時でござるな。駆氏は後ろから見ていればいいでござる」
確かに頼もしい声だった。
コミケ会場から一緒にバカをやっていた、昔からの仲間の声だった。
オレは、一応安心した。
こんなに頼もしい連中がいるなら、悪いことにはならないだろうと、無理やり自分に言い聞かせた。
◇
出発前、作戦の最終確認が行われた。
栞が、空中に浮かぶディスプレイにスタイラスペンで図を描いた。
巨大なトライアングル。
頂点に「A」、左右の底辺に「B」「C」という文字が書き込まれる。
アルファベットはそれぞれ、黒焔、暁光、銀弦だ。
「東の出口から出る。第二隊と第三隊が左右に展開して、面を作る。第一隊が後衛。この形を絶対に崩さないまま、東の山へ向かって前進するわ」
「スヴァントウルフの群れは?」
誠司が真剣な顔で尋ねた。
「この陣形で動けば、側面は暁光の槍と銀弦の光で対処できる。一番の問題は、手薄になる後衛の黒焔の剣。 狙われる可能性は高い」
「当然の動きだな」
剛が、無感情な声で同意した。
「敵の数が少ない場所から、陣形を崩しにくる」
「そう。だから」
栞が、板に描かれた「A」の頂点をトントンと炭でつついた。
「ここが要よ。後方が崩されなければ、この作戦は成立する」
全員の視線が、第一隊へと集まった。
玲、剛、蹴鞠。そして──オレ。
「後方担当がいるしな」
オレは、頭の中に残像として残る「A」の文字を見つめたまま、ただ黙って頷くフリをした。
◇
イネスが、東の門までオレたちを見送りに来た。
いつも傍にいるはずの騎士を、今日は一人も連れていなかった。
「あと二日だ。狼煙を上げろ。それだけで民は希望を抱ける」
冷たい声でそれだけを言い残し、門の前でピタリと立ち止まった。
それ以上は、一歩もついてこなかった。
オレたちが外へ出た瞬間、背後で巨大な門が閉まる音がした。
ズゥン、という腹に響く重い音だった。
(一日減ってる。昨日のもカウントされてたのか。……でも、イネスさんを責められない。イネスさんは民との距離が近いんだ。 色々言われてるんだろうな……)
黒い森は、すぐそこまで迫っていた。
朝靄が木々の間に濃く溜まっていて、五十メートル先すらまともに見通せない。
「展開」
栞の声は、いつもと変わらず、冷徹だった。
第二隊「暁光の槍」と第三隊「銀弦の星」が、左右へ扇状に広がる。
誠司が盾を構え、凛が殺気を纏って短剣を抜く。
日向が後方の安全圏に入り、奏が声を低く保ったまま、静かにリュートの音を紡ぎ始めた。
第一隊「黒焔の剣」は、トライアングルの頂点。
後ろ側の頂点。玲が前、剛が左、蹴鞠が右。
オレは一番、後ろ。
「速水、後方注意」
剛が短く指示を出した。
「わかった」
オレは答えた。
自分の口で『わかった』と言ってしまった。
「何を分かったんだろ。 でも、大丈夫そうな……気もするし」
木々で何も見えないと思っていた。
でも、オレにとってはチートにしか見えないディスプレイが近くに浮かんでいた。
GPSと呼ぶべきか、画面端にあるミニマップと呼ぶべきか。
「順調に進んでる。 撃破マークもどんどん増えてる」
本当にゲームみたい。
この作戦で大丈夫、そう思ったその時
森の奥で何かが蠢く音がした。
軽い枯れ枝を踏む音ではない。
地面そのものが低く軋むような不気味な音。
この感覚は知ってる。逃げろと本能が訴えている。
スヴァントウルフだ。
最初の一頭が靄の中からその姿を現した時、オレは息を呑んだ。
分厚い灰色の毛並みに、知性と狂暴性が混じった黄色い目。
「前方、来るぞ」
玲がブロードソードを抜いた。
巨大な狼が、低い唸り声とともに正面から突っ込んできた。
速い。だが、玲たちは一切怯まなかった。
「ブラック・ブロード!」
技名いる?!
なんて心でツッコむが、玲が踏み込み、物理の刃が一閃する。
分厚い毛皮を切り裂き、巨狼の急所を的確に捉えた。
巨大獣の鮮血が舞う。
「ラージシールドバッシュ!」
剛が技名付きのシールドで弾く。
横合いから飛び込んできた別の一頭を飛ばし、その無防備な腹部に強烈な一撃を叩き込む。
「ハプス・ショットッ!」
蹴鞠まで、技名をつかう……だと?!
上空から蹴鞠が急降下し、完全に息の根を止めた。
マップを確認する。
左右の前面も、第二隊と第三隊が完璧な面を構築して押し上げていた。
奏のバフが効いている。全員の動きに迷いがない。
「いける……」
オレは、一番後ろからその完璧な勝利を見て確信した。
作戦は機能している。全員の力が噛み合っている。
このまま進めば、間違いなく山頂に辿り着ける。
◇
森のさらに奥深くへと進軍した。
マップ的には三分の一を越えた辺りだ。
そこは森の空気がまったく違っていた。
ひどく静かだった。
スヴァントウルフたちは、確実にオレたちの周囲に潜んでいた。
木々の隙間から、あの黄色い濁った瞳がいくつも光っているのが見える。
だが、彼らは決して突っ込んでこなかった。
一定の距離を保ち、音もなく並走している。
警戒しているのだ。
最初の衝突で仲間を失った彼らは、オレたちの強固なトライアングル陣形をじっと観察していた。
前衛の火力の高さ。側面の防御の硬さ。
どこに隙があるのか、どこから崩せばこの獲物たちを食い殺せるのか。
ただ闇雲に襲ってくる獣ではなく、高度な知性を持った軍隊のように、冷徹にこちらの情報を収集している。
「……気持ち悪いわね」
凛が、周囲の気配に苛立ちながらレイピアを握り直す。
「陣形を崩すさない。相手のペースに巻き込まれない」
栞が、感情を排した声で全体をコントロールする。
玲も剛も、一切の油断なく前方と側面を警戒し続けていた。
オレは、最後尾で冷や汗を流しながら周囲を見回していた。
何も起きない。誰も襲ってこない。
ただ、ひたすらに値踏みされている。
その不気味な静けさが、逆にオレの神経をゴリゴリと削っていった。
「時間はあるし、半分くらい進んでるし……大丈夫だろ」
山頂へ抜けて狼煙を上げる。
栞の指示で構築したトライアングルは、その後も順調に前進していた。
それから一時間経過した暗いだろうか。
ミニマップに、気になる点が生まれた。
正三角形が少しずつ。
縦長の二等辺三角形になっている。
でも、それは前面部隊が確実に進んでいる、ということだし……
そう思った時だった。
「後方確認しろ!」
玲がオレに指示を出した。
言われなくとも、とオレは思った。
逃げるが吉の力のせいか、危険を感じると体が反応する。
勿論、単なる勘かもしれない。
森に入ってからずっと逃げたいし、怖いし。
「北、二頭確認!」
「南も来てる!」
剛と蹴鞠の声が続く。
栞の読み通り、弱い部分は狙われる。
でも、トライアングルは崩れていない。
だけど、現実は甘くない。
ミニマップには二等辺三角形に見えても、木々のせいで二部隊が見えない。
ここにあるのは、孤立した一部隊の戦いだった。
(それでも大丈夫だ。今までと同じだ。これならいける──)
黒焰の剣の三人だって、前を行く勇者に負けない。
「ここを崩させはしないぞ」
「俺たちの大事な役目だ」
「帰路を守るのは重要ですわね」
玲が切る。剛が弾く。そして蹴鞠が蹴る。
希望はまだ見える。
これだって想定内。流石は栞。
あの時、反論して悪かった。
チートなんて言って、本当に恥ずかしい。
「あとで謝らなきゃな……」
と呟いた、その瞬間だった。
オレのすぐ真後ろで、枯れ葉が爆ぜる音がした。
濃い靄の中から、二頭。
スヴァントウルフが、オレの背後へと回り込んでいたのだ。
「嘘……だろ。マップ、どうなってる?!」
ノワルシュバルト、実はそれ自体が魔物ではなのか。
オレの心の中で、特大の悲鳴が上がる。
(二等辺三角形こそが、狙いっ?)
観察で、魔物たちは理解したのだ。
前衛は硬い。側面も隙がない。
だから、部隊を引き延ばす。
今頃、暁光も銀弦は戦っている筈だ。
やけに柔らかい魔物の群れとの、遭遇戦をしているかもしれない。
このまま突破出来るという空気が流れているかもしれない。
そう思わせておいて、一点を断つ。
魔物でなくとも野生の捕食動物なら、やってのけるに違いない。
「後方、二頭!」
オレは、声の裏返るのも構わずに叫んだ。
玲が振り返った。剛が体を半回転させた。蹴鞠が跳躍の姿勢に入った。
だが、遅い。
前衛の三人は、すでに目の前に迫る別の一頭への対処に完全にリソースを割かれていた。
背後に回った二頭の巨狼が、明確な殺意を持ってオレに向かって走り出した。
(逃げろ)
足が、ピクリとも動かなかった。
(逃げろ、逃げろ、逃げろ)
絶対の生存本能であるはずのオレのスキルが、何一つの反応も示さなかった。
逃げたいのに逃げられない。
「囲まれてるんだぞ……どこへ」
二頭が、一瞬で間合いを詰める。
黄色い目。剥き出しの牙。生臭い息の匂い。
「伏せろ!」
剛が、強引に前線の防衛を捨てて、オレの前に割り込んできた。
シールドで一頭の突進を弾き飛ばし、もう一頭の顎を重い足蹴りで蹴り飛ばす。
「速水!」
怒鳴られた。
剛の顔は、怒ってはいなかった。
ただ、必死に焦っていた。
「自分を守ることだけ、頼む!」
「う、分かった」
デジャヴのような瞬間だった。
オレは何も成長していない。だってレベル上がってないし!
そして、その場でとにかく戦うのも、あの時と同じ。
三人がオレを守るように、足を止めて戦い始める。
その時だった。
ミニマップが慌ただしく動き出した。
そのマップは玲も、剛も、蹴鞠も見えているわけで
「前線が下がる……」
「俺たちを助け……く……」
「あの栞さんに叱られてしまいますわ」
その後もオレを守るという硬直状態が続く。
暫くして聞こえてきたのは、悲鳴に近い声だった
舞の
「後ろ、ヤバいじゃん! 助ける!」
その後も続々と現れる仲間たち。
スヴァントウルフの群れが、ソレを見て木々の奥まで後退した。
だが、そこでまだ見ている。
門への帰路側が、完全に塞がれていた。
完璧だったはずの陣形が、トライアングルが一点に収束していく。
「落ち着け!」
誠司が叫んだ。
でも、彼をまとめるその声すら、どこか上ずって震えていた。
「アナタたちも落ち着きなさい」
銀弦も到着。
リュートの音色が恐怖を和らげる。
「状況は理解出来た。 今日は退くわよ」
まさかの撤退命令だった。
退路を断たれ、帰れないと理解した途端、恐怖が勝つ。
正しい判断だったと思う。
だからトライアングルは、完全に崩壊した。
栞が、血相を変えて何かを叫んでいた。
でも、オレの耳には、もう何も聞こえていなかった。
◇
混戦は、長くは続かなかった。
全員で前、いや後ろだけを見る戦い。
スヴァントウルフにとっては、フィニス王国東砦と勇者部隊の挟み撃ちに見えたのかもしれない。
早い段階から、魔物たちは左右へと剥がれていった。
そして、全員が城壁の内側へと戻った。
怪我人は三人。奇跡的に、命に関わるような致命傷はなかった。
閉ざされた門の前でへたり込んでいるオレの横に、栞が立っていた。
珍しく、彼女の息が少し、乱れていた。
でも、オレに言い放つ前には、乱れは泊まっていた。
「後方が狙われるのは最初から分かっていた」
感情のない、ただの事実の断言だった。
オレは、何も言い返すことができなかった。
「スヴァントウルフは、そこを狙ってきた。だから、後衛士がいる黒焔の剣を置いた」
一拍、冷たい間が落ちた。
「でも、そんな人間はいなかった」
栞は氷のようにそれだけを言い捨てて、踵を返した。
彼女の後を追うように、オレの目の前に浮く、ディスプレイが離れていった。




