第15話 後衛士と後退士は絶対に違う。
異世界での生活が始まって、多分十日くらい。
朝の異邦人館の一階は、なだらかに定着していく。
「俺たちはやはり北だな」
「……競っているわけじゃないのよ」
「分かっている。ただ、東に進んでもエレイナス山脈にぶつかるだけだぞ」
食堂へ降りると、すでにテーブルの端で栞が巨大な地図を広げていた。
玲と剛もそこに混ざり、ミッション確認とやらを行っている。
朝食のパンに手をつけるよりも先に、今日もルートの座標計算に没頭している。
「おはよう」
美咲が、いつも通りの明るい笑顔で声をかけてきた。
「ああ、おはよう」
オレも軽く挨拶を返す。
「俺たちは相変わらず、南の森だよ」
美咲の隣で、誠司がパンを摘まむ。
やはり、毎朝なぜか、オレを気にかけている。
「イベント進行はゲーマーたちに任せるが、吉。なんちゃって」
「そ……っすね。えっと」
「駆はどうだ? 慣れてきたか?」
これが普通の人達。
「慣れては……いない……っていうか」
「分かる。マジで分かる」
「突然、戦えって言われても、よね」
なんていうか、優しさが痛い。
相変わらず、後方腕組み職に徹してるから、とても痛い。
「舞殿! チーズを持ってきましたぞ!」
テーブルの向こう側では、雄大がすでに舞の隣の席を陣取っていた。
昨日も、一昨日もそうだった。ずっとそうだ。
あの位置が、あいつの絶対的な定位置だ。
「お。気が利くじゃん!」
「左様でございますか! 拙者は大魔法使い故に!」
オレは十日目も、パンを無心でちぎりながら、奇妙なやり取りを聞き流す。
二十歳を過ぎてやってきた、思春期かよ。
だからって、文句を言える立場じゃない。
楽しそうに異世界ライフを満喫しているのだ。
そこへ、奏がとても大切そうに、リュートを抱えて降りてきた。
テーブルの隅にいた日向と凛が、同時にピンと背筋を伸ばす。
「……おはようございます、奏くん」
日向が、ふんわりと微笑んで言う。
「おはよう」
奏が涼しい声で返した。
「おはよう」
凛が、必死にテンションを抑え込んで短く挨拶をする。
オレはちぎったパンを口に運びながら、ぼんやりと皆の様子を眺めていた。
こうして、今日もまた同じような一日が始まっていく。
そう、思えた。
だが、オレと同じように、冷めた目で奏を眺めていた誠司。
彼が、とんでもない爆弾を投下した。
「そういや。 レベル上がったよな?」
「うん。清く叩くが吉、レベル2。叩き性能50%アップ? 私、そんなキャラじゃないのに」
「そういうなよ。俺は味方を守る時のみ防御力75%アップ。美咲を傷つけずに済むんだ……。じゃなくて、駆。お前達はどうだ?」
レベルアップという概念が、この異世界にも存在していた。
オレは表情を旨く隠せたかどうか。
パンをのどに詰まらせたフリをして、もごもごと誤魔化した。
「拙者は唱えるが吉、レベル2の男! 詠唱時間を更に増すことができますぞ!」
だって、相変わらずオレの羊皮紙は、逃げるが吉としか書かれていないのだ。
「いや。お前には聞いてないんだけど。……って、ま。いいや。お互い、頑張ろうぜ」
◇
北の暗い森は、また顔を変える。
足元の枯れ葉の積もり方がやっぱり違っていた。
そして何より、魔物が潜伏しているエリアが、どんどんずれている。
玲が先頭。剛がそのすぐ隣。
蹴鞠が右側面に控える。
そしてオレは永遠の、一番後ろ。
第一隊「黒焔の剣」の、永遠のオレが守る隊形だ。
と、思ったら、聞こえてきた。
「隠しステータスがあるな」
「というより、流石に理不尽過ぎる。パワー、スピード。その他諸々を見られないのは」
「成程。肝心の評価値が提示されていない、と」
「だが、間違いなく上がっている。栞の目なら分析できてるんだろうが……」
思わず耳を塞ぎたくなる話。
オレは咄嗟に、フードを被った。
(レベルが上がってる……? どうなってんだよ。オレだって戦ってるぞ。後衛士として……だけど!)
そう。
後退士という言葉の意味が未だに分かっていない。
後退だし、逃げるが吉だし、戦いの度に逃げれば吉なんだろうけれど。
ハッキリ言ってあれだ。
二日目の朝に全国民の前で後衛士になった瞬間に、オレの道は決まっていた。
「クリア。ここも異常なし」
「もっと奥を進む……。待て」
鬱蒼とした木の枝の奥、今日もグリスクが数十匹潜んでいた。
玲が隣の剛へ鋭い目配せを送る。
剛が僅かに頷く。
レベル2になったらしい彼らの動きは、いつもと変わらないように見えた。
だが、実は違うのかもしれない。
ノワルヴァルトのせいで見えなかっただけかもしれない。
「黒焔の剣——!」
玲が地を蹴って踏み込んだ。
相変わらず、黒くはないが赤色LEDのような何かが、木々を照らす。
同時に、何匹も刈り取った筈だ。
「ブラックサンダーバッシュ!」
なんだ、そのネーミングは!
そうツッコみたいが、遥か前方だ。
緑の大きな板が、森の中に出現する。
恐らく、魔物が十匹以上は焼かれたり、弾かれたりした筈だ。
「クリア!」
「クリア!」
そこからいつものお姫様プレイムーブが始まる。
十日経っても、ここは変わらない。
蹴鞠が跳躍し、中央に残った数匹を上空から蹴り飛ばす。
オレは一番後ろでやはり。
抜いた短剣の柄をただ強く握りしめたまま、今日はフードを被って立っていた。
「これでよろしいんですの?」
「あぁ。完璧だ」
「俺たちにも余裕が生まれる」
「それなら宜しいんですが」
今回も、ちゃんと時間通りに帰路につく。
オレ達の弱点も、分かってきたところだ。
「栞がいれば、森を照らせるんだろうが」
「あの煩いのもな」
「あぁ。異世界を勘違いしているアイツな」
そう。魔法を使えない。
あのビームで照らせそうに思えるが、照明の代わりは難しいらしい。
なので、真の闇が来る前には帰宅する。
因みにだが、他のパーティも実は変わっていない。
街路灯があるわけでもない世界で、ソレは余りにも危険すぎる。
故に少しずつ、道を切り開いているらしい。
◇
ギルドに戻り、受付嬢への報告を済ませた後。
オレは一人で壁の巨大な掲示板の前に立っていた。
十日程度では、十年分の依頼はこなせない。
「ないのか……」
オレは、壁を埋め尽くす羊皮紙をじっと睨みつけた。
北側・東側・南側の三つのエリア。
それぞれの地域の依頼が、無数にピン留めされている。
魔物の駆除、物資の護衛、行方不明者の捜索。難易度も内容も様々だが、肝心なのが見当たらない。
(フィニス王国は忠誠心が高いのか……。いや、どっちかって言うと)
本当のジョブ『後退士』であるオレにできること。
それは、国外への脱出ミッションだ。
(この国に留まるのは怖いから、一緒に森の中を逃げて欲しい……とかないのか?)
勇者宣言の日を思い浮かべる。
騎士団長イネスを思い浮かべる。
何となくだが、イネスの方に民は向いていたように思えた。
彼らが土着民で、女王がどこかから来た人種だとしたら、逃げるのは女王サイド。
でも、国を守るために勇者召喚を行った。
「あるわけないか。あったとして、依頼としては出せない……か」
「貴方は、何をしてますの?」
オレの肩がびっくりするくらい跳ね上がった。
実際にびっくりはしたんだけれど。
そのついでに振り返ると、蹴鞠が立っていた。
血生臭い森の中でも、この人は常に同じ優雅な顔を崩さない。
「……掲示板を見てたんだ」
「見ていたことくらいは存じております。わたくしは、何を考えながら見ていたのかと聞いておりますの」
目を剥いた。
逃げ場のない直球だった。
とは言え、考えていないわけじゃない。
オレは少しだけ言葉を選んでから、正直に答えた。
「自分にできる依頼がないか、探してた」
後退を後衛と偽ったのと同じ理論。
大きな嘘ではないから、自信をもって言える。
すると蹴鞠は、オレの隣に並び、同じように掲示板を見上げた。
しばらくの間、沈黙が落ちた。
オレにとってはしばらくどころではなく長い時間。
だが、驚きは続く。
「わたくしも、同じですわ」
「え? いやいや。蹴鞠はさ」
「あのゲーマーの二人は、徹底して効率を求めて動きます。玲さんは最速で敵を仕留める。剛さんは最小限の被弾で最大のカウンターを返す」
蹴鞠の独白は、淡々と続く。
しかも、大まかには正しい事ばかりだった。
「貴方の行動も、実はあの二人の想定の範囲内に完璧に収まっておりますのよ。一番後ろでただ待機する、という不動の役割として」
何も言い返すことができなかった。
恐らく、あの二人はそう考えている。
オレ自身も、それを利用させてもらっているからだ。
「ならば」
蹴鞠が、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「わたくしは、あの二人の間でどのように動けばよろしくて?」
カラコンが定着した瞳。
元が何色か分からないが、今は朱色の瞳で、オレを真っ直ぐに射抜く。
「あくまで、参考までに聞くだけですわ」
いかにもプライドの高い言い回しだ。
でも、その目は本気だった。
パフォーマーとしての確固たる自負と、戦略を組み立てる明晰な頭脳がそこにある。
彼女はアレが姫プレイであることにも、ちゃんと気付いていた。
ならば、と
オレは、再び掲示板へと視線を戻した。
「蹴鞠さんって、人間離れした高さまで跳躍できるじゃないですか」
「ええ」
「玲さんと剛さんの戦術は、基本的に地面の上で完結してるんです。二人の想定している狩り場は、あくまで平面、二次元なんですよ。上、Z軸は想定していない」
蹴鞠が、瞬きもせずに黙ってオレの言葉を聞いている。
「だから、蹴鞠さんは立体的に動けばいいです。 例えば、上から索敵でもいいし」
オレは、この十日間で見続けてきた光景を思い出しながら、続けた。
「もっと積極的に狙うなら、こうです。二人が地面で仕留め損ねた敵を、上から取る。二人が動いて作った隙間を、上空へ跳んで抜ける。二人の計算された動線とは交わらないんで」
一気に言い切ってから、オレは自分自身に少し驚いていた。
ただ、その理由は簡単だった。
昔の人ならこう言うだろう、岡目八目。
ずっと後ろから、他人のプレイを見ていたからだ。
「……なるほど」
蹴鞠が、小さく呟いた。
普段の毅然とした態度からは想像もつかないような、少しだけ柔らかい声だった。
「上から、ですわね」
「そっちの方が、上空からドレスが舞う姿が見えて、コスプレ的にも確実に映えると思いますけど」
「余計なことを」
鋭くたしなめられたが、蹴鞠の口の端が微かに上がったような気がした。
「とても参考になりましたわ。流石、後衛士さんですのね」
それだけ言い残し、蹴鞠は優雅な足取りで歩き去っていった。
オレは再び、ギルドの巨大な掲示板に向き直る。
「後衛士……か」
いっちょ前にプロデューサーみたいな顔をして、うまいことまとめてしまった。
肝心の自分の問題は、何一つとして解決していないというのに。




