どうしよう、どうする?
「まあ、そんなふうに余生を過ごしていたんだけど……」
「だいぶおじいちゃんだったんだねぇ、森雪君」
神社の御神木に参拝したことがある朝葉。どういう種類の木だったのかは知らないが、落葉樹だったのは覚えている。
根元から数本の幹が生えているような形で、地面に近しいところは大人ふたりが手をつないでやっとくらいの太さの、立派な木だった。都の天然記念物に指定されていたはずである。
「年甲斐もないことをしたなあとは思ってるんだよ、これでも」
こぼされた声は、恥じ入るようにちょっとしょんぼりしていた。木、というか御神木にとっての年甲斐とは、と疑問が頭に浮かんだ朝葉。
でも聞く限り、感覚的には生き物というか植物で、だいぶ人間の生き方に精通してはいるけれど、カミサマ意識が勝ってるんだろうな、というのはわかった。
「で、どうする? 三途の川、渡してくれるの?」
「………………どうしよう?」
森雪は朝葉の質問に困ったように聞き返してきた。どうしようって言われても、朝葉だって困ってしまう。というか、困っている。
森雪が三途の川に来るまでの永い時間、朝葉だって何も考えていなかったわけじゃない。なにせ、己の埒外の理由で留め置かれていたのである。
三途の川原にいる彼ノ世のお役人や魂たち、ふらりと遊びに訪れるお客様が話す人外のモノのエピソードは、基本的に物騒でおどろおどろしい。そんな彼らに気に入られた人間の悲惨な末路なんて、耳にタコができるほど聞いた。
少しでもマシな先行きを得るべく情報蒐集した結果、無事に輪廻にのれたら最高だね! が一番希望になってしまったけど。どれほどヒトに友好的でも人外は人外なんだなって……希望もへったくれもない。
そういう意味では、森雪の様子は意外であった。
人の道理が通じる相手と思うなと、さんざん脅されてきた云百年。でも目の前の森雪は、心底困ったようで。
再会してからのかつてと変わらない姿と、いつでも落ち着いて思慮に富んでいた森雪の情けない様に、いつまでも警戒し続けるなんて、朝葉には無理で。
ほんの少し残っていた緊張の糸は途切れ、かつての同級生に接するのと変わらない意識にストンと落ち着いてしまった。
膝におでこをくっつけて、大きく息を吸い、吐いた。顔を上げ、横を向いて森雪の顔を見る。わかりづらいが微妙に下がった眉毛が困惑を正直に伝えているようで、学生服も相まって年相応に見えてしまい、朝葉の中のお姉さん心(享年三十代)が刺激されてしまった。
「私から言える提案は三つ。聞く?」
こっくりうなづかれたので、朝葉は生前営業部でなぜかやらされたプレゼンを思い出しながら、一本ずつ指をたてた。
「一、このまま見逃して、私を三途の川の渡し船に乗せる。
二、このまま放置。
三、森雪君が私を連れて行く」
森雪が提案の内容を小さく復唱したのを確認し、追い説明とともにたてた指を一本ずつ折ってゆく。
「ひとつ目は、ここに来た魂が行く順当な道だね。お役人が言うには、私の魂には森雪君の印があるらしいので、それを消してもらえれば普通に逝ける。森雪君に手間はかからない。
ふたつ目は、私のことはなかったことにする。森雪君は行きたい場所に行けばよいよ。その場合、魂がすりきれるか壊れるか消えるまで、私はこの川原にいることになる。
みっつ目、この場合、私に行先の選択権はない。行った先でどうなるかもわかんない。本当に森雪君の気分次第の選択がこれ」
グーになった拳をパっと開き、朝葉は肩をすくめた。
「どれか選べって言ってるんじゃないよ。いずれにしろ、森雪君が決めてくれないと、私はどこにも行けないわけ。ただ、摩耗して消えるのを待つだけ。それは嫌。だから、まあ、出来れば二は避けてもらいたい。私の希望はそれくらいかな」
考え込むように沈黙してしまった。朝葉は森雪に向けていた顔を川面に戻す。存分に考えてくれ。
提案するときは簡潔に、相手へのメリットデメリットを先に提示して、最後に自分の希望を言う。選択肢は多くても少なくもいけない。たくさんの提案は思考がとっちらっかるし決め手に欠ける。自分側のメリットは大きめに想定して提案し、交渉の余地を残す。……不承不承やらされていた交渉の基礎は、こちら側に来てからの方が結構役に立っていたりする。主に身の安全のために。なにが役に立つかなんてわからないものだ。
三途の川原で飽きるほどの時間を過ごした。
待つ間に親もきょうだいも家族も友人も知人も見送って、それなりに充実して暮らして、思い残すところはもうない。擦り切れておしまいになるくらいなら、自我のあるうちに自分の意志で行き先を決定してしまいたいのが今の朝葉の望みだ。
その先が地獄でも無でも、森雪の気分次第でも、そんなことはもう問題ではないのだ。
「僕は、」
結構な沈黙があって、森雪はぽつりとつぶやいた。
「おまえを連れて行きたい」
伺い立てるような声に朝葉はちょっと驚いた。なんだかんだ、森雪は朝葉を導いてきていたので、ここまで下手に出た会話の記憶がない。
学生時代も気にしてなかったから気づかなかっただけで、話す中身が圧倒的に朝葉が恩に着るべき内容で、森雪は配慮に富んで優しさを見せてはいたけれど、思い返せばナチュラルに居丈高な口調ではあった。なるほど、カミサマ。
「どこへ?」
「ともにあることを許してくれるなら、どこへでも。でもその前に、僕はおまえに謝らなければならない」
「お?」
「こうなること、知ってた。おまえが此処で立ち往生するって、知ってておまえを抱いた」
朝葉の息が止まった。いやもとから止まっているけど。息をのんだまま吐き出すことも忘れて、森雪の顔を見た。声音は申し訳なさそうなのに、顔色はちっとも悪びれていない。
「……確信犯?」
「そうとも言い切れない。半々くらいの確率で、いるだろうとは思ってた」
「私が三途の川で途方に暮れるのがわかってた、と」
「そう」
短い肯定とともに伏せた白い瞼を、信じられない気持ちで朝葉は見つめた。
「それでも、どうしても。おまえの最初と、最後は、僕が欲しかった」
さらさらと流れる水の音がやけに大きく感じる沈黙の中、はく、と先に口を開いたのは朝葉だった。
「ば」
上げた面にふつふつふつふつと感情が沸き上がる。
「ばっっっっっかじゃないの!?」
まん丸に目を見開いて、朝葉の勢いに後ろ手を着く。わかりやすく驚いた森雪を気にかけることなく、朝葉は声を高くした。
「なんで最初と最後だけ? はあーん?! ばっかじゃなかろうか!?」
「バカバカ言うな。わかってるから」
「わかってねぇーでしょぉが!」
「うわっ」
朝葉は森雪にとびかかる。砂利の上にどさりと倒れこんで、森雪の上に馬乗りになりながら、白いシャツの胸倉を両手でつかみ上げがくがく揺さぶる。
「そこは! 最初に! お前のぜんぶが欲しいとか何とか言って!! 生きてる間も! 死んでからも一緒にいてほしいって……っ」
ひぐ、と喉が震えた。泣くな、と眉根に力を込めて、呆けた顔をする目の前の男をにらみつける。
「……三途の川で、ま、待っててほしいってっ、一言……そう言ってくれれば、わたしだってっ……」
本当は、ずっと怖かった。
信じていた人が、自分を意図して害したなんて思いたくなかった。朝葉の意思を無視した行動を起こすなんて、信じられなかった。
一欠けも疑ったことがない森雪だったから、原因が彼と聞いても心のどこかで『そんなはずない』と信じたい気持ちがあった。
でも、三途の川で留め置かれる羽目になったのは、やっぱり森雪が原因で、意図したことで。
意味も分からず死後という尊厳を踏みにじられて、朝葉はこれでも傷ついていた。
それがなんだ。おとなしく聞いてりゃ、結局は。
「私のことが好きってことでしょうが!」
それに尽きる。何なんだ。カミサマ不器用か。恋愛下手か。
朝葉だって大した経験があるわけじゃないけれど、ここまでへたくそじゃない。少なくとも、森雪の少ない言葉から察せる程度には情緒がある。
たった一言でも、感情をあらわにしてくれていれば、待てたのだ。何も思い煩うこともなく。朝葉は単純なので。
そこにあったのが好意なら、理由なんてなくたって、いくらだって待てたのだ。
「……」
「なんとか言え!」
「……僕が、バカでした」
「ようやくわかったか!! 私に言われるとかほんとにバカ!!」
「ごめん」
胸倉をつかまれたままの森雪は、今度こそ本当に心苦しそうな表情と声で謝った。
そして苦しそうな声でつづけた。
「好きだよ」
今度は朝葉が目をまん丸にする番だった。胸倉を締め上げる拳がゆるむ。
「おまえを好いているよ。生きてる間千年近く、おまえ以上に欲しいと思った人間はいなかった」
へたくそなくせして、熱烈な言葉である。
森雪に乗り上げたままの朝葉は、ぐちゃぐちゃな顔を見られたくなくて、白いシャツに額をつける。その下の胸は当然ながら鼓動していない。胸倉にすがるように引っかかった自分の手も、森雪から回された腕も、当然ながら冷たい。
「~~~~~遅い!!」
「うん、ごめん。遅すぎた。なにもかも」
とてつもなく、今更だった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次話最終回です。




