3-7 ダメ男はテスト勉強をする
決意をしたその日からさっそく勉強を始めた俺だったが、次の日には分からない所が出てきたため、その部分を聞くために職員室を訪れていた。
「失礼します。レオン=アルバートです。シリル先生はいらっしゃいますか?」
今は研究室にいるということを聞いたので、その研究室に向かう。シリル先生は、18歳という若さで魔術学の先生をしているというかなりすごい人だ。カルロスのいとこにあたる人物で、公爵家の跡取りでもあるのだが、魔術の研究の方が好きで、教員をやっているのだという。
目的地の研究室に着いたので、ノックしてみると、返事が返ってきたのでドアを開いて中に入る。研究室の中は、いたるところに本が積まれていた。足の踏み場はあるが、ひとたび積まれた本が崩れれば、それもなくなりそうだ。本をよけつつ部屋に踏み入ると、部屋の主であるシリル先生はけだるげな感じで椅子に座っていた。肩にかかるほどの白い髪を後ろで束ねている。青い瞳が胡乱げに俺を見ていた。
「どうしたんだ? お前がこんなところにくるなんて、珍しいこともあるもんだ」
「ええと……まあ色々とありまして。今日は講義の内容で質問があってきました」
「え⁉ マジで? ……まあいい。どこが聞きたい?」
「ええとですね。この前の授業の……」
かなり驚かれることになったが、聞きたいことを聞くことができた。帰り際に「次の試験はがんばれよ」と声をかけられる。がんばりますと返して、俺は研究室を後にした。
その日の放課後、教室で勉強していると、自分に近づいてくる人影があった。誰かと思ってみてみると、それは先日カルロスたちとやりあっていたエレオノーラ嬢だった。彼女は俺の近くの席までやってくると、俺を一瞥してから、机の上や、下のあたりをきょろきょろと見ていた。何か探しているように見える。……あ。もしかして……。
俺は荷物と一緒に置いてあった、ハンカチをとる。綺麗な刺繍が施されたもので、椅子の上に載っていたのを拾ったのだ。後で職員室に持っていこうかと思ったんだが……。
ハンカチを持ったところではたと気が付いた。そういや公爵家のご令嬢に俺から話しかけてもいいんだっけ? 学則では礼節をもって接すればいいみたいな感じだったと思うけど……。う~ん。
しばし固まっていると、手にあったハンカチをさっと取られる。見ると、険しい顔をしたエレオノーラ嬢がたっていた。……もしかして、俺が盗ったと思われてる?
「これはわたくしのものですわ。返していただきますわね」
聞こえてきた声はかなり低く、背景に猛吹雪が見えそうなほどだった。……もしかして詰んだ? 背筋が凍える。……いや諦めるのはまだ早い。この子は常識人っぽいし、話せばわかるかも。
「そのハンカチだが、そこの椅子の上に落ちていた。後で職員室に持っていくつもりだったんだが、持ち主が見つかったのならよかった。……きれいな刺繍のハンカチだな」
すると、エレオノーラ嬢の顔にさらに険しさが増した。あれ?
「……よくもそんなことが言えますわね。このハンカチは、あなたの婚約者が一生懸命に作ったものでしてよ。彼女は以前、あなたにも刺繍したハンカチを渡したけど、捨てられたと悲しんでいましたわ。……わたくしの友人を、悲しませないでくださいませ」
そういうと、フンっていう擬音が似合いそうな感じでそっぽを向いて、教室を出ていった。……完全に嫌われたみたいだな。てか、レオン。そんなことまでやってたのかよ。最低じゃねえか。しかも、思い出そうとしても全く出て来ないクズっぷりである。思わずため息が出た。
次の日の放課後。今日もまた俺は講義が終わった後も教室に残ってひとり勉強に励んでいた。余談だが、学園の教室は大学の講義室のように階段状に机が並んでいる形のものが多い。今俺はちょうどその真ん中あたりの机で勉強していた。教室に残っているのは俺ひとりだけで、カリカリというペンの音だけが教室に響いていた。
しかし、その静寂は教室のドアを開ける音で破られることになった。
「……あ‼ レオン様~。ここにいたんですねえ~私あちこち探し回っちゃいましたあ~」
そう、アメリアの手によって。彼女は俺を見つけると嬉しそうな顔をしてやってきた。……なんの用なんだろう? 俺としてはあまり関わりたくないんだけどなあ……。
少し警戒しつつもそれを顔には出さないで対応する。
「やあ。アメリアがひとりでいるなんて珍しいね。カルロスやマーカスと一緒ではないのか?」
「いいえ。今日はひとりですよう。……レオン様とふたりきりでお話がしたくてえ」
できたらそれは遠慮したいんだが⁉
にこりと笑顔を浮かべながらそういうアメリアに心の中で叫ぶ。寮の部屋に戻って勉強すればよかったかもと思ったが今更だ。
そんな俺の心情とは裏腹に、アメリアはずいっと俺に近づくと、内緒話でもするかのように、つぶやいた。
「ねえ。レオン様が急に勉強し始めたのは、どうしてなんですかあ?」
「……なんでそんなことを聞くんだ?」
少し露骨すぎたか?
「ふふっ。カルロス様たちも気にしていましたよう。でも、私にはわかってますよう」
そう言ってにこりと笑う。……かわいい笑顔のはずなのに、なんだかそれが、得体のしれないものに見えて、心がざわつく。
そしてアメリアは、自信満々と言った様子で、こう言った。
「レオン様は……自分を変えたいんですよね?」
「えっ⁉」
「だってえ、今までしてこなかった勉強を頑張っているじゃないですかあ。それって、今までのことを反省して、前からの目標だった立派な騎士になろうとしてるんですよねえ?」
「もしそうなら、わたし応援しますう」と言うと、さっと顔を背ける。
対して俺は、かなり驚いていた。なんせ、ほとんど何も言ってないのに、こちらの意図が知られていたからだ。細かい部分はともかく、自分を変えようとしているのは確かだ。とすると、俺の本当の目的である、「アメリアと距離をとること」も気づかれているのか? だとすれば、これはチャンスかもしれない。本人が理解を示しているなら、今別れを切り出せば円満に終わらせられるかもしれないからだ。
「……確かにアメリアのいう通りだ。俺は今までの自分の行動や態度を反省して、それらを改めることにしたんだ。勉強だけじゃなくて、剣術や魔法ももっと修練を積もうと思っている」
その時に頭に浮かんだのは、兄と父上の姿だ。あのふたりにも負けないくらいになりたい。
「そして、いつか誇りと自信を持って同じ場所に立てるようになりたいと思っている」
で、その第一歩として、目の前の女の子との関係をリセットしないといけないわけだ。
「それでだな、アメリアに聞いてもらいたいことがあっ『待ってください』」
『一緒にいることはできない』と言おうとしたが、その前にアメリアから待ったがかかった。なんだ?
「あの……レオン様の気持ちはとても伝わりました。……私も同じ気持ちです。レオン様、立派な騎士様になれるように、がんばって下さあい」
そういうと、アメリアは駆け足で教室を出て行ってしまった。……なんだったんだ? でも、これで目標のひとつは達成したことになるのか? でもなんか引っかかるというか……。なんか違和感を覚える感じなんだよなあ。
俺はいまひとつ釈然としないまま、アメリアが出ていったドアをしばらく見ていた。




