第4話 抱き枕係就任
「……ちょっと、そっち詰めて」
真っ赤な顔をした城崎さんが、僕の肩をぐいぐいと押してきた。
まさか城崎さん……。
「同じベッドで寝る気……?」
「……寝れないんだからしょうがないじゃん。こっちは限界なの」
「いやいやいや! 年頃の男女が駄目でしょ! ありえないよ!」
「そもそも高校生の男女が同じ部屋にいること自体があり得ないんだから、今さら気にしても遅いでしょ」
完全に開き直っている。
自分の言っていることを本当に理解しているのだろうか。
普段ゴミみたいに見ているオタクと同衾するんだぞ。一体どうしたんだ城崎さん。
「とりあえず、一旦落ち着いて……」
「落ち着いてるわよ」
呆然とする僕をものともせず、城崎さんは「今日だけだから」と吐き捨てるように言い放ち、ドサリと僕のベッドへと乗り込んできた。
「えええっ!?」
「今日だけ。だから我慢してお願い」
パイプベッドがきしみ、彼女の体重がシーツを沈める。
城崎さんは僕の枕の隣に自分の頭を乗せ、すっぽりと掛け布団に潜り込んでしまった。
この騒ぎのせいで、眠気は吹き飛んでしまった。
耳の奥で、自分の心臓がドクン、ドクンと早鐘を打っているのが聞こえる。動悸が激しすぎて呼吸が浅くなる。
「あ、あの……城崎さん?」
「……変なことしたら、許さないから」
背中を丸め、僕と反対の方向を向いた彼女が、布団の隙間から鋭い釘を刺してきた。
(へ、変なことって、現在進行形で一番変なことを仕掛けてきているのはあなたの方なんですけど)
喉元まで出かかった叫びを必死に飲み込み、僕は天を仰いだ。
しかし、そこには照明があるだけで。この状況を救ってくれる神様は浮いていなかった。
「……」
こうなってしまっては、できることなど何もない。
男として、女性をベッドから叩き出すわけにもいかないし。
僕はベッドの端ギリギリまで身体を寄せ、壁側を向いて横になった。できる限り彼女との間に距離を取ろうと背中を硬直させる。
だが、所詮は同じ布団の中。至近距離に女子がいるという事実は消えない。しかも、容姿はド真ん中ドストライク。
ふわりと甘い匂いは絶えず漂ってくるし、彼女が動く度にベッドは軋むし。
(心頭滅却、明鏡止水)
僕は頭の中で歴代の徳川将軍の名前や円周率をひたすら暗唱し、雑念を力づくで押し殺そうと試みた。
「はぁ……」
背中から城崎さんの大きなため息が漏れる。
はぁ……じゃないでしょ。あなたのために僕は必死で自分の理性と戦っているのに。
それでも、再度必死に意識を逸らし、徐々に湧き上がる眠気の気配を掴もうとする。
すると、単純な僕の体は次第に意識を手放し始め。
ようやく、激動の一日が終わると安息の向こう側へといざなわれた。
その時。
カサリ、と背後でシーツが擦れる音がした。
続いてトン、と僕の肩に細い手が置かれる。
「……!?」
肩に回された腕がそのまま僕の胸元へと滑り込み、背中にぴたりと、柔らかな温もりが押し当てられた。さらりとした髪の毛先が、僕の首筋をくすぐる。
……後ろから、完全に抱きしめられている。
「し、城崎さん……? ちょっと、これはさすがに——」
「……抱き枕なんだから、じっとしてて」
耳元で掠れ声が囁かれた。
全身を包み込むような女の子の体温に、背中に伝わる確かな柔らかさ。そして耳元にかかる微かな吐息。
ぎゅっ、と抱きしめる力が強まる。
それに合わせて、彼女の足が腰に絡みついてきた。
「……ぁ……ぁっ」
僕は健全な男子高校生である。
城崎さんにとっては抱き枕の代わりのつもりなのかもしれないが。
さすがに抱きつかれて発情しないほど僕は朴念仁ではない。
全身の血液が沸騰したように熱くなり、耳鳴りがするほど鼓動が跳ね上がる。
これ以上の密着は、理性のキャパシティを超えようとしていた。
「あ、あのさ……僕、もう我慢が——」
抗議の声を上げようと、意を決して後ろを振り返りかけた——その時だった。
「…………すぅ」
微かな、寝息が聞こえた。
規則正しく、静かに上下する背中の温もり。
「……え?」
恐る恐る視線だけを向けると、城崎さんは僕の背中に額を預けたまま眠りに落ちていた。
眉間の険しさはすっかり消え去り、そこにあるのは無防備で穏やかな寝顔だけ。
(おいおい、嘘だろ……)
心の中で絶句する。
あんなに一人で眠れないと取り乱していたのに、抱きついた途端、一分も経たずに寝落ちするなんて。
僕のことを無神経だ何だと言っておきながら、城崎さんも大概じゃないか!
まあ、それだけ彼女にとって睡眠不足が深刻で、何かに抱きつく感覚が切実に必要だったのは分かるけど。
「すぅ……すぅ……」
すやすやと心地よさそうに息を吐く城崎さん。
穏やかな呼吸を聞いていると、毒気を抜かれてしまう。
学校ではぞんざいに扱われ、家では急にとんちきなお願いをされようとも。
彼女は僕の義妹なのだ。
この程度のワガママなら、兄として微笑ましく受け入れてやるべきなのかもしれない。
それで彼女が救われるのであれば。
そう思えば、もう起こす気にはなれなかった。
結局、城崎さんは朝まで僕を抱きしめたまま、一度も腕を解こうとはしなかった。
遠くで新聞配達のバイクの音が響き、カーテンの隙間からわずかに白んだ光が差し込む頃。
小鳥の鳴き声を聞きながら、僕の意識は限界を迎え、気絶するように途切れた。
「……くん。……裕太くん?」
控えめに肩を揺すぶられ、僕は重い鉛のような瞼を押し上げた。
ぼんやりとした視界に映ったのは、心配そうにこちらを覗き込む千鶴さんの顔。
「あ……ち、千鶴さん……?」
「おはよう、裕太くん。もう七時を過ぎてるけど、大丈夫? すごく顔色が悪そうだけど……」
ハッとして隣を見やる。
既に城崎さんはいない。
「あ、すみません……ちょっと、夜更かししちゃって」
掠れた声で言い訳をしながら、僕はふらふらとベッドから這い出た。
鏡を見るまでもなく、自分の目の下にひどい隈ができているのが分かる。
重い足取りでリビングへ向かいながら、僕は心の中で叫んでいた。
——抱き枕役なんて、二度と御免だ。




