第3話 ギャルの隠れた一面
『うふふ……』
これは夢だ。
ぼんやりとした霞の向こうで、金髪をなびかせながら妹が笑っている。
『お兄ちゃん、こっちこっち』
いつも鋭い目つきをしている妹が、見たこともないほど愛おしげに僕を見つめていて。引き寄せられるように顔を近づけようとした、その瞬間——。
「ねえ。……ちょっと、起きなさいよ」
肩を乱暴に揺さぶられ、意識が一気に浮上した。
重い瞼をこじ開けると、机の上のデジタル時計は午前零時を少し回ったあたり。
一体何事かと目をしばたたかせると、僕のベッドの縁に、またしても城崎さんが立っていた。
「……城崎さん?」
あくびを噛み殺しながら上半身を起こす。
さっきまでの不遜で冷たかった態度はどこへやら、彼女は腕を組み直したり、服の裾をぎゅっと握りしめたりと、落ち着きなくもじもじしていた。
その表情は、どこか切羽詰まったように深刻だ。
「ええと……何かあった?」
恐る恐る尋ねてみるが、彼女は視線を泳がせるばかりで、なかなか口を開かない。
それでも辛抱強く待ってやると、やがて小さく唇を尖らせて、ぽつりと呟いた。
「……動画、見たんだけどさ」
「動画? あ、さっき言ってた……」
「うん」
話を聞いてみると、どうやらこういうことらしかった。
彼女が見ていたのは、友人から勧められたという心霊系の動画。
いわくつきの廃墟をイケメンYouTuberが神主と一緒に探索し、淡々と土地の呪いや過去の事件を解説していくという、じっとりとした心理ホラーだったらしい。
普段は眉一つ動かさない落ち着いたYouTuberが、今回の動画では珍しく悲鳴をあげたということで、女子の間で大バズりしていたのだという。
その瞬間を確認しようと食い入るように見ていたら、話の空気感に呑まれ、思った以上に内容にのめり込んでしまい……結果怖くなってしまったのだとか。
「……そ、それは大変だったね」
とりあえず相槌を打つ。まるで理解が追いつかないが。
城崎さんが心霊動画を見て怖がる?
(うーん、普段の彼女と一致しない……)
それに、なぜ僕が叩き起こされなければならないのかも不明だ。
まさかPCを貸した僕に責任を擦り付けるつもりではあるまい。さすがにそこまでジャイアニズムではないよな。
僕が首を傾げていると、彼女は耳まで真っ赤に染め上げ、消え入りそうな声で、しかしはっきりと言った。
「……なんか、その……うん。寝付けないというか」
「……?」
「……一人で寝られなくなったの」
一人で、寝られなくなった?
城崎さんが?
寝ぼけた頭が、完全にフリーズした。
聞き間違えだろうか。
「ええと、もう一度確認するけど今言ったのは、怖くて寝られ——」
「聞き直さなくていいから……!」
僕が耳を疑っていると、城崎さんは羞恥に耐えかねたように声を荒らげた。
「てか、私ここ最近まともに寝てないの。動画の前からずっと」
「えっ、そうなの?」
「中丸と同室で寝泊まりなんて落ち着けるわけ無いじゃん。家族でも友達でもないんだよ私たち……そんな男子がすぐそこにいるのに」
そこまで言うと、キッとこちらを睨みつけて続ける。
「それなのに、あんたばっかり隣でぐうぐう熟睡してて……イライラする」
(いや、僕だって無理やり寝てるだけなんだけど……)
理不尽極まりない言いがかりだが、ここで反論しても火に油を注ぐだけだろう。
僕は何も言わずに彼女の愚痴を受け流すことにした。
すると、城崎さんもひとしきり叫んで気が落ち着いてきたのか、バツが悪そうに目を逸らす。
「……ま、まあ、あんたのせいってわけじゃないんだけどさ」
そう呟いてから、彼女はギリッと歯を食いしばり、握りこぶしを震わせる。
「絶対に、誰にも言わないでよ」
「う、うん」
「言ったら殺すから」
出た。通算三度目の殺害予告。
時計の針はすでに零時半を回っている。これ以上問答を続けていたら、明日の授業中に居眠り確定だ。
「言わないよ絶対に。それに僕にできることがあるなら手伝うから……だから、ね? ひとまず落ち着いて」
そう宥めると、城崎さんは何かを言い淀むように視線を落とし、パーカの裾をぎゅっと握りしめた。
うつむき加減のまま、躊躇うように小さな声を零す。
「……笑わない?」
「え?」
「……笑わないって、約束して」
消え入りそうな声と、不安げに揺れる瞳。
学校でのあの刺々しい態度が嘘のように、弱々しく僕の顔色を窺ってくる。
そのあまりのギャップに、胸の奥がドクンと音を立てて跳ねた。
(か、可愛い……)
思わず見とれそうになるのを必死に堪え、僕は努めて穏やかな表情で頷いてみせる。
「笑わないよ。絶対に笑ったりしないから、話してみてよ」
僕が真面目な顔で言うと、城崎さんは観念したように、ぽつりぽつりと小さな声で話し始めた。
「……私、前の家では、ずっとお母さんと一緒に寝てたの」
「千鶴さんと?」
「うん。二人暮らしだったし、前の家、このマンションより狭い平屋だったから……。気づいたら、一人で寝る習慣自体がついてなくて」
母親にべったりなのは薄々気づいていたが、高校生になっても親と寝ていたとは。
学校でのクールな姿とのギャップが凄まじすぎて、眩暈がしそうだ。
「あと……そ、その……」
茉莉花は顔を両手で覆うようにしながら、消え入りそうな蚊の鳴くような声で続けた。
「……私、寝る時に、ぎゅって抱えるものがないとダメで」
「抱えるもの?」
「……抱き枕!」
耐えきれなくなったように叫ぶと、彼女はスマートフォンを取り出し、画面を僕の目の前に突き出してきた。
そこには、細長い三毛猫の形をしたぬいぐるみが写っていた。丸みを帯びたフォルムで、いかにも抱き心地が良さそうな、愛嬌のあるデザインだ。
「ずっと、これを抱いて寝てたの。小さい頃から」
「……」
「でも……お母さん、再婚することになったから……」
城崎さんはスマートフォンの画面を消し、胸元でぎゅっと両手を握りしめた。
唇を強く噛みしめ、視線を激しく泳がせながら、絞り出すように言葉を零す。
「私のことを気にしてさ……再婚したら私に寂しい思いをさせるんじゃないかとか、環境が変わって負担になるんじゃないかとか、ずっと不安そうにしてたの。お母さん、一人で私を育ててくれて、苦労ばっかりしてきたのに……自分の幸せを前にして、私の顔色ばっかり窺ってて」
「……」
「それが、すごく嫌だったの。だから……私なら大丈夫だからって。もう高校生なんだから一人で何でもできるし、ちゃんと親離れして自立するからって、お母さんを勇気づけようと思って……」
城崎さんはきつく目を閉じ、悔しそうに肩を震わせた。
「その時に、言っちゃったの。もう子供じゃないんだから、一人で寝られるし、こんな抱き枕なんていらないって……。そして、お母さんを安心させたくて、目の前で抱き枕も捨てちゃった」
「……」
「……そしたら、全然寝らんなくて」
ポロリと、情けなさに満ちた弱音が零れ落ちる。
「ベッドに入っても、胸のところがスースーして……落ち着かなくて……っ。でも、『大丈夫、自立する』ってあんなにカッコつけてお母さんの背中を押したのに……買い直すのも嘘ついてるみたいで嫌で……」
「……そっか」
「そんで、ここ何日もずっと寝てないところに、さっきの動画でしょ? もう……限界だったの……っ」
なるほど合点がいった。
夕食の時、やけに不機嫌でピリピリしていたのも、学校でいつも以上に棘があったのも、すべてはこの極度の寝不足と不安のせいだったのか。
母親の背中を押し、幸せになってほしいと願った背伸びの末のことだというなら……。
(可愛らしいところあるんだな城崎さん)
でも、それで体調を崩してしまえば本末転倒である。千鶴さんも余計不安が増すことだろう。
心意気は買うが、無理することでもない。
慣れるまでの間は、再び元の環境を再現することが先決だ。
「……じゃあさ、千鶴さんを呼んでこようか? 今夜だけでも部屋に来てもらって、一緒に寝てもらえば——」
良かれと思って提案したのだが、大きな地雷だったようで。
瞬間、城崎さんはカッと目を見開いて僕を怒鳴りつけた。
「バカ言わないでよ! 心配かけたくないって今言ったばっかりじゃん! 私が平気じゃないって知ったら、お母さん自分を責めて傷つくでしょ!」
「いや、でも……」
「絶対にダメ……。お母さんには言わないで」
(……じゃあ、一体どうしろと)
心の底から大きなため息が漏れる。
母を呼ぶのは駄目、一人で寝るのも無理。
もはや八方塞がりである。
呆然とする僕の前で、城崎さんは真っ赤な顔のまま、何かを決意したように僕のベッドへと一歩詰め寄ってきた。




