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第2話 家の中

「裕太くん、今日もお疲れさま。はい、お味噌汁」


「あ、ありがとうございます」


 四人掛けのダイニングテーブル。

 僕の前に置かれたお椀から、湯気がふわりと立ち上る。

 夕食の席は、なかなかに奇妙な空気に包まれていた。


 向かい合って座る父と千鶴さんは、新婚らしく楽しげに今日の出来事を語り合っている。職場の話だとか、近所のスーパーの特売だとか、他愛もない夫婦の会話だ。

 一方で、僕の隣に座る城崎さんは、まるで見えない結界でも張っているかのように、完全に無言だった。


「裕太くん、ご飯足りてる? まだ炊飯器におかわりあるからね」


「あ、大丈夫です。ちょうどいい感じでして……はは」


 気まずい沈黙を察してか、千鶴さんが優しく声をかけてくれる。

 ぎこちなく笑顔を作って返事をする僕の横で、城崎さんは視線すら動かさず、淡々と箸を動かしていた。

 父も何とか娘との距離を縮めようと、恐る恐る口を開く。


「ま、茉莉花ちゃん、高校の方はどうかな? 電車の乗り換えとか、もう慣れたかい?」


「……はい。慣れました」


 短く、平坦な返事。

 目線は茶碗に向けられたまま。

 父は引き攣った笑みを浮かべ、それ以上話を広げられずにビールをあおった。

 そして数分後、自分の分の生姜焼きとご飯を綺麗に平らげると、城崎さんはカチャリと静かに箸を置いた。


「ごちそうさまでした」


 それだけ言い残し、食器を手際よく重ねて流し台へ運ぶと、僕たちに目も合わせないまま、すたすたと階段を上がって行ってしまった。

 それでも、一応挨拶だけは欠かさないのだから、千鶴さんの教育は行き届いているのだろう。


「……ごめんなさいね。あの子、まだ照れてるのかしら」


 パタパタと二階へ消えていく足音を見送りながら、千鶴さんが困ったように眉を下げて苦笑いする。


「あ、いえ、全然気にしてないですから」


 僕は愛想笑いを浮かべながら、ぼんやりと頷いた。

 

 本音を言えばこれで文句はない。

 もしも彼女が、学校であれだけ冷たい態度をしておきながら、家に入った途端『お兄ちゃ〜ん、今日の夕飯なに〜?』なんてハイテンションで懐いてきたら、それこそ背筋が凍りつく。

 学校でも家でも、徹底して僕に冷徹であるそのブレなさ、ギャップのなさは、ある意味で一番対処しやすかった。


 食後の皿洗いを千鶴さんと一緒に済ませ、僕は二階へと上がった。

 自室のドアノブに手をかける前、無意識に「すぅ」と息を吸い込み、深呼吸をする。

 生まれ育った自分の家のはずなのに、凄まじい緊張感が胃のあたりを締め付ける。


 カチャリと音を立てないように静かにドアを開ける。

 隙間から城崎さんの姿が目に入った。

 そう、僕たちは今、同じ部屋で生活をしている。


 これには理由があり、簡単に言えば部屋不足。

 父と僕が暮らしていた賃貸マンションは、間取りが手狭だった。

 子ども二人それぞれに個室を割り当てる余裕はなく、両親が下した結論は二人で一部屋というもので……、


『……ちょっと待って。同部屋とか、冗談でしょ?』


 当然のごとく城崎さんは反論した。

 当たり前だろう。年頃の男女が同室で、しかも相手が見下しているオタクとなれば。女子なら身の危険すら覚えるはずだ。

 さすがの僕も隣で同調したが、迷惑そうに睨まれた。


『普通にありえないから。高校生の男女が同じ部屋とか、常識的に考えて絶対無理なんだけど』


 見る見るうちに顔を赤く染めて、怒りで震える城崎さん。

 父いわく、最初は我が中丸家と、元城崎家で部屋を分ける案だったらしいが。千鶴さんが反対したそうだ。

 なんでも、家族間の垣根を早くなくしたいとか、娘の親離れを促したいとか、裕太くんなら安心して任せられるとか。


 いやいや千鶴さん。年頃の男を安易に信用しすぎですよと内心思う。

 だが、顔を隣に向けると城崎さんはハッとした顔で呆然としていた。

 

 一体何が琴線に触れたのかは分からない。

 でも、それ以上彼女は文句を言うことはなかった。


『うぅ……もう……なんで』

 

 城崎さんはブツブツと呟きながら、自室へと荷物を運び始めた。

 思っていたより、ごねなかったなと、その時驚いたことを覚えている。

 しばらくしたら一軒家に移る予定らしいが、それにはまだ一ヶ月ほどの期間が必要だとか。


『それまでの我慢だから辛抱してくれ』


 両手を合わせて謝り倒す父と、その隣で困り眉の千鶴さんを見て、僕も文句は言えなかった。

 一ヶ月の我慢だ。僕からの新婚祝いとして、ここは聞き分けの良い子どもになってあげようじゃないかと。


 その日、城崎さんは部屋の中央に突っ張り棒と分厚い遮光カーテンを設置した。

 手際よく、鮮やかな手つきで。

 空間を二分した後、こちらを振り返った彼女は、ピシャリと言い放った。


『開けたら殺す』


 それが、義妹からの二度目の殺害予告だった。


(……はぁ)


 机の椅子に腰を下ろし、思わず重いため息を漏らす。

 カーテンの向こう側からは、シャンカシャンカと微かなイヤホンの音漏れが響いていた。それに続いて、衣擦れの音や、ベッドのスプリングが小さく軋む音も。


 同い年の、スタイル抜群な白ギャルと同居。しかも同じ部屋で、手を伸ばせば触れられるような距離にいる。

 全オタクが狂喜乱舞する夢のシチュエーションだろう。


 だが、現実は厳しい。

 会話はおろか、目を向けることすら禁止。咳払い一つするのにも気を遣い、椅子を引く音すら立てられない。

 我が家なのに、自分の部屋なのに、一瞬たりとも気が休まらないのだ。まさに生き地獄である。


 ……まあ、それでも。

 カーテン越しに微かに漂ってくる女の子特有の甘い匂いは……素晴らしい。

 毎朝毎晩、胸いっぱいに息を吸い込むことは役得として許して欲しい。


「ふぅ……」


 僕は気を取り直して鞄からノートを取り出し、明日の予習と宿題を片付けた。

 時計を見ると、まだ夜の九時前。

 眠気はさほどなかったが、ベッドへと潜り込むことにした。


 部屋の主照明は点いたままだが文句は言わない。消すためにカーテンの向こうへ声をかけるなんてことは自殺行為である。


『見ざる、聞かざる、喋りかけざる』


 これが我が部屋の新三猿の教えだ。

 とっとと寝てしまうしかない。


 布団を頭まで引っかぶり、ぎゅっと目を閉じる。

 うつらうつらと意識が微睡みに溶けていき、明日の古文の小テストのことや、ソシャゲのログインボーナスのことを考えながら、夢の入り口へと滑り落ちかけていった。


(どうか明日も平穏な日々でありますように……城崎さん一味に絡まれませんように)


 そう神様に願いをかけ、一日の幕を閉じようとした。

 その時。


 ガシャリ。

 金属とレールが擦れ合う、鈍く重い音が部屋に響いた。


(……ん?)


 久しぶりに聞く音だった。

 カーテンが設置された初日に、閉じられて以来だろうか。


 恐る恐る、布団の端から顔を出す。

 煌々と天井照明が光る部屋の中心、僕のベッドのすぐ脇に彼女が立っていた。


 オーバーサイズのパーカにショートパンツの部屋着姿。

 いつも巻いている金髪を無造作に後ろで束ね、腕を組みながら不機嫌そうな視線で僕を見下ろす城崎さんがいた。


「パソコン、貸してくんない?」


「……え?」


 寝ぼけた頭から、情けない声が漏れる。

 完全に見下ろすような姿勢の彼女に対して、理由もわからずベッドの上で丸くなっている僕。みっともない構図だ。


「ぱ、パソコンですか?」


「そう。スマホで動画見てたんだけど、画面が小さくてよく分かんなくて」


 顎の先でクイッと指されたのは、僕の学習机に鎮座しているデスクトップPCだった。

 二十四インチのワイドモニター。


 ……そんな簡単に貸せるわけがない。

 パソコンやスマホは人の生き写しのようなもので、自分でも知らないような癖がたんまり収納されているのだ。

 何気なく保存した画像や動画、無意識のうちに登録したブックマークの山など。特にFanzaの購入履歴を見られた日には終わる。


 だが、カースト下位の僕が上位者に「嫌です」と拒否できるわけもなく。


「あ、はい……どうぞ」


 僕はすごすごと布団から這い出し、机の前へ向かった。

 背中に突き刺さる彼女の無言の圧を感じながら、震える手で電源ボタンを押す。

 ファンが静かに回転を始め、モニターが青く発光した。


 画面に現れたログイン画面。

 そこで僕が打ち込んだのは——普段使っているメインアカウントではない。


(あ、危なかったぁあああああ!!)


 いつか万が一、不可抗力でPCを開かれるかもしれない。そんな危機管理のもと用意した「ゲスト用ダミーアカウント」。

 己の用意周到さに、心の中でスタンディングオベーションを捧げた。


「……はい、どうぞ」


 立ち上がって椅子を譲る。画面にはWindows標準の爽やかな初期壁紙とゴミ箱アイコンのみ。


 城崎さんは無言で椅子に腰掛けると、許可を取ることもなく即座にブラウザを立ち上げた。履歴やブックマークのバーを真っ先にカチカチと確認する。

 だが、当然ながら完全な白紙だ。

 彼女はモニターからチラリと視線を外し、少しだけ拍子抜けしたように僕を一瞥した。


「……ふん」


 何を期待していたのだろうか。

 少しだけ不機嫌さを増した彼女はそれ以上何も追及することなく、YouTubeを開いて検索バーに文字を打ち込み始めた。


(どんな動画を見るんだろ)


 後ろから画面を覗き込もうとすると、


「ちょっと、覗かないでよ。後ろから見られるの嫌なんだけど変態」


 ピシャリと、冷たく拒絶された。

 変態って……PCを貸してあげているのに。感謝の言葉はおろか、優しさの一つも見せられないのか。

 そんな愚痴が喉元まで出かかったが、所詮僕はか弱いオタク。自室とはいえ彼女に逆らうと、明日以降の学校生活が怖い。


「あ、はい、すみません……。じゃあ、あとはご自由に。僕は寝るから」


 愛想笑いを浮かべながら声をかけたが、彼女からの返事はなかった。

 これじゃおちおち秘蔵の動画を楽しむことすらできないな、と内心で肩をすくめつつ、僕は再びベッドに入って布団を被った。


 カタカタ、カチカチと小さく響くマウスのクリック音。そして、同じ部屋のすぐ近くから聞こえてくる、彼女の静かな息遣い。

 邪険に扱われたはずなのに、その気配は存外心地よくて、僕はいつの間にか深い眠りへと落ちていった。


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