第11話【 邪矮小(Jamini)の投稿 】
明朝、7:30 に、第12話を投稿します。
「安全地帯の崩壊」【著者:邪矮小(Jamini)】
「あ、開けてくれ……頼む……指示役の奴、俺を警察に売る気だ……!」
ドアの一枚隔てたすぐ向こうから、荒い息遣いと絶望に満ちた声が響く。
Yは声も出せず、ガタガタと全身を震わせながら床にへたり込んでいた。
先ほどまで手にしていたチューハイの缶が床に転がり、冷たい液体がカーペットに染み込んでいく。
「警察に追われてるんだ……! 匿ってくれたら、奪った金から半分やる! だから……!」
逃げ場を失い、パニックに陥った闇バイトの実行役。指示役に都合よくこの古びたアパートの部屋番号を「安全な隠れ家」だと吹き込まれ、罠とも知らずに逃げ込んできたのだ。
PCの画面では、スマホと連動した『嘲笑する被害者たち』のスレッドが、恐ろしいスピードで流れていた。
『X:Yさん!? おい、返事をしろ!』
『Q:110番しましたか!? 今すぐ通報してください!』
『Z:Yさん、落ち着くのです。声を出さず、絶対に鍵を開けてはいけません! 警察が来るまで持ちこたえるのです!』
Yは痺れる指先で、震えながらキーボードを叩いた。
『Y:警察……呼べない……声を出したら……外の奴に気づかれる……ドアを破られたら……俺……』
『X:クソッ! 俺が代わりに110番してやる! Yさんのアパートの場所は!?』
『Y:言えるわけないだろ!!』
Yは叫びたい衝動を必死に抑え込みながら、画面に文字を叩きつけた。
『Y:お前らに俺の住所を教え込めるかよ! 誰が本名も顔も知らないネットの奴らを信用するか!!』
返信を打った瞬間、Yの胸に冷や水が浴びせられたような激痛が走った。
――そうだ。
自分たちは「仲間」でも何でもなかった。
理不尽に傷ついた被害者同士で集まり、悪党の自滅を酒の肴にして盛り上がっていただけの、顔も名前も知らない他人。
自分たちが「嘲笑する被害者」として安全な高みから下々のバカどもを見下ろしていた場所は、最初から何の保証もない、ただの薄っぺらいネットの闇に過ぎなかったのだ。
『Z:……Yさん。お気持ちは分かります。ですが、背に腹は代えられません』
『Q:頼みますから通報してください! 死んでしまっては元も子もない!』
『X:おい! 外の奴、まだそこにいるのか!?』
ドカン!!
突然、ドアが激しく揺れた。外の男が痺れを切らし、体当たりを喰らわせたのだ。
古い木造アパートのドア枠が悲鳴を上げ、埃が天井から舞い落ちる。
「開けろよ!! どうせお前も指示役の仲間なんだろ!! 俺を嵌めたんだろ!!」
男の悲痛な叫び声。
(違う……俺は関係ない……俺はただ、真面目に生きてきただけだ……! なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!!)
Yの脳裏に、かつていじめグループに脅されて万引きをさせられたあの日、取調室で感じたあの理不尽な恐怖が蘇る。
自分は被害者だ。ずっと被害者だった。
それなのに、なぜいつも犯罪者の破滅に巻き込まれ、恐怖に怯えなければならないのか。
ドカン! ドカン!
ドアノブが歪み、チェーンロックが軋む音が部屋中に響き渡る。
Yは涙と鼻汁で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死にスマホを手に取り、110番をタップした。
だが、そのとき――。
外から複数の激しい足音が階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
「警察だ! 動くな!!」
「うわあああぁぁぁ!!」
短い倒木のような音と、男の悲鳴。
続いて、金属がぶつかり合う「ガチャリ」という冷たい手錠の音が、ドア越しにハッキリと聞こえた。
「対象を確保! 周辺の警戒を怠るな!」
警官たちの怒声が飛び交う。
男は「俺じゃない! 指示役に騙されたんだ!」と最後まで惨めに叫びながら、階段の下へと引きずられて行った。
……静寂が訪れた。
Yは膝から崩れ落ち、荒い息を吐きながら床に突っ伏した。
助かった。
間一髪で、警察が間に合ったのだ。
部屋の中には、PCモニターの青白い光だけが寂しく揺れていた。
画面の中では、仲間たちが必死にYの安否を気遣う書き込みを続けている。
『Z:Yさん!? 無事ですか!?』
『X:おい! 返事をしろY!』
『Q:警察の音が聞こえませんか!?』
Yは震える手でPCの前に座り直した。
助かったのだ。また、いつもの「安全な場所」に戻ってこられたのだ。
いつものように「バカが警察に捕まったwww」と書き込めば、またみんなで祝杯をあげられる。
だが、Yの指はキーボードの上で固まったまま、動かなかった。
画面に映る『嘲笑する被害者たち』というスレッド名。
そして、ディスプレイのフチに映る、恐怖で顔面蒼白になり、ガタガタと震えている自分の惨めな姿。
さっきまでドアの外で警察に泣きついていた「使い捨ての末端」と、自分は何が違ったというのか。
自分はただ、偶然にもドア一枚の「内側」にいただけだ。
Yは一度もレスを返さないまま、静かにブラウザのバツボタンをクリックした。
画面が消え、暗闇が部屋を包み込む。
遠くから、犯人を乗せたパトカーのサイレンの音が、悲しく夜の街に響き渡っていた。
「安全地帯の崩壊」と題した
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