第一章③【一悶着と降下】
カナタ・アキトはその男に見覚えがあった。
クラウス・シュヴァルツ。
AEGISの中でも数少ないマスターライセンス保持者の一人だ。
マスターライセンス自体が希少である以上、その顔と名前を知らない者はほとんどいない。
しかし彼が青年の記憶に残っていた理由はそれだけではなかった。
名門シュヴァルツ家の嫡男。父はAEGIS上層部に名を連ねる高官であり、その家名は組織内でも広く知られている。当然ながら幼少期から最高水準の教育と訓練を受けて育ち、その実力も決して偽物ではない。戦闘能力は高く、マスターライセンスを名乗るだけの力は持ち合わせている。
——だが、その一方で彼のマスターライセンス取得には父親の影響が少なからずあったのではないかと、そんな噂はAEGISの中で絶えることがなかった。
もちろん真偽は誰にも分からない。本人も噂を否定することなく、意にも介さない態度を貫いている。
それだけに周囲も確証のないまま囁き続けるしかなかった。
もっともカナタにとって印象深かったのはその噂よりも彼自身の振る舞いだった。
自らの実力と家柄に絶対的な自信を持ち、ライセンスの格を強く意識する性格。特にルーキーに対しては挑発的な言動が目立ち、自分より格下と判断した相手を言葉巧みに追い込み、人前で恥をかかせるような場面も一度や二度ではない。
露骨な暴力に訴えることはない。それでもその高圧的な物言いと嘲笑混じりの態度は多くのルーキーから煙たがられていた。
実力者だからこそ、誰も強く反論できない。そんな空気すら利用するような男——それがクラウス・シュヴァルツだった。
ただ、そんなクラウスがわざわざシャーロットへ声を掛けてきたことに、カナタは小さな違和感を覚えた。
マスターライセンス保持者同士が顔見知りなのは珍しくない。しかしクラウスは自分より格下と見なした相手には執着する一方、同格の相手に自ら歩み寄るような男ではない。ましてや降下前の貴重な時間を他人との雑談に費やす人物でもなかった。
——いや、逆か。
その瞬間、カナタの胸に嫌な予感が走る。
これは雑談ではない。最初から紫紺の女性を自分の部隊へ引き入れるつもりで来たのだ。
「誰と組もうが私の自由でしょ?」
彼女は落ち着いた口調で返す。
その返答が愉快だったのか、クラウスは肩をすくめ小さく笑った。
「ふ、マスターライセンス保持者の中でも随一の実力者がわざわざルーキーと組むなんてね。君らしいとは思えない行動だ」
本来、マスターライセンス保持者には救難任務を優先して遂行することが強く求められている。
もちろんそれは絶対ではない。通常調査や共同依頼への参加も認められているが、それは一定の条件を満たした者だけだ。
つまり——シャーロットはその条件を満たさなかったのか。
若しくは自ら、その条件を満たさなかったのか。
彼にはその真意までは読み切れなかった。
そんな中、男性は握手でも誘うように手を差し出して勧誘を始めようとする。
「悪いことは言わない。さあ、僕らと惑星エリシアへ——」
「お断りね」
言い切る前に一刀両断だった。
あまりにも迷いのない即答にカナタとクラウスは同時に目を見開く。
シャーロットは長い紫紺の髪をさらりと払い、それが当然の結論であるかのように静かに語り始める。
「仮想シミュレーションの結果を見る限り、あなたの部隊全体の成績は中の上。悪くはないわ」
一拍置き、その視線だけが鋭く男を射抜く。
「でも、それ以上に目につくのはあなた自身の振る舞い。高圧的な態度で他人を見下し、自分の思いどおりにならなければ圧力をかける。周囲から良い噂を聞かない理由も今のやり取りだけで十分納得できたわ」
彼の表情がわずかに曇る。
まだまだダメだしは止まらない。
「救難任務で最も重要なのは信頼関係よ。そんな相手と背中を預け合うには、まだあなたは早いと判断しただけ」
そして最後に淡々と締めくくる。
「まずは現地で結果を出して。その上でもう一度声を掛け直して頂戴」
「お、おお……」
思わず声を漏らしたのは、なぜか東小国の彼だった。
手厳しい。なのに正しい。感情ではなく事実だけを積み重ねた結論だった。
カナタはどこかで、マスターライセンス保持者なら誰もが容易く任務を成功へ導けるものだと思い込んでいた。
しかし彼女は違う。肩書きではなく、その人物が本当に信頼に値するかだけを見ている。無理に戦力だけを求めず、現実を見据えるその姿勢は素直に見習いたいと思えた。
一方で納得できないのはクラウスの方だ。
先ほどまでの余裕は消え、その瞳には苛立ちが浮かんでいる。
「つまり、僕らじゃ足手まといだと言いたいのか?」
「曲解ね。話が通じないことも評価を下げる理由に追加しておくわ」
「ふざけるなよ」
男の声音が低く沈む。
「自分の置かれた立場を理解して発言するべきじゃないかな」
「何が言いたいわけ?」
「マスターの大半は僕の部隊に所属している。そこからの誘いを君は蹴ったんだ」
その意味を理解した瞬間、カナタは思わず声を上げそうになった。
悪辣だ。これは今後、こちらから協力を求めても応じないという宣告に等しい。それどころか、彼の影響力を考えれば他のマスターへ話を回し、優秀な彼女を無駄に孤立させることも十分あり得る。
最悪の場合、悪評がルーキーにまで広がり、組む相手すら見つからなくなる可能性もあった。
確かにシャーロットほどの実力者を取り込めれば救難任務は大きく前進する。だからこそクラウスは実力ではなく、立場を利用して従わせようとしていた。
気に入らない相手には徹底して圧力をかける。
それがクラウス・シュヴァルツという男だった。
普通ならここで折れる。あるいは形だけでも謝罪し、関係を修復しようとする。
カナタ・アキトも同様にそう考えていた。
しかし——シャーロット・アッシュフォードは違った。
「今なら謝れば許してあげよう。だから——」
「あら」
またしても最後まで言わせない。
彼女は肩を竦め、小さく微笑んだ。
「わざわざ手間が省けて助かるわ。一々あなた方に声を掛けられるのもうんざりしていたの」
そう言って軽く会釈する。
「ありがとうございます。クラウス・シュヴァルツ殿」
そこにあったのは謝罪ではない。皮肉を込めた最大級の感謝だった。
まさかの切り返しである。
男は返す言葉を失い、その場で呆気に取られた。
その様子を見て青年は一つ確信した。
——この手の駆け引きで負けた経験がほとんどないんだ。
あったとしても、それは年上の相手くらいだろう。ましてや、自分より年下の女性にここまで言い返された経験など、一度もないのかもしれない。
対するシャーロットの表情には一片の迷いも浮かんでいなかった。相手が誰であろうと自分が正しいと判断したことは決して曲げない。
まるで「器が違う」と、その背中だけで語っているようだった。
芯が強い。現実を見据え、その上で冷静に最善を選択できる。
確かに物言いは手厳しい。しかしその厳しさは相手を切り捨てるためではなく、「結果を示せば認める」という道を残している。
カナタからすれば、これほど頼りになるマスターはいないと思えた。
……ただ、一つだけ問題がある。
この険悪な空気を一体誰が収拾するんだ?
「愚かなのは君の方だ」
低く吐き捨てるように言いながらクラウスは一歩、また一歩と距離を詰める。
「必ず後悔させてやる」
その後方では、彼と同行するマスターやルーキーたちが事の成り行きを静かに見守っていた。
誰一人として止めようとはしない。
いや、止められないのだ。
ここまで話がこじれるとは誰も予想しておらず、下手に割って入れば火に油を注ぐだけだと理解している。
そんな空気が、その場を支配していた。
「後悔? する要素があるのかしら?」
「ッ……! どこまでも人を馬鹿にしやがって!」
その瞬間だった。男は怒りに任せ、右手を大きく振り上げる。
単純な平手打ち。
武器でもシックスセンスでもない。
あまりにも単純で、あまりにも幼稚な暴力だった。
幾ら優秀な成績を残した相手と言えど、装備もしていない彼女相手になら、返り討ちに合う恐怖よりも先に怒りが込み上げたのかもしれない。
だがその手が彼女へ届くことはなかった。
「そこまでにしてください」
ガシッと、途中で手を掴まれたクラウスは目を向ける。
そこに立っていたのはカナタ・アキトだった。
振り下ろそうとしていた腕を片手で受け止めてそのまま動きを封じている。
「……別に助けはいらなかったわよ?」
「それは悪かった。でも、さっき『出来ることはする』って言ったばかりだから」
横からシャーロットが呆れたように言うのに東小国の彼は苦笑しながら答えた。
「なんだ、お前は!?」
怒りの矛先は一瞬でカナタへ向けられる。空いたもう一方の手が今度は拳として握られていた。
しかし心配は杞憂でしかない。
彼はシックスセンスこそ持たないものの、その代償とも言えた鍛え抜かれた肉体がある。純粋な筋力だけなら、この場にいる誰にも引けを取らない。
カナタはクラウスの手首を握る力をほんの少しだけ強めた。
「ぐっ……!」
男の顔が苦痛に歪む。
ただ握っているだけ。それだけで腕に力が入らず逆に抜けてすらいく。
「離せっ!」
「あ、すみません」
青年は慌てて手を放した。
するとクラウスは数歩後ろへ飛び退き、握られていた手首を押さえながら睨みつける。
「お前の名前は?」
「カナタ・アキト……です」
「カナタ・アキト……か」
その名を噛み締めるように繰り返すと、クラウスは鋭い視線を残したまま踵を返す。
「必ず後悔させてやる。その時になって泣きついてきても誰も助けてはくれないぞ」
そう捨て台詞を残し、彼は仲間たちを引き連れて逃げるようにその場を去っていった。
一先ずは収拾がついた。
張り詰めていた空気がようやく緩み、カナタは深く息を吐く。
「……はぁ」
まだ惑星エリシアへ降り立ってすらいない。それなのに、精神的な疲労だけは一人前だった。
「こんなので疲れてる暇はないわよ?」
先を歩き出す紫紺の女性が振り返ることなく言う。
「早く準備してきなさい」
「まだ始まる前からってなると、ちょっと気が重くなっただけさ」
「気が重くなるようならなおさら準備を怠らないことね」
それだけ言い残し、彼女は悪びれた様子もなく準備のため歩き出した。
その背中を見送りながら、カナタは苦笑混じりに後頭部を掻く。
「相変わらず容赦ないな……」
そう呟くと、青年も自室へ向かって歩き始めた。
———
数十分後。アステリア艦内転送デッキ。
惑星エリシアへの降下を担う空間転送装置が整然と並ぶ広大な区画へカナタは予定より少し早く到着していた。
巨大な円形転送プラットフォームの床面には幾何学模様が刻まれ、淡い蒼白色の光が中心部へ向かって幾重にも流れ込んでいる。空間そのものが僅かに揺らぎ、無数の光粒子が静かに漂う光景はこれから未知の惑星へ赴く者だけに許された神秘的な儀式のようでもあった。
集合時間まではまだ余裕がある。
ただ相手はシャーロット・アッシュフォードだ。
定刻ちょうどでも「余裕を持って行動できないの?」くらいは平然と言ってきそうな気がする。
だったら最初から早めに来た方が精神衛生上いい。そんな判断だった。
青年は改めて自らの装備へ視線を落とす。
全身を覆うのはAEGIS正式採用の強化戦闘スーツ。
黒を基調とした装甲は艶を抑えた重厚な質感を放ち、胸部や肩、腕、脚部には軽量ながら高い耐久性を誇る複合装甲が幾重にも組み込まれている。装甲の内側では人工筋繊維で構成されたインナースーツが身体へ密着し、可動域を損なうことなく筋力や反応速度を補助する。
未知の惑星環境にも耐えられるよう気圧や温度変化への適応機能、簡易生命維持装置、生体情報の常時監視機能まで標準搭載されていた。
腰部には整然と並ぶマガジンポーチや多目的ポーチ。応急処置キット、携帯工具、サバイバル用品など、生き残るために必要な装備が無駄なく収納されている。
左腕にはAEGIS標準端末。ホログラム通信、地図表示、環境解析、生体反応探知など、現地活動の中枢を担う情報端末だ。
そして背中には一本の大型ブレード。剣と槍の中間を思わせる長大な刀身は、原生生物との近接戦闘を想定した重量級兵装であり、シックスセンスを持たない彼にとって最も信頼できる相棒だった。
華やかさはない。だがその装備には生き残るためだけを突き詰めた実用性が詰め込まれていた。
「遅刻は……してなさそうね?」
「あ、ああ」
聞き慣れた声に振り返る。
「装備の確認は終わってるんでしょうね?」
開口一番、それだった。
「現地へ降りてから忘れ物に気付くくらいなら、ギリギリまで確認していた方がまだマシよ」
「だ、大丈夫! 何回もチェックしてるから!」
「……そう。なら良いわ」
それだけだった。
遅刻していなくても厳しい。準備してきても厳しい。
——この人に正解ってあるんだろうか?
そんな疑問が頭をよぎる。
しかし改めて彼女の姿を見た瞬間、その考えは隅に消えていった。
シャーロット・アッシュフォードもまた、専用の強化戦闘スーツへ身を包んでいた。
白と黒を基調とした流麗なシルエット。身体へ吸い付くように密着したスーツは女性らしい体のラインを損なうことなく、胸部や腹部、肩、腰には高性能複合装甲が美しく組み込まれている。
防御性能と機動性を極限まで両立させたAEGISマスターライセンス保持者専用モデル。
無駄な装飾は一切ない。それでいて一つひとつの意匠には洗練された気品が漂い、戦闘装備でありながら一つの芸術品のような完成度を誇っていた。
腰のホルスターには近未来型大型拳銃。携行性と火力を両立したマスター仕様のサイドアームであり、反対側には予備マガジンや多目的ユーティリティが整然と配置されている。
背部には折り畳み式の長距離狙撃ライフル。支援射撃を主任務とする彼女らしい装備だった。
長い紫紺の髪は束ねることなく風に流れ、歩くたびに艶やかな軌跡を描いて揺れる。
凛とした立ち姿。一切の隙を感じさせない視線。静かに立っているだけだというのに、その場の空気まで支配してしまうような存在感。
それは決して威圧ではない。数々の任務を乗り越えた者だけが纏える自信と覚悟の風格だった。
まるで未来の戦場へ舞い降りる戦乙女。その姿だけで彼女がAEGISを代表するマスターライセンス保持者であることを雄弁に物語っていた。
「何?」
見惚れていたカナタへ、シャーロットが視線だけを向ける。
「……いや、やっぱりマスターって感じだなって」
「当然よ。その程度で驚かれても困るわ」
淡々と返される。しかしその横顔には僅かな誇りも感じられた。
やがて転送開始まで残り十分を知らせるアナウンスが艦内へ響く。
二人は自然と転送装置の前へ歩み寄った。
シャーロットは《リンクギア》を起動し、空中へホログラムマップを展開する。
「降下前にもう一度確認するわ」
表示されたのは惑星エリシアの降下予定地点と調査ルート。
「今回の依頼は植物生態学者エルヴィン・ローゼン博士からの依頼。指定された原生植物の採取が最優先任務」
採取予定地点が青い光で表示される。
「採取後は周辺環境も記録する。地形、気候、生態系、仮想シミュレーションとの差異。少しでも異変があれば報告」
「原生生物の行動も確認だな」
「ええ、そこも重要な調査項目よ」
彼女は調査ルートを指し示す。
「活動時間は最大六時間。あなたが前衛兼採取補助、私は後方支援と索敵を担当する」
「了解」
「危険度が高いと判断した場合は依頼達成より生還を優先。独断行動は禁止。判断に迷ったら必ず相談すること」
「ああ、任せてくれ」
二人は互いに小さく頷き合った。
青年はゆっくりと転送装置へ目を向ける。
淡い蒼白色の光を放つ転送リングの向こうには人類が新たな希望を託した未開の惑星——エリシアが待っている。
三年前に第一開拓観測団《FOU》が消息を絶った星。資源に満ち、新天地と期待されながらも、なお多くの謎を秘めた未知の世界。
訓練では何度も見てきた景色。
資料も嫌というほど読み込んだ。
それでも、本物は初めてだ。
胸の奥で高鳴る鼓動を感じながら、カナタは静かに拳を握る。
——いよいよだ。
これから本当にエリシアへ降り立つ。
期待と緊張。
そして言葉では説明できない不思議な既視感のその全てを胸に抱えながらカナタは転送装置へ一歩足を踏み入れた。
次の瞬間、転送装置の中心部が眩い蒼白色の光に包まれ始めた。
身体がふわりと浮き上がるような不思議な浮遊感。足元から重力が消えたような感覚と共に視界は眩い蒼白色の光へ飲み込まれていく。音も距離感も曖昧になり、自分という存在だけが静かな空間へ取り残されたようだった。
そして——。
僅か数瞬の暗闇を経て彼はゆっくりと瞼を開く。
「——っ」
その瞬間、思わず息を呑んだ。
目の前に広がっていたのは映像でも写真でも決して伝わることのない本物だけが持つ圧倒的な世界。
どこまでも続く深い緑の大森林。
木々はまるで海のように大地を覆い尽くし、陽光を受けた葉は風に揺れるたび宝石のような輝きを放つ。
その森を縫うように幾筋もの清流が流れ、各地では巨大な滝が轟音を響かせながら切り立った崖を流れ落ちていた。
さらに遠くでは大小無数の湖が太陽の光を反射し、まるで大地へ散りばめられた鏡のように煌めいている。
視界の果てには幾重にも連なる山脈。雪を頂く峰々は青空へ向かって堂々と聳え、その雄大な姿は人類の小ささを思い知らされるほどだった。
空を見上げれば、母なる星では決して見ることのできない巨大な惑星。空の半分近くを占めるほどの存在感を放ちながら静かに浮かび、その隣では小さな衛星が寄り添うように公転を続けている。
空気は澄み切り、どこまでも青い。白い雲がゆっくりと流れ、その間を翼竜を思わせる大型原生生物が悠然と滑空していく。眼下では鹿にも似た群れが警戒することなく草を食み、小型の鳥類が木々の間を飛び交い、森そのものが巨大な生命として呼吸しているかのようだった。
そしてその壮大な自然の中には、人類の文明も確かに息づいていた。
緑豊かな大地の中央には第一開拓観測団《FOU》が築き上げた開拓拠点。
白いドーム型施設が幾重にも並び、その中心には観測基地と生活区画を兼ね備えた大型居住施設。施設同士は碁盤目状に整備された道路で結ばれ、自動搬送車両が休むことなく資材を運び続けている。
開拓拠点の外縁には広大な農業試験区画。地球から持ち込まれた作物が風に揺れ、灌漑設備が規則正しく稼働している様子まで確認できた。
さらに森林各地には環境観測ステーション。地下では資源採掘施設。河川では水質調査。山岳地帯では地質解析。
原生植物や原生生物の生態調査も含め、人類移住計画へ向けたあらゆる研究がこの星では日々積み重ねられている。
未知の惑星。
しかしそこに広がる光景は不安ではなく希望だった。
人類は確かにこの星で未来を築こうとしている。
「……すごい」
自然と声が漏れる。
資料も見た。仮想シミュレーションでも何十時間と歩いた。
しかし本物は全く違う。
頬を撫でる風の冷たさ。草木の青々しい匂い。遠くから響く滝の轟音。原生生物たちの鳴き声。その全てがこの惑星が今まさに生きていることを肌で教えてくる。
「これが……エリシアか」
胸の奥から込み上げる高揚感。
ようやく、この星へ来た。
ようやく、自分の冒険が始まる。
そう思った、その時だった。
不意に胸の奥で小さな何かが音を立てた。
「……?」
カナタ・アキトは無意識に景色へ目を凝らす。
森を見た。川を見た。山々を見た。
空を見上げ、巨大な惑星を見つめる。
そして開拓拠点へ視線を移し、もう一度周囲全体をゆっくり見渡した。
何かを探しているわけではない。
何かを思い出そうとしているわけでもない。
それでも視線だけは景色の隅々を確かめるように動き続ける。
まるで、頭の中に散らばっている何かと照らし合わせようとしているかのように。
「……何だ?」
違和感。
そう呼ぶにはあまりにも小さい。
記憶ではない。懐かしさでもない。
ただ、形すら分からなかった無数の欠片の中でたった一つだけがあるべき場所へ収まったような。
そんな曖昧な感覚だけが胸の奥に静かに残っていた。
「……上手く言えないな」
独り言のつもりだった。
「何か気になるの?」
隣のシャーロットが静かに問い掛ける。
「いや……」
カナタはもう一度エリシア全体を見渡した。
「理由は分からない。ただ……この景色を見てると、何か大事なことを忘れてる気がするんだ」
その言葉の意味を、この時の彼はまだ知る由もなかった。




